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Cutty Sark

Cutty Sarkは常に夢を追い続ける希望の帆船です。I still have a dreamのこころざしを持って海図にない航路を切り開きます。

宝物_2

2005.07.31

トラックの荷物と車体で最大15トン!!!これはトラックの最大積載量の話です。トラックは、道路保全の観点から、道路運送車両法の保全基準で軸重は10トン以下、輪荷重は5トン以下と決められています。なので合わせて15トンなのです。運ぶ荷物(人も荷物)は飛行機でも電車でも船舶でも決められています。そこで下の写真をご覧ください。
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<25年以上愛用しているLoad Line Markを形とったカフス・ボタン>
これは愛用のカフス・ボタンですが、大部くたびれています。このカフスも20代の時頂いたもので、商品では無く、記念品としの特注です。限定三百個のうちの一つです。この様なデザインはとても珍しく、当時、銀座・ミキモトも気持ち良く応じてくれたそうです。実は「ブルーとワイン」のセットでしたが、残念なことに、これも海外のどこかのホテルにおき忘れ、今ではこのワイン色のワンセットのみです。船舶は後で説明しますが、船の自重・荷物・海水等のバラスト等全てを重量として換算し、どのくらい水面上に出でいなければならないかと言う規定があります。船が沈んでもいいという基準値をマークしたものを満載喫水線(ロード・ライン・マーク/load line mark)と呼びます。乾舷((まんさいきっすいせん)フリーボード/freeboard)と言うのは, 船の長さの中央において, 上甲板(デッキと言われているところです)の舷側(げんそく)における上面から満載喫水線まで測った垂直距離をいいます。その上、船の種類, 構造と、さらに面倒なことに、航行区域と、尚且つ季節(!!??)によって, 満載喫水線の基準値があります。ですから、航海士にとって荷物、海水バラスの量がとても重要になります。特に、夏期用の喫水線とか、冬期の北大西洋(WNA)用喫水とか用途によって使い分けます。(船舶安全法第3条, 満載喫水線規則, 船舶区画規程)
下のロードラインマーク(満載喫水線)は日本国籍の船舶の「遠洋及び近海区域」の代表的な形です。このほか沿海区域の船舶又は漁船には, 円標の代りに逆三角型又はV字型のものが用いられています。たぶん気がつかないと思いますが、今度機会あればご覧なってください。
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<日本国籍の船舶に制限される遠洋及び近海区域の満載喫水線>

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宝物

2005.07.30

楽しい宝物!?
コルム(CORUM)社というスイスの時計屋さんがあります。僕らが日常付ける時計に比べると、とても高価な時計です。コルム社は1924年ガストン・リースにより、スイス時計発祥の地「ラ・ショー・ド・フォン」に設立され、1955年に「CORUM」の商標と鍵マークをシンボルとして登録しています。CORUMはラテン語のQUORUM「会議で多数の賛辞を得るという意味」だそうで、英語風に簡略化すると「CORUM」になるそうです。また、鍵マークは「完全な時への鍵」(Key to perfect time)を象徴したものと言われいます。
スイスの時計屋さんの中でも40年程度という比較的若い歴史を持つメーカーといえます。ですが、やはり伝統を受け継ぐ職人さんの腕は確かで、すべて手作業で組み立てられますので、当然限定生産です。
デザインはとても創造性豊です。細部の装飾もしっかりしてます。そして常にそのスタイルは時代の先端を担っているといえます。そのコルム社の時計を知人より譲り受けました。とてもラッキーです。CORUMの時計というと思い浮かぶのは、あの「アドミラルズカップ・シリーズ」ですね。時計の文字盤が国際信号旗で表されているあの時計です。僕が頂いたCORUMは上記のシリーズでなく「ROMVLVS」という非常にオーソドックスなタイプです。それも瀕死の重傷で、日付等オーバーフォールを余儀なくされました。でも、ドックから四ヵ月後に手元に戻ったCORUMは今ではとてもしっくりと僕の腕に似合っています。
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<念願のコルム・ROMVLVSを手に入れて・いや、譲り受けて>

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新社長に会う!

2005.07.29

日本電子計算株式会社「内池社長」に会う。
今日、四月に着任された日本電子計算株式会社の内池正名新社長に御会いした。着任後前任者小倉前社長からの事業の引継ぎ、社内調整、組織、重要なお客様へのご挨拶等々精力的に活動されている。勿論全国規模のご挨拶廻りもほぼ達成。その間に社内の重要事項を処理しながら多忙な日々を過ごされている間隙を縫って、なんとか一時間の面談の機会を得た。一部上場企業の代表権のある社長業がいかに激務であるか、一端を垣間見た。
社長室の入り口まで気軽にお迎え頂き、名刺交換を終えた。三月末までバリバリのIBM役員をされていた方らしくスマートで立ち振る舞いが優雅でさえある。座られると着任後四ヶ月間を振り返られ、忙しい日々に出会った出来事をいくつかお話し頂く。また、JIP内の若手との懇談にも積極的に取り組んだようだ。もともとIBMでは金融の専門家としての評価が高く、JIPの金融、証券に今後パワフルな手を打つであろうと事は容易に想像できる。

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銀河鉄道にのって

2005.07.28

父親が漁のために北の海に行ったまま消息がわからず、病気で家から出られない母親を持ち、苦しい家計を支えるために姉とふたりで働くジョバンニ。小さい時からの友達だったカムパネルラだけはジョバンニに優しくした。ジョバンニはカムパネルラに憧れていた。ケンタウル祭の夜に不思議な出来事が起きて、主人公ジョバンニの幻想的な旅が始まる。ご存知の宮沢賢治の童話「銀河鉄道の夜」である。

何日も続く熱帯夜からすこし開放されミッドナイトの深夜の空に南の地平線のすぐ上にアンタレスがキラキラと輝く。七夕物語の「ベガとアルタイル」の話は以前のブロクで説明しましたが、八月に近くなると北から南へ流れる「天の川」は、その雄大な流れを南の地平線、精一杯に広がっています。手に双眼鏡があればもっと楽しめるのに。銀河鉄道の夜が始まる。銀河ステーションから白鳥駅へ。プリシオン海岸、くるみの化石。。。サザンクロス駅は遠くて見えない。
もう、八月は目前! 夏の星座」の美しさの始まりです。

