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Cutty Sark

Cutty Sarkは常に夢を追い続ける希望の帆船です。I still have a dreamのこころざしを持って海図にない航路を切り開きます。

メイク・ア・ウィッシュの大野さんに会う

2009.11.03

先日、知人の記念パーティで
       "メイク・ア・ウィッシュ"の大野寿子さんに会いました。


彼女は、重い病気と闘う子供たちの夢をかなえる世界的なボランティア団体の日本の事務局長です。彼女の話を聞いてとても自分の心が静かになり、体の奥から暖かな気持ちが湧き上がってきました。そして、この団体の活動に感動しました。
国内ではすでに、1500人近くの子供たちが、その夢をかなえています。
この団体によって、多くの子供たちが小さいときから思い続けた夢を「いっとき」実現しています。

そして、彼女はこう云いました。
「最後の夢ではありません。」
「夢をかなえることが、
    明日を、今を生きる力となるのです。」


今年の夏までに、昨年の秋に比べると異常高騰があったといいます。
何かと言うと穀物価格です。それも身近な小麦や大豆です。
異常高騰の主犯は投機・投資ファンドマネーの穀物銘柄の商品市場からの引き上げが、原因と言われています。特に、小麦は瞬間的な異常高騰を除けば、10年間で過去最高値とのことです。状況は大豆に加えてお米も同様だそうです。

この穀物銘柄の異常高騰に対して、被害を蒙ったのは、なぜか途上国だそうです。
なぜでしょう。わけが分かりません。
その途上国の中でも、特に被害が甚大なハイチやバングラデッシュでは、
一日一食に追い込まれ、ハイチにいたっては市民の暴動化まで発展しましたとあります。
益々分かりません。

この途上国と穀物銘柄の異常高騰には構造的な関係があります。
影響の大きい途上国は押し並べて農業国です。
農業国である途上国がなぜ飢えるのか? 益々不可解な。。。

仕組みはこうです。
途上国である農業国は、国が貧しいために、資金を世界銀行から借ります。
すると決まって、世界銀行は弁済の為のいろいろな「助言」をします。この助言が裏目に出ます。この助言は、債務を返済する為に自給農業をやめて早期に換金可能な先進国向け農作物への生産のシフトというものです。
途上国である農業国に弁済方法について、いい代替案は持っていないこともその理由です。
換金可能な農作物は何かというと、「バナナや綿花やコーヒー」がそれです。
この換金可能な農作物を生産する代わりに、先進国から主食である小麦や米を輸入するのです。もちろん、この「助言」は作為的とも取れなくもありません。
結果は目に見えていますね。
主食をお金で買うしかない貧しい国々は、10年来最高値の高値の小麦を買わざる得なくなり、助言が本末転倒になってきます。もちろん、高くて買えません。

この先進国の思惑だけで押しつけられた構造的な仕組みは、簡単には脱却できなであろうと言われています。大きな理由のひとつに、債務の重圧があります。
多くの人が明日の糧を得ることにやっきになっている頃、対局の投機・投資ファンド・マネーの人たちは、天文学的な利益を得ることになります。

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法隆寺と林業

2009.10.25

東海や関西の出張はよくありますが、決まって名古屋と大阪です。
たまに、京都の出張がありますが、しかし、さすがにその先の奈良の出張はありません。そううまくいきません。しかし、仕事とは言え京都の佇まいを身近に感ずることは楽しいことです。
京都も奈良(飛鳥とか)も、情緒豊かで、いずれもとても好きな都市といえます。
特に奈良は。
何故かと言うと、奈良には「法隆寺」があります。
ご存知のように、法隆寺は世界最古の木造建築です。
以前、中国の友人を奈良に誘ったことがあります。スバ抜けて優秀なITの技術者ですが、とても寡黙で落ち着いた雰囲気を持っている若者で、その彼と法隆寺を散策しました。
そして、回廊の中に入り、立ち並ぶ柱に直接手を触れさせ、これが1,300年前の木だと教えると、途端に驚きの表情に変わります。
彼の驚きは、1,300年前の建築物という点ではありませんでした。
それもその筈です。中国四千年の歴史の中では、1,300年はさぼと古いものでなく、もっと古い建築物があることを当然のように自負しています。
が、彼が今まさに触れている柱の表面には、干割れやささくれがなく、柔らかな感触を伝え、とても1,300年間の風雪に耐えたとは全く感じさせない状態であることに驚いたのです。

