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Cutty Sark

Cutty Sarkは常に夢を追い続ける希望の帆船です。I still have a dreamのこころざしを持って海図にない航路を切り開きます。

赤坂で海舟と

2005.07.14

勝海舟とは赤坂氷川町で会います。誰もが会えます。
当社が設立後三ヶ月間の準備を終えて最初に事務所を構えた土地が「赤坂」です。以来六年目ですが、この土地に親しみを感じるまでに長くなりました。繁華街のど真ん中にあるので夜になると世界が一変します。男性社員は駅までの距離は近いが、着くまでに数時間もかかるとニヤニヤしながらボヤいています。

「この頃は天下無二の軍学者勝麟太郎という大先生に門人となり、ことの外可愛がられて候て、まず客分のようなものになり申候」(文久三年5月17日)と坂本竜馬が姉の乙女に送った自慢の手紙です。竜馬と乙女は非常に仲の良い兄弟として知られています。海舟は長崎で三年余り自ら企画した海軍伝習所で修行を終えた安政六年の7月、赤坂氷川町に居を構えます。このとき37歳でした。すぐに軍艦操練所教授方頭取に就任します。彼はこの地に十年住みました。この間、国内では激動の夜明けを迎える訳ですが、彼はこの赤坂氷川町の屋敷を拠点にしています。大きな出来事としては、「咸臨丸での太平洋横断」や「西郷と指しで談合する江戸城無血開城」等です。さらに、坂本竜馬との劇的な出会いはもここです。小説や映画でよく見るシーンが思い浮かびます。

赤坂氷川町は現在の赤坂六丁目付近です。彼の屋敷はすでにありませんが、「勝海舟邸跡」の木標が本氷川坂下に説明のプレートとともにあります。周囲は閑静な住宅やマンションなどが建っています。氷川神社脇から続く曲がりくねった、それも、かなり急な本氷川坂を下って行くと、海舟が下から上がってくる様です。実際に会えそうな気がします。そんな雰囲気をこの坂持っています。この坂の形状は幕末のころとあまり変わっていないようです。彼の人気は今でも通用するのでしょうか結構見学ツアーに遭遇します。ランチ後の散歩にちょうどいい距離です。

今度行ったときにデジカメしてこうよ。

海舟は自ら説得した経緯もあり、明治元年に慶喜に従って静岡に転居します。その後明治5年(1872年)に帰京してからはすぐ近くの広大な敷地に移り、明治32年(1899年)に77歳で亡くなるまでそこに住んでいた様子。本氷川坂下に住む前にも少し東の赤坂田町にも住んでいたそうです。
赤坂が好きだったんですね。気風のいい親分肌の海舟ですから、今の赤坂に住んでいればきっと夜の巷でモテタのでしょう。

 

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