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ネバネバと5,000歩

2005.07.28

ネバネバ野菜と5,000の歩数に凝っています。「野菜と歩く」ことはとてもリズム作りに適しています。なんといっても体調がとってもいいのです。一日の歩数目標は10,000歩にしています。が。会議の多い日もいれると平均5,000から8,000歩といったところでしょうか。毎日10,000歩程度歩きますと熟睡には適度な運動量となります。日中歩数が足りない場合は、帰宅途中に二駅手前に降りて、歩きます。くたくたの体力にはまたとない運動消費量になります。また、野菜はネバネバだけでなく「豆」にも凝っています。今が旬の「枝豆や豆腐」です。枝豆にはビールと言いたい所ですが、下戸の僕には全く相関関係がありません。さらに、肉より魚料理に徹しています。子供の頃、田舎で育ったせいか「魚の鮮度」にはかなり厳しいです。どんなにうまく料理してあっても冷凍物は直に解りますし、食べません。昔から魚の効能は肌で感じていましたが、やはりデータを見ると一目瞭然ですね。もちろんダイエットにも適していますよ。また、ここ数ヶ月一日当たりのカロリー摂取量を 約1,500-1,800 kcal を目標としています。既に二ヶ月以上になります。この効果は絶大です。
◆これがダイエットには魚がいいという説明とデータです。
動物実験では、魚油は脂肪を燃やす『PPARα』という遺伝子を活性化させると同時に、脂肪の合成を下げることが分かっている。脂肪を摂取すると太ると思っている人が多いが、脂肪の種類によって違う。EPAやDHAには抗肥満効果や脂肪を燃やす効果がある。これらのデータを生かした目安を示す。日本人の魚の平均摂取量や栄養所要量などから計算・推定すると、1日1・7グラムのEPAとDHAを取れば十分という結果になった。魚の種類によって含有量がかなり違ってくる。マグロの中トロが1番効率的かもしれないが、サンマなら1尾(60グラム)、タイで刺し身6切れ(45グラム)、ウナギなら2分の1くし(50グラム)などに当たる。日本人でいえば、魚をよく食べている人に当てはまる魚摂取量になる。
  ■EPA : 魚油に多く含まれるエイコサペンタエン酸
  ■DHA : コサヘキサエン酸
(共同通信社/最新医療情報・http://kk.kyodo.co.jp/iryo/news/1026sakana.html)
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(EPAとDHAを魚で取得する場合の食材別目安)

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台風一過とリズム

2005.07.27

今日のリズムはとてもいい感じ。
清々しい朝と心が連動している。台風7号は既に三陸沖に遠のいた。昨夜の倍のスピードだ。このまま突っ走って温低に格下げになることは間・違・い・な・い。東京の空は日の出と共に爽やかさが戻ってきた。もっとも今日の暑さと湿度は免れないが。そしてその日の出と共に拙宅のテラスに子供たちが早く「いつもの!」とせっつく。拙宅に来るのは二つのファミリーで夫婦(番い)である。三年ほど前から餌をやり続け、現在では家族同様(先方と認識の多少のずれはあるが)である。僕は一掴みのひまわりの種をそっと小さなお皿に入れ始めると、その音だけで、たぶん食意地がはっている雌が一際大きなさえずりをする。彼女は都内の森林に多く生息している「シジューカラ」である。下の写真はさすがに今朝のでは無く以前撮ったものです。

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シジューカラの特徴である黒いネクタイを太めに締めている。

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非常に臆病で人に近づかないが、慣れてきたのか2m.くらいはOK。

実は彼女の肥満が最近の悩みの種である。三年の間毎日一定のひまわりの種を食べている。その間20キログラム入りのひまわりの種を何度購入したか忘れたくらい。それほど食っているのである。三年前はスリムで優雅で美しかった。これはあくまでシジューカラの話で、僕の近隣周辺の諸動物のテーマでない事を確認したいのですが、これからの彼女のことを考えると少々気になる。夫はどの様に考えているのでしょうかねぇ。怖くて、じゃぁ無くて、聞くことが出来ないので当然確認していません。

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ディスカバリー

2005.07.26

日本人宇宙飛行士・野口聡一さん(40歳)が搭乗するスペースシャトル「ディスカバリー号」が米フロリダ州のケネディ宇宙センターの発射台から26日午前10時39分(日本時間同日午後11時39分)の打ち上げを予定している。このブログを書いているうちにも刻々と点火の時刻に迫っている。実は230年前の今月(12日)にシャトルと同名の帆船「ディスカバリー号」が北米太平洋岸からヨーロッパに向かう北西航路の探索のために、1776年にプリマスを出航(僚船はレゾリューション号)している。もちろん船長はジェームス・クックである。探検決定から出航までわずか8か月という異例に短い準備期間で。結局彼はハワイ諸島を経て,ベーリング海峡に入り,苦難の末、北緯70度30分に到達したが航路が無いことを知るのである。彼は既に50代に達し、当時の船長としても老齢の部類に属したが北緯70度をはじめて超えた航海士という名誉を得る。残念なことに、食料等の調達のために寄港したハワイ島で命を落とし、故郷には帰れなかった。(1779年 2月14日、51歳)
スペースシャトル「ディスカバリー号」はクックの偉業にちなんで命名された。ちなみに第一回の1768年の金星の太陽面通過調査のための調査隊の旗艦は「エンデバー号」であることは以前ブログで触れました。同様の理由です。(当時は毛利さんがパイロットでしたね)

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油断禁物

2005.07.26

海の遊びは「油断が命取先々週の三連休と先週の土日で海の事故がたくさんありました。小さなお子さんや青年の命が楽しい海辺の遊びから一転して悲惨な出来事に変るのです。とても悲しいことです。事故は都会から遊びに来る観光客に混じって最近は地元の子供たちも事故に会うようです。
船による海難事故もここ数週間でとても多く発生しています。知人と話をしている時に「なぜ広い海上で船同士があんなにぶつかっちゃうの?!」と素朴な疑問をぶつけて来ますが、飛行機でも車でも船でも機械と人が合わさって運転しているので、当然人的やメカ的や外部環境によって事故は起きる訳です。説明しても納得はして貰えそうにありませんでしたが。
今夜は季節外れの台風がやって来ます。特に女性社員に5時の帰宅を呼びかけています。しかしながら豪傑揃い(失礼)の弊社の女性陣のせいか一向に帰る意思が無さそうですが。そもそも、なぜ今頃台風が接近するのか? 今回の台風の周辺の天気図を見ると、例年に比べ太平洋高気圧の勢力がちいさく、その上例年だと東西に張り出すのに対して、今年は南北だ。すると台湾付近にでも大陸性の高気圧があれば、その間を通ろうとする。当然日本接近のいい条件だ。これが今回の台風の進路だし、その上嫌なのは梅雨前線を同伴させている。同伴しなくてもいいのに。彼女の暴風雨圏も広いし、今夜の豪雨が思いやられる。今夜から明日の朝まで雨は免れない。こんな日は書類整理とか日ごろご挨拶できない方に訪問調整のメールでも書こうっと。
実は台風の本当の原因は海上で発生しているため良く判っていないのが現状。それと台風は絶対に海がないとだめ。一般的には発生した渦は、周りから暖かく湿った大気が中心に向って吹き込むことにより中心付近は暖かくなり上昇し気圧が下がり、やがて雲が出来る。中心付近の気温は上がればさらに上昇し、雲も発達してきあつも下がる。気圧が下がればそこに吹き込む風も強くなる。風が強く吹き込めば、上昇気流も強くなり雲も更に発達して気温も上がり気圧は下がる。この繰り返しで、台風はどんどん発達していく。
台風や低気圧が来ると解っていると意外と事故は起きません。そうでないとても穏やかで美しい海を満喫しているときが実は「油断大敵」なのです。

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今日! パラゴンにあった。興奮した!!