法隆寺の「あの柱」に触れた方は、同様に感じたと思いますが、回廊のたくさんの柱からは、柔らかな温もりを感じ、また、そのような木が長い間、構造材として重い建物を支えていることに不思議さも同時に感じます。
木材は、一般的に時代とともに、その表情を刻々と変化させます。主な原因は乾燥と捩れによる歪みです。仮に乾燥による割れやねじれが生じなくても、必ずといっていいほど表面は風蝕によって少しずつ痩せていくと云われています。
特に風蝕によって、柔らかな部分から減って、木目が徐々に浮き彫りになり、やがてそれも痩せて「とても硬い節」だけが高く残ることになります。

文献では、風蝕は"百年に一分"が失われると定説がある様です。特に、軒下等で風雨を受けやすいところでは、百年で三㍉程度ずつ痩せるそうです。風蝕とはすごいものですね。なので、古い鑑定方法には、その痩せ方で、建物の年代を判断する方法もあるそうですよ。

そして、日本は古代より木造建築の顕著な国でもあり、そして森林国家でした。
その森林国家である日本が、現在最も可能性のある森林経営の時期を迎えているそうです。
ですが、昨今、その森林資源が危機に瀕していると警鐘がなされています。
過去の経緯から想像すると、林業は第一次産業の中でも最も不活発な産業に衰退してしまったかも知れません。
その理由は、
この産業の主な活動は治山治水の施策と山間部の雇用対策という名目で補助金を確保し、公共事業として長い間放置されてきた事が大きな要因と云われています。特に、戦後の復興特需期に、大げさに言えば日本中の森林を伐採し、その貴重な資源をほとんど伐り尽くした時期がありました。その証拠に、現在の森林の八割が林齢五十年以下と、長期政策せずして伐採した事実を極端に物語っているといわれています。
別な言い方をすれば、その後の長い期間、お金と人的労力を負担し続けた時代があったということです。
そして、日本の森林は忍耐の期間を終えて、いよいよ収穫期という分岐点を迎えているそうですが、このタイミングを逃さず効果的な施策を実施しないと冒頭の危機がやってくると云う訳です。

人工林というのは、木が生えてから五十年くらいまでに手を入れないと再生が難しくなるそうです。日本の人工林は、総森林面積の40%もあるそうです。逆に言えば、適切な間伐を行うとその後の森林整備コストが大幅に減少し、徐々に採算性が向上して、「林業」としてのビジネスが成り立つということになりますね。
間伐という行為で私が以外に思ったのは、森林を健全に保つには成長量の70-80%前後を安定的に伐採しなければならないということです。
全国規模でいえば、間伐材は相当量になるということになります。

私どものコア・ビジネスで、オンデマンド印刷を主軸としたSaaSビジネスをしていますが、最終的には紙への印刷を行います。実は、この間伐材を使用した原紙を使用することで、環境保護と資源の有効活用の両面で、ここ最近推進が活発になっています。このことは、当社からの申し出でお客様に採用を頂きますが、逆にお客様自らの発案によって、間伐材用紙をお使いになることがあります。間伐材等も含めて森林保護と環境保全を目的として有効利用とする世界的な仕組である"FSC"(参考Ⅰ)があります。
私たちの取り組みも、この方針に則って、環境保護に賛同していきたいと思っています。


