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Cutty Sark

Cutty Sarkは常に夢を追い続ける希望の帆船です。I still have a dreamのこころざしを持って海図にない航路を切り開きます。

切磋琢磨

2010.12.02

創造性はどうしたら手に入れることがでしょうか?

もともと創造性や独創性は、誰にでも生まれつき備わっているものといわれています。
最も肝心なことは、もともと生まれつき備わっているこの能力を自ら知り、
そして伸ばし、育てることができるかと云うことだと感じます。
しかし、自分の能力を知ることはなかなか出来にくいものです。自分の能力を知るには、たぶん強い「感性」が必要ではないでしょうか。
そして、、
発見された自分の能力は、可能性を秘めていますが、とても小さく壊れやすいものです。
さらに、その能力を伸ばすために純粋培養して「開花」するまで守らなければなりません。

ドイツの黒い森といわれる山岳地帯の名も無い村ボイレンで、
小さなガレージで始めた独創的なコンサルティング会社が、
やがて世界的にデザインを提供する有力企業へ成長する過程は驚くべきものがあります。

創業者の名前は著名な「ハルトムット・エスリンガー」で、
彼がガレージで立ち上げたのは「フロッグデザイン」という会社でした。

彼が始めたことは「ビジネスとデザインが手を組むことで、いかに驚くべき力が発揮できる」でした。
このあまり真新しくないデザイン主導のビジネス戦略には、
多大な可能性があるというコンセプトに注力し、それを実施し、
そしてさらに世界的に評価される企業に育った訳ですが、
実際にはこのような成功例はあまり無く、とても難しいものだと思います。

数年前に若く素晴らしい才能と人間性豊かな五人の若手建築家集団と知遇を得ました。
この五人は、全員が同じ大学の建築課を卒業した同期です。
いわば「同じ釜の飯を食った」という程度の関係であれば、世間にはいくらでも例があると思いますが、彼らは一味も二味も違います。
彼らは、大学入学の18才からいわば同志とも云うべき連携を持ったグループで、
その関係は15年経ても変わらず、それどころか発展しています。
もちろん全員が建築関係か、それに近い他の仕事を持ちながら、第一線で第一級のジョブをこなし、それはそれで社会的にも十分に評価される立場です。
しかし、著名な建築デザイン会社に属しながら、別に五人だけの緩やかな共和制とも云うべきバーチャル・カンパニーを持っています。

このバーチャル・カンパニーは彼らにとって、純粋の中にも遊び心を持ち、
それでいて人間くさい欲望のはけ口にも利用するという「とても、まじめなおもちゃ」のような存在です。
三十代で彼らのような経験を積める事自体稀有なことです。
また、そこまで至ったプロセス、バーチャル・カンパニーがプロデュースした作品等々、どれをとってもボクに出来なかった素晴らしい経験で、うらやましい限りです。その素晴らしさを彼ら自身が身にしみて実際に理解できるには、あと20年くらい必要かもしれませんが。

五十代半ばを超えた私の身長は、少なくとも同世代の中にあって、小さいと感じることはありません。しかし、五人の若者は全て175㎝の私より少なくとも10㎝は高く、全員に囲まれたは私はとても分が悪い。
なぜか彼らとは、気が合い、定期的に食事をし、飲み、語っています。
時には話題が嵩じて深夜に及ぶ事が多々あります。三十代半ばの彼らと歩調を合わすことは体力的にも、気力的にも並大抵ではなく、脱落寸前であることは間違いありませんが、なんとかついて行っています。
でも、気のいい彼らは私を帰宅させることはせず、スムーズに抱き込んでいきます。

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使命と時間

2010.06.19

NHK大河ドラマ「龍馬伝」の人気にはすごいものがあります。
その人気の秘密の一端は福山雅治かもしれません。
NHKの中でも、予算を潤沢に使えるこの大河ドラマは、日曜日のゴールデンタイムに流されることもあり、相当意気込んだ番組にならざるえません。その意味では、女性に人気絶大の福山雅治の起用は的を得た配役という事でしょうか?

