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Cutty Sark

Cutty Sarkは常に夢を追い続ける希望の帆船です。I still have a dreamのこころざしを持って海図にない航路を切り開きます。

海の日

2006.07.30

海の日」を数日に控えた横浜大桟橋に二隻の大型客船が入港しました。


〔横浜名勝・みなと横浜の大桟橋〕

先週の7月13日と15日に横浜の大桟橋に大型豪華客船である「飛鳥Ⅱ」と「にっぽん丸」が世界一周航海を終えて帰国しました。約三ヶ月の航海を無事に終えたこの二隻の客船はいずれも「帰国祝い」のセレモニーで帰国の歓迎を受けた事でしょう。
飛鳥Ⅱ」の前寄港地はホノルルです。そして横浜を出港した後神戸に向かうとの事。そして「にっぽん丸」の前寄港地はカムチャッカでした。やはり次は神戸に向います。

〔夜の大桟橋は幻想的な雰囲気〕

「海の記念日」の由来は、明治天皇が明治9年に東北へご巡幸の帰途に当時最新鋭の「灯台視察船・明治丸 」で青森港から函館を経て横浜港に無事到着された日を記念したものとなっています。
しかし、初めて記念日としたのは、昭和16年7月20日です。
この前年に太平洋戦争に突入しています。
政府としては「開戦抑揚の意味」もたぶんにあったのでしょうか?


〔世界一周航海を終えて帰国したにっぽん丸〕


〔同じく世界一周航海を終えて帰国した飛鳥Ⅱ〕

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デッドゾーンの増加

2006.07.26

1870年の初頭には「海洋学(Oceanography)」という言葉が無かったらしい。

この言葉を現実の学問と位置づけたのはある「科学海洋探検」が発端です。
そのプロジェクトXの名前は「チャレンジャー号探検」です。
この英国海軍のコルベット艦でほぼ三年半の歳月を掛けて地球を一周し、そのお陰で、
海岸、深海、ひいては海全体の様相を知り、
海に関する学問、すなわち海洋学は近代科学として成立したという事になります。
そのコルベット艦がチャレンジャー号なんです。同名の艦船があるので英国海軍で六番目にあたる船という意味で正式には「チャレンジャー六世号H.M.S.Challenger Ⅵ)」です。

不慮の事故で7名の宇宙飛行士が亡くなってしまった「スペースシャトルのチャレンジャー号」もこの偉大な探検船の名前から命名されました。
コルベット艦チャレンジャー号は1872年12月に軍港ポースマスを出港しています。
このことは国内でかなり大きな国民的機運の上に話題が集まりましたので、「祭典」と云えるような祝福ぶりであったと言われています。

この航海は後々の探検船が担うようなビジネス的に匂いは全くありませんでした。
航路を開拓するとか、海洋の安全性を確保するとか、後の海底ケーブルを敷設する予備調査とか全く無かったようです。
この探検航海は「英国・王立協会(ロイヤル・ソサエティ)」が立案し、政府及び海軍省の全面的なバックアップのもとに実験した、純粋に真理探究のためのプランでした。
この企画はやはり海運国・イギリスだけが持つ、または持てる機運と感じます。
なぜかというと、
かつては、「キャプテン・クック」の三回にわたる世界周航探検を実施し、成功裏に導き、
さらには、ダーウィンを乗せて世界周航した「ビーグル号(Beagle)」を派遣させた実績を持つ英国人のフロンティア気質によるところが多いと思われるからです。

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コーヒーの値上がりは続くのか

2006.07.18

西洋料理〔いかにもセピア色に染まった響きのいい表現ですが〕が宮中で始めて採用されたのは明治4年8月18日のとても暑い夏の出来事だったそうです。

この日、維新の立役者・三条実美と重臣が連座してお上と西洋料理を堪能(?)し、兵部省の軍楽隊が静かに演奏を添えたとあります。なんとまぁ古風なと、今は感じますが、当時は大真面目にしていたのでしょう。
この時、
築地精養軒の当主であった「北村重威」がその作法の伝授のために宮中入りをしています。

この明治四年という年は廃藩置県をして「戸籍法」を定め、現政府の骨格である「太政官制」が組閣されるなど政治改革が飛躍的に前進した時期でもあります。また、岩倉具視の「大使節団」の決行や太陽暦などの社会生活の根本が改められた局面でもありました。
日本人の好奇心のせいで、なんでもかんでも取り込んだのでしょう。