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ラルチザン パフュームの香りの記憶

2007.11.05

先週末に「香りあるライフスタイル」とう「ラルチザン パフューム社」の香りのセミナーに参加したことをブログしました。

セミナー当日、予定時間より少々早かったのにも係わらず、
入り口から顔を出して「いいでしょうか?」と声を掛けると、
内匠屋光子さんと市ヶ坪さゆりさんのお二人はにっこりとどうぞと手を差しのべてくれました。。
そして、入り口に入った途端に「柔らかな奥行きのある香りがいきなり鼻腔」を刺激しました。まだセミナー開始前です。
ボクは彼女たちに案内された席に着くまでに、一つの記憶が頭の中をくるくると回り始めました。

それは「正倉院の宝物」です。
このセミナーでさらに驚くことがありましたが、それは後ほど話したいと思います。
「ラルチザン パフュームの香り」を嗅いで記憶が蘇ったものは正倉院の宝物の中にある「黄熟香(おうじゅくこう)」です。
別名、あの「蘭奢待(らんじゃたい)」です。全長156㍉㍍の小さな木片に多くの権力者が執着し、そして多くの物語が生まれました。

ボクの脳の記憶は「香り」=「蘭奢待」が最も近いパスだったと思われます。
もちろん、実物を見たことも聞香したこともありません。

正倉院は奈良にありますが、奈良の正倉院という言葉は固有名詞はありません。ですから「正倉院=奈良」ではないと言うことです。
奈良時代には寺や役所の倉庫のうちで一番重要な蔵を「正倉」と呼び正倉院はその正倉を中心として堀をめぐらした一区画の意味だそうです。
ですから、当時は法隆寺にも西大寺にも大蔵省にもあったようです。しかし、その全てが無くなり、ただ東大寺の正倉院のみ残ったことから、その名前を独占したようです。
正倉院は天平勝宝八年(756)五月二日に聖武天皇が亡くなられ、その七七忌に光明皇后は先帝の冥福を祈って聖武天皇の御遺愛品を東大寺の大仏に献納されたことが始まりです。
献納品は全てに詳しい目録と願文が添えられ、その数六三四点にも及びます。
献納品の数の多さは皇后の愛の大きさでしようか?

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アインシュタインとお能

2006.10.25

一昨日から関東地区にも大量の雨と強い風をもたらした低気圧も少しずつ東へ去っていくようです。

この雨によって毎年恒例の新宿区観光協会主催の「新宿御苑・森の薪能」が中止となりました。
大都会の中にあって洗練された緑豊かな「新宿御苑」での「薪能」はとても神秘的です。
元来「お能」は屋根しか存在しない能舞台で行われていた事を考えると、公園の中で、月の光と闇の中のかがり火で催される「薪能」はその壮大な幽玄の世界に入り込める特別な空間であるといえるでしょう。
過去連続三回中止となり辛うじて昨年挙行され、そして今年も中止となりました。

因みに、演目は、
能「半蔀 (はじとみ)」で仕手は「友枝昭世」、脇仕手は「宝生閑」が演者です。
本狂言は「蚊相撲 (かずもう)」で「野村萬」が仕手です。
最後は「高砂 (たかさご)」ですが、これは半能です。
高砂は目出度いお能ですし、時間の制約もあっての事でしょう。
仕手は「観世喜之」で脇仕手は「宝生欣哉」との事です。


最近「お能」の歴史と「謡曲(ようきょく)」に興味が沸き、よく古本屋を見て回っています。
そのせいか、またまた見た雑誌に仕手方・宝生(ほうしょう)流「三川泉氏」のインタビュー記事を見つけその内容に自分の事業を重ね深く思い当たることがありました。

