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Cutty Sark

Cutty Sarkは常に夢を追い続ける希望の帆船です。I still have a dreamのこころざしを持って海図にない航路を切り開きます。

ラルチザン パフューム

2007.11.02

眉を落とし、酸化鉄で歯を黒く染める鉄漿(おはぐろ)という風習は、遠く平安時代の上流のそれも公家の婦人たちに発し、長い時間をかけた後に、一般の庶民の一定レベルの婦人に広まりました。
後年、この鉄漿を人妻のしるしとした江戸時代は、上手に年をとっていく技法として長く活用しました。
それはきっと、若さという「外面の美」を、心による「内面の美」に昇華させる事を自ら「自覚」した時に、鉄漿を常用し、
その行為により「精神的な進化」を熟成したようです。
現代はどうでしょう。
ヘアースタイルやエクササイズやお化粧から、さらには最終手段として整形外科まで踏み込んだ、肉体の美しさによって「若さ」を強調し、老いを食い止める方向が多いように見受けられます。

七百年も前に能の理論と方向を決定付けた世阿弥は、
     「いづれの花か散らで残るべき
という絶対の認識を踏まえて、
さらに一歩深みに到達し、
     「散るゆえによりて、咲く頃あれば珍しきなり」と、
前向きの逆説的な発想をしたと、言われています。

花を散らさず残すという工夫の方向でなく、
散るからこそ美しいのだという視点に立ち、
あるいは、さらに積極性を醸成し、「散らす」ことで、よりその花の新鮮さや美しさを、いっそう際立たせ、花の新たな生命を待とうと考える。
世阿弥の立脚した「根本思想」はここにあると思います。
世界のどこにも存在しない、思想と感じます。
とても難しい概念ですが、日本人の心を持てば、なんとなく理解できるような気がします。

今夜、世阿弥の言う「精神的な進化」を遂げた二人の美しい女性に会いました。
彼女達が講師を務める「香りあるライフスタイル」とう「ラルチザン パフュームという銘柄」の香りのセミナーです。
お二人の名前は、
ラルチザン パフュームの内匠屋光子(たくみや みつこ)さんとnizoni by sept+の市ヶ坪さゆり(いちがつぼ さゆり)さんです。
このセミナーは「Tokyo Designer's Week Shop Exhibition」の一環としてプラス社がプロデュースしています。
初めて「香りのセミナー」に参加した訳ですが、当然このブランドもこのセミナーで知りました。
ラルチザン・パフューム(L'Artisan Parfumeur)」とは「香りの職人」を意味するそうです。
調香師「ジャン・ラポルト」が、1976年にパリで設立したとこのことです。
セミナーでその香りもネーミングも体験しましたが、内匠屋さんが告げるひとつ一つの詩的で且つストーリー性のある名前には、素人のボクでさえ、ラルチザン・パフュームの独自の世界観を感じた程です。30名程度のクラスでしたが、男性は数名でした。
このセミナーでは体に付けるオードトワレに始まり、室内を一瞬に香りに包む「ルームフレグランス」や「フレグランスキャンドル」など、自宅、事務所を問わず使えるトータル的な空間の「香りの幅と深み」を知りることが出来ました。

先の世阿弥を発祥とする「お能」等、
日本の芸術や芸能は、古くルーツを正せば中国から伝来したものです。しかし、日本に定着すると、その風土や習慣より次第に和様化し、固有の文化へと到達しました。
その過程において競演と修練を繰り返すことにより「理論と極意」が発見され、その極意と理論は秘事とされ、「口伝」の方法によって長く相伝が続きました。
そのために流派が発生し、父子相伝の「家元制度」が形成されました。この方法は日本固有だそうです。
書道、歌道、茶道、花道、歌舞伎道、能楽道等、他にもありますが、「香道」もひとつの芸術でした。
現代では、沢山のブランドから自分に合う「香り」を見つけるのは至難の業です。
「道(どう)」という口伝が無い分、香りのスペシャリストと手探りで自分に合う香りを見つける作業は、いわば父子相伝の現代版と思えます。

自分の香りで「散らさず残す」のではなく、
「散る」を表現できれば、この上なく優雅な「文化としての香り」を育めるのでは無いでしょうか?

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