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Cutty Sark

Cutty Sarkは常に夢を追い続ける希望の帆船です。I still have a dreamのこころざしを持って海図にない航路を切り開きます。

新入生と初心

2006.04.27

花鏡〔かきょう〕」は世阿弥が60歳を過ぎた頃に書き留めたものと言われいます。
この頃の世阿弥は不遇でした。少年時代は将軍足利義満に見出された過度の寵愛を受けていた時と雲泥の差といえます。義満はこの美少年を溺愛しますが、彼に対する愛情は「」の保護者というよりも「愛人」に近かったかも知れません。当時に置いてはしごく当然な行為であり、この行為が廃頽したのはずっと後々の事ですから。もっとも足利家は代々日野家から正室を迎えていましたが義満も当然ながら最初は「業子」で次が姪の「康子」でした。血の濃い当時の常識的な近親結婚です。義満の政治的な勢力図よりも官能的な「」や「美少年」に意識が惹かれるのは自然な摂理といえるでしょう。30代で著名な「花伝書」を著した世阿弥ですが、60代のこの洗練された「花鏡〔かきょう〕」の中に今日のテーマの主題があります。

初心について」です。
彼は「四十以降から時々自得して、心に浮んだことを書きとめた」と断りがある様に長い期間にわたって執筆されたことが伺われます。

1500㌘にも満たない未熟児はファミリー全員の心配を他所に一ヶ月以上の集中治療室からようやく生還し、一般病棟に移れたようです。その後、少しずつ成長し始めました。ちょっぴり成長した赤ちゃんを僕が抱いたのは22年前の真夏でした。この未熟児の父は僕の長兄です。
「すくすくと真っ直ぐに、そして太陽の様に明るく」と願いを込めて兄はその通りの名前を命名しました。その名のとおり彼女は真っ直ぐに成長しこの春、著名大学を卒業し、子供の頃より天職と感じていた職業に就きました。
そして入社したその日に「初心」の気持ちを込めたメールを叔父である僕に送ってくれました。その長いメールを読みながら軽々と両手の中に納まってしまう軽い赤ちゃんを記憶が呼び戻されました。この可愛い姪の成長を楽しみにしています。

大学三年の冬から四年の夏までを小社でアルバイトをしてくれた女性がいます。いつもハキハキと挨拶し、話すときは必ず相手の目を見て話し、清潔感漂う学生でした。今年の四月にその人柄から多くの企業から内定を受けながら「企業理念」と「自己」との共存が融合出来そうな化粧品業界の一社に入社しました。現在「One2One」の基礎であるお客様への直接販売の研修に挑んでいるようです。大学時代と異なり自社の商品の「強みと弱み」を習得しながら直接他人〔お客様〕へ販売する始めての経験は後々その経験が有効と理解しても現時点の活動は相当なストレスとプレッシャーだと想像できます。彼女はお会いしたお客様からの「指摘」や「示唆」を克明に記述しているそうです。それが今の自分への「財産」であり「自信」に繋がる様だと言っています。「両親を尊敬しています。常に父に出来事を話しています」とその真っ直ぐさが良く理解できます。彼女は既に10年後の自分をイメージして「今何をすべきか」を考えいるとも言っていました。一年後の成長を見たいものです。

更に日本の大学をこの春卒業し、小社と取引のある企業に「ピカピカの一年生」として入社された中国の方の紹介です。名刺交換のThanks Mailには完璧な日本語の尊敬語でした。冒頭の季節感のある出だし、お礼の内容、最期は日本の文章表現の難解さを説明しながら、自己のアイデンティテーを述べています。全く素晴らしいと思いました。同年代の日本人が同程度の文章を書けるかどうか少々不安さえあります。最期の「父と母を尊敬しています。世の中で一番いい両親です。両親を大事にしたいと思っています。」との結びの言葉には脱帽です。同年代の日本人が忘れてしまった「心根」とつくづく感じました。

初心忘るべからず」という言葉は世阿弥が「花鏡」の中で述べた言葉です。しかも彼はこれを奥義とし、子々孫々へ伝えたい大切な心得とています。初心について三カ条の口伝があります。
最初に、『是非とも初心忘るべからず
次に、『時々の初心忘るべからず
最期に『老後の初心忘るべからず』 の三つの初心です。
この最初の『是非とも初心忘るべからず
ですが、どうも「新人のころの、謙虚で純粋な気持ちを忘れずに、ひたむきに物事に取り組みなさい」
という意味ではないらしいのです。
初心とは「段階ごとに経験する芸の未熟さ」のことを指し、「初心」を忘れたら「初心」に戻ることを促す意味があり、常に自らを戒め、上達しようとする姿を保ち続けることができるとを奥義としています。裏を返せば「初心」そのものは低レベルな技術であり、戒めや探求心でない事を表現しているのでしょうか。

世阿弥は20代で父の観阿弥を亡くします。その後、観世座大夫の地位は甥で養子の音阿弥へ移り、世阿弥は分派を立てますが、音阿弥が名声を博したのに対し、世阿弥の分派観世座は崩壊してしまいます。後年理由は不明ですが、佐渡へ島流しにもなります。その佐渡で精力的後世に残る著書執筆するわけですが。

不思議な話ですが、
世阿弥十六部集」が発見されたのは明治十六年だそうです。
それまで世阿弥は伝説上の人物でしかなかったということです。
ざっくり五百年もの間、天才的な能楽師は実在の人物ではなかったのです。

世阿弥の「初心忘るべからず」は永遠に色褪せる事はありません。
人間には失敗する権利がある。そして反省する義務がある」晩年の本田宗一郎氏の言葉だそうです。
初心忘るべからずを現代社会で実践するには、
部下は叱られる権利があり、上司は叱る義務がある」といえるのでしょうか。


参考*「世阿弥」白洲正子著

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