お能の起源はさて置き、
室町時代「観阿弥・世阿弥」親子という大天才が輩出したことは中学の歴史で学ぶ周知の事実です。彼らは足利義満公をパトロンとして能を大成し、その後江戸期の権力者の庇護(扶持米)の甲斐あって、より安定期に入ったようです。一方「雅楽」は皇室に取り込まれていったようです。
お能も武士の衰退や皇族の降籍により庇護を失う時期もありましたがなんとか「家名」を守り現代まで脈々と保ったというところが実情なのでしょうか。
能の制度も江戸期に充実したようです。
シテ方〔仕手方〕は江戸幕府の支援を受けて観世(かんぜ)、宝生(ほうしょう)、金春(こんぱる)、金剛(こんごう)の四流四家に追加公認の喜多(きた)を加えて五流五家となったようです。このうち観世・宝生の二流は芸系が近いので合わせて「上掛(かみがかり)」と呼ばれ、同様に金春・金剛・喜多を一括して「下掛(しもかがり)」と呼ばれたそうです。でも、この呼び方の意味は諸説があって一概には言えないようです。
また、お能は後に脇役専門の流派が派生し、これをワキ方〔脇方〕と呼ぶようになり、進藤(しんどう)、福王(ふくおう)、春藤(しゅんどう)、宝生(ほうしょう)、高安(たかやす)の五流があり「ワキ方五流」と呼び、前述を「シテ方五流」と呼ぶそうです。ワキ方の五流のうち、「進藤、春藤」の二家は滅び現在は三流のみとなったようです。

「観阿弥・世阿弥」親子のパトロンであった足利家は不思議と歴代の棟梁が「政(まつりごと)」には興味を示しませんでしたが、文化的教養の高さは常人離れしていたようです。
そして、足利家の棟梁の嫁さんはの殆ど、しつこく繰り返しますがその殆どが「日野家のお嬢さん達」です。言い換えると日野家のお嬢さん達は「将軍の妻」になり次々と「将軍の子」を生んでいった事になります。
まず、日野資名〔すけな・当主〕の長子が時光〔ときみつ・当主〕ですが、
妹「宣子」が松岡家に嫁ぎ松岡一品となったのが手始めで、
時光が日野家の当主となったとき、その子の「業子(なりこ)」は足利将軍家三代義満の室になりました。能を大成化したスポンサーです。業子が亡くなると資康(時光の子)」は妹「康子」を将軍義満の後妻にします。これで義満は叔母と姪の両方の夫になっています。まだ続きます。その妹「栄子」は四代義持の室になります。
重光(資康の子)の子の「宗子」は六代義教の室になります。そして、宗子が亡くなるとやはり、妹の「重子」を後妻にします。これで義教は姉妹の夫になった訳です。
政光(重光の子)の子が有名な「富子」で八代義政の室になります。
まだまだ続きますが、
主題は「お能」なので話を戻します。
この富子の連れ合いが「義政」で政(まつりごと)には興味を示しませんでしたが、飛びぬけた教養の持ち主でした。
彼もお能を愛します。

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ロンドンの紅茶とお茶

2006.10.15

ロンドンの紅茶とお茶

紅茶の国と言われているロンドンにはどこに行ってもスターバックスを見つけることができます。
Coffee好きな僕には安心して手軽に飲める場所がいつでも出会えるのは心休まるものです。

しかし、ここは「紅茶の国」、大英国であるはず。

藤原正彦さんはその著書「国家の品格」の中で英国は「普遍的価値」を持つ国といっています。英国は日本のGDPの半分程度で経済的にも軍事的にもそれほど驚異的な存在ではありません。
そういえば18世紀当時はともかく「英国経済は20世紀を通して殆ど斜陽」でした。
なのに日本が世界に向けての発言するよりは、何故か英国の発言の方に「耳を傾ける」のはなぜでしょうか?
それは英国が長い間、育んできた「普遍的価値」に対する世界の人たちからの「敬意」と彼は結論付けています。

さて、話しを元に戻して「英国の紅茶」の続きをします。
紅茶はこのブログのタイトルでもある「Cutty Sark」とは深い関係にあります。

僕は恥ずかしながら言葉の語源として「お茶=Tea」であるとは数年前まで知りませんでした。
きっかけはやはり「Cutty Sark」です。彼女の「積荷」のお茶を調べていく内に知る事ができました。

お茶=Tea」は言葉の伝播のストレートな表現として印象に残っています。

〔ロンドン,グリニッジ公園にある夕陽に沈むCutty Sark,〕

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豪華客船は広島が好き?!

