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<title>Cutty Sark</title>
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<description>Cutty Sarkは常に夢を追い続ける希望の帆船です。I still have a dreamのこころざしを持って海図にない航路を切り開きます。</description>
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<title>使命と時間</title>
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<description><![CDATA[<p>ＮＨＫ大河ドラマ「<strong>龍馬伝</strong>」の人気にはすごいものがあります。<br />
その人気の秘密の一端は福山雅治かもしれません。<br />
NHKの中でも、予算を潤沢に使えるこの大河ドラマは、日曜日のゴールデンタイムに流されることもあり、相当意気込んだ番組にならざるえません。その意味では、女性に人気絶大の福山雅治の起用は的を得た配役という事でしょうか? </p>

<p>勿論、時代劇ドラマには、必ず売れると言う歴史上の人物がいます。<br />
織田信長や坂本竜馬はそのもっとも売れる部類の魅力的な人物ということになります。<br />
ボクがその魅力的な竜馬に出会ったのは十代の頃でした。もちろん司馬遼太郎の「<u><strong>竜馬が行く</strong></u>」によってです。司馬遼太郎のこの本はベストセラーになりました。誰にも歴史上で魅力的と感じる人物がいると思いますが、ボクの中では彼もそのうちの一人になりました。</p>

<p>そして先週、ドラマの中の龍馬は大きな出来ごとに遭遇します。<br />
それは、同じ郷士の幼友達の<u>望月亀弥太</u>を池田屋で失うという悲劇です。この時代、太平の世と云いながら激動の時代を迎えています。その前には<u>平井収二郎</u>の切腹の知らせを受けます。また、<u>岡田以蔵</u>も捉えられ後に処刑されます。その前には先輩で遠縁の<u>武市半平太（瑞山）</u>が縛に付きます。<br />
特に半平太は数ヶ月間投獄され、この後切腹させられてしまいます。外国の重圧もさることながら竜馬の近辺ではシッョキングなことが数多く起こります。</p>

<p>龍馬の青年期は模索の連続でしたが、このころから彼はゆっくりとですが、自分は何をすべきかを探し当てます。そして、その使命を果たそうとします。<br />
しかし、彼の目的は半ば達成したかに見えましたが、突然不慮の死を遂げます。<br />
時は、1867年12月10日、彼は未だ３１歳でした。<br />
竜馬は志を持ち、天から与えられた使命を全うしようと生き抜き、半ばでその生命を閉じました。<br />
まだまだ青年という３１歳という若さで。<br />
はたして、竜馬の一生は早すぎた人生だったのでしょうか?<br />
それとも龍馬にはまだまだ使命があり、なすべきことが沢山残っていて、もっと生きてやり遂げなければならなかったのでしょうか? <br />
かれの使命と天命を思うとき、ひとの一生とは、どのように繋がっているのでしょう。</p>

<p>私たちの生活の基本は<strong>流れいく時間</strong>です。人生は「<strong>時間</strong>」であるという基本的な概念から逃れることはできません。竜馬のように31歳の若さで世の人に惜しまれて逝っても、またボクが長生きをして100歳で天寿を全うしても、そこには時間と云う概念が流れています。<br />
私たちは、それを「<strong>なにげなく</strong>」ですが、この時間と云う概念を信じ込んで暮らしています。<br />
しかし、ふと気がつくと、今私たちが何気なく信じ込んでいるこの常識をなんら疑うこともなく、<br />
そして、これをずっとそのまま信じ込んでいいものなのかと思ったりもします。</p>

<p>それは、私たちの身近に存在する<strong>動物の時間</strong>と云うのを知ったからです。<br />
時間の概念は森羅万象、この世に生を受けたすべてのもが受ける前提でもあり、概念でもあります。<br />
ここで、話しを人を含めた哺乳類の「<strong>体の大きさと時間との関係について</strong>」を考えみたいと思います。私たちは、一般的に体の大きな動物はゆったりと動き、それを安定感があるとを感じ、それに反して小さな動物はキビキビと活動し、小気味良いと感じます。人も大きな人や小柄な人について同様な感覚を持つことができると思います。</p>

<p>人も含めた哺乳類のこれら動物たちの「<strong>体重とその時間の関係</strong>」を調べた学者がいます。<br />
哺乳類のそれぞれを体重とある時間のを割ってみると、<br />
　　　　「<u><strong>時間は体重の1/4乗に比例する</strong></u>」になるそうです。<br />
簡単にいえば、体重が増えると時間は長くなるです。ただし、1/4乗という平方根の比例(さらに平方根)なので、方式は単純ではありません。<br />
例えば、こうです。体重が16倍になると、時間は二倍になるという計算式は成り立ちますが、体重が16倍ならば、時間も16倍という比例数ではありません。</p>

<p>この時間ですが、ほぼなんでも当てはまるそうです。<br />
例えば、<strong>寿命</strong>、<strong>成体になるまでの時間</strong>、<strong>性的に成熟すまでの時間</strong>、<strong>赤ん坊の胎内期間</strong>、<strong>息をする時間間隔</strong>、<strong>心臓が打つ間隔</strong>、<strong>腸が一回活動する時間</strong>、<strong>血が体内を一巡する時間</strong>などです。<br />
体重が大きければこの一回が長く、体重が小さければその回転は素早い。という訳です。</p>

<p>さぁ、問題は、ここです。<u>話す前に先に答えを知りたいと思います。</u><br />
動物の大きさが異なると機敏さや寿命が違ってきます。<br />
行動範囲や生息密度も実は動物の大きさ関係が深いといいます。<br />
でも、<u>一生に打つ心臓の総数や体重当たりの総エネルギー使用量</u>は、大きさによらず同じなのです。<br />
これを言い換えると、<br />
それぞれの生き物は、一生と云う時間のなかで夫々「<strong>時間の流れる速さが異なる</strong>」と云うことになります。<br />
回答までの導きを聞くと自然に納得できますが、各々の事象は驚くことばかりです。<br />
</p>]]></description>
<dc:subject>フロンティア</dc:subject>
<dc:creator>Harumi Watanabe</dc:creator>
<dc:date>2010-06-19T11:06:36+09:00</dc:date>
</item>

<item rdf:about="http://www.brainsellers.com/cuttysark/2010/06/post_57.html">
<title>負けざる者たち</title>
<link>http://www.brainsellers.com/cuttysark/2010/06/post_57.html</link>
<description><![CDATA[<p>天然石で最も高硬度のダイヤモンドは、その硬さゆえに原石同士で磨かれるといいます。<br />
そして、研磨され輝きさを増した8面体は人々を魅了して止まない。特に女性に。</p>

<p>人もまた、人間同士の関わり合いを通じて切磋琢磨されるものです。<br />
「切磋琢磨」は詩経に出でくる故事です。<br />
角や象牙を刀で切り出し、やすりで研ぐことを"切磋"といい、また玉や石を槌で打ち、砂や石で磨きをかけることを"琢磨"と云うそうです。詩経に綴られたこの意味は、学ぶだけでは表面的であり、徳をおさめるために、努力に努力を重ねるとあります。</p>

<p>先日１０年来の知人と食事後の二次会々場へ向かう途中の出来事です。タクシーは、丁度新宿の職安通りをノロノロと走っていましたが、僕を肘で突っつきながらニッコリと笑いながら指を指します。<br />
彼の白く長い人差し指の先に巨大なスクリーンがありました。<br />
「あぁ、あれかと」とボクが頷きました。少し前の話題がワールド・カップでした。職安通りにある「大使館」という焼肉屋さんがありますが、そこの駐車場入口に巨大なスクリーンを設置し、集まってくる韓国人観客に対してＷ杯の実況放送すると云うのです。設置は２００２年のＷ杯からだそうです。いまや名物になっているとか。<br />
彼の説明によると、<br />
ここ職安通りと新大久保は韓国人の人口密度が極端に多い衣・食・住の街だそうです。そう云えばハングル語の看板が数多く見受けられます。<br />
すでに先週から始まったW杯南アフリカ大会（2010 World Cup）で韓国とギリシャ戦が先週土曜日の夕刻に行われています。結果は２：０で韓国の圧勝に終わっていますが、この巨大スクリーンの前では集まった韓国人群集の狂乱さが十分想像できるスクリーンの大きさです。</p>