2005.07.25

パラゴン」に出会うというタイトルで正確に理解できる人は、僕と同じ時代を過ごした正真正銘オジサンである。今日パラゴンに会った。とてもエキサイティングである。度肝を抜かれた。昔とっても憧れたパラゴンである。

パラゴン」に出合った場所は「オープンソース・ジャンパン株式会社」の社長室である。出迎えてくれたのは角田好志社長。角田さんが自ら欲しくて、昨年手に入れたとのこと。「私はもともとクラッシックが好きで、それもいい音で聴きたいんですよ。」と開口一番パラゴンを背に説明してくれた。アンプはプリもメインもMcIntoshだった。泣けそう。角田さんが「聴きます?」「え~! いいんですか? 是非お願いします。」彼は気軽にすっと立ち上がる優雅な身のこなしで電源をいれ、CDのスイッチを押した。「MJQだ。しゃれてる~」ぐっと堪えて口に出さず。ニコニコと。痺れる様ないい音。角田さんは元銀行マンのせいかにこやかだが、びしっとしている。「僕は15年以上前にパラゴンに出会い、機会があれば購入したいと思っていたんですよ。」「でも買ったのはいいけど置くとこがなくて。ここにおいています。」しょっちゅう訪問させていただきますよ。
僕がパラゴンを見たのは20年以上も前のことだ。
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今世紀の名品「パラゴン」の勇姿
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まだまだ現役名品「McIntoshたち」
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MJQ名曲「DJANGO:ジャンゴ」楽譜コピーと作曲者ジョン・ルイス


訪問の目的はオープンソース・ジャンパン株式会社ゼンド・ジャパン株式会社弊社biz-StreamとPHPソリューションの共同プレスリリースの事前打ち合わせである。この話はゼンドの鈴木社長を交え五分で決定。また、弊社のbiz-StreamFacerLiteの二つの拡張計画を説明した。

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朝の女性専用車両

2005.07.24

別な車両に乗って「ち・か・ん」されたらどうするの? という疑問が湧くのは僕だけ?!

先日、法律を専門とする先輩に会い、興味あることを聞いた。セクハラとパワハラ(パワーハラスメント)である。セクハラは立法化もされているので誰でもある程度理解も有り、注意を払うことができる。
しかし「パワハラ」はどうか? そんなの初めて聞いたよ。本当に「バワハラ」って言うの?? と聞き直したくらいです。本当らしい。どうも、パワハラはセクハラと違い、法律などによる定義はないという事。内容は簡単に言えば、上司と部下の関係で、上司がその権力を背景に部下に圧力をかける。といったようなものらしい。
その時、部下(個々に受け止め方が異なるが)が上司によって受けた抑圧(?)が問題となる。
パワハラの怖さは「加害者に加害意思や認識がない」ことが多いと言う事である。うんうん。これはなっとくだ。
トップ以外は、加害者自身も上司と部下の関係にあるはす。だから同じモードでその部下にも接することになる。特に不自然とは思わない。ではないでしょうか?
すると、この場合、相当、自己認識が重要になってくる。もともとバッポンテキな回避方法は無いと思う。でも、上司と部下の関係はビミョーに且つ、適度な距離が必要なのか?!

いずれにしても加害者に加害意思や認識がないことが多いから始末に悪い。
自己認識」を持っている人は既にパワハラを理解している。パワハラを知らなかった、またはそうと感じなかった僕(同年代といわず)の年代では、殆どの人が上司の権力や圧力は経験している。では、パワハラはどの様にして生まれるのか。日常的には。
①部門、チームとして相手が常に見える距離にあるという意識をもっている。
②上司として日々「指示・指導」できる権限と責務があると意識をもっている。
③上司として自分の部下として支配下に置いていると言う意識をもっている。
④上司として当然の如く権限と責務で部下をコントロールしているという意識をもっている。
⑤社会人として責務がある以上その人(部下)のプライバシーや人格を認めないという意識をもっている。

①から⑤はひとつの例であるが、
①と②は適度な距離の範囲内とされているが、③~⑤はパワハラの芽となる場合が多いと言われている。

では、パワハラはどの様に表面化するか?

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叙事詩「トロイ」と不惑

2005.07.23

ブラッド・ピット演じる「女神の息子」と呼ばれる無敵の戦士アキレスは「しなやか・強靭・華麗・冷酷」でかっこよかった。またオーランド・ブルームはロード・オブ・ザ・リングで闇の森のエルフ王国の王子レゴラスの優雅で控えめで美しさで他を圧倒していたが、ここでは絶世(?)の美男子トロイの王子パリスを演じる。ブラピは大スターだが、オーランド・ブルームはこれから大きなチャンスがたくさんありそう。

叙事詩「トロイのヘレン」と「トロイ」は同じ素材(原作:ホメロス)を使った映画ですが、制作時期にざっくり50年の距離がある。叙事詩「トロイのヘレン」は1955年の制作で、勿論リアルタイムには見ていないし、VHSにもなっていないが、昨年たった一度だけ、NHK衛星放送で放映している。大スター、ブリジッド・バルドーが無名だった20歳に端役で出ている。勿論この「ヘレン」は物語の問題のスパルタ王妃の名前です。

ブラピの戦士アキレスの逞しく優雅に舞を舞うように人を倒すシーンやエリック・バナ演じる兄王子ヘクトルの勇姿がとても印象的でした。そこで思い出すがやはり「トロイア戦争の伝説」です。僕はローマ帝国が排出した英雄たちをとても好んでいるが、彼のらさらに・さらに・前の時代で物語である。オーランド・ブルーム扮する王子パリスが城内の人々を導き、城の奥の地下道から逃げるシーンがあるが、あの落ち武者たち(数百人)が新天地ローマまで流れそこで建国したのがローマと言う事になっている。

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「櫻井よしこ」さん

2005.07.21

二人の知人から「櫻井よしこ」さんの話を殆ど同時に聴く。
櫻井よしこさんとは、あの櫻井よしこさんのことである。彼女の印象は何かというと、だいぶ前に「甘い声で且つ、辛辣な批評を行う「きょうの出来事」(日本TV)の女性キャスター」というのが最初に頭に浮かびますね。16年のロング番組だった。
最初の紹介者は、大手飲料メーカーの情報処理会社の社長さんからである。
既に20年来の知人である彼は櫻井さんをある会合のゲスト・スピーカーとしてお呼びし、その時彼女と親しく話を聞く機会を得たそうな。講演会は大成功で、話の内容は政治経済の中でも、特に注目が集まっている話題を中心に話は進められたらしい。拍手喝采で終了したとの事。そこで彼が感じた「櫻井よしこ」像をお聞きし、急に思い立ち、すぐにアマゾンでオーダーし、何冊かを読んだ。彼にはこの話題以外にもう一つ取って置きな話題がある。それは後日。アマゾンで手に入れた彼女の書籍。
日本が犯した七つの大罪
日本の危機
◆日本の危機2
◆GHQ作成の情報操作書「真相箱」の呪縛を解く―戦後日本人の歴史観はこうして歪められた
の四冊である。「きょうの出来事」は今も続いているが、1990年3月に開始した、この女性単独キャスターのスタイルは当時話題になった。初代は勿論、櫻井よしこ。次が井田由美。三番手が、薮本雅子。豊田順子と続き、そして現在の小栗泉となる。五代目か。

