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Cutty Sark

Cutty Sarkは常に夢を追い続ける希望の帆船です。I still have a dreamのこころざしを持って海図にない航路を切り開きます。

クイーン・エリザベス一世

2005.08.27

クイーン・エリザベス一世の苦難

グット・クイーン・ベスの話ではありません。「クイーン・エリザベス一世」という豪華客船の話です。と、云うのは昨日、坂本竜馬の「いろは丸」や世界最大級の豪華客船「ダイヤモンド・プリンセス」「サファイア・プリンセス」(113,000トン)の話題をしている内に「QE1」の悲しい出来事を思い出しました。
クイーン・エリザベス一世(QueenElizabethⅠ)は、 1940年に就航しました。
〔総トン数=83,673トン〕〔長さ 1,031㍍〕〔幅 118㍍〕で、乗客定員は2,283名収容です。当時は巨大船です。ディカプリオ様とケイト・ウィンスレットが共演して日本で大ブームの「タイタニック」はQE1より30年前に就航しています。(タイタニック号 /1912年就航/ 46,328トン)処女航海のみしたと云う方が正解ですね。船主は英国の老舗の「ホワイトスター社」です。しかし、この事故が原因で1934年にはQE1の船主である「キュナード社」に買収されています。そのキュナード社も先頃カーニバルコーポレーションの傘下に入り新なる活動を始めています。世の変遷は人智では図り知れぬものです。
確か1972年か73年だっと思います。当時僕はアプレンテス(apprentice)でした。最低半年のこの期間は主席先輩の下で見習いの日々を送っていました。場所は香港です。「クイーン・エリザベス一世」は「クイーン・エリザベス二世」と引継ぎ、四半世紀に亘る長い航海を終えて、第二の人生を歩むためにこの香港で洋上大学に変貌するための大儀装中でした。しかし、その儀装途中で不慮の失火にり三日三晩燃え続けました。後は鉄の塊が辛うじて浮いていると言う感じでした。神戸を出航する時に既に海事テレックスで既にその事実を知っていましたが、彼女に会うまでは実感は全く湧きませんでした。勿論現役時代の彼女知りません。「ダイヤモンド・プリンセス」の火災をTVや新聞で読んで「QE1」のことが突然思い出されました。「ダイヤモンド・プリンセス」の儀装には千名の従事者がいたと聞いていますが1人も死亡者を出さず消化出来たことは不幸中の幸いと思います。火災時の担当者の災難に唯々、心が痛みます。「QE1」の火災は多くの関係者が亡くなっています。昔「QE1」に乗船した方が居ないのかと検索すると『クイーンエリザベス一世号(1958(昭和33)年四月、ニューヨーク港からクィーン・エリザベス一世号に乗船)』がありました。