2006.06.08

豪華客船は次々と広島を訪れる

つい数年前の現代人感覚ではそのゆったり過ぎるスピードはややもすると敬遠されがちな船旅ですが、
ところが時代は「ゆとり」と「豪華さ」というキーワードを客船に求めているそうです。
客船が持つ「重厚さ」や「子供の頃からの憧れ」に似た夢を満足させてくれるためでしょうか。
客船は空前のブームになりつつあります。

潮風にしゅるしゅると吹かれ、遮るものの無い大いなる海原、燦燦と降り注ぐ太陽、どれをとっても贅沢な時間です。時間を忘れのんびり過ごす昼の時間と思いっきり着飾るゴージャスな夜の時間とのコントラストがもっもとも客船でのスタンダードな過ごし方です。
この特殊な時間を「楽しみながら過ごせる」人は多くの人生経験が必要と思われてなりません。


〔今年広島港に寄港したパシフィック・プリンセス〕

乗客定員:824人 全長:181m
乗組員数:373人 全幅:25m
総トン数:30,277トン 船籍:バハマ
巡航速度:17ノット    建造年:1999年(2002年改装)

近年、広島港に寄港する豪華客船が増えているそうです。今年は延べ「26隻」の寄港で、これは開港以来最多らしいです。この寄港数は全国2位だそうです。立派です。
東京港、神戸港、大阪南港などなど、著名な港町を抜いて田舎(失礼!)の広島港が2位とはとても以外です。勿論一位は断トツの横浜港です。

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みなと横浜・横浜開港祭

2006.06.07

横浜港はほぼ150歳!!


横浜港は2009年には開港の年〔1859年(安政6年)〕より150周年の年を迎えるらしい。

1853年7月8日(嘉永六年6月3日)に「四隻のペリー艦隊」は浦賀水道を深く進入しました。旗艦サスケハナ号は2450㌧、クルー300人、1850年に進水した米国海軍最新鋭の汽走軍艦です。母港を出たのは二年前で東イン艦隊の主力艦です。もう一隻のミシシッピー号1692㌧、クルー300人、1839年進水、海軍最古の汽走軍艦です。ペリーは米国東部から大西洋を越えて喜望峰を回り、インド洋を経て東インド艦隊に合流するまでこの船に乗って来ました。プリマス号とサラトガ号は蒸気船でなく帆船でした。夫々989㌧と882㌧です。
そもそも外国との窓口となる「国際港」を幕府は「神奈川」と想定していました。
しかしこの後より辺鄙な「横浜」に候補地の変更をしました。理由は「トラブル回避」です。当時神奈川は東海道と接近していましたので、あの「生麦事件」様な外国人とのトラブルを恐れた事がその理由との事です。彼らは優秀な行政の能士であったので「万国公法」を理解できた国内唯一のエリート集団でもあったからです。この当時の幕府内では実務レベルの高い武士が存在したと思われます。その点「横浜」は相当な過疎地で今後開拓しながら「取り締ま」もしやすいと踏んだのでしょう。良い点もありました。水深です。横浜は大きな川が無かったせいか水深が十分でした。


