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Cutty Sark

Cutty Sarkは常に夢を追い続ける希望の帆船です。I still have a dreamのこころざしを持って海図にない航路を切り開きます。

パラダイムシフトと先見性

2007.11.26

「プリンス・オブ・ウェールズ」は不沈戦艦と言われた英国の旗艦でした。
太平洋戦争(第二次世界大戦)の頃の話です。1941年(昭16)頃のロイヤル・ネービー(英国海軍)が世界に誇る最新鋭の三万五千トンもある戦艦です。
当時このプリンス・オブ・ウェールズに互角にわたり合える日本海軍では「長門」「陸奥」の二隻といわれていました。
良く知られている「大和」「武蔵」の姉妹船はこれより少し後になります。

1941年12月10日の昼下がり、英国東洋艦隊の主力部隊が壊滅しました。
場所はマレー半島のクヮンタンの東方55海里の海域です。彼らは日本軍の輸送船団がマレー半島のシンゴラに向かうところを攻撃する予定でした。
しかし、日本海軍はこの英国東洋艦隊を発見すると第二二航空部隊を中心とする機動部隊の全力をあげて攻撃します。
その主力編成チームは爆撃機三四機、電撃機二五機、陸攻二六機の合計八五機の航空機です。日本軍は直接的には航空機しか使っていません。

大量の航空機に攻撃された英国東洋艦隊の副艦「レパルス」は1時間八分、旗艦「プリンス・オブ・ウェールズ」二時間五分で優雅に静かに最後の安息の場所に消えたと言われています。
史実では公式(英国公式資料)に不沈艦「プリンス・オブ・ウェールズ」は五〇〇キロ爆弾一発、魚雷六本を受けています。

同日、一万五千キロ離れた英国では両艦沈没の悲報をパウンド軍令部総長が電話でウィントン・チャーチルに報告します。
チャーチルのこの時の心境を回想録に次の様に述べています。
「私は一人なのがありがたかった。全ての戦争を通じて、私はこれ以上直接的な衝撃を受けたことはなかった。 (中略) 寝台で寝返りを繰り返していると、この知らせの十分な恐ろしさが私に浸透してきた。」と。
不沈艦「プリンス・オブ・ウェールズ」の沈没がいかにチャーチルの心を塞ぎ込み、彼の多くの努力と希望と計画を打ち砕いたかを想像できる苦悩の嘆きです。

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Eclipse 3.3 of Europa

2007.11.16

2007年6月29日にEclipseの新バージョン「Eclipse 3.3」がリリースされました。
このリリースを当社の若手技術者の一人でもあるGUIデザイナーのアーキテクトは待ち遠しく思っていたようです。
Eclipseはこの新バージョンによって確実に安定してきていると言えます。

彼の発案で当社では「韓流チーム」という三人の研究開発専門の技術集団を組閣しました。この三人は若手の韓国人で、著名大学を卒業した優秀な技術集団です。
彼の説明によると、Eclipse 3.2がリリースされたのが2006年6月29日で、ちょうど1年間を経ての今回の新リリースとなった様です。
Eclipseの歴史を辿ると、Eclipse 3.0は2004年6月25日のリリースされましたし、Eclipse 3.1は2005年6月27日にリリースされています。
Eclipseは定期的に毎年6月に1年置きに新版がリリースされていることになりますね。

この三名からなる韓流チームの研究開発技術集団は戦略的な企画から開始しているため、詳しくは説明できませんが、若手アーキテクトである彼は、このEclipseの新バージョンEclipse 3.3をベースに新しい研究開発に没頭中です。

前バージョンのEclipse 3.2のコードネームは「Callisto」でしたが、新バージョンEclipse 3.3のコードネームは「Europa」です。

いずれも木星の衛星の名前から取られているようです。
今回の新バージョンEclipse 3.3では、既存のプラグインの強化に加え、JSF(JavaServer Faces)やJPA(Java Persistence API)などのJava EE 5対応や、STP(SOA Tools Platform)でのSOAのサポート、C/C++のサーバ上でのアプリケーションのコンパイル、デプロイ、実行のサポート等幅広く拡張と強化が目立った新しい試みがなされていると感じます。


      〔MS Europa〕

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本多厚美リサイタル2007

2007.11.16

一年ぶりにメゾソプラノの歌姫を見た。

あれから一年を経て本多厚美のリサイタル」で再び彼女と会いました。
昨年の彼女はすっきりと痩せて白い肌が輝かしい歌姫でした。昨年、数年ぶりに見た厚美ちゃんは、驚きと感激のあっという間の二時間のリサイタルでした。
そして、今回は最初の曲目から緊張もなく、いつも練習している彼女の自然な歌声でした。
一年を経てより自信に満ちた「しっとりとした本多厚美」に逢ったわけです。
自然体で楽器のように正確な「メゾソプラノ」で歌う彼女はに、オーラと共に輝き、とても感動的でした。
サントリー小ホールはほぼ満員の観客に迎えられてた彼女は舞台の定位置につきました。
アップヘアーな髪型に、大き目のイアリング、一際目立つV字型のパールのネックレス、そして、コスチュームは淡い黄色のロングトレスという出で立ちでした。

