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Cutty Sark

Cutty Sarkは常に夢を追い続ける希望の帆船です。I still have a dreamのこころざしを持って海図にない航路を切り開きます。

世界七不思議プラスワン

2005.09.04

以前ブログに「世界の七不思議」を書きました。アンティパトロスが自らの資金と時間を費やして七つの巨大な建築物を年代順に並べ「世界の七不思議」とした事も述べました。当時の交通の不便さや危険度を考慮すると詩人でありながら彼はやはり冒険家と言わざる得ません。その彼が時間が経つにつれて「バビロンより更に東方に別な世界があるのでは」と思ったとしても不思議はありませんね。でも、その時は生憎ローマとカルタゴの「ポエニ戦役」が続いていました。地中海最強のカルタゴに戦争を仕掛けるローマは格下の国でしたがシチリアという小国の支援のために突入して行きます。このとき南スペインで成長したハンニバルが光を放つのです。この時代はローマ史の中でも最もワクワクする瞬間です。ぜひ塩野七生女史の「ローマ帝国シリーズ全16巻」をお勧めします。読み始めると一気に2500年前にトッリプします。さて、アンティパトロスは20年後件の戦争の合間を縫って五人の弟子とガレー船に乗り込み船出します。しかしまもなく海賊に襲われ重症を負い、二度と探検をすることなく亡くなったそうです。アンティパトロスの心を掻き立てる何かが、ギリシャ・オリエントの七不思議に匹敵するものとして東方にある事を確信していたのでしょうか。また、それは何だったのでしょうか?

「世界の八番目の不思議」は偶然からでした。
それは旱魃から始まりました。場所は中国の関中平原の臨潼県西陽村で、旱魃のために灌漑用水を探していました。1974年3月29日のことです。この日に始皇帝陵の兵馬俑が発見されます。現代の中国では遺跡等の発見についての国民へのガイドが十分なされていると思いますが、当時は浸透されておらずこの世紀の大発見は中央政府が動くまで数ヶ月間かかりました。とは言え兵馬俑全体を巨大な屋根で覆ってしまうほどの博物館建設まで漕ぎ着けました。兵馬俑の発見や発掘内容、兵馬俑の製造過程、時代背景等々誰でもが一度はTVや書籍でご覧なった事があると思いますのでここでは割愛します。

1978年9月にフランスの当時パリ市長だったシラク〔現大統領〕氏が発掘現場でのインタビューで「我々の世界は既に七つの不思議があったが、兵馬俑の発見は『八番目の不思議』といっても過言でない」と答えたそうです。また彼は「ピラミッドを見なければエジプトに行ったことにはならないが、兵馬俑を見なければ本当の中国に来たとはいえない」とも語ったようです。
このシラクさんの発言で、「世界八番目の不思議」は始皇帝陵兵馬俑の代名詞になったと言われています。


2000年以上前にアンティパトロスが名付けた「世界の七つの不思議」はつい現代まで内容は変わっても「七つ」という数の限定は普遍でした。それが2000年という時を隔てて、「八つ」に増えることになりました。

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