横浜と云えばみなと未来の日本丸がその象徴です。〔横浜MM21・日本丸〕

開港記念日の「6月2日」は。。。

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海との結婚式

2006.05.03

世界最大の開港祭である「ハンブルクの開港祭」が日本のGW最中に開催されます。

今年で「817回目」を数える「ハンブルクの開港祭」が5月5日から7日の週末に開催されます。この開港祭は世界最古・世界最大といわれています。お祭は、「ハンブルク港」の中心5~6キロの空と市内を流れるエルベ川と市内全域を全面的に使う規模です。3日間で予定されているイベントやプログラムも充実していて観客を飽きさることは無いそうです。3日間目白押しだ。
開催案内によると、
『大型帆船、博物館船、タッグボート等の水上プログラムをはじめ、陸上では500人以上もの役者を投入した「港マイル」が展開。中世ハンザ時代の海賊や船乗りたちの衣装やパフォーマンス、10ヶ所以上に設置されたステージでは多彩な音楽プログラムを楽しむことができる。聖ミヒャエリス教会でのオープンニングミサ、手工芸市、体験マイルなども見逃せない。空の舞台では、歴史的な飛行機やルフトハンザジェット機の航空ショー、パラシュート落下、熱気球遊覧など。夜には港イルミネーションや花火が空を飾る。』などなどです。
毎回100万人以上の観客でにぎわうイベント期間も、市内にはホテルが十分あるので、宿泊には問題がないとお祭りの歴史を感じる港街といえますね。

ユリウス・カエサルが志半ばで暗殺され彼自身の遺言により見出された無名のガイウス・オクタヴィウスは当時18歳の少年でした。しかしシーザーの目利通りオクタヴィウスはローマ帝国の実質的の初代皇帝アウグストゥスと成長します。数々の困難を乗り越えて。そして10世紀が過ぎローマ帝国末期に「ヴェネツッア共和国」が誕生します。
ヴェネツッアは辛うじて盛り上がっている地上と「生きている潟〔ラグーナ〕」の上に築いた国家です。ヴェネツッア人は現在ではユーゴスラビアとなっているアドリア海で船による交易を国のビジネスにしました。
中世の地中海での交易の商品と言うと香料や陶器といった嗜好品と思いがちですが、実はもっと実質的で「塩と塩漬けの魚」だったそうです。その後アフリカの回教徒が望む「木材と奴隷」に変わっていく事になります。
ヴェネツッア人は彼らの力やビジネスの基盤が「」である事を熟知していました。なので、いかなるヴェネツッア人も老朽船でない限り外国に売る事を禁じられていたそうです。たまヴェネツッア人が船を購入したり作ったりする場合は、国内の造船所で作られた船しか購入出来ませんでした。彼らはその様な法律を作ったのです。
ヴェネツッアをその後の共和国として発展の基盤を築き上げたのは991年に元首に就任したピエトロ・オルセオロ二世と言われています。ピエトロが15歳の時、同じ名前を持つ父が元首に選ばれました。しかし、オルセオロ一世は二年後に元首の地位を捨て、僧院に隠遁してしまいます。設立間もない共和国自身がとても不安定な国だったことも大きな要因だったのでしょう。父の隠遁から13年後にオルセオロ二世は30歳という異例の若さで元首に選出されます。

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中国の大気汚染が日本を襲う(後編)

2006.02.01

以前商社マンとして上海で活躍していた知人が数年前に退職しました。そして今は活躍の場所をITベンチャー企業の役員に変えています。北京語を流暢に操る彼はどの日本進出企業でも活躍の場があるでしょう。久しぶりに連絡が取れて会える事になりました。会う前からとても楽しみにしています。
彼とは商社マン時代に上海のソフトウェア会社との今で言う「オフショア開発」を1998年ごろ検討するために上海に訪れたときに知り合った記憶があります。今は上海の旧フランス居留地に当たる周辺に事務所を構えているようです。

年率8%を超える経済成長を続けている中国。巷では「人民元切下げ」が格好の話題です。人民元は今でも管理通貨です。政府は容易に管理範囲を変えないでしょう。また、中国経済は共産党文化から開放路線に切り替えたとはいえ、結構複雑なファンダメンタルズ持っていると感じています。今、人民元の切り下げの話題は米国を巻き込んで大きな「波」になっていますが米国の思惑通りに事が運ぶとは到底思えません。今後はその後の過程がとても気になるところです。

