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Cutty Sark

Cutty Sarkは常に夢を追い続ける希望の帆船です。I still have a dreamのこころざしを持って海図にない航路を切り開きます。

「静」の力

2011.03.05

お能の観客を引き寄せる力はすさまじいものがあります。

橋懸(はしがか)リを一定のリズムですり足で進むシテは、油をぶちまけた様な光沢のある檜の床をまるで浮揚している様な軽々しさで方向転換し、方三間の舞台に登場したのち、初めて正面席に座る観客と対じします。
その時、観客はというと、突当りにある揚幕(あげまく)がシュルシュルと上がると同時に、水面から浮き出るように出現するシテに釘付けになり、その浮揚感のあるシテの「静」の動作にじっと目をこらしている訳です。
シンと静まり返った能楽堂でシテと観客が共有する、または融合するもっとも双方が緊張する瞬間です。

観客と向き合ったシテは、四本の柱で支えられ、三方吹き抜けの四方をもつ舞台で、孤立した厳しい空間に身を置くことになります。そしてシテはもっとも重圧な世界に自らの強い意志で臨むことになります。
このちいさな空間に能役者は全知全能を投じて小宇宙を形成する訳です。

「伝統とは惰性ではない。」と断言したのは能楽の研究に造詣が深い増田正造(ますだ しょうぞう )の言葉です。そのあとこう続きます。
「奇形化の部分の多い制度や様式ではもちろんない。あらゆる時代において新鮮であろうとする努力であり、その不断の累積である。あるいは時代を挑発する力なのだ。」魂を揺さぶるような洞察力に富んだ表現と云えます。
700年の間、足しもせず、引きもせず、延々と伝統芸能として生きてきたお能は、増田正造の言葉を借りると、
「時間と空間を共有する観客なしでは成立しない演劇の中で、さまざまな状況があったにせよ、たとえば能や狂言が700年も生き抜いてきたのは、あらゆる時代に訴える美と力を多く持っていたからにほかならない。」と云うことになります。

先週、作曲家・三枝成彰さんが、20代のころ出会ったと云う『人間の声』(編集者ハンス・ワルター・ベア/高橋健二翻訳)」に触発されて思い出した事があります。
それは、十代の終わりの頃に思い出深い本に出会ったことでした。

成長期の子供の教育に関してボクの両親は、相当な放任主義を通していました。ボク自身は男の子四人の中で育ったせいもあり、相当な暴れん坊に育ったことは否めません。ただ、二人の兄がとても優しかったことを今でも濃厚に記憶しています。
なので小学校低学年で、クラス内はもとより学年内でも数名の問題児のひとりに、りっぱに(?)成長していました。そのまま悪童として成長するのかと思いきや、比較的早く転機がやってきます。それは、五年生と六年生の二年間の出来事で、この二年間で心底根性を叩き直して頂いた恩師に出会うことになりました。その悪童の極みからともかく全うな小学生に戻った(?)訳ですが、このことだけでも感謝に堪えない事ですが、それ以上にその後の生き方に重要な役割を担う、「本を読むことの面白さ」を教えて頂いたことです。単純な「本を読む」ということの楽しさは、その後の私自身の進路にも大きく左右していると実感しますが、きっとそれは生涯に渡って失われない行動パターンとして生き続けると思っています。
このことは中学生になると顕著に現れました。
中学一年生の時からすでに年間250冊を読破し、一年を振りかって見るとボクより上位の読者は三年生にひとりという結果でした。それも三冊の僅差でした。
結局その後の年間読書量は、30才まで15年間衰えることなく続くことになりました。