<p>深夜の渋滞のタクシーの中で彼の話をぼんやりと聞きながら、ボクは全く別なことに想い耽っていました。それは数ヶ月前に見た映画で、その時に感じた記憶が再び蘇って、ひとり感動の渦にいたわけです。一生懸命説明している知人は少々滑稽でしたが、それでも彷徨っていた時間は5分とは経過していなかったと思います。</p>

<p>それは実話の映画化でした。<br />
俳優は最も好きなモーガン・フリーマンとマット・デイモンの競演で、監督はクリント・イーストウッドという豪華さです。オスカーを四つも取ったクリント・イーストウッドが、監督第30作にこの『<strong>インビクタス/負けざる者たち</strong>』という映画を選んだそうですが、後日このキャッチコピーは制作会社の作りだしたものだと言うことが、イーストウッドのインタビューで分かりました。天才職人イーストウッドは、自分が何作作っているかなどと、あまり気にしていない事が分かったからです。<br />
この映画はサッカーでなく「<strong>ラグビーのワールドカップ</strong>」の物語です。</p>

<p>主人公はモーガン・フリーマン扮する<strong>ネルソン・マンデラ大統領</strong>とマット・デイモン扮するラグビー・ナショナルチームのキャプテンである<strong>フランソワ・ピナール</strong>の二人です。<br />
南アフリカにとって、「ラグビーやサッカーは単なる娯楽的なスポーツに留まらない!」<br />
それを証明してくれたのがこの映画でした。<br />
この映画の社会背景は、1994年に南アフリカ共和国で初の黒人大統領となったネルソン・マンデラの登場から始まります。マンデラは、白人支配によって約三世紀半の長きに渡った悪習「アパルトヘイト（人種隔離制度）」による人種差別に終止符を打ち、ゆっくりとですが確実に新しい南アフリカ共和国をスタートさせます。<br />
</p>]]></description>
<dc:subject>フロンティア</dc:subject>
<dc:creator>Harumi Watanabe</dc:creator>
<dc:date>2010-06-15T00:01:24+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://www.brainsellers.com/cuttysark/2010/06/post_84.html">
<title>風を読む</title>
<link>http://www.brainsellers.com/cuttysark/2010/06/post_84.html</link>
<description><![CDATA[<p>鳩山さんから管さんに首相交代のリレーがされたのはつい先週のことです。<br />
首相が変わることで政治や組織や行政も大きく変化するのは当然のことですが、メディアには「<strong>風が変わる</strong>」や「<strong>風向きが変わった</strong>」のキャッチコピーが騒がしい今日この頃です。</p>

<p>あるブログに『<a href="http://specialnotes.blog77.fc2.com/blog-entry-3522.html"><strong>メディア「首相交代効果」考</strong></a>』という興味深いテーマがあります。メディアに対して手厳しい論客といえます。掲載内容は、"メディアが取り扱う世論調査は「メディアとしての使命の放棄」と伺える調査時期の不自然さや一部の政党への偏頗がある"と指摘しています。かなり手厳しいですが、読むとなるほどと納得のいく理論展開でもあります。</p>

<p>「<strong>風を読む</strong>」は示唆にとんだ言葉として広く認識されていますが、他に「<strong>船出</strong>」や進路を読み取る「<strong>コンパス</strong>」も政治や経済だけでなく、企業経営者が自社の進路や経営の視点を例える時によく使われます。</p>

<p>帆船が最も輝いた時代を「<strong>大航海時代</strong>」と歴史を感じさせる表現を使いますが、この時代の生い立ちを表す三つのキーワードがあります。</p>

<p>最初のキーワードは、「<strong>黄金と胡椒</strong>」です。とても魅力的な言葉として記憶に鮮明です。黄金＝マルコ・ポーロ＝フビライを連想し、胡椒はオランダ東インド会社=ヨーロッパ人の食生活です。大航海時代は一般に十五世紀から十七世紀を指しますが、実はその胎動は十三世紀ごろから始まったとされています。ご存知のマルコ・ポーロの「<strong>東方見聞録</strong>」の一説にこんな表現の口語体があります。<br />
「<strong>ジパング</strong>は東海の島で、大陸から千五百海里にある。」といい、<br />
「黄金が非常に多く無尽蔵であるが、王がその輸出を許さないため訪れる商人はわずかしかいない。」そして、わが王であるフビライの日ごろの言動は、<br />
「この島はわが国に風聞するほど富が大きく、この島を征服し領土としたい。」と記しています。<br />
当時、この見聞録を読めば、フビライでなくても誰もが東方への関心が高まったであろうことは、容易に想像できます。<br />
また、フビライの関心事は黄金でしたが、西ヨーロッパ人においては、彼らの食生活に必須の胡椒や肉桂（生薬、ニッキ）を大量に安価に手に入れることを望んでいました。香辛料によってヨーロッパ人の食生活は一変します。それもアラビアの仲介商人を通さず原産地の東インドから直接手に入れるルートを長く切望し、実際に模索もしていました。</p>

<p>歴史上、最も大胆な条約として知られてるトルデシリャス条約を締結したジョアン二世は締結後まもなく壮大な計画の前に死去しますが、彼の甥のマヌエル王が即位すると、第一次インド遠征を実施します。<br />
この司令官がかの有名な「<strong>ヴァスコダ・ダ・ガマ</strong>」です。1498年7月8日のことでした。リスボアを出港して翌年の5月22日にキャラコの語源になった<strong>カリカット</strong>に到着しています。ガマは当時のカリカット王国と直接の通商条約を提案しますが、理由は不明ですが決裂します。そして、1499年9月に帰国を果たしますが、彼はきっちりと貿易現状調査報告書と一緒に香料等の価格表を綿密に調べ上げ、これを王に提出しています。その結果、丁字（グローブ）等の西欧価格は現地輸出価格の約９倍程度あることが分かりました。<br />
残念なことに、その後最も重要なキーワードとなる「<strong>マルク諸島</strong>またはモロッカ諸島（別名香料諸島）」は入っていませんでした。そこまで調査の期間や実行力（資金、情報網など）がなかったかも知れません。<br />
輸入価格が現地価格の９倍の手数料が掛かる「胡椒の直接購入」はヨーロッパの商人の間では、羨望の的であったろうと想像できます。ここに西欧からインドへの<strong>「東方航路</strong>」が確立しました。<br />
故に「黄金と胡椒」はその必要性から人の目を東に東に向けたことになります。</p>

<p>話を少し寄り道すると、<br />
ジョアン二世の壮大な計画は「<strong>コロンブス・シッョク</strong>」が作用していると云われています。クリストファー・コロンブスは西回りで「<u>ジパングかカタイの近く</u>」に到達したことを帰航の途中でリスボアへ寄港したことで知ります。王のシッョクは相当なものでしょう。また、1488年にはエンリケ航海王子の意思を継いだバルトロメオ・ディアスが喜望峰を廻り、インド洋を目の前にして引き返した（実は船員の暴動によって）ばかりのときでもありました。ジョアン二世の焦りはよく理解できます。</p>

<p>さらにもうひとつ蛇足を。<br />
ガマによって確立した東方航路により小国ポルトガルは香料、金、象牙などの貿易を独占し、首都リスボアの繁栄を作り出します。それまで繁栄していたジェノバやヴェネチアの衰退と対照的になります。</p>]]></description>
<dc:subject>トレンド</dc:subject>
<dc:creator>Harumi Watanabe</dc:creator>
<dc:date>2010-06-13T13:05:05+09:00</dc:date>
</item>

<item rdf:about="http://www.brainsellers.com/cuttysark/2010/06/post_59.html">
<title>ジャンプする種</title>
<link>http://www.brainsellers.com/cuttysark/2010/06/post_59.html</link>
<description><![CDATA[<p>新しいソフトウェア構想を議論することは、楽しい反面アウトプットの成果の可否に不安が残るものです。<br />
テーマを絞るとおのずとシュリンクしてしまうし、拡大すると収拾不能に陥ることが想定できます。<br />
手馴れたセッションリーダーの存在の願望はありますが、ぐっと堪えて育成することを選択することによって結局は長期的にみて大きな成果が期待できるでしょう。<br />
生みの苦しみは当分続きますが、大勢でセッションすることは、距離感が徐々に溶解していくようで気持ちも抑揚します。そして、その時点で当初の目標よりは比較的容易にブレストの効果を感じることが出来ます。<br />
ですが、<br />
限られた時間の中で経営の根幹に影響を与える議論は、着地が手の届く範囲とは限らないところに底無しの落し穴があります。<br />
しかし、その不透明さが大企業の安定的な連続性でなく、ベンチャー企業独特の非連続な社会を作り出していくのでしょう。</p>