そして、可能であれば2008年の北京五輪2010年の上海万博を観光したいと思っています。
しかし今は、「大気汚染」を始めとする環境問題です。日本の歩みとほぼ一緒です。
中国の大気汚染が日本を襲う(後編))」のテーマである実態を北京と上海で肌で感じ、旧知の彼に住み心地も含めて聞きたいと思います。もう、中国だけの問題では無くなりつつある訳ですから。
<引用:中国の大気汚染が日本を襲う(後編) NikkeiBP>

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中国の大気汚染が日本を襲う(前編)

2006.02.01

中国の大気汚染が日本を襲う(前編)」というテーマで数年前から大学の研究グループ等が調査を蓄積しています。そして、先週「北京の大気汚染指数、1月14日から連続9日間で基準超過」というニュースも飛び込んできました。

実は来週北京を訪問する予定です。1996年からの毎年の恒例行事として訪問していますが特に2000年を過ぎた頃からの北京の成長は肌で感じられるほど顕著になってきました。上海はそれ以前から特別区としての意味合いから国内のパイロット的な施策が為されているのでしょう。
色に例えたら北京はグレーで上海はワイン色でしょうか。
国の成長はいくつかの事が当然の如く犠牲になります。成長過程のどの国も多少事情が異なっても同じ問題を抱えていると思います。僕らも「喉元過ぎれば、、、」で同じ問題を来た訳ですから。
オリンピックを開催する国として中国政府も躍起になって改善施策を打っているでしょう。子供の頃「東京オリンピック」を自宅のTVで夢中になって見ていた記憶がありますが、見たこともない大きな競技場やスクランブルの交差した高速道路にキョーレツな都会の印象を感じました。この時代は急成長の裏側に大きなリスクや問題を抱えたまま進んできたのでしょうね。
ところで、中国政府は2006年の「青空日数の実現は238日」が公約だそうです。毎年北京に出向いている僕の感覚ではとても実現しがたい公約に感じます。
既に1月の時点で「大気汚染指数基準超過連続9日間」といっている訳ですのでとてもとてもといった感があります。
いつも北京の滞在は短いものですが「霧がかかっているような灰色の空」状態が多いです。快晴の記憶はありますが多くは灰色でした。勿論可視度もとても低く、ユーツーな気分になります。
日本で大気汚染が活発な頃「光化学スモッグ指数」という新たな計測概念を取り込んで、毎日の天気予報でその指数を発表しいていた事を思い出します。光化学スモッグは局所的に発生する傾向があるので予報ではなになに地区とかかなり特定して予測値の発表をしていた記憶があります。

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ブルーリボン

2005.10.05

ブルーリボン賞!!」「赤目四十八瀧心中未遂」が2003年度の映画賞を総ナメ!
荒戸監督が、6年の歳月を費やして映画化した渾身の一作「赤目四十八瀧心中未遂」が2003年度の映画賞を席巻している。特に主演の寺島しのぶへの評価は凄まじく、東京国際映画祭、報知映画賞、ヨコハマ映画祭、日刊スポーツ映画大賞、キネマ旬報ベストテン、毎日映画コンクール、ブルーリボン賞と、現時点で7冠を総なめ!
 
