Brainsellers.com

Cutty Sark

Cutty Sarkは常に夢を追い続ける希望の帆船です。I still have a dreamのこころざしを持って海図にない航路を切り開きます。

本卦(ほんけ)還り

2007.10.12

中国は多くの英雄を輩出していますが、その英雄には必ず輔弼(ほひつ)の役を演じる脇役が存在します。その中でも最も好きな人物は「蕭可(しょうか)」という兵站と行政を担当した参謀です。

漢の司馬遷が著した「史記」には多彩な人物がたくさん出てきます。
その中で蕭可はひときわ異彩を放っています。彼が仕えた英雄はあの「高祖劉邦」です。
ご存知の様に劉邦は始皇帝が崩御した後、次の時代を作った人ですが「項羽と劉邦」の戦いはあまりにも有名です。
貴族出の項羽と違い劉邦は農民上がりで小さな勢力でした。
その劉邦を自立させ、援助し、決起にまで持ち込み、最後には「項羽」の打倒までずっと輔弼します。この死闘は五年間にもおよびました。

蕭可は兵站等の一番苦労する黒子に徹し、華やかな戦場での働きは「張良」という名族の軍師に委ね、全体像を鳥瞰する立場を一生とり続けました。
孫子の兵法の「~戦いは兵站にあり」です。
現在国会で問題になっている「インド洋での海上自衛隊の給油活動を行うテロ対策特別措置法」も日本が支援するいわば兵站戦略ですね。

先日、お世話になった大先輩二人の「還暦のお祝い」のお誘いがありました。
すでに私は重要なお客様と会食の予定がありましたが、当然のことながらその会食を変更し、このお二人の大先輩の「還暦」のお祝いに駆けつける事にしました。私はこの二人に「商いのいろは」を叩き込まれましたので時代や環境や立場が変わってもこの関係は不変です。
満60歳を迎えるお二人との交誼には多くの思い出があります。

時に、
長寿の祝いに「古希(こき)がありますね。
「人生七十古希稀なり」と詠ったのは唐の詩人・杜甫です。古代ではそれほど稀だったのでしょう。
喜びの「喜」は草書で七を三つ書きますね。ですから77歳を「喜寿」というんだということを祖母の祝いのとき知りました。祖母は「米寿(べいじゅ)」の88歳を全うせず、87歳で生涯を終えましたが、とても孫思いの祖母でした。

さて、
秦の始皇帝が周辺の六国(りっこく)を打ち滅ばして中国全土を支配下に治めたのは紀元前221年です。
そして、蕭可がその多彩な能力を発揮して高祖劉邦をして、漢帝国を樹立したのは紀元前202年です。
実は還暦の元となる十干と十二支はすでに使われていたようです。

中学の歴史で習った日本での暦の導入ですが、漢帝国の樹立よりずっと後の604年で、推古天皇の即位とあわせて発令されました。
これと同期して日本の建国は神武天皇の即位の日を二月十一日と定め、「紀元節(きげんせつ)」といって建国記念日としていることは周知の事実です。子供のころ祖母が家の前に「日の丸」を掲げたことを記憶しています。

ちょっとややこしいですが聞いてください。

今でも中国も韓国も日本も「干支(えと)」で年代や年齢を表しますね。干(かん)支(し)と書いて、「えと」と読む訳ですが、どう読んでも「当て字」としか思えませんね。

干支は、十干と十二支の組み合わせたものであることは結構知っている人はいます。この十干も十二支も日や月を数えるのに使われた数詞です。
そう言えば宮城谷昌光さんの『天空の舟 -小説・伊尹伝-』とう小説があります。特最近中国の紀元前から紀元後数世紀を読み漁っていますが、この時代小説は、商の湯王を輔け、夏王朝から商王朝への革命を成功にみちびいた稀代の名宰相伊尹(いいん)の生涯をえがいています。

十干は、
甲(こう) 、乙(おつ)、 丙(へい)、 丁(ちょう)、 戊(ぼ) 、己(き) 、庚(こう) 、辛(しん)、 壬(じん)、癸(き)となります。
もともと「干(かん)」と言う文字は「若干」などのように物を数える言葉で、一個、二個と数えるときの「個」と同じ意味があります。
十干が日を数える数詞として使われるについては両手の指の数が十本であることが決定的な要因と簡単に想像できます。
なので十日を示す「旬」が「満たされる」「十日で満了」という意味が頷ける訳です。この「旬」も上旬や下旬などの他に果物、野菜、鮮魚の最も味に満ちた時期の意味で「しゅん」という言い方で残っていますね。

その十干に無縁の「陰陽五行説」を当て込んだのは歴史の欲求でしょうか。
「陰陽五行説」は週刊誌や占いの本などによく見かけますね。
陰陽説と五行説はもともと別な説でしたが、入り混じって「陰陽五行説」になったようです。
陰陽説は日本に伝来した時には陰陽道(おんみょうどう)と呼ばれるようになりました。映画で話題になりましたね。
簡単に言えば天地万物すべて陰と陽から成り立っているという考え方で、二元論の発想です。
五行説はすでに商の前の時代の「夏」の時代には五進法を活用し、五という数を悟り、国を治める五つの基本原理を定めたらしいのです。
古代中国人はすごい。
その五つを五行説では「木・火・土・金・水」となります。
そして、この二と五の公倍数の十を知ることで、十干と陰陽五行説を接続した人の意図を想像できそうです。

まとめてしまうと、
十干(じゅうにし)の10と十二支(じゅうにし)の12をあわせると、
最小公倍数は「60」となりる訳です。
ですから、干支は「60期で元に還る」ことになります。

生まれ年の干支を「本卦(ほんけ)」と言うそうですが、還暦は本卦に還ることになります。生まれた年に還るので赤ちゃんを見立てた「赤いチャンチャンコ」が必要なのですね。
還暦を迎える二人の先輩は第一期の甲子(きのえね)から第六十期の癸亥(みずのとい)まで六十年たったと言う事です。
この十干十二支のその年にちなんで、
一番目の甲子(きのえね)はまさしく甲子園球場の命名に使われたし、
五番目の、戊辰(つちのえたつ)は、新政府が薩摩と戦った戊辰戦争(ぼしん)となり、
九番目の、壬申(みずのえさる)は壬申の乱(じんしんのらん)等に使われています。

古希も喜寿も米寿も十干十二支と全く関係なく「長寿の祝い」となっています。
すると「本卦(ほんけ)」還りの還暦は長寿でなく、次の本卦還りの折り返し点なのでしょう。
そう考えると、先輩二人の人生もこれからという事になりますね。
お二人にお会いするのが今から楽しみです。

ブレインセラーズ・ドットコム株式会社
PDF電子帳票作成システム biz-Stream
リッチクライアント FacerLite
ブレインセラーズ・ドットコム株式会社のセミナー情報

コメント

コメントしてください




保存しますか?


 

Copyright(c)2005 brainsellers.com Corp. All rights reserved.