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Cutty Sark

Cutty Sarkは常に夢を追い続ける希望の帆船です。I still have a dreamのこころざしを持って海図にない航路を切り開きます。

コア・メンバー

2005.07.10

コア・メンバー構築はとっても重要だ!!


家督を継いだ十九歳の時より本能寺の変で没するまで織田信長は四方の敵と戦い続けました。
相続時から尾張半国程度の支配者になるまでが大きな試練でも有りましたが、それから三十年後には
日本の約半分の地域の統一を成し遂げます。
誰でも思うことは一緒ですが、彼が後4-5年活動していたら、戦国時代の終焉を迎え全国統一の偉業は達成されことでしょう。
いや、もっと怖いことに成っていたかも知れませんねぇ。
ところが世の中、予定通りに行かないことは古今東西誰でも事実として知っていること。

今日のテーマは信長のコア・メンバーとは、どの様に選ばれ、どの様に構成されたかを知りたいと思います。紀元前に活躍したユリウス・カエサルも、第九軍団というガリア戦役の初年度から、戦い続けた親衛隊とも言うべきコア・グループ(五千から一万)を持っていました。
特に信長の場合は、ご存知の通り「桶狭間の戦い」に少数精鋭部隊を自ら率いて指揮を執っています。
現代でもコア・メンバーの存在は同様に非常に重要なテーマです。
信長のコア・メンバーの選定の仕方、育成方法、日々のOperationは?
天才のコア・メンバーの考え方をいろいろ知りたいと思っています。

信長が育成した馬廻(うままわり)と小姓(こしょう)とは。
馬廻は、佐久間信盛とか柴田勝家の軍団の武将級と郎党でなく、彼が直接指揮をとる軍と言うことになります。小姓は、平時・戦時問わず彼の身の回りの世話をし、戦時は馬廻とともに身辺を固める役目をします。この二つのグループは彼の旗本(親衛隊)と言う事になります。
彼が家督をついだのは十九歳でまだ若く、さらに「うつけ」者との評判があったので、尾張の国衆や一族のものまで離反しています。しかし彼は繋ぎ止めるActionはしません。
その代わり国人や土豪クラスの次男以下の者達を新たに取り立て新しい家臣(馬廻や小姓)に抜擢し、機動力のある専業戦争集団を構築します。これが彼のコア・メンバーです。その数は七・八百と言われています。信長自身が育成し、彼の命令通りに動く強力なコア・チーム(親衛隊)を五・六年で完成します。信長の名を一躍有名にした「桶狭間の戦い」ですが、彼のコア・メンバーはその時機動力を発揮しました。敵の大将今川義元に肉薄し、首級を挙げたのは彼の子飼いの服部一忠と毛利良勝であり、他の部将や兵は全く到達出来なかったようです。
信長の戦略は「都」上洛前では近国同盟です。まだ彼には力が無かったので外交は近隣との提携です。
ベンチャー企業も同程度が少し上のクラスとの提携を良くやりますね。
軍団の規模が少し拡大すると、所謂組織改革を行い武将層(部門長)の任命を行います。
この工程は現代の企業と全く同じですね。彼は必然的にその方法を自ら考え実行したのでしょう。
京都上洛前後から遠国同盟に切り替えます。彼の上洛戦略がそこにあります。
その後領土と多方面の戦争拡大の為に、抜本的な組織改革を行い、方面軍制度(事業部制)を作り上げます。

彼のコア・メンバーは初期の戦い全てに対してその機動性と洗練さを発揮し、その後の信長の直轄軍団の中核に発展的に拡大していくのです。
彼のコア・メンバーの作り方は理に適っていて現代でも十分に活用できそうです。
もちろん、当社にも同様なコア・メンバーが存在します。まさに信長の戦闘集団の様に目標に迎い邁進しています。

 

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