その恩師がボクに与えてくれた本は「謡曲集・上下」と「歌論集」でした。たぶんご自身が読まれた本であったと推察していますが、なぜ「お能」であって、且つなぜ、ボクにくださったのかは覚えていませんし、もはや知るすべはありません。
謡曲集は「お能」で最も重要な構成要素である物語そのものを著しているものです。この本は、本格的な謡いの正当な解説書と云うことになります。内容は、謡曲の解説ですが観阿弥・世阿弥親子とその子元雅が体系化した謡曲集の他に、もっと古い古代の謡いも含まれています。所謂古代の能と「現在能」と「夢幻能」の三分に分かれて体系化された書物ということになります。故に今では演じられることの無い「お能」が数多く収録されています。特に圧巻は、「歌論集」にある世阿弥の能の理論書である『風姿花伝』等々の章です。この巻の多くの紙面を割いて理論体系が収録されています。
この謡曲集の上下と歌論集は、40巻・41巻の連番と65巻の3巻で「日本古典文学大系 」いう体系下に入っているものです。日本古典文学大系は上代から近世(江戸時代後期)までの古典文学を対象に、全100巻にまとめられ、刊行されました。ちなみに、謡曲集(上)は1960年発刊で、(下)は1963年です。50年も前の書籍です。今では当然絶版です。
恩師は、この3巻をボクの高校入学の祝いにくださったようです。

しかし、謡曲に素養の無い高校生のボクには「歌論集」は難解です。
古典が好きであったためか「謡い」そのものの「謡曲集」は、なんとか輪郭を理解できてもお能の理論書である「歌論集」は手に負えません。それでも、ともかく読むことに主眼を置いて努力したことを今でも覚えています。

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齢82歳!

2005.08.16

先週のお盆休みの土日は久しぶりに田舎で過ごしました。

既に親父様は十年以上前にお隠れになりましたが、母上様は健在です。既に80歳を超えています。子供としてはいつまでも元気でいて欲しいものです。自分の年を数えると母上様の齢も必然的に判るのも。宇宙のリズムや人が一生でやり遂げる期間を考えれば、人生80年一瞬の出来事です。ですが、その一瞬に執着してしまう自分がここにいます。この日、一族郎党が集まりました。総勢20人足らず。この齢82歳の彼女から始まった縁で広がったファミリーです。彼女の事を孫たちは「コマチ」と呼んでいます。「コマチ」の意味は「小野小町」のことです。若い頃知らない人がいないくらい美人であったと昔の人が孫たちに吹聴し、それから「コマチ」と呼ぶようになりました。もう20以上前からの呼び名です。ひのコマチが活躍します。お盆には恒例のBBQをやる事になっています。当日の朝より各自が分担して用意をします。勿論BBQですからお肉を焼きますが、実はその前に「海の幸」がすごいのです。最初は惜しげもなく「鮑の踊り焼き」を食べます。すぐ後に伊勢えびのこれも「踊り」焼きです。っとお刺身食べたわ。その後サザエを1人二個ほど平らげ(実は食べきれない)、そしてやっと野菜の出番です。言葉で説明するよりもこの映像をご覧ください。
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<十分に火を通さず中心が少し生の焼き方がコツ/超新鮮なあわびしか出来ない>
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<これ一人分??!!>
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<次は地元近海の伊勢海老だ。身がたっぷり入っていそう。海老さんごめんなさい。成仏して。>
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<もう焼けたかな。どれから食べようか?>