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iPodⅡ

2005.07.20

渡邉さん、「ずいぶんハイテクな万歩計すっね??」と横堀雅人。
「はぁ~~ぁ!!」っと力んで答える僕。額から汗が!!
つかさず海藤一が「なにいってんだょ。あれはiPodじゃん。」「あッ。すいません。ホントだ」と小さく横堀。
もう一度海藤一。「万歩計はひどいだろぅ。」「アップルが怒るぞ!!」それ駄目押しっての。
あのねぇ。怒るのは僕でしょう。僕!!  
(小話ではありません。悲しいかな本当にあった話しです。)

規則的な生活はすべてにおいておいしい!!」と誕生日を迎えた気持ちを既にブログ書いた。心に「期する」事で生活のリズムまで変えた。そのリズムは維持しているが、より体調も体力も促進するために、日々「歩く」ことにしている。週五日間の平均5,000から8,000歩が目安である。日曜日は15000歩と決めている。これは調子いい。運動不足解消にもなるし、「リズムがスリム」を作ってくれる。
歩くことが如何に健康に良いかをメンバーによく訴えている。もちろん万歩計の話も。なので横堀雅人は僕が外出先から帰社したときに「さっそうと」万歩計を着けて事務所に入ってきたと思ったらしい。「そんなの思うな!!」
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【つい最近手に入れた愛用のiPod】

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初体験

2005.07.19

サングラス以外に眼鏡をかけるのは初体験である。
ここ数年暗さと至近距離が苦手になった。何て言ったって電車の中で眼から30cmの小説の文字が殆ど読めない。5-60cm離すとなんとか読めるが「ぼんやり」だ。でも車内の状況がそれを許さない。とうとう「老眼の境地」である。老眼鏡を手に入れないと、見えないし、疲れるし、結局細かな字が判別不能である。まずは眼科で老眼度チェックをと思い社員に教えもらった近くの眼科に行ってみた。老眼の検査をと言うと係りの看護婦さんが気持ちよく検査をしてくれた。「右1.3で正常。左1.3で正常。」いいじゃあないか。さてここからが核心である。「30cmの距離で左右0.3以下である。」これはひどいぞ。こんな計り方は生まれてじめてだ。そういえば子供の頃から今まで視力等の一般的な検査しか記憶に無い。
ざっと検査が終わり医師の検診を受けた。その医師が若く美人なのに驚き。検査結果を見ながら先生の呟き。「あぁ。老眼ね。年齢的にはそろそろいいのでは」そこまで言う?
そして、対面して座ったと思いきや、すっと近づいて、おもむろにサイボーグが被る様なヘルメットみたいな物を装着し「あっちの方を見て、そのまま動かないで」と命令口調。「はい!」パチリとライトのスイッチを入れると「光」を感じ、僕の瞳を覗く。「うんうん、なかなかいい水晶体をしているじゃぁない?」次は左! やはり口調が怖い。
数分後何とか診察が終わり無罪放免である。
会社に帰った後Googleしたら、なんとあの美人先生は院長でした。う~ん。もう行く機会ないしなぁ。独り言。美人と腕は別物。

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待望の韓流歌姫

2005.07.19

めちゃ・くちゃ・いいです。

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〔ボディ&ソウルのイメージキャラクター〕

やっぱり京子ママの一押しでした。あれからボディ&ソウルのScheduleをチェックしていますが、「ウンサン(WOONG SAN)」の出演はありません。次回は見逃しません。先輩JAZZ仲間と一緒に行く事にしています。とにかく「生」でこの歌姫を聞いてみたい。手に入れたこのアルバム・タイトルは「introducing」です。2002年10月NYでの録音です。
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〔WOONG SAN introducing〕

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今は「禅」ですよ。

2005.07.19

「禅を深く進めて行くと自分の能力を出来る限り多く引き出そうという力が自然と沸いてきますよ。」と語るのはオリックス・システム株式会社の親しい課長さんである。暫くぶりの訪問である。短時間の訪問であるが、彼の目が輝いて生き生きしている。きっと気力も体力も十分なのでしょう。素晴らしい!
「人は自分の能力を十分に発揮できないことが多い。」だってさぁ「他人が自分をどう思っているか気になるでしょう?」とれと「上司や部下にも気を使うこと多いでしょう?」はい。そうですと僕が答える。「禅をね。やるとね。少しずつですが本来の自分の能力に集中しようとする力が沸いて来ますよ。」沸いてきそう。こちらまでビンビン伝わりますよ。それって「命(いのち)のリズムですよね。」あぁ。そうそうと彼。う~ん。納得です。リズムはとても大事です。
彼のリズムはこうだ。「前の夜がトンでもなく遅くなければ朝は四時に起きます。」え~っ!!毎日ですか?「はい。そうです。家で1時間程度は自分に足りない知識の勉強に当ててます。」朝のそれってとっても効率いいでしょう?「会社には8時前について、その日の段取りを考えます。」すごい。

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ゴー・パブリック

2005.07.19

ゴー・パブリック

表題は起業公開物語である。この本の著者は中心となる方と他の三名の共著である。
以前そのお一人から直に頂いた本である。物語は主人の「志村一郎」が一念発起してスピンアウトし、悩んだり失敗したりしながら周囲の関係者に支えられ、徐々に事業を軌道に乗せ、IPOするまでの物語です。IPOまでの道のりを「どの様に目指す」のかをストーリー立てて進める、言わば擬似体験する本です。

先週親しい三組の知人からほぼ同時期に「起業」の案内を受けることになりました。
最初の一組はまさしく手元に起業の「案内状」を頂きました。
株式会社レジェンド・アプリケーションという会社です。
代表の久保さん、副社長の鈴木さん、取締役、監査役もみなさん僕の古い知人です。ホームページは現在準備中なのでしょう。Googleで同名の社名では出ませんでした。新たな気持ちで、心機一転の起業と推察します。ぜひ成功して欲しいと願っています。

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笑いの極意

2005.07.18

笑った! 涙ちょちょ切れた! 笑い過ぎて脇腹痛かった!


