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Cutty Sark

Cutty Sarkは常に夢を追い続ける希望の帆船です。I still have a dreamのこころざしを持って海図にない航路を切り開きます。

使命と時間

2010.06.19

NHK大河ドラマ「龍馬伝」の人気にはすごいものがあります。
その人気の秘密の一端は福山雅治かもしれません。
NHKの中でも、予算を潤沢に使えるこの大河ドラマは、日曜日のゴールデンタイムに流されることもあり、相当意気込んだ番組にならざるえません。その意味では、女性に人気絶大の福山雅治の起用は的を得た配役という事でしょうか?

勿論、時代劇ドラマには、必ず売れると言う歴史上の人物がいます。
織田信長や坂本竜馬はそのもっとも売れる部類の魅力的な人物ということになります。
ボクがその魅力的な竜馬に出会ったのは十代の頃でした。もちろん司馬遼太郎の「竜馬が行く」によってです。司馬遼太郎のこの本はベストセラーになりました。誰にも歴史上で魅力的と感じる人物がいると思いますが、ボクの中では彼もそのうちの一人になりました。

そして先週、ドラマの中の龍馬は大きな出来ごとに遭遇します。
それは、同じ郷士の幼友達の望月亀弥太を池田屋で失うという悲劇です。この時代、太平の世と云いながら激動の時代を迎えています。その前には平井収二郎の切腹の知らせを受けます。また、岡田以蔵も捉えられ後に処刑されます。その前には先輩で遠縁の武市半平太(瑞山)が縛に付きます。
特に半平太は数ヶ月間投獄され、この後切腹させられてしまいます。外国の重圧もさることながら竜馬の近辺ではシッョキングなことが数多く起こります。

龍馬の青年期は模索の連続でしたが、このころから彼はゆっくりとですが、自分は何をすべきかを探し当てます。そして、その使命を果たそうとします。
しかし、彼の目的は半ば達成したかに見えましたが、突然不慮の死を遂げます。
時は、1867年12月10日、彼は未だ31歳でした。
竜馬は志を持ち、天から与えられた使命を全うしようと生き抜き、半ばでその生命を閉じました。
まだまだ青年という31歳という若さで。
はたして、竜馬の一生は早すぎた人生だったのでしょうか?
それとも龍馬にはまだまだ使命があり、なすべきことが沢山残っていて、もっと生きてやり遂げなければならなかったのでしょうか?
かれの使命と天命を思うとき、ひとの一生とは、どのように繋がっているのでしょう。

私たちの生活の基本は流れいく時間です。人生は「時間」であるという基本的な概念から逃れることはできません。竜馬のように31歳の若さで世の人に惜しまれて逝っても、またボクが長生きをして100歳で天寿を全うしても、そこには時間と云う概念が流れています。
私たちは、それを「なにげなく」ですが、この時間と云う概念を信じ込んで暮らしています。
しかし、ふと気がつくと、今私たちが何気なく信じ込んでいるこの常識をなんら疑うこともなく、
そして、これをずっとそのまま信じ込んでいいものなのかと思ったりもします。

それは、私たちの身近に存在する動物の時間と云うのを知ったからです。
時間の概念は森羅万象、この世に生を受けたすべてのもが受ける前提でもあり、概念でもあります。
ここで、話しを人を含めた哺乳類の「体の大きさと時間との関係について」を考えみたいと思います。私たちは、一般的に体の大きな動物はゆったりと動き、それを安定感があるとを感じ、それに反して小さな動物はキビキビと活動し、小気味良いと感じます。人も大きな人や小柄な人について同様な感覚を持つことができると思います。

人も含めた哺乳類のこれら動物たちの「体重とその時間の関係」を調べた学者がいます。
哺乳類のそれぞれを体重とある時間のを割ってみると、
    「時間は体重の1/4乗に比例する」になるそうです。
簡単にいえば、体重が増えると時間は長くなるです。ただし、1/4乗という平方根の比例(さらに平方根)なので、方式は単純ではありません。
例えば、こうです。体重が16倍になると、時間は二倍になるという計算式は成り立ちますが、体重が16倍ならば、時間も16倍という比例数ではありません。

この時間ですが、ほぼなんでも当てはまるそうです。
例えば、寿命成体になるまでの時間性的に成熟すまでの時間赤ん坊の胎内期間息をする時間間隔心臓が打つ間隔腸が一回活動する時間血が体内を一巡する時間などです。
体重が大きければこの一回が長く、体重が小さければその回転は素早い。という訳です。