この夜の本多厚美はプログラム通り22曲の「LOVE SONGS」を途中休憩を挟んで歌い続けました。



『本多厚美メゾソプラノリサイタル LOVE SONGS』
□2007年11月15日(木)  □サントリーホール(小ホール)
□ピアノ:ダルトン・ボールドウィン

最初の曲はステファノ・ドナウディの代表作に含まれいる曲でバロック風の曲目
「O del mio amato ben (おお 私の愛する人よ)」が披露されました。
最初の曲らしくリズミカルな洗練された曲調でした。
その歌声は美しく最初から観客を魅了した、聴かせるラブソングでした。


松風(まつかぜ)」という演目の能の三番目物があります。
能の正規の上演形式は、儀式的要素の強い「(おきな)」を最初に、脇能物(わきのうもの)、修羅物(しゅらもの)、鬘物(かつらもの)、雑能物切能物(きりのうもの)のいわゆる五番立で上演されることになっています。能の大成者の世阿弥の伝書「三道」に意味深な言葉があります。
それは、「序破急(じょはきゅう)に五段あり」という言葉です。
もとは雅楽の用語であったとか。
緩急の変化を律する基礎原理にのっとり、連歌や能でもこの原理原則が重んじられるようになり、世阿弥はこの「序破急(じょ・は・きゅう)に五段あり」をより具体的に能の中で理論化したようです。

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ジョルジオ・アルマーニ

2007.11.12

先頃「ジョルジオ・アルマーニ」が来日し、多くのTV報道がされていましたね。沢山の人が初めて生のジョルジオ・アルマーニを見たのではないでしょうか?
ボクも初めて見ました。

報道では、銀座に旗艦店を出店し日本法人「ジョルジオ・アルマーニ・ジャパン」の本社とするようです。
会見での彼は1934年生まれの73歳らしいですが、顔のしわは別にしてもとても若々しい印象を受けました。
体型も会見で感じた通りの意思の強さで節制しているらしく、とてもスマートでした。
70代でもあんなにすばらしく年をとれるという見本ですね。
彼はもともと医療の世界に進みたくて医学を志していた様ですが、解剖が苦手で断念した様です。分かるような気がします。
感性豊かでないと洋服のデザイン等は難しいと思います。
まして、多くの著名人が彼の服を好んで着ていると言う事実を考えると、その進路は間違ってなかったようです。
彼はその後、大手百貨店の洋服売り場の仕事で商品の陳列ノウハウや、展示の方法や生地や素材にふれ、生涯の目標を得たようです。
結果的には、現在も進行中ですが、
ワールドワイドで5,000億円以上の売れ上げを得るファッション界屈指の企業にまで成長しています。

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経営という使命

2007.11.07

150年前の11月5日は吉田松陰の「松下村塾」が発足した日と云われています。
今週の月曜日ですね。

創業者、船井総合研究所の船井幸雄さんは、以前から非常に多くの経営者から相談を受けるそうですが、彼は経営者から事業の相談があると、決まって次の「六つの質問」をするそうです。
(1)心の底から、それをやりたいのですね。
(2)それは、世のため、人のために必要なことですね。
(3)それを実施することによって、世の中を悪くしたり、バランスを崩したりはしないですね。
(4)実際に、それをやる人は喜びますね。
(5)成功して、採算が合う確信がありますね。
(6)もし失敗したときには、全責任がとれますね。
というものです。
このうち一つでも「否」があれば、再度熟慮を促し、逆に、全て「可」であれば、すすんで支援をされるそうです。
考えるに、この「六つの質問」を全て「可」にすることはとても難しい事と思われます。
だからこそ、全て「可」であれば成功の確率は一段と高くなると想像できますね。
仮に今、ボクが新規の事業やその事業の拡大などで悩むとき、船井さんのこの「六つの質問」をすべてクリアーできそうもありません。
船井さん曰く、全て「可」だった場合、過去に失敗した例は無いそうです。
さすがは経営学の大家です。

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一期一会

2007.11.06

「能の上演は一日限りが原則です。」
晴天の日を選び三日間の祭礼に奉納する神事能や十五日間通して興行する形は、時の権力者の許可を得て能の各派が一世一代で行う勧進能という能で、とても異例なことです。