伊東四朗一座の「お笑いの極意」を見た。久々の劇場での「生」の公演を見た。しかもお笑いのステージははじめてだ。間近で見て臨場感は段違いにインパクトあった。物語は納得できる展開でしたが、二時間少々の長丁場は途中で中だるみ生まれ、芝居の前後がとても面白いが故にスピード感が停滞し、全体のテンポに遜色を残したようだ。
とは言え、非常に楽しかった。ボケと突っ込みの微妙なズレをさり気無くやってしまう彼らはやはり只者でない。特に座長の伊東四朗、サイドを固めた三宅裕司、小倉久寛、渡辺正行、東貴博等、は芝居を楽しみながら観客を引き付けている。伊東四郎さんはこの公演以外にもレギュラーも持ち、体力的に少々ばて気味(?)それにしてもスピード感ある「アドリブ」の連発にも、なんなく対応する人たちでした。この公演はキョウレツな演劇ファンによって急遽開催が決定したとの事。今日は公演2日目でした。今月末までに16回しか開催しません。公演終了時、数分間の観客とのやり取りもこの公演の魅力か。

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伊東四朗一座~急遽 再結成公演~『喜劇 芸人誕生物語
【作・構成】 妹尾匡夫
【演出】 伊東四朗・三宅裕司
【出演】 伊東四朗・三宅裕司・渡辺正行・小倉久寛 他
【場所】 文化会館 4F サンシャイン劇場
【料金】 全席指定 6,300円(税込)
【お問合せ】 03-3987-5281

開演のご案内
伊東四朗一座~急遽 再結成公演~『喜劇 芸人誕生物語』で東京のおでかけを満喫しよう.チケットは即完売、公演期間中は当日券を求め、全国から入りきれない数の人達が列をつくった──。昨年、“旗揚げ解散公演”と銘打たれた1本の芝居が、演劇ファンはもちろん、普段は劇場に足を運ばない人達の熱い注目を集め、絶賛を浴びた。それが「伊東四朗一座」。観た人、観られなかった人、出た人、出られなかった人からの要望はあまりに熱く、遂に“急遽 再結成公演”が行なわれることに。

サンシャイン劇場公式サイト

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船を貸してほしい

2005.07.18

『たった一枚の写真で人生が変わる!!??』その出来事は中学一年の夏休み。
そのセピア色の写真は衝撃的である。写真の背景はピラミッドのスフィンクス。この建築物を背景に少なくとも50名以上の異様な風体の男たちが思い思いのポーズで納まっている。アンバランスでもあり、妙に印象的でもある。この男たちは幕末を生き抜いて来た武士集団である。半数がチョンマゲだ。後々調べてそれが明治四年に横浜を出航した岩倉具視使節団であることが判りました。百年以上前の出来ことでした。結局この写真がキッカケで、その後暇さえあれば図書館に行き月に100冊以上読む読書家(?!)に変身した。
「船を貸してほしい」
使節団ツアー・コンダクターの能士・大隈重信は当時政府顧問であったギード・フルヘッギ(オランダ系米国人)に相談し、渡米のための船として英国および米国政府に申し入れをします。企画は米欧14ヶ国訪問、期間は10ヶ月の予定。実際には米国に200日、英国に120日、途中条約改定で失敗と大金をだまされ、世界を一周して帰国し時には、632日間を費やしていました。このことが、「快挙か暴挙か」はいずれ。

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翼よ!あれが巴里の灯だ。

2005.07.18

『翼よ!あれが巴里の灯だ。』チャールズ・リンドバーグはニューヨークのルーズベルト空港からパリのル・プールジェ空港まで、途中ドライブ・インにも寄らず、5,810kmを長期距離トラックの運ちゃんの様に「睡魔と闘い」ながら33時間30分飛び続け、単発飛行機で大西洋横断を成功させます。1927年の事でした。彼は、強靭な意志と肉体と「志」を持って航空機時代を現実のものとし、飛行機によって未来を変えるキッカケを与えて呉れました。
歴史は時々この様な飛躍的な行動を起こす人を生み出します。

それが飛行機でなく船であれば「君よ!あれが犬吠崎灯台の灯だ。(船は女性名詞です)」と言う事になります。前回羅針盤」と「六分儀の話題を出しました。羅針盤は紀元前の中国で開発されましたが、「北」という方向を指せてもやはり眼で見る「岬とか島と浅瀬」とかの「目印」が必要です。日本の江戸時代に盛んに行われた近海航路の夜間の目印が「北極星」であった様に。近代は北極星から灯台に変わりました。日本の灯台の近代化は明治元年から飛躍的に改善され、その後の海運国日本の成長のために、非常に重要な役割を果たしました。灯台の機能は、「光」と「音」と最近では「電波」によってその位置を知らせています。灯台「専門的には航路標識」は海上保安庁が所管していますが、光によって位置を確認できる灯台とそれ以外で目印になる陸票や浮票をあわせ、ざっくり日本全国に5200基程度あり、管理・保守されています。

数ヶ月間の航海を終え太平洋から横浜にアプローチする時は最初に犬吠崎灯台を捕らえることができます。「帰ってきた」という実感を得られるふるさとの温かみを感じる光源です。
その後、勝浦灯台鴨川灯台を経て、東京湾へ。野島埼灯台洲埼灯台第2海堡灯台を過ぎると難所の「浦賀水道」に入っていきます。(専用サイト「日本の灯台」は各地の灯台を走破しつつその数には圧巻です。写真がとても美しい)


海運国日本になる以前の明治元年のころ、明治新政府は洋式灯台建設を開始し、灯台位置の測量、資材の運搬、保守管理に使用する浚渫船が必要でした。いわゆる灯台船です。当初は海外から中古船を購入してこれを当てていました。その後灯台の数が増加するに従い、新鋭船が必要となり英国に発注することになりました。それが「明治丸」です。

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「海の記念日」と「海の日」

2005.07.18

この二つの記念日は同じ日を指しています。由来は後ほど出てきますが、「僕のブログは今月の七月を目標に立ち上げました。」自分のブログがどの様な意味合いを持つブログに成長するのかを既にイメージしていました。その開始には「この日」が最も相応しいと感じています。いいまで練習と思っています。そして、この日を境に日々の「今を生きる」と「過去・現在・未来」と繋ぎ合わせて綴りたいと思っています。
「海の記念日」の由来は、明治天皇が明治9年に東北へご巡幸の帰途に当時最新鋭の「灯台視察船・明治丸 」で青森港から函館を経て横浜港に無事到着された日を記念したものです。なぜか閣議決定後、最初の開催日の「海の記念日(7月20日)」は太平洋戦争突入の翌年の昭和16年7月20日でした。当時きっと開戦抑揚の意味もあったのでしょうか? この時使用された「明治丸」ですが現在でも復元・現存します。明治新政府は洋式灯台建設を多数開設するための灯台船の必要性を検討しましたが、国内には未だ相応の造船能力がなかったので、英国に明治6年(1873)発注し、明治8年(1875)2月に横浜に回航されました。とにかく大枚を叩いたピカピカの新造船でした。平成の御世になり国民の祝日「海の日」として皇太子同妃両殿下のご臨席のもと平成8年07月20日に制定記念式典を開催し、現在の形になりました。 この年より呼び名が「海の日」になりました。そして、平成15年から「海の日」は7月の第三月曜日に振られラッキーな「三連休」に変わりました。

