本多厚美 リサイタル
2006.12.13
数年ぶりに見た「本多厚美(ほんだ あつみ)」は見違えるような洗練された気品を備えていた。
七百年前にお能の天才「世阿弥」が著したかの有名な「風姿花傳(通称・花傳)」があります。そして、その別紙に「第一年来稽古條々」がありますが、これは能稽古の極意が年代別に著されたものです。
その中に「五十有余」という節があります。
「本多厚美リサイタル」を聴いて「花傳」を思い出しました。
世阿弥は能の極意を父「観世弥」から受け継いだと言われていますが、その観世弥が亡くなったのは世阿弥が22歳のときです。もちろん現代と七百年前では「成人」の概念は異なりますが、この年代で父の偉業をすべて受け継ぐのは難しいかと思われます。しかし後世の我々は「世阿弥」の天才的な能力を知っています。
するとやはり、父を亡くした世阿弥は本来その天才の能力を遺伝子の中に秘めていたという事でしょう。
きっとそれは、彼自身の潜在能力がその後を左右したのでしょう。
それも世界的な天才芸能者として。
父が四十代で亡くなっていますので、世阿弥がこの花傳で述べる「五十有余」は彼自身が歩んできた彼の理なのだと思います。
さて、その理ですが、抜粋すると、
『物数をば、はや初心に譲りて、安き所を、少々と色へてせしかども、花はいやましに見えしなり。これ、まことに得たりし花なるが故に、能は、枝葉も少なく、老木になるまで、花は散らいで残りしなり。』
物数=「ものかず」数々の曲を演ずること
初心=初心者の意味で世阿弥は謙って自身のことをさす様です。
まこと=本当に幽玄(花)を会得したこと
枝葉=技が少なく、芸が枯淡になること。
この節を読むと、世阿弥は自身の能楽の大成を五十代と考えていたようです。
七歳から始まる稽古條々ですが、この「五十有余」で完了します。実際の世阿弥は四十代から不遇の老年時代を過ごす事になりますが、しかしその事が彼に多くの時間を与え能楽理論の大成を成し遂げたとも言えるのではないでしょうか。
さて、気品に満ち溢れた「厚美ちゃん」はというと。
ここ4-5年見違えるほどチャーミングになりました。
年を重ねる毎に若々しく感じます。
著名な老ピアニストを従えて現れた彼女は16世紀のヨーロッパ風のピンクのロングドレスを裾捌きも美しくステージに立ちました。ドレスの裾は黒が基調で輝いて見えました。胸には大ぶりのネックレスとロングのイヤリングです。
そして、ピンクのドレスに合わせて淡い色合いのショールと靴はシルバーの高めの踵という出で立ちでした。
最初の歌曲は歌劇「ウェルテル」でしたが、少々硬めな表情でしたが、それも数曲重ねると彼女本来の声質になったようです。
素人の僕にはたくさんの人が出てくるストーリー性のあるオペラと違い、リサイタルでの歌曲は難解です。入り口で配られた歌詞カードを追って行くのがやっとです。
〔これは今回のサントリー・ホールで開催された時のポスターです〕
Mozart モーツァルト
Abendempfindung K523 ラウラに寄せる夕べの思い
Le Nozze di Figaro K492 Voi che sapete
オペラ 『フィガロの結婚』~恋とはどんなものかしら
Cosi fan tutte K588 Ah scostai, Smanie implacabli , che m'agitate
オペラ『コジ・ファン・トゥッテ』
~ああ、あっちへ行っておいで!
~胸をかきむしる狂おしいばかりの苦しみよ
Massenet マスネ
Werther Air des letters
オペラ『ウェルテル』~手紙の歌
Mascagni マスカーニ
Ave Maria アヴェ・マリア
Cavalleria Rusticana Voi lo sapete o mamma
オペラ『カヴァレリア・ルスティカーナ』~ママも知るとおり
Chabrier シャブリエ
L‘Etole Romance de l'etoile
喜歌劇 『星』~星のロマンス
Alfanoアルファーノ
Risurrezione Dio il bel sogno
歌劇『復活』~お慈悲深い神様
Bizet ビゼー
Carmen Seguidilla ~ Habanera
オペラ『カルメン』~ハバネラ
Saint-saens サン=サーンス
Samson et Dalila Samson・・Amour ! Viends aider ma faiblesse
オペラ『サムソンとデリラ』~愛よ、わたしに力を与えてくれ