BrainSellers.com

Cutty Sark

Cutty Sarkは常に夢を追い続ける希望の帆船です。I still have a dreamのこころざしを持って海図にない航路を切り開きます。

大人になれない日本人

2005.07.16

『キョーレツな拳骨 一発!!』
今は亡き親父様の本気の拳骨一発で立っていられずその場に崩れ落ちた。
本気の一撃。あれは中学生二年の夏だった。

子供の頃遊んだ、夏の海の記憶が、よみがえります。僕は千葉県の外房の田舎で、常に「海」と「山」の環境の中で育ちました。外房ですから、港の外はすぐに外洋です。「海」と「山」はとても身近な存在で「遊び場」です。特に「夏の海」は、特別な存在でした。晴れでも、雨でも、台風でも、海と遊びました。中学生ともなると、海岸に吹く「風向き」によって泳ぐ場所や泳ぎ方を変えます。特に「東風(こち)」の吹いたときは、子供たちは自然に集団で泳ぐように訓練されています。それは数年に一度、都会から来る「ビギナー」によって、事故を目の当たり見ているせいでしょう。

小学校の低学年の頃、近所の中学生のガキ大将が「徒弟制度」のごとく「良い事も悪いことも」教えてくれます。そして、小学校の高学年になると、和船の漕ぎ方を伝授してくれるのです。和船というと、いわゆる「一丁櫓の伝馬船」(いっちょうろのてんません)です。最初は漕いでも漕いでも、右廻りに回転するだけですが、中学生の先輩の叱咤激励(?)で、しばらくすると「コツを得る」のか、直進できるようになります。しかし、子供には櫓は長く重く、背が低い為届かず櫂が十分に水中に、達しないためスピードはゆっくりだ。でも、一人で櫓を漕いで、伝馬船が走ると爽快な気分になったことを今でも忘れない。勿論「伝馬船」はたまたまそこにあったので、たぶん自由に使ってもいいのではと言う、都合のよい解釈により子供たちは自由に毎日遊んでいました。大らかな時代である。

beach.JPG
-子供の頃よく遊んだ港も今はコンクリートでしっかり防御されエキサイティングな雰囲気はない-

中学生になると、伝馬船は手足の如く自由自在。段々大胆になるのは子供のせいか、元々その様な性質(たち)なのか不明ですが、伝馬船につんであるマストとセールを使い、セーリングを始めます。縦帆です。それも補助として使ういわゆる三角形のラティーン・ミズンスルです。素材はカンバスです。セールの基本操作は件のガキ大将の申し送りです。しかし直進のみで「タック」の仕方は知りません。でも面白い。港の外に出たくなる。いやいやそれはまずい。少なくも「タック」のタイミングをものにしないと。
そのうち夕刻になり陸風(りくかぜ)がブローのように吹くようなる。あ~ぁ、セールの制御が出来ない。港から外へ押し出されそう。やばい。「パニック」になりながら、何とか自力で元の場所まで戻り、伝馬船を係留すると、なぜか親父様が後ろに立っている。ゃ、立っておられる。僕はまずい思いながら頭を掻きながら伝馬船から陸に上がった途端、例の「一発」である。彼は夕刻になると日課になっている四マイル先ある定置網の浮標(ブイ)の様子を高感度望遠鏡で確認しているときに、自分の息子を発見したのである。一発で崩れ落ちた僕を残して彼は何も言わず背を向けて起ち去る。
その一時間後、陸風は姿を消し「東風(こち)」が吹き始めた。親父様のメッセージは「東風」だった。

つい最近、ある本に出会った。
「大人になれない日本人」深谷昌志著(リヨン社)
育児に関わらない父親、子供を過剰に庇護する母親、親に依存する子供。「大都市を中心に伝統的な社会構造が崩壊しつつあるので、大人が成立する基盤が失われている。そして、これらの社会では、年功序列もなく、大人だからと言って、尊敬される事はないように思われる。したがって、大人を目指すことが出来ない。取りあえず「大人らしく」を意識から除くことが大事である。」と語っている。『著者の生家は下駄を商いする老舗で、「小僧→若い衆→番頭格→番頭」とその成長過程を子供ながら体験してきた。■13歳で働きにでる■一人前のシンボルは羽織■禁欲的な修行期間■そして一人前=大人となる。』は納得の定義である。

この本を読んで、
いろいろ考えさせられたが、「自分が育った環境や両親」に感謝せざる得ない。
この本に触発されて「子供の頃遊んだ夏の海の記憶」が久しぶりに戻った。

 

Copyright(c) BrainSellers.com Corp. All rights reserved.