多くの重臣がこの宮中での晩餐会で始めて西洋料理を食べた事でしょう。
食前酒から始まりフル・コースを食べた後、コーヒーが振舞われました。
多分、コーヒーの初体験者も多かったと思います。
食材の多くは国内で調達できたと考えられますが、「胡椒やコーヒー豆、紅茶」等はやはり欧米の商社から輸入していたのだと思われます。

さて、
今年になって「コーヒーメーカー」各社は相次いで「値上げ」を宣言しました。
コーヒー豆の国際相場は4年ほど前から、既に「3倍」にまで高騰しているらしい。

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波エネルギーで6千キロの航海

2006.07.17

現代の日本社会と人間の内面に「古代人の心性」を発掘したのは柳田国男だといわれています。
「古代人の心性」とは表面的には近代的な文化を演技し内面的には封建時代の社会構造と人間関係や考え方を持ちつつ、そこに心性が生きているという事らしい。

柳田国男は日本人の好奇心について多くを語り、好奇心を学問の方法として使いこなしました。好奇心が強いために日本の近代化が早く進み、
しかし同時に上っ面でしか無いとしたら、日本人の好奇心はプラス価値とマイナス価値との両面をもたらしていると言うのが彼の理論です。

好奇心は日本人の特権でなく、人間にとって普遍的な情動です。
でも社会の歴史風土社会構造の違いによって当然ながら好奇心の発動がされる対象が違うと言っています。
それに好奇心の強弱永続性の度合いも大いなるパラメーターであるとも言っています。

日本という島国の地理的条件、
歴史的に開国・鎖国・開国・鎖国という政策の交替による強弱や永続性に与えた影響。

さて、
堀江健一が「太平洋単独航」を成し遂げたのは1962年で彼が24才の時でした。船は19フィートの「マーメイド号」。
そして彼は再び単独航路の冒険をします。それが2004年に船出した「東廻り」の単独無寄港による世界一周です。
船の名は「SUNTORY マーメイド号」でおよそ9ヶ月で帰還を果たしました。

この「東西両方向周り」で世界一周航海はもちろん日本人では初めてで、世界でも、彼を入れても2人しか存在しないそうです。

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野生魚の漁獲量が限界

2006.07.16

マイワシの旬」は寒い冬から春までの間です。
食べ方はまずは「刺身」でしょう。
他に「酢の物」や「なめろう(みそたたき)」や「塩焼き」「鍋もの」と続きます。

子供の頃の記憶ですが、僕の祖母はマイワシの刺身が好物でした。その事をよく知っていた父は祖母のために自分の分を分け与えていました。すると祖母がにっこりと頷いて箸を伸ばしていました記憶があります。父は祖母思いでしたね。

和食屋でよく食べる「しらす」ですが、大根おろしと醤油と合わせると美味です。このしらすが「ウナギ、ニシン目」等の稚魚の総称である事よく知られる事ですが、食料品としてよく使われる「しらす干し」や「ちりめん」などは実はイワシ類の稚魚のことをいいます。いう。その中でいちばん多いのが「カタクチイワシ」で、次に「マイワシ」なんです。

その「マイワシ」に異変が起きつつあります。

築地市場が先月つけた値段は「1匹1,000円以上」です。マイワシ2匹で3000円の中トロを一人分買える値段です。
これは海水の温度上昇などにより漁獲高が激減し、築地に入荷しない事が原因だそうです。

マイワシの漁獲高は「今年2万7,000㌧」となり、全盛期の「160分の1」に減少したようです。

漁師の世界は「遠洋漁業」と「沖合漁業」と「沿岸漁業」とが在ります。
僕の子供の頃は「イワシ」は大げさでなく「いくらでも」欲しいだけ捕れました。マイワシで代表されるイワシ漁は「沿岸漁業」です。
今年のマイワシの漁獲高の大幅減少を示唆するかの様に年々漁獲高は減少です。2000年は66万1000トンもあった漁獲高は2004年には5万㌧に急減しています。因みに直近では1986年の104万㌧があります。

ここ五年間の漁獲高の減少率は全ての漁船に当てはまり、「遠洋漁業で75%減」、「沖合漁業で69%減」、「沿岸漁業で81%減」です。
マイワシが捕れないのも無理はありません。
全てのお魚が減っている事がわかりますね。