日本の古い時代に「文中(ぶんちゅう)」という元号がありました。
当時、南北朝時代でしたので、正確には南朝方で使われいたと言うべきでしょうか。
歴史は必然ですが、偶然に思えることが多々ありますね。
この文中という元号ですが、1372年から1374年までのわずか三年しかありません。
この文久の最後の年(三年)に芸能の世界に画期的な「一期一会」がありました。
この年の初夏に当時の最高権力者であった室町幕府将軍足利義満と今日まで脈々と生き続ける能の理論を完成させた世阿弥が出会います。

このとき義満公は18歳、世阿弥10歳の洟垂れ小僧でした。

実際には、
「大和結城座・結城三郎清次(後の観阿弥)」が世に出れるか否かの一世一代の能を足利将軍家に披露した日でした。場所は、洛中、今熊野権現社の神事能で祭礼は三日間行われました。初日は「翁(おきな)」の祝い能から始まり、脇能は「淡路」で、「松風・村雨」、「自然居士」と続き、切能は「融(とおる)」で終えたようです。
このとき世阿弥は、橋がかりから露払い役として一役買いました。

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ラルチザン パフュームの香りの記憶

2007.11.05

先週末に「香りあるライフスタイル」とう「ラルチザン パフューム社」の香りのセミナーに参加したことをブログしました。

セミナー当日、予定時間より少々早かったのにも係わらず、
入り口から顔を出して「いいでしょうか?」と声を掛けると、
内匠屋光子さんと市ヶ坪さゆりさんのお二人はにっこりとどうぞと手を差しのべてくれました。。
そして、入り口に入った途端に「柔らかな奥行きのある香りがいきなり鼻腔」を刺激しました。まだセミナー開始前です。
ボクは彼女たちに案内された席に着くまでに、一つの記憶が頭の中をくるくると回り始めました。

それは「正倉院の宝物」です。
このセミナーでさらに驚くことがありましたが、それは後ほど話したいと思います。
「ラルチザン パフュームの香り」を嗅いで記憶が蘇ったものは正倉院の宝物の中にある「黄熟香(おうじゅくこう)」です。
別名、あの「蘭奢待(らんじゃたい)」です。全長156㍉㍍の小さな木片に多くの権力者が執着し、そして多くの物語が生まれました。

ボクの脳の記憶は「香り」=「蘭奢待」が最も近いパスだったと思われます。
もちろん、実物を見たことも聞香したこともありません。

正倉院は奈良にありますが、奈良の正倉院という言葉は固有名詞はありません。ですから「正倉院=奈良」ではないと言うことです。
奈良時代には寺や役所の倉庫のうちで一番重要な蔵を「正倉」と呼び正倉院はその正倉を中心として堀をめぐらした一区画の意味だそうです。
ですから、当時は法隆寺にも西大寺にも大蔵省にもあったようです。しかし、その全てが無くなり、ただ東大寺の正倉院のみ残ったことから、その名前を独占したようです。
正倉院は天平勝宝八年(756)五月二日に聖武天皇が亡くなられ、その七七忌に光明皇后は先帝の冥福を祈って聖武天皇の御遺愛品を東大寺の大仏に献納されたことが始まりです。
献納品は全てに詳しい目録と願文が添えられ、その数六三四点にも及びます。
献納品の数の多さは皇后の愛の大きさでしようか?

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ラルチザン パフューム

2007.11.02

眉を落とし、酸化鉄で歯を黒く染める鉄漿(おはぐろ)という風習は、遠く平安時代の上流のそれも公家の婦人たちに発し、長い時間をかけた後に、一般の庶民の一定レベルの婦人に広まりました。
後年、この鉄漿を人妻のしるしとした江戸時代は、上手に年をとっていく技法として長く活用しました。
それはきっと、若さという「外面の美」を、心による「内面の美」に昇華させる事を自ら「自覚」した時に、鉄漿を常用し、
その行為により「精神的な進化」を熟成したようです。
現代はどうでしょう。
ヘアースタイルやエクササイズやお化粧から、さらには最終手段として整形外科まで踏み込んだ、肉体の美しさによって「若さ」を強調し、老いを食い止める方向が多いように見受けられます。

七百年も前に能の理論と方向を決定付けた世阿弥は、
     「いづれの花か散らで残るべき
という絶対の認識を踏まえて、
さらに一歩深みに到達し、
     「散るゆえによりて、咲く頃あれば珍しきなり」と、
前向きの逆説的な発想をしたと、言われています。

花を散らさず残すという工夫の方向でなく、
散るからこそ美しいのだという視点に立ち、
あるいは、さらに積極性を醸成し、「散らす」ことで、よりその花の新鮮さや美しさを、いっそう際立たせ、花の新たな生命を待とうと考える。
世阿弥の立脚した「根本思想」はここにあると思います。
世界のどこにも存在しない、思想と感じます。
とても難しい概念ですが、日本人の心を持てば、なんとなく理解できるような気がします。

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