<p>英国に著名で代表的な文献学者がいます。19世紀後半から20世紀にかけて「英語語源辞典」等、多くの大著を残しました。<br />
彼の名は、「<strong>ウォルター・W・スキート</strong>」です。彼の偉業は独力で英国最初の、しかも今もって最大の語源辞典を完成させたことで不滅の栄誉に輝いています。その意味では数少ない古くて新しい文献学者かも知れません。<br />
スキートは独特の「<strong>時間軸</strong>」と「<strong>持続力</strong>」を持ち合わせた人でした。<br />
彼の仕事のやり方は、どんなに難しい語源の単語にも、三時間以上の調査をすることはなかったそうです。三時間調べてもわからないときは、彼は「不詳」として先に進みました。このことが偉業を成し遂げたひとつの要因として知られています。これはなかなかできません。文献者であればあるほど、でき難い決断であると感じます。</p>

<p>では、経営はどうでしょう。<br />
毎日多くの問題が発生し、且つ現在抱えている障害と合わせると日々その量は増え続けている訳です。<br />
すぐに処理する障害や捨て去ってしまうテーマやしばらく意図的に忘れるものまで多くの処理を都度判断しなければなりません。<br />
しかし、考えてみるとどんな人間にも1日は24時間です。膨大な量の仕事を前提とする場合、時間の使い方は重要なファクターとなることは明らかです。</p>

<p>数多くの大著の秘訣を問うとスキートは、こんなふうに云ったそうです。</p>

<p>「その答えは簡単に言って、私が余暇のほとんど全てをその仕事に捧げたからです。<br />
　毎日、同じテーマについて何時間も着実に仕事をし、<br />
　しかも一年中、ほとんど毎日それを繰り返すならば、<br />
　いかに多くの仕事をなしうるかは、<br />
　本当に驚くべきものがあります。」と。きっと彼の根本はここなんでしょうね。</p>]]></description>
<dc:subject>起業家</dc:subject>
<dc:creator>Harumi Watanabe</dc:creator>
<dc:date>2010-06-06T12:08:50+09:00</dc:date>
</item>

<item rdf:about="http://www.brainsellers.com/cuttysark/2009/11/post_385.html">
<title>仕事の鬼</title>
<link>http://www.brainsellers.com/cuttysark/2009/11/post_385.html</link>
<description><![CDATA[<p>トーマス・アルヴァ・エジソンは、「<strong>世界の発明王</strong>」として生涯におよそ1,300もの発明を行い、取得した特許は1,093個で、これは個人としては前人未到の記録だそうです。<br />
その一方で、メモ魔としても非常に著名ですが、13歳から亡くなる84歳までの間に、なんと60万枚を超える(誰が数えたのでしょうか)実験メモや日記を書き続けたそうです。驚異的な継続力と言えます。そのメモの内容は、後世の私たちが現状を乗り越え、未来を創出していくうえでヒントになる「<strong>エジソン名言集</strong>」として世に広く知られています。</p>

<p>ですが、そんなエジソンも小学校を三ヶ月で退学せざる得なかったようです。変わった子だったのでしょうか。退学後は、独学で科学を学んだようです。<br />
しかし、どのような天才もたった一人で自分の能力を開花させることはできません。<br />
先生が必要です。もちろんエジソンにもです。<br />
彼の先生は科学者「マイケル・ファラデー」です。ご存知ですか、この人を。<br />
ファラデーの功績は、例えば「電磁誘導の法則」を唱えた人です。<br />
しかし、エジソンはファラデーの直接の弟子になった訳ではありません。ひそかに師として尊敬し、彼の著書から学び取るという所謂「私淑(ししゅく)する」形をとったようです。この辺も人とは違いますね。<br />
一般的には、著名か無名かは別にして、師と仰ぐ先生の弟子になるのが普通と思われますが、天才エジソンはそうしなかったようです。いったい、読書によって「師」を持つくらいに、能力開発ができるものなのでしょうか?<br />
言い換えれば、沢山の読書をすれば、所謂天才と言われる人たちに近づけられることになりますよね。<br />
彼の天才と言われる根源は、あることに興味を持ち、学び続け、そして発明ないし発見を死ぬまでし続ける驚異的な持続力であると思われます。さらに彼は「<strong>運を信じない</strong>」ルールを実践した人でもありました。<br />
すると、エジソンの基本的なものの考え方や行動は、彼が師と仰ぐファラデーの書き残した書籍によって得たことになります。</p>

<p><u>人の生涯は、物事を学び続ける果てしない旅であるといえます。</u><br />
私たちは、母親の胎内にいるときから学び初め、死の床にあっても何かを学びつつ最期を迎えるまでの間、膨大な時間を「<strong>学ぶ事</strong>」に費やしているといえます。</p>

<p>人の生涯で最も学習能力が高く、かつ奇跡のような力を発揮するのが幼年期であることは、だれてもが知っている事ですね。<br />
赤ちゃんは決して本能で言葉をしゃべるのではなく、「<u>きっちりと学習して覚える</u>」のであり、なので、言い換えれば、置かれた環境次第で何語でも操る事が出来ます。<br />
この学習するということは、生涯を通じて人間の本能であるようです。<br />
また、生涯学び続けなければならないと云う事は、いってみれば、「人には完成や完了」というものがなく、常に「未熟」であることの証なのだと思われなりません。<br />
なので、人は生まれてから死ぬまで、常に未熟な状態にとどまり、しかし、休みなく学び続け、それが死を迎えるまで続くというわけです。それは本能であるけれど、結局は人間そのものは、学ぶ事の楽しさを知っているともいえませんか?<br />
その観点から、<br />
きっとエジソンはものを学ぶ楽しさをもっともよく知っているひとりであったと思われます。<br />
エジソンの名言集から、<br />
「私が業績を上げたのは、私に備わる才覚と人は言うけれど、人間が死に物狂いで頑張り通せば、誰でも私と同じ業績を残せます。」<br />
要は、驚異的ともいえる強い持続力を保てるかということになりますね。</p>]]></description>
<dc:subject>フロンティア</dc:subject>
<dc:creator>Harumi Watanabe</dc:creator>
<dc:date>2009-11-13T05:34:24+09:00</dc:date>
</item>

<item rdf:about="http://www.brainsellers.com/cuttysark/2009/11/post_56.html">
<title>メイク・ア・ウィッシュの大野さんに会う</title>
<link>http://www.brainsellers.com/cuttysark/2009/11/post_56.html</link>
<description><![CDATA[<p>先日、知人の記念パーティで<br />
　　　　　　　"<a href="http://www.mawj.org/"><u><strong>メイク・ア・ウィッシュ</strong></u></a>"の大野寿子さんに会いました。</p>

<p><br />
彼女は、重い病気と闘う子供たちの夢をかなえる世界的なボランティア団体の日本の事務局長です。彼女の話を聞いてとても自分の心が静かになり、体の奥から暖かな気持ちが湧き上がってきました。そして、この団体の活動に感動しました。<br />
国内ではすでに、１５００人近くの子供たちが、その夢をかなえています。<br />
この団体によって、多くの子供たちが小さいときから思い続けた夢を「いっとき」実現しています。</p>

<p>そして、彼女はこう云いました。<br />
「最後の夢ではありません。」<br />
「夢をかなえることが、<br />
　　　　明日を、今を生きる力となるのです。」</p>

<p><br />
今年の夏までに、昨年の秋に比べると異常高騰があったといいます。<br />
何かと言うと穀物価格です。それも身近な小麦や大豆です。<br />
異常高騰の主犯は投機・投資ファンドマネーの穀物銘柄の商品市場からの引き上げが、原因と言われています。特に、小麦は瞬間的な異常高騰を除けば、10年間で過去最高値とのことです。状況は大豆に加えてお米も同様だそうです。</p>

<p>この穀物銘柄の異常高騰に対して、被害を蒙ったのは、なぜか途上国だそうです。<br />
なぜでしょう。わけが分かりません。<br />
その途上国の中でも、特に被害が甚大なハイチやバングラデッシュでは、<br />
一日一食に追い込まれ、ハイチにいたっては市民の暴動化まで発展しましたとあります。<br />
益々分かりません。</p>

<p>この途上国と穀物銘柄の異常高騰には構造的な関係があります。<br />
影響の大きい途上国は押し並べて農業国です。<br />
農業国である途上国がなぜ飢えるのか?　益々不可解な。。。</p>