1匹1,000円のイワシ」誰も買えません。
1リッター10,000円」のガソリンもとても買えませんよね。

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豆腐と旬のもの

2006.07.09

昨夜京都から帰宅しました。

京都では「豆腐」を堪能しました。
豆腐はその昔「漢の淮南王劉安」が造ったといわれています。劉安はかの高祖・劉邦の孫にあたるので年代は紀元前二世紀ごろになります。とっても古い食材という訳です。
日本で豆腐が文献に現れるのは「平安末期」だそうです。平安といえば勿論場所は「奈良」という事になりますね。
奈良はこの豆腐のほかに「茶の湯の開祖」が村田珠光が生まれたり、「饅頭」も奈良がら全国伝わったといわれています。奈良は平安遷都以後文化の主流から外れているにも関わらず意外と不思議な「古都」の輝きを放つ文化圏といえますね。
それはきっと泉州堺という文化を受けやすい港に近かったせいでしょうか?

豆腐の造りかたは原始から現代まで基本的には変わっていないそうです。既に日本人の食卓に一般的になってしまった「絹漉し」は近年ものです。
豆腐の造り方は「時代がさかのぼる」ほど、
都市から「遠ざかる」ほど、
硬く引き締まった豆腐」になるそうです。
そういえば子供の頃田舎で食べた「綿漉し豆腐」は本当に硬く引き締まってました。
柔らかい」絹漉しを初めて食べたときその食感に驚いたものです。

そういえば中国でもよく豆腐を頂きますが、
少し感覚が違う事に気づきます。
私たちは豆腐を食べるとき「冷奴」や「湯豆腐」を好んで頂きます。このシンプルな豆腐の食材を十分に味わえる食べ方を日本人は好んでいます。
が、中国ではそのまま使われずに加工する事が多かった事を思い出しました。
「醤豆腐」とか「臭豆腐」などの加工豆腐が一般的と聞いたことがあります。
日本で豆腐の加工は「乾豆腐」くらいです。
奈良も京都も大陸にかなり気候が似ていますが、より湿度の多い土地柄で加工豆腐が少ないのは生物が好きな国民性でしょうか?

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チーム・マイナス6%

2006.07.04

役所広二がTVコマーシャルで「ロハス」を訴えています。
このコマーシャルでは「ロハス」の意味については触れませんが、
意味するところは「ふたやく」の役所広二の演技によって辛うじて伝わってきます。

そもそも聞きなれない「ロハス」とは何でしょうねぇ。

「ロハス(LOHAS)"Lifestyles Of Health And Sustainability "」は略語らしいですが、
日本では「健康と環境を志向するライフスタイル」と訳されて
スローライフやエコ」に続いて広まりつつあると云われています。
「ロハス」という言葉自体は「マーケティングコンセプト」から生まれたマーケティング用語でしかないそうです。

どうやら「言葉を作った」アメリカでの「ロハス(LOHAS)」はあくまで用語としての意味が強く一般消費者には殆ど使われていないらしい。「LOHAS」という言葉はなぜかアジア(特に日本)から発信されている言葉だそうです。
なんとも不思議な話しですね。

ロハスにはきっちり「商標」が在るそうです。
数社がライセンスを取り、それを国内でライセンス・ビジネスとして展開する予定でしたが、当然ロハスの基本主旨からすればライセンスを売るなどは到底受け入れられません。揉めた結果、商標使用料をとるのをあきらめ、他社が使っても抗議しないと決めた様です。当然の様に思えますが。

この様な話しはITの世界にも過去にいくつかの例があります。
例えばあるモジュールを広く知らしめる、又は使って欲しいがために「使用料の無償化」をする。その後使われ始めると追加開発資金やメンテナンス料等の兼ね合いからある日突然「有償化」のアナウンスが流れる。すると抗議の波が押し寄せユーザーから「ボイコット」される。それで仕方なく「無償化」に戻す。といった具合です。

今回の件とは内容が異なりますが、「ロハス」の思想がすべての人に「健康と環境を志向するライフスタイル」を願うのであれば、商標のライセンスビジネスは「公共の利益に反している」ので、そぐわないと感じます。どうでしょうか。

さて、
ロハスの意識を地球規模の健康と環境を志向するライフスタイルというテーマで取り組むと、
チーム・マイナス6%」って、しっくり行くのではないでしょうか?