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大人になれない日本人

2005.07.16

『キョーレツな拳骨 一発!!』
今は亡き親父様の本気の拳骨一発で立っていられずその場に崩れ落ちた。
本気の一撃。あれは中学生二年の夏だった。

子供の頃遊んだ、夏の海の記憶が、よみがえります。僕は千葉県の外房の田舎で、常に「海」と「山」の環境の中で育ちました。外房ですから、港の外はすぐに外洋です。「海」と「山」はとても身近な存在で「遊び場」です。特に「夏の海」は、特別な存在でした。晴れでも、雨でも、台風でも、海と遊びました。中学生ともなると、海岸に吹く「風向き」によって泳ぐ場所や泳ぎ方を変えます。特に「東風(こち)」の吹いたときは、子供たちは自然に集団で泳ぐように訓練されています。それは数年に一度、都会から来る「ビギナー」によって、事故を目の当たり見ているせいでしょう。

小学校の低学年の頃、近所の中学生のガキ大将が「徒弟制度」のごとく「良い事も悪いことも」教えてくれます。そして、小学校の高学年になると、和船の漕ぎ方を伝授してくれるのです。和船というと、いわゆる「一丁櫓の伝馬船」(いっちょうろのてんません)です。最初は漕いでも漕いでも、右廻りに回転するだけですが、中学生の先輩の叱咤激励(?)で、しばらくすると「コツを得る」のか、直進できるようになります。しかし、子供には櫓は長く重く、背が低い為届かず櫂が十分に水中に、達しないためスピードはゆっくりだ。でも、一人で櫓を漕いで、伝馬船が走ると爽快な気分になったことを今でも忘れない。勿論「伝馬船」はたまたまそこにあったので、たぶん自由に使ってもいいのではと言う、都合のよい解釈により子供たちは自由に毎日遊んでいました。大らかな時代である。

beach.JPG
-子供の頃よく遊んだ港も今はコンクリートでしっかり防御されエキサイティングな雰囲気はない-

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方位と位置

2005.07.15

大企業であれベンチャー企業であれ、羅針盤と六分儀は必要だ。
特にベンチャー企業は貧弱な羅針盤で大海原に船出しているようなものだ。ちっょとの要素で「軸」が狂いだす。暫く走って現在地を確認しようとするが、持っている六分儀もおもちゃの様に不正確である。でも取りあえずこっちの方角だろうと走り出す。心もとない方式だが、いいジャイロやGPSを買えるまでの辛抱だ。ベンチャー企業の経営もコロンブスやヴァスコ・ダ・ガマやマゼランやクックと同じようなものだ。全て手探りだ。

羅針盤と六分儀によって、自船の「方位」と「位置」が確認できます。
羅針盤は「方位」を指します。六分儀は「位置」を掴む事が出来ます。これは経営にとっても船にとっても必須条件となります。勿論その精度と熟練度は別にして。羅針盤と六分儀によって船は全く陸地が見えなくとも進む方向と位置を知る事により、大海の真っ只中にあっても安心して眠ることができ、無事に目的地に着けます。

羅針盤は「磁石の針が南北を指す」という原理を古代の人が経験で知っていたようです。
六分儀はすこし難しいです。
太陽も含めてすべての星たちは、見かけ上では北極星を中心にした回転運動をしています。夜、カメラのシャッター・スピードを開放にして、「北極星を中心にした夜空の写真」を見た事ありませんか。北極星を中心に星たちが軌道線を描いて波状の円を描きます。これは北極星が「地軸の北の延長線上」にあるためにそのように見えちゃうのです。北極星の高さは実際には高い位置にありますが、(言いかえると地平線からの高さ(角度)は)現在見ている位置(場所)の緯度とおんなじになるのです。 星空の中で、北極星さえ捜しだせれば正確な方位(東西南北)と自分のいる場所の緯度がわかるということになります。これが簡単に言うと「六分儀」という計測器の原理です。船乗りたちにとってはとてもありがたい事でした。大海原のまん中にいて自分の位置がわかるのですからね。六分儀が登場するまでは、船乗りには非効率な航海と遭難が当たり前でした。ですから常に陸地を見ながら沿岸航法をしていた当時の人には画期的な機械でした。当時の船乗りは北極星を航海の目印にします。この技術は古くはフェネキア人が利用していたといいます。「大航海時代」のオランダ、スペイン、イギリスの帆船も同じです。

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赤坂で海舟と

2005.07.14

勝海舟とは赤坂氷川町で会います。誰もが会えます。
当社が設立後三ヶ月間の準備を終えて最初に事務所を構えた土地が「赤坂」です。以来六年目ですが、この土地に親しみを感じるまでに長くなりました。繁華街のど真ん中にあるので夜になると世界が一変します。男性社員は駅までの距離は近いが、着くまでに数時間もかかるとニヤニヤしながらボヤいています。

「この頃は天下無二の軍学者勝麟太郎という大先生に門人となり、ことの外可愛がられて候て、まず客分のようなものになり申候」(文久三年5月17日)と坂本竜馬が姉の乙女に送った自慢の手紙です。竜馬と乙女は非常に仲の良い兄弟として知られています。海舟は長崎で三年余り自ら企画した海軍伝習所で修行を終えた安政六年の7月、赤坂氷川町に居を構えます。このとき37歳でした。すぐに軍艦操練所教授方頭取に就任します。彼はこの地に十年住みました。この間、国内では激動の夜明けを迎える訳ですが、彼はこの赤坂氷川町の屋敷を拠点にしています。大きな出来事としては、「咸臨丸での太平洋横断」や「西郷と指しで談合する江戸城無血開城」等です。さらに、坂本竜馬との劇的な出会いはもここです。小説や映画でよく見るシーンが思い浮かびます。

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激務

2005.07.14

昨日、日本電子計算株式会社(JIP)の小倉顧問に御目にかかった。
日本電子計算株式会社は当社の初期の時点での戦略的株主の一社でもある。

小倉顧問はつい先月の株主総会以前は代表取締役社長のお立場であった。五年間の社長任期を終えられて新社長と交代された。ご本人より顧問就任のメールを頂き、まだまだ新社長との交代の挨拶等で多忙の中お時間を頂いた。

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水先案内人

2005.07.13

大航海時代の帆船であれ、現代の船舶であれ、命令は一つで、その時、全員が動く。
その緊張感は今でも脳裏の中に、その臨場感を感じることが出来る。
とても古い記憶ですが、素晴らしい体験でもある。

陰鬱な驟雨(ガルア)に二万トン近い船体が包まれる船首楼(オォックスル)はその輪郭のみに留めているが、唯一レーダーマストに掲げるパイロット旗(フラッグ)「H」が、時折軽い突風に透けて見えることがある。速度制限で十二ノットまで減速した船橋(ブリッジ)内はもの静かで、振動も殆ど感じない。当直中(ワッチ)の三等航海士(サード・オフィサー)と三等操舵手(クォーター・マスター)は、この驟雨(ガルア)のために等間隔に囲いのあるレーダー・スクリーンを覗き込んでいる。ここは東京湾である。世界で有数な船の出入りが多い「浦賀水道」である。
驟雨(ガルア)は夜明け前に野島崎の灯台を認識し、船首を回頭する頃から視界を遮る様になった。その濃度は回転窓から船首用意(スタンバイ)のために配置(アサイン)に付いている一等航海士(チーフ・オフィサー)の姿さえ捉えることが出来ないほどである。