<p>仕組みはこうです。<br />
途上国である農業国は、国が貧しいために、資金を世界銀行から借ります。<br />
すると決まって、世界銀行は弁済の為のいろいろな「助言」をします。この助言が裏目に出ます。この助言は、債務を返済する為に自給農業をやめて早期に換金可能な先進国向け農作物への生産のシフトというものです。<br />
途上国である農業国に弁済方法について、いい代替案は持っていないこともその理由です。<br />
換金可能な農作物は何かというと、「バナナや綿花やコーヒー」がそれです。<br />
この換金可能な農作物を生産する代わりに、先進国から主食である小麦や米を輸入するのです。もちろん、この「助言」は作為的とも取れなくもありません。<br />
結果は目に見えていますね。<br />
主食をお金で買うしかない貧しい国々は、10年来最高値の高値の小麦を買わざる得なくなり、助言が本末転倒になってきます。もちろん、高くて買えません。</p>

<p>この先進国の思惑だけで押しつけられた構造的な仕組みは、簡単には脱却できなであろうと言われています。大きな理由のひとつに、債務の重圧があります。<br />
多くの人が明日の糧を得ることにやっきになっている頃、対局の投機・投資ファンド・マネーの人たちは、天文学的な利益を得ることになります。</p>]]></description>
<dc:subject>グローバリズム</dc:subject>
<dc:creator>Harumi Watanabe</dc:creator>
<dc:date>2009-11-03T15:04:53+09:00</dc:date>
</item>

<item rdf:about="http://www.brainsellers.com/cuttysark/2009/10/post_55.html">
<title>法隆寺と林業</title>
<link>http://www.brainsellers.com/cuttysark/2009/10/post_55.html</link>
<description><![CDATA[<p>東海や関西の出張はよくありますが、決まって名古屋と大阪です。<br />
たまに、京都の出張がありますが、しかし、さすがにその先の奈良の出張はありません。そううまくいきません。しかし、仕事とは言え京都の佇まいを身近に感ずることは楽しいことです。<br />
京都も奈良（飛鳥とか）も、情緒豊かで、いずれもとても好きな都市といえます。<br />
特に奈良は。<br />
何故かと言うと、奈良には「法隆寺」があります。<br />
ご存知のように、法隆寺は世界最古の木造建築です。<br />
以前、中国の友人を奈良に誘ったことがあります。スバ抜けて優秀なＩＴの技術者ですが、とても寡黙で落ち着いた雰囲気を持っている若者で、その彼と法隆寺を散策しました。<br />
そして、回廊の中に入り、立ち並ぶ柱に直接手を触れさせ、これが１,３００年前の木だと教えると、途端に驚きの表情に変わります。<br />
彼の驚きは、１,３００年前の建築物という点ではありませんでした。<br />
それもその筈です。中国四千年の歴史の中では、１,３００年はさぼと古いものでなく、もっと古い建築物があることを当然のように自負しています。<br />
が、彼が今まさに触れている柱の表面には、干割れやささくれがなく、柔らかな感触を伝え、とても１,３００年間の風雪に耐えたとは全く感じさせない状態であることに驚いたのです。</p>

<p>法隆寺の「あの柱」に触れた方は、同様に感じたと思いますが、回廊のたくさんの柱からは、柔らかな温もりを感じ、また、そのような木が長い間、構造材として重い建物を支えていることに不思議さも同時に感じます。<br />
木材は、一般的に時代とともに、その表情を刻々と変化させます。主な原因は乾燥と捩れによる歪みです。仮に乾燥による割れやねじれが生じなくても、必ずといっていいほど表面は風蝕によって少しずつ痩せていくと云われています。<br />
特に風蝕によって、柔らかな部分から減って、木目が徐々に浮き彫りになり、やがてそれも痩せて「とても硬い節」だけが高く残ることになります。</p>

<p>文献では、風蝕は"百年に一分"が失われると定説がある様です。特に、軒下等で風雨を受けやすいところでは、百年で三㍉程度ずつ痩せるそうです。風蝕とはすごいものですね。なので、古い鑑定方法には、その痩せ方で、建物の年代を判断する方法もあるそうですよ。</p>

<p>そして、日本は古代より木造建築の顕著な国でもあり、そして森林国家でした。<br />
その森林国家である日本が、現在最も可能性のある森林経営の時期を迎えているそうです。<br />
ですが、昨今、その森林資源が危機に瀕していると警鐘がなされています。<br />
過去の経緯から想像すると、林業は第一次産業の中でも最も不活発な産業に衰退してしまったかも知れません。<br />
その理由は、<br />
この産業の主な活動は治山治水の施策と山間部の雇用対策という名目で補助金を確保し、公共事業として長い間放置されてきた事が大きな要因と云われています。特に、戦後の復興特需期に、大げさに言えば日本中の森林を伐採し、その貴重な資源をほとんど伐り尽くした時期がありました。その証拠に、現在の森林の八割が林齢五十年以下と、長期政策せずして伐採した事実を極端に物語っているといわれています。<br />
別な言い方をすれば、その後の長い期間、お金と人的労力を負担し続けた時代があったということです。<br />
そして、日本の森林は忍耐の期間を終えて、いよいよ収穫期という分岐点を迎えているそうですが、このタイミングを逃さず効果的な施策を実施しないと冒頭の危機がやってくると云う訳です。</p>

<p>人工林というのは、木が生えてから五十年くらいまでに手を入れないと再生が難しくなるそうです。日本の人工林は、総森林面積の４０％もあるそうです。逆に言えば、適切な間伐を行うとその後の森林整備コストが大幅に減少し、徐々に採算性が向上して、「林業」としてのビジネスが成り立つということになりますね。<br />
間伐という行為で私が以外に思ったのは、森林を健全に保つには成長量の70-80%前後を安定的に伐採しなければならないということです。<br />
全国規模でいえば、間伐材は相当量になるということになります。</p>

<p>私どものコア・ビジネスで、オンデマンド印刷を主軸としたＳａａＳビジネスをしていますが、最終的には紙への印刷を行います。実は、この間伐材を使用した原紙を使用することで、環境保護と資源の有効活用の両面で、ここ最近推進が活発になっています。このことは、当社からの申し出でお客様に採用を頂きますが、逆にお客様自らの発案によって、間伐材用紙をお使いになることがあります。間伐材等も含めて森林保護と環境保全を目的として有効利用とする世界的な仕組である"ＦＳＣ"（参考Ⅰ）があります。<br />
私たちの取り組みも、この方針に則って、環境保護に賛同していきたいと思っています。</p>

<p></p>

<p><br />
</p>]]></description>
<dc:subject>グローバリズム</dc:subject>
<dc:creator>Harumi Watanabe</dc:creator>
<dc:date>2009-10-25T05:13:23+09:00</dc:date>
</item>

<item rdf:about="http://www.brainsellers.com/cuttysark/2009/10/post_29.html">
<title>しのふ</title>
<link>http://www.brainsellers.com/cuttysark/2009/10/post_29.html</link>
<description><![CDATA[<p>私のとても若い知人の女性から、ある問いかけをされて戸惑ったことがあります。<br />
その問いかけとは、<br />
「私は、彼からのプロポーズを望んでいますが、どうしたら彼は私にプロポーズを言ってくれるのでしょうか？　教えてください。」<br />
「う～ん」と、しばし絶句。誰でもこの難問に答えるすべはありません。</p>

<p>そういえば、<br />
NHKの大河ドラマで直江兼続の波乱万丈の生涯をドラマ化して放送していますが、少し前の放送で、兼継と千利休の茶室での問答がありましたね。利休の時代では、特別な場合を除き「茶の湯」はまず男のものでした。<br />
戦国時代は数十年戦（いくさ）に明け暮れていたせいで、平均寿命は１８歳と言われています。ですから、戦で命を落とすことは日常茶飯事ということになりますね。なので、あの時代に、「人生５０年」は、命を全うした寿命と言う訳です。<br />
だからこそ、その覚悟を「日常とする生活」の中での"茶の湯"というひとつの儀式の中で「一期一会」という感覚が自然と身についたのではと思います。多くの武士（もののふ）が命を落とすことが日常的な中で、過酷な戦国の世を生き抜いてきた武士のみが茶会での一期一会の重さを知っていたともいえます。<br />
現代の私たちはどうでしょう。<br />
私たちは一期一会の意味や理由をよく理解していますが、その実感はありません。いまの世の中で、日常的に命を落とすことが稀だからです。もちろん不治の病気や交通事故や偶然の犯罪事件に遭遇する不慮の事故も無くはありませんが、それとて稀といわざる得ません。</p>