要は「CO2削減のために具体的な6つのアクション」をチーム・マイナス6%という思想で実践すればよいのです。難しくありません。
その6つのアクションとは、
    ■ACT1:温度調節で減らそう
        冷房は28℃、暖房時の室温は20℃にしよう
    ■ACT2:水道の使い方で減らそう
         蛇口はこまめにしめよう
    ■ACT3:自動車の使い方で減らそう
        エコドライブをしよう
    ■ACT4:商品の選び方で減らそう
        エコ製品を選んで買おう
    ■ACT5:買い物とごみで減らそう
        過剰包装を断ろう
    ■ACT6:電気の使い方で減らそう
        コンセントからこまめに抜こう

という身近な環境から改善していくことなんです。
できそうな気になりません?

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丸 maru 八丁堀

2006.07.03

マラガはスペインのアンダルシア地方南部の地中海に面した都市です。アンダルシア特有の雰囲気と石畳の坂があります。 画家のピカソの出身地としても有名ですね。

先日知人が彼氏とスペインに一週間のバカンスに行ってきたと自慢げ(?)に披露しておりました。
特に「フラメンコと闘牛」に興味を持ったようで盛んに興奮しながら説明していました。
それはサ・ゾ・カ・シ楽しい休暇であったことでしょう。

マラガの「港も町並もフラメンコも闘牛」もいい所です。


〔アンダルシア特有の石畳の坂があるマラガ市内の町並み〕

男性のよく声の通る高域の歌と爪を指を駆使する伴奏のギターと贅肉を排除した男女の踊りの3要素から成る「フラメンコ」は「アンダルシア」から生まれた芸術といわれています。
この地で見るフラメンコは独特です。昔は小さなお店でもフラメンコを簡単に踊っていました。

フラメンコの起源はインドから来たジプシーにあると言われていますが、やはりこの地方の情熱的な文化に溶け込んだからこそあのような素晴らしいアートに発展して行ったのでしょう。
そう思います。
そういえば25年以上前に今田勝が「アンダルシアの風」というレコード(当時は当然CDはありません)がリリースしましたが、アンダルシアの雰囲気を良く表した曲調でした。


〔マラガ全景 地中海屈指の歴史のあるマラガ港〕
紀元前1100年に始まったフェニキア人の植民地化政策により、当時「マラカ」と呼ばれたマラガは「カディール」と呼ばれたカディスとともに紀元前800年頃に建設されました。当時から主要な良港であったといえます。
その後、70年以上にわたるギリシャによる支配、カルタゴ人による支配へと変わり、紀元前202年、第一次ポエニ戦役に勝利したローマはマラガをローマ支配都市にしています。
ローマ化の始まりです。この辺は塩野七生女史のハンニバルを主眼においた「ハンニバル戦記」が面白いですよ。
そして、マラカは「フラビア・マラシータ」となり、地中海の海上交通の要となりました。


〔ジブラルタル海峡〕
地中海に入るにはまずはこのジブラルタル海峡を通過しなければなりません。ヨーロッパとアフリカが間近に見えるこの海峡は「日中」は両大陸の肌の違いを感じるし、「夜間」は二点の灯台がその存在をアピールしているだけで、趣がまた違った印象を与えます。
ともかく、大西洋から地中海へ。

さて、アンダルシアの飛び地が下町の「八丁堀」にもありました。

昔からスペイン人には生活の一部として切り離せない「バル」という存在があります。かしこまったレストランとは異なり、その多くはカウンター席で気軽に一杯やるという感じ。日本の下町に一杯ありましたね。あれです。
スペインの「バル」は昼間はその日の朝取れた魚をすぐにランチとして調理し、夜はお酒とおつまみと会話を楽しむというもので、日本で言うところの「近所の居酒屋」です。

とにかく「にぎやか!」というかうるさい(失礼!)の一言。但し、簡単に周りの人とすぐ会話ができてしまう。
そんな気軽さ、にぎやかさが「バル」なんですが、これが「八丁堀」にあるのです。

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再び黒船

2006.07.02

大西洋横断競争」は1830年代の終わりに差し掛かった時に突然起きました。
それは「蒸気力」の発展に関する劇的な進歩、発展への期待感による大西洋横断の「定期蒸気船航路開設」の機運が高まったからです。