ブルーリボンといって思い出すのは映画界の華やかなプレスリリースです。在京のスポーツ各誌の映画記者で構成する「東京映画記者会」の映画賞が発端だそうです。取材活動をする記者によって、「映画への姿勢」「人柄」なども考慮した選考がなされ、受賞者にはモンブランのペンと青いリボンで結んだ賞状が贈られる事から「ブルーリボン賞」と名付けられたということです。

しかしここでは主演男優賞や主演女優賞受賞者が受賞の為にステージに登場し、華麗にお辞儀をするという賞でなく、「船のスピード」にこだわる「非常に権威と格調の高い称号」に対するお話です。 
勿論その起源は古くこのブログのテーマ名でもある「カティ・サーク」で代表される古きよき時代の高速帆船「ティー・クリッパー・レース」に端を発しています。その後のレースの場所はお茶から羊毛に替わり「ウールクリッパー・レース」にその真髄が引き継がれます。そして今回のテーマである大西洋を高速で走るというブルーリボン〔Blue Riband〕に醸成されたのです。

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OPEC

2005.09.23

原油価格高騰でビジネスや日常生活はどうなるのでしょう?

OPEC(石油輸出国機構)の定例総会
ウィーン・20日・ロイター]石油輸出国機構(OPEC)は、9月20日の定例総会で、原油生産枠を現行の日量2800万バレルに据え置くことで合意。同時に、必要に応じて日量200万バレルの余剰生産能力を活用する方針も示した。消費国に対するエネルギー供給の安全保障を狙った動きとされている。詳しくはここをクリック!
石油の価格のメカニズムについては全くの門外漢ですが、以前と違い、どうもOPECの力が弱まったのではと思う事があります。以前1バレル=20ドル程度のときOPECの力は絶大だったと記憶にあるのですが。特に97年ごろは1バレル22ドル前後で、その後数ヶ月後の98年に入ると13ドル程度まで落ち込んだ記憶があります。そんな時代もありました。
このOPECの公式発表後に日本の石油連盟はこのようにインタビューに答えています。
「1バレル=60ドルくらいに戻ることを期待している」と。石油の価格決定に全く関与できないつらさの現れでしょうか。
いつの頃からでしょうか?
石油という地球資源を一部の企業が独占する様になったのは。
ご存知のとおり資本力と政治力で石油の探鉱や採掘、生産工程、輸送手段、精製技術、販売ルートまでの全段階を垂直統合で行い、市場シェアの大部分を占める石油メジャーといわれている企業が世界の石油価格を左右して来ました。それらはセブン・シスターズといわれています。◆エクソン ◆モービル ◆テキサコ ◆シェブロン ◆ガルフ ◆BP (旧ブリティッシュ・ペトロリアム) ◆ロイヤル・ダッチ・シェルの七企業の複合体です。我々消費者はこの石油メジャーとは無縁ではありません。日常生活の基本部分に関与されています。

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地球の大きさと郵政民営化

2005.08.29

現代の僕らは手っ取り早い通信手段として携帯電話を手放せない。また別な便利さを認めているがe-Mailです。これもとっても魅力的な手段です。そしてやはりインターネットですね。「ワット以来の産業革命」には100年後の人々が時代を振り返ってきっとこの時代のデジタル革命のことを「なんとかの考察」とか言って話題にするでしょう。それくらいの革命がここ数年間続いています。極端に言えば世界中コミュニケーション出来ない場所は存在しないところまで来ています。地球はとても小さな存在になりました。今を生きている凡人の我々にはなかなかこのパラダイムシフトが掴みにくいと思れますが。
さて、小泉さんの掲げる「閣議決定」での「郵政民営化の基本方針」がありますが、基本的には明治以来の延々と続いている国益組織を大改革すると言うものですね。郵政民営化によって国民に大きな利益をもたらすことも謳っています。眼目は「郵政公社の4機能」の取り扱いと「郵便貯金の膨大な資金」の活用方法を活性化させるという様なことと認識しています。
以前のブログでも書きましたがマゼランは地球は「丸い」事を多大な犠牲を払って三年かかって証明しました。マゼランに続き80年後のドレーク船長も地球を一周しました。でも三年かかっています。〔散々略奪をしながら〕その後著しく造船術、操船術、気象学等々飛躍的に発展しましたが、「地球の大きさ」は殆ど変わりませんでした。まだまだ大きかったのです。

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