<p>兼継は兜に「愛」をという文字を象った敬愛の精神をシンボルマークにしていますね。この時代には稀有な概念というべきかもしれません。茶室で問答した「利休」も同様に無言の表現を行ずる稀有な存在といえます。<br />
この二人が同時代に生きたこと自体が稀有な事かも知れません。</p>

<p>さて、冒頭の若い女性の「恋愛」の悩みに戻りますが、<br />
私たちの先祖が「愛」を表現するのは、ずっと後年の事と言われています。<br />
万葉の時代を生きた私たちの先祖は、思慕することを「し・の・ふ」という言葉で表現しています。「愛」とはまだまだ距離がある表現だと感じませんか？<br />
この「しのふ」はどうも故郷を思慕または賛美するときに使われていたようです。後年の私たちが使う「愛」の原型であろうという見方が強いですが、まだしっくりこないです。<br />
また、面白いことに「し・の・ぶ」という言葉を耐える事の意として使われています。「しのふ」と「しのぶ」は清濁の違いで意味も異なりますが、しかし同類の言葉として存在しています。日本語の語彙の情緒さと、外国人が戸惑う表現の複雑さです。<br />
古代の人は、思慕することと、忍耐することを同類でありながら区別する感性を持ち合わせていたことに驚きを感じます。<br />
そして、その語彙を深く読んでいくと、<br />
「思慕」とは、じっと思慕することと、もうひとつ、思慕の重みに堪えることと表裏一体の関係であることを想像できます。そして、もう一歩深く突っ込んで「重い抑圧のない思慕」などは、所詮は存在しない思慕というこになります。<br />
この思慕ですが、その重みの中からな自身の心の内を相手に放ってゆける思慕と、重みの中に打ちしがれて沈み行く思慕の二つの展開になると思います。<br />
なので、思慕を寄せる事は、賛美することと言い換えても良いのかも知れません。その方が自然ですね。<br />
「賛美する行為」とは、いかに抑制された「思慕が存在する」ものであるかを一層明確に示しているというわけです。<br />
そこで、兼継の「愛」の兜ですが、ご存知のように「愛」は、漢字として中国から輸入され言葉ですから、元来私たちの先祖である古代人たちが、本来持っていたものでないことは想像できます。<br />
ですから、現代の愛のルーツを探すとしたらやはり私たちの本来の言葉である"やまとことば"からということになるのでしょうか。</p>]]></description>
<dc:subject>リズムと命</dc:subject>
<dc:creator>Harumi Watanabe</dc:creator>
<dc:date>2009-10-18T20:51:27+09:00</dc:date>
</item>

<item rdf:about="http://www.brainsellers.com/cuttysark/2009/10/post_39.html">
<title>秋の星たちとオバマ大統領</title>
<link>http://www.brainsellers.com/cuttysark/2009/10/post_39.html</link>
<description><![CDATA[<p>毎週散策に出かける自由が丘で三十年以上続いている"<strong>女神まつり</strong>"がこの三連休に開催されます。<br />
１０月は"<strong>秋祭</strong>（あきまつり）"のシーズンです。<br />
ちなみに近所の三軒茶屋の"<strong>三茶ｄｅ大道芸</strong>"は来週の週末です。<br />
そういえば、親しい知人が今週末"<strong>横浜ジャズ・フェステバル</strong>"も開催していると教えてくれました。<br />
"秋祭"は収穫を神様に感謝することと五穀豊穣の祈願から古来より行われているものですが、「能」の起源もここにあるといわれています。稲作を守護する神様は、春に田に迎えいれて、収穫が終わった秋に再び山へ送りるという意味合いがあるそうです。そして、能はその発祥のころ「猿楽（さるがく）」あるいは「猿楽の能」と呼ばれていました。<br />
日本語には美しい季節を表現する言葉が多いですが、"秋祭"の他によく使われる「秋」に因んだ言葉として"<strong>秋晴れ</strong>"、"<strong>寒露</strong>（かんろ）"、"<strong>秋渇き</strong>"や"<strong>霜降</strong>（そうこう）"などがありますね。<br />
古来、日本人の情緒には洗練された感性を感じますが、特に"<u><strong>行く秋</strong></u>"や"<u><strong>紅葉</strong></u>"は語彙の品格もさることながら、その情景を実感として感じるほど言葉に力があると思います。<br />
とは言え、秋は気候的には過ごし易い季節にも関わらず人恋しくなるのはなぜでしょうか？</p>

<p>"人恋しさ"は、秋の星座をみても同じように感じます。<br />
とてもにぎやかな夏の星座や豪華な冬の星座に比べ秋の星座はスター的存在の星も少なく、数ヶ月間はとても寂しい夜空が続き人恋しさを促進させるようです。</p>

<p>昔々、<br />
ペルシャ湾にそそぐチグリス川とユーフラテス川の狭隘部にあったバビロニアに住む"カルデア人"たちは、世界観や人生観の方針を決めるために星の動きで運命を占うことができると信じていました。五千年前の出来事です。<br />
彼らは現代のように光の技術を持っていませんでしたから、晴れた日の夜は漆黒の夜空に満天の星を仰ぎ見ることができました。<br />
彼らは夜空を仰いで何を感じたのでしょうか？</p>

<p>「夜空を見上げるとそこには美しく輝く星たちが存在し、心をひかれ、想像は果てしなく続き、そして物語りや星たちを称える歌を作る。」<br />
そして、<br />
「神々はきっとひとつひとつの星に存在し、それぞれの役割を持ち、この世界を作り上げた。」<br />
などと想像してしまいます。<br />
五千年前のカルデア人の人生観や世界観はあまりに遠くて想像の域を超えていますが、彼らが名づけた星の名前から彼らの"想い"や"願い"を感ずることができそうです。<br />
その想いとは、<br />
特に明るく星たちや印象的な星たちを繋いで、"羊や牛や蟹やサソリ"など自分たちの身近な動物や生活用品のシルエットを夜空に描きました。彼らのその行為は生活や人生そのものであったかも知れませんが、現代のぼくらは、その事自体がとても新鮮で情感溢れてると感じます。<br />
そして、数世紀後、ギリシャ人たちは"ヘラクレス"や"アンドロメダ"など、神話の英雄や美女や怪獣たちをやはり夜空に配置し、より洗練された物語に発展させ、より複雑にしました。</p>

<p>夏の星たちの中でも存在感のある"さそり座"が西へ回り込んでしまうと、秋の代表的な星である"<strong>ペガサス座</strong>"の四角形が現れます。二等星がひとつと三等星がみっつの東西方向にやや長いめの大きな四角形ですから、誰でも発見することができます。この四角形の左（東）の一辺は、実は<strong>春分点</strong>と<strong>北極星</strong>を結ぶとてもドラマチックな線となっています。見方は、この一辺を当分だけ南に下がると春分点となり、春分（三月２１日ごろです）のときに太陽がくる方向ということになりますね。<br />
そして、その一辺を北へ四倍伸ばすと北極星がキラキラと輝いています。<br />
この星は、王子ベレロポンの乗馬になって怪獣キマイラを退治する美しい翼をもった<strong>天馬ペガサス</strong>に生まれ変わる雄大なギリシャ神話に登場します。</p>

<p>カルデア人もギリシャ人も現代の我々も、何千年も変わること無い星たちを見上げていますが、文明の発達と人間の本来持っている本能を徐々に失いつつある私たちは、悲しいことですが夜空を見ても美しく輝く星たちを確認し、「おひつじ」や「てんびん」や「かに」を繋ぐことができません。そして、いつの間にかギリシャ人たちやローマ人たちが作り上げた美しく情緒溢れる物語もいつしか"本の世界"だけになる事でしょう。</p>]]></description>
<dc:subject>リズムと命</dc:subject>
<dc:creator>Harumi Watanabe</dc:creator>
<dc:date>2009-10-11T07:36:44+09:00</dc:date>
</item>

<item rdf:about="http://www.brainsellers.com/cuttysark/2009/08/post_38.html">
<title>新しいシルクロード</title>
<link>http://www.brainsellers.com/cuttysark/2009/08/post_38.html</link>
<description><![CDATA[<p>　　　子供たちが空に向かい　両手をひろげ<br />
　　　鳥や雲や夢までも　つかもうとしている<br />
　　　その姿は　きのうまでの　何もしらない私<br />
　　　あなたに　この指が届くと信じていた<br />
　　　空と大地が　ふれあう彼方　あなたにとって私　<br />
　　　ただの通りすがり　ちっと振り向いてみただけの　異邦人</p>

