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Cutty Sark

Cutty Sarkは常に夢を追い続ける希望の帆船です。I still have a dreamのこころざしを持って海図にない航路を切り開きます。

船を貸してほしい

2005.07.18

『たった一枚の写真で人生が変わる!!??』その出来事は中学一年の夏休み。
そのセピア色の写真は衝撃的である。写真の背景はピラミッドのスフィンクス。この建築物を背景に少なくとも50名以上の異様な風体の男たちが思い思いのポーズで納まっている。アンバランスでもあり、妙に印象的でもある。この男たちは幕末を生き抜いて来た武士集団である。半数がチョンマゲだ。後々調べてそれが明治四年に横浜を出航した岩倉具視使節団であることが判りました。百年以上前の出来ことでした。結局この写真がキッカケで、その後暇さえあれば図書館に行き月に100冊以上読む読書家(?!)に変身した。
「船を貸してほしい」
使節団ツアー・コンダクターの能士・大隈重信は当時政府顧問であったギード・フルヘッギ(オランダ系米国人)に相談し、渡米のための船として英国および米国政府に申し入れをします。企画は米欧14ヶ国訪問、期間は10ヶ月の予定。実際には米国に200日、英国に120日、途中条約改定で失敗と大金をだまされ、世界を一周して帰国し時には、632日間を費やしていました。このことが、「快挙か暴挙か」はいずれ。

僕が始めて「カティ・サーク」と云う帆船を知ったのは図書館での乱読の途中に偶然の発見でした。
1853年7月8日(嘉永6年6月3日)、時は幕末、ご存知の「黒船来航」です。黒船の正体はペリー提督率いる米国「サスケハナ」を旗艦とする三隻のアメリカ東インド艦隊です。その頃は米国も英国も帆船の全盛時代でペリーの目的はアメリカ捕鯨帆船の補給基地として、鎖国であった日本に港を開かせる為でした。士農工商いずれも度肝を抜いて立ち往生した日本人でしたが、実は二隻の汽走艦(帆走行と一部外輪車による走行)は一週間分の燃料炭しか持っておらず、その上非常に条件のいい海上でも10ノットそこそこしの速力しか出せませんでした。提督であるペリーには先見性があり、米国海軍でも最も積極的に汽走艦を取り入れた人物でもあります。この時期から7年後(1860年)補助エンジン付きの「咸臨丸」で日本人の手によって始めて太平洋を横断した快挙は小学生の社会科で学習したひとコマです。

コーヒーとJAZZに興味を持つ様になったのはやはり中学の二年の頃です。何事も興味があると集中する癖ある僕は、コーヒーとJAZZの歴史を調べる事にしました。その後「紅茶」や「アヘン」の歴史に触れ、「音楽や楽器」を再発見し、そしてまたもや「カティ・サーク」にたどり着いたのです。

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