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Cutty Sark

Cutty Sarkは常に夢を追い続ける希望の帆船です。I still have a dreamのこころざしを持って海図にない航路を切り開きます。

初めてのブログ

2005.07.08

グローバル化の先駆者も偉大な功績は「不惑」の世代だった。

今日が初日のブログに「何から書き始めたらいいのか」迷います。
書く前にいろいろ考えましたが、
自分が書き込むブログなので、
なんの衒いなく、何の気負いなく、何の気兼ねなく、書きたいことを書くことにしました。
ですから、当然なことに他のブログは全く参考にしませんでした。

さて、東京の昨夜は曇り空でしたが7月7日は「七夕祭」です。天の川の両岸に離ればなれになった牽牛(けんぎゅう)と織女(しょくじょ)が、年に一度のデートをするという中国の伝説の夜です。日本では「織り姫星と彦星」になりますね。今の時期は「梅雨」の真っ只中で、当然晴れる確立は少ない。その上、この時期の「天の川」は高度も低いので条件はなお更悪い。昔の人はなぜこの時期に「七夕祭」をしたのでしょうかと、不思議に思うこともありました。答えは「暦」です。明治5年以前は陰陽暦で、この時期以降は太陽暦でその差は約一ヶ月あります。8月の初旬であればきっと美しい星のランデブーが晴れた夜空に確認できたことでしょう。

私は「革新的なソフトウェア・メーカー」としてアジアでの先駆者になりたいと思いベンチャー企業を6年前に立ち上げました。苦労の末やっと「biz-Stream」と「FacerLite」という製品を世の中に送り出しました。この二つの製品をこよなく愛しています。
そこで、今日始めてブログを開始するにあたりグローバル化の先駆者を一人語りたいと思います。
不惑の話です。

1768年8月26日、英国清教徒団が船出したと同じプリマス港を「エンデヴァー号」が出航しました。
船長はご存知ジェームズ・クックです。目的は「金星の太陽面通過観測」で副次的には大陸発見でした。金星云々は後日テーマしたいと思っています。
彼は1928年10月27日、英国ヨークシャー州のマートンで英国階級社会の底辺に近い日雇い農場労働者の子として生まれました。この頃の階級社会は日本の士農工商と同じような酷いもんです。

この時44歳でした。
論語で言う、志学・而立・不惑・知命・耳順の「不惑」の年代です。
彼が英国王立協会に初めてその名をデビュー出来た瞬間でもありました。

航海日誌に「午前二時に帆を揚げ、クルー49名」とあります。
彼がこの探検航海に出航した時ヨーロッパ以外の第三世界の地図は殆ど白紙でした。でなければ想像で書き込んだ怪獣や幻の大陸。彼は「エンデヴァー号」という木造帆船で全くの手探り状態での未知海原に漕ぎ出し、三年後には、極めて精巧な海図を携えて帰港しました。その一部は90年代まで使用されていたと言われています。海図もなく、GPSもなく、レーダーもなく、想像を絶する航海でした。それ以後、彼は二度大きな探検航海をしています。三度目の半ばで客死するまで、北極から南極、タスマニアからティエラデルフェゴ、米国北海岸からシベリア極北の海岸まで、その距離は20万マイルに達し、ほぼ赤道を8周した事になります。

クックは三回の探検航海で10年の歳月を費やしていますが、その間、世の中はワットの蒸気機関が発明とジェニー紡績機によって産業革命が飛躍的に発展した時期です。アダム・スミスの「国富論」もこの頃です。

発展する西洋陣営は、クックの探検により得た広大な領土を新たに獲得し、逆に彼と遭遇した未知の土地や民族は破壊的な打撃を受けました。

その意味でジェームズ・クックは、グローバル化の先駆者です。かの歴史学者のバーナード・スミスは、「他の誰よりも」と断りを入れた後、「クックは世界を一つにすることに貢献した」と興味深く語っています。

ブログの初日としては分量が大目ですが、グローバル化の先駆者の一人としてのキャプテン・クックは非常に魅力的です。ユリウス・カエサルも織田信長もカティ・サークの船主のジャック・ウィルスもやはり時代の先駆者達もその殆どが「而立・不惑」です。この後、たくさんの先駆者達を語り、あやかりたいと思っています。

 

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