<p>この美しい詩は「異邦人」という曲で久保田早紀が1979年に作詞・作曲し、そして自ら歌い大ヒットしましたポピュラーソングです。そして、今までに何度もカバーされた名曲といえます。</p>

<p>徳永英明というハスキーで、高域音がキレイな歌手が、過去に大ヒットした女性ボーカルの曲だけを収録した三枚のCDシリーズがあります。彼自身の自曲の歌も美しい旋律ですが、彼の選んだ女性ボーカルの曲も劣らず絶妙です。特にあの歌声は女性に大人気ですが、このCDの中で彼が歌う数曲にとても魅力を感じます。そして、異邦人はこの中にもカバーされています。<br />
私は、カラオケというものを10年ほど前に体験しましたが、それ以前は、人前で歌を披露する度胸を持ちあわせていませんでした。それは、ひとつの拘（こだわ）りといえるかも知れません。<br />
それが、起業をきっかけに、人の付き合いの中でどうしても避けられないと納得した時点で、この拘りを捨てました。以来、カラオケを少なくとも以前よりは楽しく振舞えるようになりました。</p>

<p>たくさんの歌手がカバーする異邦人ですが、私は特に徳永英明の歌声が好きです。たまに誘われてカラオケしますが、映像が決まってイスタンブールなんです。異邦人とは字のごとく外国に定住または長期滞在する外国人を意味しますが、少し前まではコンスタンティノーブルと名づけられていたイスタンブールとの関連性は全く無い様に思えますが、不思議と映像とメロディーが素晴らしくマッチングします。</p>

<p>コンスタンティノーブルはシルクロードの臍（ヘソ）にあたる最も重要な結節ポイントです。<br />
この西に、この道の到着点であるローマがあります。そして東に、出発点の長安（現在の西安・兵馬俑で有名な）があります。中国、モンゴルと中央アジアの地獄のような砂漠を横断する、長い長い乾いた道をローマから長安を結ぶ長距離交易路が、絹の道といわれる「シルクロード」であることは誰ひとり知らぬものはないほど、ひとつの言葉として認識されています。この路はまさに、世界史の背骨というべき道です。<br />
中国製の「シルク」をローマまで運ぶ道であったために、ドイツの地理学者「リヒトホーフェン」が"絹の道"と命名しましたが、もちろんシルクだけでなくあらゆる商品が行き来しました。しかし、これほど名前と現実の世界が大きくかけ離れた印象をもつ言葉はないと思います。</p>

<p>イスタンブールはトルコの首都ですが、西に隣接するブルガリアやその北にあるルーマニアは黒海に面したバルカン諸国です。この地は、古代から様々な民族が入り込む一方、東ローマ帝国やオスマン帝国に長く支配されました。私の仲の良い知人にルーマニア人がいます。ルーマニアは陽気な社会主義国家と言えます。ブルガリアやユーゴスラビアはスラブ民族系と言う感じを強く受けますが、ルーマニアはラテン民族の血を強く引いていると言われています。その意味では知人は底抜けに明るい人です。どう見てもラテンとしか言いようのない気質を感じます。彼女は自国のルーマニア語とスペイン語とイタリア語を自在に操り、日本語も漢字以外はほぼ使いこなします。<br />
ルーマニアを持ち出したのは意味があります。<br />
バルカン地方は、九世紀から十世紀にかけてビザンチン僧侶が熱心に、布教をした地域でもあります。その為に正教協会が、農村の隅々まで建てられていると言われいます。この教会こそビザンチン芸術であり、ビザンチン文化です。<br />
この地方のどこに行ってもビザンチン様式の修道院や宗教絵画をお目にかかることができるそうです。</p>]]></description>
<dc:subject>フロンティア</dc:subject>
<dc:creator>Harumi Watanabe</dc:creator>
<dc:date>2009-08-23T15:30:26+09:00</dc:date>
</item>

<item rdf:about="http://www.brainsellers.com/cuttysark/2009/08/post_31.html">
<title>連想と日本人の恥</title>
<link>http://www.brainsellers.com/cuttysark/2009/08/post_31.html</link>
<description><![CDATA[<p>夏の開放的な空の色や強い日差しや木陰を通り抜けた新鮮な風に出会うと、子供のころの出来事を思いだすことがあります。それも中学生や高校生でなく決まって小学生のころの事です。<br />
例えば、今日の様な休日の朝をゆったりと迎えたりすると、より感じます。強い日差しを早朝から感じ、テラスの前にある桑の木の葉が、風で強くゆれるだびにリビングの中まで差し込んだ光の影がゆらゆらと揺れて、連想を促進するようです。<br />
連想とは、ひとつ手がかりがあると、それが引き金になって止めどなく広がる様です。</p>

<p>自宅の小さなポーチに、ピンクのツツジが未だに咲いています。<br />
ツツジの季節は春先が、とても鮮やかな色を見せてくれますが、いくつかの鉢植えのツツジは、手入れの甲斐あってか、未だに数輪の花を保っています。<br />
先日のよく晴れた午前中に、そのツヅシの花に「<strong>カラスアゲハ</strong>」がその大きな羽をゆっくりと羽ばたきながら吸蜜作業をしています。おぉぉぉと、思わずカメラを取りに自室にもどり、調整をしてファインダーを覗いたころには、ゆっくり羽ばたいて次の好みの場所に移動していきました。とても残念な思いをしました。<br />
「カラスアゲハ」自体はそう珍しいものではありませんが、美しく咲いたツツジのピンクとカラスアゲハの燐粉で輝く漆黒の大きな翅（はね）のコントラストは、とってもファンタジックなんです。彼女は開長すれば10ｃｍは有にある大型の蝶なんです。<br />
私は、海も山もある田舎で育ったので、たくさんの野生の昆虫類や魚介類と一緒に育ち、遊んだので、今思うととてもエキサイティングで幸せな環境にあったと改めて感じています。</p>

<p>子供のころは「国蝶」である「<strong>オオムラサキ</strong>」も意識せず、何度となく見ましたし、ツツジにとまった「カラスアゲハ」は普通の蝶としての認識が強く、珍しい昆虫の部類ではありませんでした。このシーズンの小学校低学年から高学年の男の子の興味はやはり「<strong>カブトムシ</strong>」や「<strong>大クワガタ</strong>」でした。それもまだ、誰も捕まえていない時期に持っていることが男の子のステータスでしたので、ふたりの兄から教わった樹液の多く出すカブトムシの秘密の樹木は誰にも教えず、一人で採りにいったものです。もちろん、クラスの女の子には見向きもされない行為ですが。<br />
初夏の早朝のまだ夜が明けきっていない午前四時ごろ、夜遊びして疲れきったカブトムシたちが、お腹をすかしておいしい蜜を吸いにくるのを待ち構えるようにして、一回に2０－3０匹捕まえることができます。入れ物は深めの金属製のバケツです。なぜかというと、金属なので滑ってあがってこないからです。バケツの中でオスが何十匹も渦巻いいるなんで、いま考えると気持ち悪いですね。もちろん、価値の無い（失礼！）メスはリリースします。</p>

<p>都会でありながら、二つの大きな公園の狭間にある自宅は、野鳥や昆虫が比較的多くやってきます。特に「<strong>シジュウカラ</strong>」は数年間かけてカップルの餌付けに成功したので、毎日数回は餌のひまわりの種を採りに来ます。シジュウカラはとても警戒心の強い小型の野鳥ですが、数年間の餌付けもあって、しばしポーチのテーブルの餌と水を飲んだりして、帰って行きます。ただし、一度に二羽が餌をとることはしません。やはりそこは野鳥です。しっかりしています。</p>

<p>さて、蝶の話に戻りますが、<br />
「<u>カラスアゲハ</u>」は黒地を基調にして、オスは<u>青緑の光沢</u>がとても強く輝いて見えます。メスは紫の麟粉（りんぷん）が角度によりますが、強く見えます。<br />
少し昆虫（蝶）を好きな人だと理解できますが、上翅（えわばね）の裏ににとっても特徴があるんです。人間もそうですが、昆虫も全部同じように見えて、実は全て単体での固体差があります。なので蝶の翅も実は型が全て違いますが、翅の裏に白く帯が浮き出てい特徴があります。色合いとして、カラスアゲハより少し見劣りする<u>クロアゲハ</u>という蝶がいます。この二種類の蝶の違いはこの白い帯です。この帯のコントラストがとても美しいですよ。</p>

