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Cutty Sark

Cutty Sarkは常に夢を追い続ける希望の帆船です。I still have a dreamのこころざしを持って海図にない航路を切り開きます。

経営という使命

2007.11.07

150年前の11月5日は吉田松陰の「松下村塾」が発足した日と云われています。
今週の月曜日ですね。

創業者、船井総合研究所の船井幸雄さんは、以前から非常に多くの経営者から相談を受けるそうですが、彼は経営者から事業の相談があると、決まって次の「六つの質問」をするそうです。
(1)心の底から、それをやりたいのですね。
(2)それは、世のため、人のために必要なことですね。
(3)それを実施することによって、世の中を悪くしたり、バランスを崩したりはしないですね。
(4)実際に、それをやる人は喜びますね。
(5)成功して、採算が合う確信がありますね。
(6)もし失敗したときには、全責任がとれますね。
というものです。
このうち一つでも「否」があれば、再度熟慮を促し、逆に、全て「可」であれば、すすんで支援をされるそうです。
考えるに、この「六つの質問」を全て「可」にすることはとても難しい事と思われます。
だからこそ、全て「可」であれば成功の確率は一段と高くなると想像できますね。
仮に今、ボクが新規の事業やその事業の拡大などで悩むとき、船井さんのこの「六つの質問」をすべてクリアーできそうもありません。
船井さん曰く、全て「可」だった場合、過去に失敗した例は無いそうです。
さすがは経営学の大家です。

「松下村塾」とは吉田松陰が実家の杉家に寄食した折に、母屋の一部を改造して作った「八畳一間」の部屋をさすそうです。ずいぶんと、質素な講義室だったようです。
月謝は無料で家格は問わなかったそうです。
なので、それを聞きつけた藩士、足軽、商人から無頼の少年まで集まったと言われています。
松蔭がここで教えたのは1858年(安政5年)から、「安政の大獄」で彼自身が囚われの身となるまでの期間ですが、約3年で廃止されてしまいます。
但し、実際に松蔭が塾を主宰したのは、わずか一年余りだそうです。
しかし、
その一年余りの間にこの塾舎から明治維新の原動力になった立役者が続々と育って生きました。安政の大獄という大きな国家権力が発動されたために、教材や塾生名簿は現存しないそうですが、私たちが良く知る門下生には「久坂玄瑞」「高杉晋作」「吉田稔麿」「伊藤博文」「山県有朋」「前原一誠」「品川弥二郎」などがあげられます。その殆どは維新前に斃れてしまいます。

松蔭の人柄は、普段は婦人のように大人しいひとであったそうですが、信念に殉じた者を語るとき、声を震わせ感涙を滴らせ、泣いたといいます。また、背信者の話に及べば、なまじりを裂き、髪を逆立て、怒声を発しる激しさを持っていたようです。

「松下村塾」のわずか一年余という短い中で松蔭の薫陶を受けた幕末の若者は夫々に「使命」を見出し、維新に殉じました。
船井さんの「六つの質問」は幕末の若者たちは「当然のごとく」認識し、潔く「国のために」または「愛する者のために」その身を投じたのではないでしょうか?
そこには共通した「なにか」の存在を感じます。

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