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ネバネバと5,000歩

2005.07.28

ネバネバ野菜と5,000の歩数に凝っています。「野菜と歩く」ことはとてもリズム作りに適しています。なんといっても体調がとってもいいのです。一日の歩数目標は10,000歩にしています。が。会議の多い日もいれると平均5,000から8,000歩といったところでしょうか。毎日10,000歩程度歩きますと熟睡には適度な運動量となります。日中歩数が足りない場合は、帰宅途中に二駅手前に降りて、歩きます。くたくたの体力にはまたとない運動消費量になります。また、野菜はネバネバだけでなく「豆」にも凝っています。今が旬の「枝豆や豆腐」です。枝豆にはビールと言いたい所ですが、下戸の僕には全く相関関係がありません。さらに、肉より魚料理に徹しています。子供の頃、田舎で育ったせいか「魚の鮮度」にはかなり厳しいです。どんなにうまく料理してあっても冷凍物は直に解りますし、食べません。昔から魚の効能は肌で感じていましたが、やはりデータを見ると一目瞭然ですね。もちろんダイエットにも適していますよ。また、ここ数ヶ月一日当たりのカロリー摂取量を 約1,500-1,800 kcal を目標としています。既に二ヶ月以上になります。この効果は絶大です。
◆これがダイエットには魚がいいという説明とデータです。
動物実験では、魚油は脂肪を燃やす『PPARα』という遺伝子を活性化させると同時に、脂肪の合成を下げることが分かっている。脂肪を摂取すると太ると思っている人が多いが、脂肪の種類によって違う。EPAやDHAには抗肥満効果や脂肪を燃やす効果がある。これらのデータを生かした目安を示す。日本人の魚の平均摂取量や栄養所要量などから計算・推定すると、1日1・7グラムのEPAとDHAを取れば十分という結果になった。魚の種類によって含有量がかなり違ってくる。マグロの中トロが1番効率的かもしれないが、サンマなら1尾(60グラム)、タイで刺し身6切れ(45グラム)、ウナギなら2分の1くし(50グラム)などに当たる。日本人でいえば、魚をよく食べている人に当てはまる魚摂取量になる。
  ■EPA : 魚油に多く含まれるエイコサペンタエン酸
  ■DHA : コサヘキサエン酸
(共同通信社/最新医療情報・http://kk.kyodo.co.jp/iryo/news/1026sakana.html)
健康_1.gif
(EPAとDHAを魚で取得する場合の食材別目安)

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初体験

2005.07.19

サングラス以外に眼鏡をかけるのは初体験である。
ここ数年暗さと至近距離が苦手になった。何て言ったって電車の中で眼から30cmの小説の文字が殆ど読めない。5-60cm離すとなんとか読めるが「ぼんやり」だ。でも車内の状況がそれを許さない。とうとう「老眼の境地」である。老眼鏡を手に入れないと、見えないし、疲れるし、結局細かな字が判別不能である。まずは眼科で老眼度チェックをと思い社員に教えもらった近くの眼科に行ってみた。老眼の検査をと言うと係りの看護婦さんが気持ちよく検査をしてくれた。「右1.3で正常。左1.3で正常。」いいじゃあないか。さてここからが核心である。「30cmの距離で左右0.3以下である。」これはひどいぞ。こんな計り方は生まれてじめてだ。そういえば子供の頃から今まで視力等の一般的な検査しか記憶に無い。
ざっと検査が終わり医師の検診を受けた。その医師が若く美人なのに驚き。検査結果を見ながら先生の呟き。「あぁ。老眼ね。年齢的にはそろそろいいのでは」そこまで言う?
そして、対面して座ったと思いきや、すっと近づいて、おもむろにサイボーグが被る様なヘルメットみたいな物を装着し「あっちの方を見て、そのまま動かないで」と命令口調。「はい!」パチリとライトのスイッチを入れると「光」を感じ、僕の瞳を覗く。「うんうん、なかなかいい水晶体をしているじゃぁない?」次は左! やはり口調が怖い。
数分後何とか診察が終わり無罪放免である。
会社に帰った後Googleしたら、なんとあの美人先生は院長でした。う~ん。もう行く機会ないしなぁ。独り言。美人と腕は別物。