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実践! ビジネス・プログ

2005.07.13

同じビルの同じフロアーに住んでる「ネオテニーベンチャー開発」の松本英博社長から上記タイトルの書籍を頂きました。僕がブログを始めたのと書籍を頂いたのが同じタイミングにびっくり。
松本さんは独特の雰囲気で飄々と自分の「夢」に向かっているようです。
今の僕には、ブログの本は非常にありがたく、早速読み始めたところです。
最初の印象はとても「解りやすい」って感じです。
僕の様なシロウト向けに基本的なブログの仕組みと使い方。
加えて簡単な機能の紹介、そして本来彼がこの本で伝えたかったツールとしての活用方法について、彼らしく簡潔に綴っています。
ブログは使い方によっては、強力なCMSになりますね。
そういえばJOIもそう言っていましたね。

同じフロアーですので、しょっちゅう会います。
「本! ありがとうございます。
「いゃぁ。 お恥ずかしい。」という感じです。
このフロアーにはブログの大家たちが山ほど(言い過ぎか)います。
安心して過ごせます。

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ベンチャー起業家とベンチャー・キャピタリスト

2005.07.12

グローバル化の先駆者がここに!

帆船の起源は古く、紀元前数千年の昔に遡る。本格的な航洋帆船の出現は十五世紀になってからで、チョードこの時期の本格的な帆船の技術が進み、彼の探検航海に間に合ったと言うことになります。

その名は、コロンブス。
ジェームズ・クックは船長としては地味で自分のミッションを明確に達成するタイプですが、コロンブスは今で言う起業家でした。それも飛び切りグローバルな先駆者として有名です。

今日は五百年も前に地球規模でビジネスを考えていた男の話です。

1492年8月3日、金曜日、日の出30分前、サンタ・マリア号、ピンタ号、ニーニャ号の三隻はスペインのパロスの岸を離れます。第一回の探検です。旗艦のサンタ・マリア号の大きさや船型、帆装などについて正確な資料が残されて居ませんのでよくわかりません。でも、三本マストで、中央にある一番高いメインマストには聖十字を描いた大きなメインスルをかけ、船首よりの低いフォアマストには小型のフォースル、船尾のミズンマストには三角形のラティーン・ミズンスルであった言われています。この一番大きいサンタ・マリア号でさえ100トンしかありません。僚艦のピンタ号とニーニャ号に至っては、わずか数十トンに過ぎず、その帆走速力は数ノットという、ちまちまと走る到底現在の常識では想像できない粗末な船団です。こんなのでよくぞ、大西洋を渡ったなぁという感じです。 海図もレーダーもなしに。コロンブスはだだ、ひとつだけ大きな改良をしています。それは、三隻ともスペイン出航からカナリア諸島を出るまでに帆装を横帆に改良装備しました。これで操船がぐっと楽になります。この改良でサンタ・マリア号は近代的な帆装形式に近い、三本マストに横帆と縦帆を組み合わせた形式になりました。これは画期的なことです。この船が初期の全装帆船だと言われています。後々、僕が語りたいクリッパー・シップの原型です。

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Joiの先見の明はすごい!!

2005.07.11

今日公式ブログを船出しましまた。「ボン・ボヤージュ!」

自分のブログのトップ・ページを見て、「なかなかいい。」と感じる。
もちろん自分で作ったわけでなく、ミツエーリンクスのプロにお任せした。
最初のイメージ図はブログ、ブログしていて、ボツ!
仕方ないので、制作担当者に無理やり時間を頂き、方針を説明し、
今のトップ・ページに数回のリ・デザインで決定した。気に入っています。
大変お世話かけました。

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船出

2005.07.11

今日公式ブログを一般公開した。
ブログの名前を思いいれもあって「Cutty Sark」とした。追々説明したい。


当社のマーケティング西尾知子の示唆もあり、ここ数日間、ローカルでお試しをやってみたが、思ったより使い勝手もよくて、トップ・ページのデザインも気に入っている。
ブログ制作には僕の大雑把な方針に対して、すんなりと㈱ミツエーリンクスのAさんは手早く仕上げてきた。
すばらしい制作力である。
元々当社のホームページは昨年前半に既にHP自体をブログ化した。ブログを初めて知ったのは二年以上前にjoi伊藤穣一氏/当社非常勤取締役)から説明を受けたのが最初だった。joiはその有効性を実際にPCにタイプしながら熱く語っていたけれど、僕が最初に受けた印象は、「どうしてこれがすごいの? 」だった。しかし、二年たった今、やはりjoiは只者でなかった。
あの当時正確に仕組みとアプリケーションとしてのブログを理解し、ビジネスに適応できると確信した人は国内に数人であったろう。いや、彼一人かも知れない?いずれにしても凡人には無いすばらしい「着眼点と洞察力」である。
ブログはjoiが米国で投資を行ったsix apartMovable Typを採用している。僕が最初にMovable Typを使ったときはまだメニューが英語版だったが、現在は日本語で機能も拡張している。とっても使いやすい。
そう言えば以前、six apartの非常にシャープなマーケティング担当の斉藤朱保さんにMovable Typの機能と効果についてインタビューを受けたことがる。彼女の冷静沈着で何事もスマートな仕草に圧倒された。その時のインタビューアが業界で著名な長野弘子さんでした。この方の頭の回転はすこぶる良くて、そのスピード感がとても気持ちいい。
世の中の若手はすばらしい!!

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コア・メンバー

2005.07.10

コア・メンバー構築はとっても重要だ!!


家督を継いだ十九歳の時より本能寺の変で没するまで織田信長は四方の敵と戦い続けました。
相続時から尾張半国程度の支配者になるまでが大きな試練でも有りましたが、それから三十年後には
日本の約半分の地域の統一を成し遂げます。
誰でも思うことは一緒ですが、彼が後4-5年活動していたら、戦国時代の終焉を迎え全国統一の偉業は達成されことでしょう。
いや、もっと怖いことに成っていたかも知れませんねぇ。
ところが世の中、予定通りに行かないことは古今東西誰でも事実として知っていること。

今日のテーマは信長のコア・メンバーとは、どの様に選ばれ、どの様に構成されたかを知りたいと思います。紀元前に活躍したユリウス・カエサルも、第九軍団というガリア戦役の初年度から、戦い続けた親衛隊とも言うべきコア・グループ(五千から一万)を持っていました。
特に信長の場合は、ご存知の通り「桶狭間の戦い」に少数精鋭部隊を自ら率いて指揮を執っています。
現代でもコア・メンバーの存在は同様に非常に重要なテーマです。
信長のコア・メンバーの選定の仕方、育成方法、日々のOperationは?
天才のコア・メンバーの考え方をいろいろ知りたいと思っています。

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時代は次世代のWebアプリケーション!!

