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Cutty Sark

Cutty Sarkは常に夢を追い続ける希望の帆船です。I still have a dreamのこころざしを持って海図にない航路を切り開きます。

風を読む

2010.06.13

鳩山さんから管さんに首相交代のリレーがされたのはつい先週のことです。
首相が変わることで政治や組織や行政も大きく変化するのは当然のことですが、メディアには「風が変わる」や「風向きが変わった」のキャッチコピーが騒がしい今日この頃です。

あるブログに『メディア「首相交代効果」考』という興味深いテーマがあります。メディアに対して手厳しい論客といえます。掲載内容は、"メディアが取り扱う世論調査は「メディアとしての使命の放棄」と伺える調査時期の不自然さや一部の政党への偏頗がある"と指摘しています。かなり手厳しいですが、読むとなるほどと納得のいく理論展開でもあります。

風を読む」は示唆にとんだ言葉として広く認識されていますが、他に「船出」や進路を読み取る「コンパス」も政治や経済だけでなく、企業経営者が自社の進路や経営の視点を例える時によく使われます。

帆船が最も輝いた時代を「大航海時代」と歴史を感じさせる表現を使いますが、この時代の生い立ちを表す三つのキーワードがあります。

最初のキーワードは、「黄金と胡椒」です。とても魅力的な言葉として記憶に鮮明です。黄金=マルコ・ポーロ=フビライを連想し、胡椒はオランダ東インド会社=ヨーロッパ人の食生活です。大航海時代は一般に十五世紀から十七世紀を指しますが、実はその胎動は十三世紀ごろから始まったとされています。ご存知のマルコ・ポーロの「東方見聞録」の一説にこんな表現の口語体があります。
ジパングは東海の島で、大陸から千五百海里にある。」といい、
「黄金が非常に多く無尽蔵であるが、王がその輸出を許さないため訪れる商人はわずかしかいない。」そして、わが王であるフビライの日ごろの言動は、
「この島はわが国に風聞するほど富が大きく、この島を征服し領土としたい。」と記しています。
当時、この見聞録を読めば、フビライでなくても誰もが東方への関心が高まったであろうことは、容易に想像できます。
また、フビライの関心事は黄金でしたが、西ヨーロッパ人においては、彼らの食生活に必須の胡椒や肉桂(生薬、ニッキ)を大量に安価に手に入れることを望んでいました。香辛料によってヨーロッパ人の食生活は一変します。それもアラビアの仲介商人を通さず原産地の東インドから直接手に入れるルートを長く切望し、実際に模索もしていました。

歴史上、最も大胆な条約として知られてるトルデシリャス条約を締結したジョアン二世は締結後まもなく壮大な計画の前に死去しますが、彼の甥のマヌエル王が即位すると、第一次インド遠征を実施します。
この司令官がかの有名な「ヴァスコダ・ダ・ガマ」です。1498年7月8日のことでした。リスボアを出港して翌年の5月22日にキャラコの語源になったカリカットに到着しています。ガマは当時のカリカット王国と直接の通商条約を提案しますが、理由は不明ですが決裂します。そして、1499年9月に帰国を果たしますが、彼はきっちりと貿易現状調査報告書と一緒に香料等の価格表を綿密に調べ上げ、これを王に提出しています。その結果、丁字(グローブ)等の西欧価格は現地輸出価格の約9倍程度あることが分かりました。
残念なことに、その後最も重要なキーワードとなる「マルク諸島またはモロッカ諸島(別名香料諸島)」は入っていませんでした。そこまで調査の期間や実行力(資金、情報網など)がなかったかも知れません。
輸入価格が現地価格の9倍の手数料が掛かる「胡椒の直接購入」はヨーロッパの商人の間では、羨望の的であったろうと想像できます。ここに西欧からインドへの「東方航路」が確立しました。
故に「黄金と胡椒」はその必要性から人の目を東に東に向けたことになります。

話を少し寄り道すると、
ジョアン二世の壮大な計画は「コロンブス・シッョク」が作用していると云われています。クリストファー・コロンブスは西回りで「ジパングかカタイの近く」に到達したことを帰航の途中でリスボアへ寄港したことで知ります。王のシッョクは相当なものでしょう。また、1488年にはエンリケ航海王子の意思を継いだバルトロメオ・ディアスが喜望峰を廻り、インド洋を目の前にして引き返した(実は船員の暴動によって)ばかりのときでもありました。ジョアン二世の焦りはよく理解できます。

さらにもうひとつ蛇足を。
ガマによって確立した東方航路により小国ポルトガルは香料、金、象牙などの貿易を独占し、首都リスボアの繁栄を作り出します。それまで繁栄していたジェノバやヴェネチアの衰退と対照的になります。