「QEⅠ」の後継船として「QEⅡ」が就航したのは1969年の事です。横浜の大桟橋にも何度もその美しさを披露しました。
1910年代の「タイタニック」が4.6万トンクラスで当時最大の船でした。そのわずか30年後には「QEⅠ」クラスの8万トン級が進水し、この年には初めて10万総トンを越えるクルーズ客船「カーニバル・デステニー」が就航します。造船技術の著しい発達です。そして、前述した世界最大級の11万トン級の「ダイアモンド・プリンセス」や「サファイア・プリンセス」が苦難の末就航しました。これで10万総トンを越える豪華客船は10隻を超えることになります。
「QEⅡ」にまつわるエピソードを一つご紹介します。
下記の内容は作家・阿川弘之氏文藝春秋2000年11月号に掲載されたもので、要約された内容がWebに有りましたのでご紹介します。
【女王陛下のキス】
2000年7月4日、20世紀最後のアメリカ独立記念日を祝う洋上式典に参加するため、世界各国の帆船170隻、海軍の艦艇70隻がニューヨーク港に集結しました。日本からは海上自衛隊の自衛艦「かしま」と航海訓練所所属の「海王」が公式参加しました。事件は翌日に起こります。翌日の5日に英国の豪華客船「QEⅡ」が入港スタンバイします。船首、船尾に四隻のタグ・ボートで接岸行為をしていましたが、その日のハドソン川の水量の所為か流れが、2ノット以上あったと言われています。それでなくても巨大な客船は風に弱く、また速力が落ちた場合は当然舵が効きません。それをタグ・ボートで補うのですが、2ノットの流れは巨大船を押し流しました。あれよあれよと言う間もなく、係留中の海上自衛隊の自衛艦「かしま」の船首部分に接触してしまったのです。着岸後「QEⅡ」からすぐさま、船長のメッセージを携えた機関長と一等航海士が謝罪にやってきたそうです。一般にこのこの様な事故のお詫びにはキャプテン(船長)とチーフメイト(chief mate or Chief officer一等航海士)かパーサー(Purser/事務長)です。(機関長が操船についての業務に出しゃばる事は日本では考えられない)相手の詫び言に対応した「かしま」艦長はこう答えたそうです。
幸い損傷も軽かったし、別段気にしておりません。それよりも女王陛下にキスされて光栄に思っております」(すばらしい。シーマン・シップは未だ健在)
これが船乗りたちの間で大評判になり、ニューヨークだけでなく、ロンドンにも伝わって「タイムズ」や「イブニング・スタンダード」も記事にし、日本のネイバル・オフィサー(naval officer 海軍士官)のユーモアのセンスを評価する声が高かったそうです。たぶん接触は軽症だったんだと思います。これって、大きいものは港内の海難審判ですから。英国と日本の米国という治外法権の場所での論争に発展する処でした。巨大な船ほど推進力が無くなると自力ではどうにも動けません。
「かしま」艦長、上田勝恵一等海佐(昔の大佐の事ですね。海軍は日本でも欧米でも艦長は大佐以上となっているようです。)の対応の見事さに喝采!!

クィーンエリザベス二世 1969年就航/ 総トン数 70,327トン/ 全長 296㍍/全 幅 32㍍/客室数 1,741室/乗客定員 1,741名 /乗組員数 1,015名

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コメント

突然のコメント失礼します。Cutty Sarkを見ていましたら昔の英国Cunard Lineのクイーン・エリザベス一世号の記事があり懐かし読みました。私は1963年(昭和38年)12月ニューヨーク世界博の初日、N.Y.埠頭92号からQE1で仏国Cherbourg経由で英国サザンプトン迄5泊6日の航海を楽しみました。日本ではQE1に関する情報が皆無です。40数年振りでQE1の事を思い出しコメントしてみました。失礼します。

投稿者 Torao Sayama : 2007年03月18日 23:22

明日、クイーンエリザベス2世号が大桟橋に寄港します。
実は、私はクイーンエリザベス号が香港で炎上している姿をリアルタイムで、自宅のベランダからで見ていました。当時、自分は小学生だったのですが、その映像は今でも、印象強く残っています。肉眼でも十分見えていたのですが。
天体望遠鏡をセットしてのぞいていました。朝起きて、天体望遠鏡を覗くたびに、もくもくとあがる煙を見てはショックを受けていました。出火当初は消化活動していた船もあったように思えたが、日がたつにつれ周囲から船がなくなっていったように覚えています。火災が収まり鉄くずになった。残骸もしばらくの期間放置され、数ヶ月、年?結構、長い間放置されていたように思います・・。赤黒い固まりが少しずつ解体され運ばれて行く姿を見ていました。

2009/3/6 クイーンエリザベス2世号の最後の寄港を和太鼓の
演奏という形で見送りに行きます。この航海を最後にクイーンエリザベス2世号も引退解体されると聞いています。
歴史あるクィーンエリザベスⅠ・Ⅱ号を近いようで遠くから見送れること光栄に思っています。

投稿者 キンゾウ : 2007年03月05日 16:41

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