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「海の記念日」と「海の日」

2005.07.18

この二つの記念日は同じ日を指しています。由来は後ほど出てきますが、「僕のブログは今月の七月を目標に立ち上げました。」自分のブログがどの様な意味合いを持つブログに成長するのかを既にイメージしていました。その開始には「この日」が最も相応しいと感じています。いいまで練習と思っています。そして、この日を境に日々の「今を生きる」と「過去・現在・未来」と繋ぎ合わせて綴りたいと思っています。
「海の記念日」の由来は、明治天皇が明治9年に東北へご巡幸の帰途に当時最新鋭の「灯台視察船・明治丸 」で青森港から函館を経て横浜港に無事到着された日を記念したものです。なぜか閣議決定後、最初の開催日の「海の記念日(7月20日)」は太平洋戦争突入の翌年の昭和16年7月20日でした。当時きっと開戦抑揚の意味もあったのでしょうか? この時使用された「明治丸」ですが現在でも復元・現存します。明治新政府は洋式灯台建設を多数開設するための灯台船の必要性を検討しましたが、国内には未だ相応の造船能力がなかったので、英国に明治6年(1873)発注し、明治8年(1875)2月に横浜に回航されました。とにかく大枚を叩いたピカピカの新造船でした。平成の御世になり国民の祝日「海の日」として皇太子同妃両殿下のご臨席のもと平成8年07月20日に制定記念式典を開催し、現在の形になりました。 この年より呼び名が「海の日」になりました。そして、平成15年から「海の日」は7月の第三月曜日に振られラッキーな「三連休」に変わりました。

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水先案内人

2005.07.13

大航海時代の帆船であれ、現代の船舶であれ、命令は一つで、その時、全員が動く。
その緊張感は今でも脳裏の中に、その臨場感を感じることが出来る。
とても古い記憶ですが、素晴らしい体験でもある。

陰鬱な驟雨(ガルア)に二万トン近い船体が包まれる船首楼(オォックスル)はその輪郭のみに留めているが、唯一レーダーマストに掲げるパイロット旗(フラッグ)「H」が、時折軽い突風に透けて見えることがある。速度制限で十二ノットまで減速した船橋(ブリッジ)内はもの静かで、振動も殆ど感じない。当直中(ワッチ)の三等航海士(サード・オフィサー)と三等操舵手(クォーター・マスター)は、この驟雨(ガルア)のために等間隔に囲いのあるレーダー・スクリーンを覗き込んでいる。ここは東京湾である。世界で有数な船の出入りが多い「浦賀水道」である。
驟雨(ガルア)は夜明け前に野島崎の灯台を認識し、船首を回頭する頃から視界を遮る様になった。その濃度は回転窓から船首用意(スタンバイ)のために配置(アサイン)に付いている一等航海士(チーフ・オフィサー)の姿さえ捉えることが出来ないほどである。

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船出

2005.07.11

今日公式ブログを一般公開した。
ブログの名前を思いいれもあって「Cutty Sark」とした。追々説明したい。


当社のマーケティング西尾知子の示唆もあり、ここ数日間、ローカルでお試しをやってみたが、思ったより使い勝手もよくて、トップ・ページのデザインも気に入っている。
ブログ制作には僕の大雑把な方針に対して、すんなりと㈱ミツエーリンクスのAさんは手早く仕上げてきた。
すばらしい制作力である。
元々当社のホームページは昨年前半に既にHP自体をブログ化した。ブログを初めて知ったのは二年以上前にjoi伊藤穣一氏/当社非常勤取締役)から説明を受けたのが最初だった。joiはその有効性を実際にPCにタイプしながら熱く語っていたけれど、僕が最初に受けた印象は、「どうしてこれがすごいの? 」だった。しかし、二年たった今、やはりjoiは只者でなかった。
あの当時正確に仕組みとアプリケーションとしてのブログを理解し、ビジネスに適応できると確信した人は国内に数人であったろう。いや、彼一人かも知れない?いずれにしても凡人には無いすばらしい「着眼点と洞察力」である。
ブログはjoiが米国で投資を行ったsix apartMovable Typを採用している。僕が最初にMovable Typを使ったときはまだメニューが英語版だったが、現在は日本語で機能も拡張している。とっても使いやすい。
そう言えば以前、six apartの非常にシャープなマーケティング担当の斉藤朱保さんにMovable Typの機能と効果についてインタビューを受けたことがる。彼女の冷静沈着で何事もスマートな仕草に圧倒された。その時のインタビューアが業界で著名な長野弘子さんでした。この方の頭の回転はすこぶる良くて、そのスピード感がとても気持ちいい。
世の中の若手はすばらしい!!

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