そして、二つ目のキーワードですが、
「ルネッサンス期に生まれた科学技術の飛躍的発達」です。
大帆船の建造が行われるこの時代は精巧なコンパスが発明され、実際に使用され、大洋航海への準備が科学的にも徐々に備わってきたことになります。十四世紀から十五世紀に入ると球面三角法や天文学の発達とともに地図や海図の製作が発達して天体観測の精度もあわせて飛躍的に向上します。
航海技術に関する最も技術革新の向上が認められたのは、帆船の大型化です。そして次にマストの数と帆の数を増す分離式帆制への変化です。地中海を航行していた三角帆一枚ではありません。この革新的な行為により、その後の帆船の原型が作られました。
さらに、航海用具として「ジェノバの針」といわれる初期の磁気コンパスや太陽の角度で緯度測定が可能な「航海用アストロラーベ」の発明され、そして沿岸を図式化して後の正確な海図製図法への足がかりとなる技術向上がなされ、その数を列挙するととても紙面が足りません。

そして、三つ目のキーワードは「ある人物」です。
先に説明した二つのキーワードはもとても重要な要素ですが、それにも増して大切な事は、大航海を可能にする組織的、資金的、権力的な支援です。これを実施し、航海技術の飛躍的な発展を支援した人物がいます。彼の名は、「エンリケ(ヘンリー)航海王」です。
海運が持つ役割における歴史上最大の功労者と云えます。
彼は、ポルトガル王のジョアン一世と英国ランカスターの王女フィリッパの息子で、現在でも両国人から絶大な人気があります。日本では「航海王」と知られており、実際には王位につかず、父、兄、甥の三代の王に仕え、通商と殖民に関する全権大臣的な活動を貫き通しました。王位についていないので、エンリケ航海王子というのが正確な位置づけでしょう。前述のジョアン二世は、彼の兄です。残念なことにエンリケの生存中に彼の指揮する船団は喜望峰すら超えることは叶いませんでした。

さて、
大航海時代の十五世紀から十七世紀に帆船の航海技術がそれ以前とは飛躍的に向上したことを三つのキーワードで説明してきましたが、どうしても超えなければならない未知の世界がありました。
それは、「海流や潮流と風」という分野です。風や波を受けて走行する帆船が最も制約を受ける要素です。
帆船の大型化や自船の位置の確認やマストや複数のセール等、ハイテク武器が揃っても操船とは広い海の上でどのような風が吹くかの知識なくして船出は出来ません。
未知の大海原に船出するのは、地図を持たずに高山を登山することよりも遥かに危険が伴った事でしょう。例えば中緯度の陸上の風の吹き方を注意深く調べ理解できても海洋上の風を知ったことにはらないからです。

私たち現代人の常識として知っている中緯度の偏西風や熱帯の貿易風(偏東風)を当時の船乗りは論外のことだったでしょう。もう少し詳しく言えば、季節別や緯度別や地域特性の強いモンスーン等多くの要素があることに気づきます。おそらく船乗りたちは地球全域にわたる海洋上の風系を知るまでに、多くの遭難をくぐり抜けて貴重な経験の蓄積をしていったのでしょう。
実は、中緯度偏西風帯と熱帯貿易風帯の間には亜熱帯高圧帯が存在します。この帯域は風が弱いという特徴があります。かってスペインから新大陸の米国に馬を積んだ船が、この帯域に入り込み無風で動けなくなりました。予想しない出来事に飼料が底をつき屠殺された馬の死体が海面を埋めたというところから「馬の緯度(Horse Latitudes)」と呼ばれたこともありました。
また、南半球では大陸が北半球より少ないので一般に風は強く、中緯度偏西風帯の風も嵐も相当なものです。昔の船乗りは南半球の海を、吠える40度(Roaring 40's)、荒れ狂う50度(Furious 50's)、絶叫する60度(Shrieking 60's)などと呼ばれたと文献にあるくらいです。

クリストファー・コロンブスがたった280トンしかない旗艦サンタ・マリア号以下三隻の船と百二十人の乗員を引きいてパロス港を出港し太平洋を渡ってから、およそ五百年経ちました。また、エドモンド・ハレーが貿易風の成因を太陽の熱に求めて三百年が経ち、その後ジョージ・ハドレーが貿易風を太陽に照らされ自転する地球上をめぐる大きな風があることを突き止めてたのは二百五十年前のことです。
私たちは、気象衛星から見た地球全体の雲の動きから、低緯度と高緯度の大気が大小さまざまな渦によって活動していることを視覚的に疑いも持たずに日常的な天気予報図によって見ています。しかし、そのような常識は、あくまでも二十世紀後半のつい最近のことなのです。
当時の船団や帆船を統率する指揮官や船長には多くの乗組員や積荷を安全に守る責任がありました。少ない情報と多くの経験値で的確に「風を読む」判断をしなければ生死を彷徨うことになります。

企業経営も同様ですが、国を統治する責任者はよりその判断によって一国の生命を左右することになりかねません。
今日の日本丸の船長は冒頭の世論調査を別にして、今後の結果はどうでしょうか?
注意深く見ていきたいと思います。

 

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