勿論、時代劇ドラマには、必ず売れると言う歴史上の人物がいます。
織田信長や坂本竜馬はそのもっとも売れる部類の魅力的な人物ということになります。
ボクがその魅力的な竜馬に出会ったのは十代の頃でした。もちろん司馬遼太郎の「竜馬が行く」によってです。司馬遼太郎のこの本はベストセラーになりました。誰にも歴史上で魅力的と感じる人物がいると思いますが、ボクの中では彼もそのうちの一人になりました。

そして先週、ドラマの中の龍馬は大きな出来ごとに遭遇します。
それは、同じ郷士の幼友達の望月亀弥太を池田屋で失うという悲劇です。この時代、太平の世と云いながら激動の時代を迎えています。その前には平井収二郎の切腹の知らせを受けます。また、岡田以蔵も捉えられ後に処刑されます。その前には先輩で遠縁の武市半平太(瑞山)が縛に付きます。
特に半平太は数ヶ月間投獄され、この後切腹させられてしまいます。外国の重圧もさることながら竜馬の近辺ではシッョキングなことが数多く起こります。

龍馬の青年期は模索の連続でしたが、このころから彼はゆっくりとですが、自分は何をすべきかを探し当てます。そして、その使命を果たそうとします。
しかし、彼の目的は半ば達成したかに見えましたが、突然不慮の死を遂げます。
時は、1867年12月10日、彼は未だ31歳でした。
竜馬は志を持ち、天から与えられた使命を全うしようと生き抜き、半ばでその生命を閉じました。
まだまだ青年という31歳という若さで。
はたして、竜馬の一生は早すぎた人生だったのでしょうか?
それとも龍馬にはまだまだ使命があり、なすべきことが沢山残っていて、もっと生きてやり遂げなければならなかったのでしょうか?
かれの使命と天命を思うとき、ひとの一生とは、どのように繋がっているのでしょう。

私たちの生活の基本は流れいく時間です。人生は「時間」であるという基本的な概念から逃れることはできません。竜馬のように31歳の若さで世の人に惜しまれて逝っても、またボクが長生きをして100歳で天寿を全うしても、そこには時間と云う概念が流れています。
私たちは、それを「なにげなく」ですが、この時間と云う概念を信じ込んで暮らしています。
しかし、ふと気がつくと、今私たちが何気なく信じ込んでいるこの常識をなんら疑うこともなく、
そして、これをずっとそのまま信じ込んでいいものなのかと思ったりもします。

それは、私たちの身近に存在する動物の時間と云うのを知ったからです。
時間の概念は森羅万象、この世に生を受けたすべてのもが受ける前提でもあり、概念でもあります。
ここで、話しを人を含めた哺乳類の「体の大きさと時間との関係について」を考えみたいと思います。私たちは、一般的に体の大きな動物はゆったりと動き、それを安定感があるとを感じ、それに反して小さな動物はキビキビと活動し、小気味良いと感じます。人も大きな人や小柄な人について同様な感覚を持つことができると思います。

人も含めた哺乳類のこれら動物たちの「体重とその時間の関係」を調べた学者がいます。
哺乳類のそれぞれを体重とある時間のを割ってみると、
    「時間は体重の1/4乗に比例する」になるそうです。
簡単にいえば、体重が増えると時間は長くなるです。ただし、1/4乗という平方根の比例(さらに平方根)なので、方式は単純ではありません。
例えば、こうです。体重が16倍になると、時間は二倍になるという計算式は成り立ちますが、体重が16倍ならば、時間も16倍という比例数ではありません。

この時間ですが、ほぼなんでも当てはまるそうです。
例えば、寿命成体になるまでの時間性的に成熟すまでの時間赤ん坊の胎内期間息をする時間間隔心臓が打つ間隔腸が一回活動する時間血が体内を一巡する時間などです。
体重が大きければこの一回が長く、体重が小さければその回転は素早い。という訳です。

さぁ、問題は、ここです。話す前に先に答えを知りたいと思います。
動物の大きさが異なると機敏さや寿命が違ってきます。
行動範囲や生息密度も実は動物の大きさ関係が深いといいます。
でも、一生に打つ心臓の総数や体重当たりの総エネルギー使用量は、大きさによらず同じなのです。
これを言い換えると、
それぞれの生き物は、一生と云う時間のなかで夫々「時間の流れる速さが異なる」と云うことになります。
回答までの導きを聞くと自然に納得できますが、各々の事象は驚くことばかりです。

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