2005.07.10

先週、株式会社アイ・ティ・フロンティア井上社長と佐々木副社長の紹介で「Webソリューション」の開発チームと情報交換をしました。とても印象的であったので今日のテーマにしたいと思います。

ITFのこのエリアの二年間の功績は同じ業界人として「先行者の苦労とメリット」を共通な意識として感じます。市場を開拓することは、とても重要で且つ大変な苦労を抱え込むものです。
先駆者となる事を決断する経営者も実際に現場でドライブする事業部メンバーも共に苦労を強いられます。
僕らも五年前、「PDFをダイナミック生成する技術」の市場を開拓してきましたが、現在の様に市場に理解して頂けるまで多くの時間と労力を消費しました。しかし、その苦労があったので新しいリッチクライアントの製品も世の中に問うことが出来ました。

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料理の極意

2005.07.09

『料理はその土地の環境で育った食材をその土地の空気の中で作って食うのが一番だ!!』ゴテゴテ、手を加えんじゃぁなくてさぁ、素材の良さを真摯に受け止め、最低限の手を加えて出す。
「これだよ。料理の極意は!」 と仕事人は真っ直ぐ僕を見て「ニーッ」と笑う。
昨夜、暖簾も腕も器も約一世紀続いた老舗の香りを漂わせるオーナー仕事師の前に座る。
仕事人の姿勢が自然に僕の文体にも現れるのは致し方ないとお許しあれ。

今日のテーマは、
「頸木(くびき)が無くなって気力も体力も充実! 本当の人生はこれから!!」。
こう語る元上司は、自らの半生と第二の人生を熱く語りました。
場所はいつもの『木挽町・萬久満(まんくま)』(現在は銀座)である。

元上司は大手商社に三十五年勤め、自らの意思と希望と志により今月退職する。
頸木は、その大手商社の「髪の毛からつま先」まで浸み込んだ重厚で強靭な「タガ」の事である。
「タガ」は完全に外た。
昨夜お逢いするほんの少し前に奥様とご夫婦で水入らずのイタリア・ツアーから戻られたばかりである。あの英国のテロにもう少しで遭遇するタイミングだった。
リフレッシュもされ、これからやるべき内容もきっちりと固め、とても若々しい落ち着いたお顔であった。
元上司は、非常に柔らか頭で、浮き沈みによる経営も経験し、言わば現役プロである。これからの彼のテーマは、「医療と福祉」であり、人生の折り返し地点からのライフワークとなる。
その為に余暇の殆どを費やして大学院で学位も取り、この方面に伝を求めて多くの人にお会いした。
出航準備も整え、今月末から第二の船出を切ることになった。
「五十にして天命を知る。
六十にして耳順(みみしたが)う。
七十にして心の欲するところへ従へども、矩(のり)を踰(こ)えず。」の論語の様に。

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iPod

2005.07.09

京子ママが一押しッ! っていっているよ!! と携帯からの第一声は興奮気味のJAZZ仲間の大先輩でした。

韓流は国民的放送局(?)NHKが一昨年から仕掛けたプロジェクトで、目論見と桁外れに成功してしまいました。
そういえば、NHKのお陰で、韓流はドラマだけでなく映画・音楽等いろいろな場面で、日本人の身近に感じるようになりましたね。
実は僕も嵌まっています。
京子ママが「一押しよ!!」とだめ押したミュージシャンは、韓国でも人気No.1の歌姫で、その上スタイル抜群のwoong san(ウンサン)というジャズ・シンガーの事です。この日二十年来通っている「Body & Soul」で初めてその透き通った歌声を披露したのです。
その日というのは先月、6月3日で『ウンサン (vo) 鈴木文紹 (ts) ユキアリマサ (pf) 安カ川大樹 (b) 広瀬潤次 (ds) 荻原亮 (g)』というカルテットとボーカルの構成でした。
残念なことに、僕は彼女の歌声を聞くことが出来ませんでした。
とても残念に思っていますが、その後B&Sで再び予定を組まれておらずAmazon.comにお願いすることにしました。

B&S1.JPG

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2インチ

2005.07.09

規則的な生活はすべてにおいておいしい!!先月、誕生日を迎え、心に「期する」ことが有り今までの生活のリズムを一変しました。
それ以来、毎朝六時起床し、午前一時に就寝するリズムに変えました。
もちろん、土曜日もです。
但し、月曜日のみ朝四時に起床するので前日の日曜日は午後十時に休みます。
生活のリズムは、
人間本質の生命のリズムでも有りますので、自然界のリズムと共通することがあると思っています。
もちろん、リズムは時間と環境に大きく影響されるので、その意味では大宇宙とのリズムの同期が必要かも知れません。
今の体調はすばらしく快調です。楽しんでいると言って良いでしょう。
大宇宙のリズムとリンク出来ると、今までとは違った何かを得られるかも知れません。

住信インベストメントが発行するメルマガの辻俊彦氏の日記に「週100時間働くことを楽しむ」のコラムが有ります。
『平日は7時から23時まで、土・日は9時から19時まで働くと週100時間働くことができる。起業した当初6ヶ月は、最低そのくらい働いた方がいい。最近は、スマートな起業家が多すぎる。量は質を凌駕する。』と言うものです。
これも自らが制御(ドライブ)するリズムのひとつの有り方と思います。

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彼は言った。宮仕えがいやになったよ。

2005.07.08

彼は言った。「ほとほと、宮仕えがいやになったよ。」
「ははぁ。。やっぱり、不惑ですねぇ。」

先日、日経新聞に彼の写真とコメントが大きく取り上げられていた。新聞の内容を抜粋すると、『米系の有力ファンド、ウォーバーグ・ピンカスで日本代表を務めていた深川哲也氏(49)はクレセント・パートナーズ(東京・千代田)を設立、6月から投資活動を始めた。米系ファンド、オリンパスキャピタルホールディングス出身の根本修一郎氏(48)と共同で立ち上げた。投資対象は未公開株などで、約200億円を運用している。』と言う記事でした。

今週の初めに久しぶりにお会いした深川さんはエジプト旅行のリフレッシュと短期ダイエットでとても若々しく輝いていました。大学時代の学友と始めたこの会社はきっと成功するでしょう。

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初めてのブログ

2005.07.08

グローバル化の先駆者も偉大な功績は「不惑」の世代だった。

今日が初日のブログに「何から書き始めたらいいのか」迷います。
書く前にいろいろ考えましたが、
自分が書き込むブログなので、
なんの衒いなく、何の気負いなく、何の気兼ねなく、書きたいことを書くことにしました。
ですから、当然なことに他のブログは全く参考にしませんでした。

さて、東京の昨夜は曇り空でしたが7月7日は「七夕祭」です。天の川の両岸に離ればなれになった牽牛(けんぎゅう)と織女(しょくじょ)が、年に一度のデートをするという中国の伝説の夜です。日本では「織り姫星と彦星」になりますね。今の時期は「梅雨」の真っ只中で、当然晴れる確立は少ない。その上、この時期の「天の川」は高度も低いので条件はなお更悪い。昔の人はなぜこの時期に「七夕祭」をしたのでしょうかと、不思議に思うこともありました。答えは「暦」です。明治5年以前は陰陽暦で、この時期以降は太陽暦でその差は約一ヶ月あります。8月の初旬であればきっと美しい星のランデブーが晴れた夜空に確認できたことでしょう。

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