<p>子供のころは、昆虫採取という夏休みのテーマがありましたが、山や野にいって手当たりしだい「蝶」や「トンボ」を捕まえたことがあります。もちろん、宿題の標本にする訳ですが、蝶に防腐剤等いろいろいな薬品類を注射し、標本箱に羅列しました。いま思うと、とっても残酷なことをしていると慙愧に耐えません。今では、まったく逆のことをしています。たとえば、自宅の観葉植物に遊んでいるクモをそっと捕まえて、ポーチの植木に逃がしてあげたりします。山にも海にも慣れ親しんだ小学生頃に、たぶんそれを教えてくれる大人はいなかったと記憶します。ですので、自分の行動に子供とは言えまったく躊躇しませんでした。</p>

<p>小学生のあのころから現在まで、多くの失敗や恥を積み重ねてきたいようです。強烈に覚えていること。忘却のかなたにあるもの。そのレベルはまちまちです。今振り返ると「ゾッ！」とすることもあります。さて、自覚は、どのように変化し、僕の今にあるのでしょうか？</p>]]></description>
<dc:subject>リズムと命</dc:subject>
<dc:creator>Harumi Watanabe</dc:creator>
<dc:date>2009-08-07T05:29:10+09:00</dc:date>
</item>

<item rdf:about="http://www.brainsellers.com/cuttysark/2009/08/post_386.html">
<title>右か左か、どちらか。</title>
<link>http://www.brainsellers.com/cuttysark/2009/08/post_386.html</link>
<description><![CDATA[<p>エアライン出身の知人を数名存じ上げている。<br />
先日、楽しい話題で盛り上がりました。<br />
私の利用した全ての飛行機は、空港に着陸し、完全に停止すると乗客は我先に前に詰めて一刻も早く機内から外へ出ようとします。日本人も中国人も韓国人も米国人も西欧人も、みんな同じ行動の様な気がします。それを彼に話したら、世界中同じだそうです。<br />
どの国も人も、どのエアラインのどの飛行機も、同じ現象だそうです。ビジネスもエコノミーも同じというわけです。これは、どんな心理状態なのでしょうか?<br />
しかし、どんなに急いでも出口は一箇所か、せいぜい二箇所です。二箇所の場合は、一つはビジネスクラス専用の出口となるで、エコノミーはその恩恵には預からないでしょう。<br />
今度は、彼が質問しました。<br />
実は飛行機の出口は、常に左側です。まれに両サイドから乗客を降ろす特殊な場合がありますが、一般的には左です。その理由を知りたいと。<br />
なぜ僕に聞くのといったら、なぜって、飛行機は船の制度を取り入れているから、答えを知っているでしょうっと、間髪いれず返ってきました。さすかだ。<br />
そうなんです。<br />
交通手段としての「船」は歴史が古いので、その後開発された乗り物は、ほぼ船の制度を基本に取り入れています。現代でもその制度によって、その名残が色濃く残っています。</p>

<p>船の右側を"スターボード"といい、左側を"ポート"といいます。<br />
昔、バイキングの時代に活躍した北欧船では、舵を構造上に右側（右舷側）の船尾に取り付けていました。右側は"スターボード"です。語源は、舵のある側、または舵を取る側と言う意味で「スティア+ボード」で、すなわちスターボードとなりました。なので船を岸に着ける時に、舵を壊さないために、常に左側を陸に接岸する必要があった訳です。また、左側（左舷側）はポートです。これも陸上への門または港という意味を込めて、ポートと呼ぶ様になりました。飛行機には舵に相当する尾翼がありますが、船の様な舵はありません。ても、この名残の為に飛行機の出口は左側のみとなった訳です。船は英語ではシップ（ship）ですが、パイロットの中には飛行機をシップと呼ぶ人もいるそうです。蛇足ですが、飛行船や宇宙船も同様ですね。</p>

<p>そして、ここにも右か左かを海の向こうで論じている人たちがいます。</p>

<p>昨今、自民党にとって見通しはとても暗いと思われます。<br />
社内で立ち話を聞きましたが、都議選は「民主党」に投票したという人が、多いもの納得できる現象です。民主党は、参議院選挙で地滑り的に勝利した機運を、そのまま東京都議選でも維持したようです。そして、初めて第一党の地位を獲得したことで、その勢いを感ずることができます。次は総選挙です。但し、麻生さんが口癖のように言う「選挙はやつてみなければわからない。」ですが、この先、民主党のスキャンダルが出てこないとも限りませんので、それはやって見なければわからないでしょうね。<br />
あくまで、選挙は結果です。<br />
とはいえ、すでにワシントンは次の総選挙で野党が勝利して、民主党政府が出来る事を予想した手を打っているようです。政治アナリストの見方は、民主党政権が樹立しても、オバマ政権は自信に満ちた態度で、米日同盟が確かなものであることをに、変わりないとコメントすると言われています。日本の現政権に対して、米国は日本重視の姿勢を明確に打ち出しています。ヒラリー・クリントン国務長官は、日本をアジア戦略の「コーナー・ストーン（要石）」であることを宣言し、就任後初の公式訪問国を日本としました。なので、日本が日米同盟を堅持する限り、米国の姿勢にそう大きな変化はないと言わています。</p>

<p>ただし、現在海の向こうの彼らの注目しているのは、民主党の実力の様です。その一つが移行計画です。私たちがビジネスするITの世界で、移行ほど厄介で気を使う案件はありません。そこには独特の要素があり、業務経験と移行の十分なノウハウを持った精通者をアサインしないと自ずと埋もれた地雷を、踏むことになります。<br />
この移行という作業は、どのシーンでも同様な基本要素があるように思えます。<br />
米国は大統領就任まで大規模な移行チームが、事前に十分に検討された項目をもとに十一週間かけて、新政権の政策を準備するようです。長く政権を維持した自民党は、トップの交代のみで主義・主張が変わるわけでないので、必要ありませんが、民主党は米国並みと言いませんが、わずか数日で、この試みを実施しなければなりません。閣僚人事も合わせてです。これはとんでもない量を数日でこなす訳です。ワシントンが自分の事のように心配する気持ちが理解できます。<br />
さて、鳩山政権への移行計画は誰が起案し、実施に移すのでしょうか？　それとも、そもそも移行計画は無くて、数日間缶詰になって、集中して、ぶっつけ本番でビシバシと決めていくのでしょうか？気になるところです。<br />
</p>]]></description>
<dc:subject>トレンド</dc:subject>
<dc:creator>Harumi Watanabe</dc:creator>
<dc:date>2009-08-03T05:51:55+09:00</dc:date>
</item>

<item rdf:about="http://www.brainsellers.com/cuttysark/2009/07/post_30.html">
<title>ブリタニア</title>
<link>http://www.brainsellers.com/cuttysark/2009/07/post_30.html</link>
<description><![CDATA[<p>「<strong>紀元前五五年年八月二十六日は大英帝国の歴史の始まりである。</strong>」と言ったのは、ウィンストン・チャーチルです。この日は、歴史上初めてローマ軍の軍船がブリタニア（イングランド）の海岸に達した日です。ちろん、総司令官はかの<strong>ユリウス・カエサル</strong>（後のシーザー）です。<br />
私は<strong>塩野七生</strong>さんの「<strong>ローマ人の物語</strong>」がとても好きで手軽な文庫本を読破しています。特に好きな年代は何度か読み返していますが、カエサルがブリタニアをほんの一瞬ですが「<strong>斥候遠征</strong>」したことがあります。このことを契機に英国がその存在をローマに知らしめたとして、後年<strong>チャーチル</strong>が「<u>歴史の始まりである</u>」という名言を残します。<br />
カエサルがブリタリアの攻めたのは、彼が<u>45歳</u>でガリア戦役が始まって四年目のことです。七生さんは一般的な「<u>ガリア戦記</u>」（戦記は出来ごとを年代順に書き残した記録書）といわず実際の戦争の行動期間をいい表すために「<strong>ガリア戦役</strong>」としています。言われてみるとそのほうがすっきりします。この戦役は通算八年間続くことになりますが、最終的にはこの戦役によってカエサルの持つパワーは強大に成長していくことになりますが、、当初はそう大きな軍団ではありませんでした。彼はこの八年間に彼に従う強靭なチームを作り上げていく事になります。もちろん<u>ルビコン前の出来事</u>です。彼女のこの本を読めば読むほど<strong>ユリウス・カエサル</strong>が魅力的で、惹かれていきます。且つ彼が<strong>「大器晩成</strong>」だったことがよく理解できます。</p>