さぁ、問題は、ここです。話す前に先に答えを知りたいと思います。
動物の大きさが異なると機敏さや寿命が違ってきます。
行動範囲や生息密度も実は動物の大きさ関係が深いといいます。
でも、一生に打つ心臓の総数や体重当たりの総エネルギー使用量は、大きさによらず同じなのです。
これを言い換えると、
それぞれの生き物は、一生と云う時間のなかで夫々「時間の流れる速さが異なる」と云うことになります。
回答までの導きを聞くと自然に納得できますが、各々の事象は驚くことばかりです。

19世紀に生まれた米国の古生物学者のコープは「同じ系統の中では、大きなサイズの種は進化の過程で、より遅れて出現する傾向がある」を発見し、後"コープの法則"と呼ばれるようになりました。現在では、彼の定向進化説は受け入れられていないようです。と云うのは、現在では、ダーウィンの進化論でいう「突然変異によって生じた形質が、自然淘汰にかけられ進化が起こるが、変異そのものには方向性はないと」いう法則が重要視されているからです。我々のようなベンチャー企業が世の中に存在する所以でもあり、責務でもあることを証明するような法則です。

そこで、体重と時間の話しに戻ると、この定理の基礎となる体重(サイズ)は、哺乳類にとってはとても重要な要素です。サイズが大きいことは、それだけで環境に左右されることなく、自立性を保てる利点があり、生存に一定の効力があります。サイズが大きいほど体積当たりの表面積は小さいくなるので、表面を通して環境の変化を受けにくくなるからだと云います。
例えば、お茶のお湯は冷めやすく、お風呂のお湯は温まるまで時間がかかるが、冷めるにもゆっくりということでしょうか?

他にもあります。体重が半分に減少すると多くの動物は耐えきれず死んでしまうらしい。飢餓状態では体に蓄えられている脂肪を使いながらしのぐので、やはり大きい方が有利となります。サイズが大きいと事は全てにおいて余裕があると言う事です。このブログを読んでいる方で、ドキッした方はいらっしゃいませんか?
今「お持ち」の有り余る脂肪を使いきれば、ダイエットは成功しますよ。

小さいサイズの例をあげると、アメリカムシクイとう小さな鳥は、30秒に1回虫を捉えて食べるそうです。この鳥にとって休息は全くなく、体を酷使し、短い生存の時間を過ごすということになりそうです。そう云えば、TV番組の動物の水飲みシーンでも優先順位は、ゾウ、サイ、カバ、シマウマ等の順序ですね。水飲み場にゾウさんが来ると、みんな「どーぞ、どーぞ」といって席を譲ります。

すると今日の若い女性たちが将来の伴侶を選ぶとき、
背が高く、ハンサムで、学歴高く、給料も高いという希望は、動物学的見地からは全く当然の判断といえるのではと穿った見方をしてみたくなります。勿論彼女たちは、「愛は前提よ」というンでしょうね。

しかし、大きいものほど良いということを力説しているようですが、そうでもありません。そこにも大きなリスクがあります。(それは次回に)
大きさの生い立ちをいえば、その進化は常に小さなものからスタートするとあります。現代の哺乳類も霊長類(猿など)でもその起源の進化の最初は、リスほどの大きさからスタートしたようです。

ボクを含む現代人の殆どの人が、国を憂いて夜も寝れず自分の命をいとも簡単に捨てさる心持を持つことは不可能に近いと思います。何代も世代が続いた太平の世の私たちは、それなりに激動の中にはいますが、思えばかわいいものです。
ボクと背の高さがほぼ同じ竜馬は、31歳で激動の時代を駆け抜けまたは。しかし、竜馬の心臓は熱く熱くほとばしり、きっと僕の三倍の心拍数で、古生物学的に百年は逝き切ったのだと今は理解しました。
竜馬の一生は密度がとても高いといわざる得ません。

ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背広をきて
きままなる旅にいでてみん。

さて、僕の天命は。気持ちを切り替えて新しい週を臨もう。


今回は紙面が足りませんので、次回は私たちが常に潜在的に持つ「島国気質とベンチャー企業の関係」と「新しい種を生み出すリスク」について話してみたい思います。

 

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