勿論大西洋横断定期航路は「帆船」でした。開設は1818年と古く「ブラック・ボール・ライン」が運行していました。
横断に要した日数は非常なばらつきがあり、「最短で16日」ですが「最長では73日」もかかっていたようです。この日数の開きが風任せの帆船という事なんですね。帆船の大きさは初期の時代は300㌧程度でしたが、後年1000㌧を超えるサイズまで現れましたが、「速度の向上」は改善されませんでした。推進力は「自然の風」ですから当然です。
年間平均航海数は30日台といったところでした。
蒸気船の場合は計算上、少なくとも15-16日間で横断が予測でき、最短も最長も殆ど差は無いはずです。
帆船の速度の不安定さを考えれば蒸気船の長所は歴然です。
なので、誰がが「定期航路用の蒸気船」を建造すれば、当然の如く競争原理が働き、ライバル会社が立ち上がります。

1836年には「イギリス-アメリカ汽船会社」が設立され、ロンドン-ニューヨーク間に最新鋭の豪華客船の投入を計画し、建造に入りました。それが「ブリティッシュ・クイーン号」〔1863㌧〕で当時の蒸気船の中でも最大級で25日分の石炭と800㌧の貨物と500人の乗客を乗せる事ができるという計画でした。

そして同じタイミングで「鉄道と海底トンネルと船舶」に多彩な能力を発揮した「ブルネイ」が設計と製造の指揮をとった「豪華客船」がありました。
今から170年前の1836年7月に建造を開始した「グレート・ウェスタン号」です。建造から一年後、ブリストルで進水し、ロンドンに回航されエンジンを据え付けました。現在の造船方式とだいぶ異なっています。
現在では船の形が出来上がるとエンジン・ユニットがパーツの様に工程の一部としてセットされます。
グレート・ウェスタン号は全ての艤装を完了し、ロンドンから母港のブリストルに戻り、1837年4月8日午後二時に蒸気定期船航として始めての航海に臨みました。二度主機関を停止するトラブルはあったものの4月23日の午後にニューヨーク港に到着します。「所要航海日数は15日間」でした。乗客はたったの7人であったと言われています。
この日ニューヨーク港の桟橋はこの船を見ようと大群衆が集まったようです。
それは「新しい大西洋航路という時代の幕開け」を象徴する出来事であったと当時の新聞が語っています。

一方「ブリティッシュ・クイーン号」はようやく完成し、同年7月にニューヨーク航路に投入されました。この船は7回大西洋を横断しています。その後イギリス-アメリカ汽船会社は新鋭船「プレジデント号」〔2366㌧〕を投入します。

まさしく、本格的な「大西洋航路の幕開け」です。


〔海上を飛ぶように疾走する次世代高速船「テクノスーパーライナー(TSL)」〕

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めだか

2006.07.01

買ったメダカが増えすぎて困ったから近所の川へ放流するなんて以ての外です。
めだかに地域別生態系があるんですね。

そういうもんなんだぁ。
どうも「メダカの遺伝子」には地域差がある様です。売っているメダカはもちろん、今では少なくなった野生のメダカ〔田舎の川にはたくさん居ました。きっと今でも少し上流に行けばいると思います。〕にも住んでいる場所によって種類が違うそうですが、今まで一種類のメダカと思っていました。
なので、決して買ってきたメダカは他の地域に放流してはいけないそうです。
極端にすぐに何かあるという事は無いらしいですが、元の生態系を損なうということだそうです。
気をつけます。

自宅から1分くらいの路地に「釣堀」があります。商店名はないと思います。
ご近所以外は全く知られていません。
勿論これで生活しているとは到底思えません。
一日の売れ上げは1000円を超えない程度〔失礼!!!〕では無いかと思ってしまうほど人は来ません。
そんな場所です。
そこで数匹の「メダカ」を買いました。


〔店主は余生を金魚とめだかと一緒に暮らしたい??〕
商売をしている雰囲気は全く無くでもしっかりと値段の「札」はある。


毎日10回程度やってくるシジュウカラは既に3-4年一緒に暮らしています。寝床は拙宅ではありませんが、一日の半分は拙宅の周辺にいます。せっせと餌を運んでいます。餌が底をつくと催促します。

〔すっかり家族の一員になってしまったシジュウカラのファミリー〕

店内は車庫を改造して造ったようです。数種類の小型の金魚とメタがしか魚はいません。
暗めな店内では「釣堀」の中に魚が居るのかいなのか? ちっょと怪しい感じがします。
ともかく面白そうなんです。

〔売り物とは思えない商品棚と薄暗い釣堀の店内〕
でも、お客さんは二家族居ました。もうご近所しか来ない細い路地の釣堀。四角い池に本当に魚が居るのでしょうかねぇ。

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