<p>私たち日本人は、この国のことを説明するとき、ごく日常的に「<strong>英国</strong>」または、「<strong>イギリス</strong>」と呼んでいますが、たぶん説明足らずの表現ということになるでしょうね。この国の成り立ちは歴史上の経緯からして複雑な構成要素がたぶんにありました。正式には「イングランド（England）」と表記しますが、本来の意味は、"グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国"（イギリス）を構成する4つの「国」（country）の1つである。」と認識した上で、使わなければならないンでしょうね。ですので、少なくとも「<strong>イングランド</strong>」と表現することが最低条件の様な気がします。</p>

<p>英国は日本同様に島国ですが、日本と異なり近隣に強大な国々が歴史上頻繁に勃発したので、そのつど影響を受けます。日本での占領の危機は二度の元寇と日本が自ら招いた先の大戦の米国の実質占領の三回しか経験がありませんが、英国はカエサルのローマ軍が引き上げた後、ゲルマン系アングロ＝サクソン人が侵入して、ケルト系ブリトン人を征服または追放してアングロ＝サクソン七王国を興します。その後、アングロ＝サクソンの諸王国はデーン人を中心とするヴァイキングの侵入によって壊滅的な打撃を受けますが、最後に<u>ウェセックス王アルフレッド</u>がヴァイキングに劇的に打ち勝ってロンドンを奪還します。この当時の指導者であるアルフレッド王（在位871年 - 899年）がロンドンを手に入れたのは、878年の「<strong>エディントンの戦い</strong>」於いてです。<br />
そして、東部地区を除いて、ほぼイングランド南部を統一します。その後、エドガーの時代に北部も統一され、現在のイングランドとほぼ同じ領域の王国となるわけです。世界史専攻の人には簡素化しすぎた説明かもしれませんが、お許しください。<br />
この様に、英国はカエサルの時代から戦乱が続き、この後も長く長く続きます。日本と違いこの国では、実際にイングランド人以外の統治が長く続くことになる訳ですが、一番長期に政権を維持したのはやはりフランスです。例えば、かの有名なヘンリー三世がいますが、彼はアンジュー王家の血統を厳格に守り、生涯イングランド人になることを拒み続けた王として有名です。<br />
しかし、その彼が1239年に生まれた長男を、イングランド名の「<strong>エドワード</strong>」と名付けたことから、国民はこの命名を喜び、<u>エドワード一世</u>として王位に就くや、イングランド名の国王としての再来と、強く彼を支持する国民感情が高まったようです。実はそこを狙ってエドワードという名をつけた訳ではなく、全く別な理由で命名されたのですが。</p>

<p>エドワード一世も、血統では父王同様全くのアンジュール人でしたが、<u>ノルマン征服</u>（1066年に所謂ノルマンディー公ギヨームによって征服され、ギョームがウィリアム1世（征服王）として即位し、ノルマン王朝は開かれます。当然、アングロ＝サクソン系の支配者層はほぼ一掃されてしまいます）の1066年からすでに200年を過ぎているとあって、貴族階級だけでなく、広く英仏の混血化が進んで、当時はフランス語しか話さなかった貴族階級も<strong>英語</strong>を使い始める時代に突入していくのです。そして彼は父王とは全く異なる国王として統治に望み、多くの事績を残していくことになります。<br />
彼は歴代イングランド王の中で、きわめて有能な国王の一人としてその名を残しました。<br />
しかし、一方では、<strong>対ウェイルズ戦</strong>（1276-1295）、エドワード三世まで続く、<strong>対スコトランド戦</strong>（1296-1341）、その後は1337年から始まる、フランスとの<strong>百年戦争</strong>、ヘンリー六世の時代の<strong>仏からの撤退</strong>（1453）、そして1455年から始まる<strong>ばら戦争</strong>に続く訳ですが、この撤退を契機にフランス系のイングランド諸領主も次第にイングランドに定着し、イングランド人としてのアイデンティティを持ちはじめ、最終的には民族としての<u>イングランド人が誕生</u>するという物語となります。<br />
英国がその国威を世界に示す基盤は、15世紀後半にやっと固まってくるのです。</p>]]></description>
<dc:subject>フロンティア</dc:subject>
<dc:creator>Harumi Watanabe</dc:creator>
<dc:date>2009-07-31T06:28:21+09:00</dc:date>
</item>

<item rdf:about="http://www.brainsellers.com/cuttysark/2009/07/post_36.html">
<title>紙とデジタル</title>
<link>http://www.brainsellers.com/cuttysark/2009/07/post_36.html</link>
<description><![CDATA[<p>最近は本を読む時間があまり取れません。<br />
忙しさを理由にしている向きはありますが、とにかく公私共に趣味や雑用が多く、じっくりと本を読む時間がなかなか取れない状況です。<br />
それでも、最近十冊程度の本を読み終え、さらに二冊の本が執務机に載っています。<br />
読み終わった本でとても感銘をうけた本は、<br />
「<strong>風の中のマリア</strong>」「<strong>ゆびさきの宇宙</strong>―福島智・盲ろうを生きて 」の二冊でした。<br />
そして、これから「<strong>lQ84</strong>」と「<strong><strong>シリコンバーから将棋を観る</strong></strong>」の二冊を読みたいと思います。<br />
いずれもアマゾンで購入したものです。<br />
そこで、<br />
最近「<strong>スクリブド（Scribd）</strong>」というサイトがあることを知りました。<br />
"いたずら書き"または、"走り書き"という意味の英単語のScribbledを略したもので、「<strong>誰もが創作を楽しみ、その喜びを皆と分かち合ってほしい</strong>」との意味合いがあるそうです。<br />
このサイト、いろいろな面で画期的です。</p>

<p>もう、二十年くらいになりますが、この「スクリブド（Scribd）」の記事を読んで突然思い出した事があります。それは物理的な本とデジタルの違いを鋭く洞察したエッセイでした。<br />
タイトルも誰が書いたものかもすっかり忘れましたが、主旨は鮮明に覚えています。<br />
それは、私たちが今手にしている<u>本という物質的な制約がなくなってしまうという物語</u>です。<br />
コンピュータと文学者の結びつきは、非常に古くワードプロセッサーの登場から密接な結びつきが有ります。いまでは、書籍のデジタル化は一般的なことになっています。それは、あらゆる書物が仮想空間のなかで電子化されつつあるという事実を物語っています。<br />
ネットは、膨大で、かつ巨大です。<br />
物質性を離れると言う事は、今まで私たちが千年以上に渡り血の中にまで色濃く定着し、固定化した書籍の文化を離れると言う事が前提となりそうです。<br />
正確には、ネットがそれを実現可能な方向に導いていると言う事になるでしょうか。<br />
このあたらしい文化は確実に新たなフェーズに進んでいると思います。<br />
言い換えると、我々が慣れ親しんできた、モノとしての本の属性がもしかすると、失われてしまうのかも知れないと言う事です。<br />
これを私たちは、どのように考えたらよいのでしょうか?</p>

<p>デジタル化された本は、物質では有りませんので、いわゆる「パルプ」は不要です。<br />
あるのはネットが繋がったディスプレーかモバイル端末か専用機です。<br />
たぶん、電子の本には私たちが、長い間文化として作り上げてきた慣れ親しんだ「厚み」とか「重さ」とか「匂い」が有りません。 <br />
果たして、本が本来持っている「厚み」「重さ」「感触」といった属性を全てすててもいいものなのでしょうか。<br />
 <br />
一枚一枚めくる指の感触、脇に抱える厚みと重さ。 <br />
ページを開いたときのインクの匂い。<br />
どれをとっても独特な雰囲気です。って、少女っぽく考えるのは感傷的で、ITを推進する企業の経営者の言葉ではないのかも知れませんが。<br />
しかしです。本が本来持っているこのような属性と書かれている内容は、全く無関係といえば、その通りなんですが、だからと言って、本当にそう「言い切って」いいものでしょうか。 </p>

<p>本の物質性と読書をする行為との間には、もっともっと深遠な関係が存在しているように思えてならないのです。<br />
次世代には、物質としての形を持たない「本」が、前提になりそれを受入れ、それに慣れ親しんで<br />
しまうと言う事なのかもしれません。なんて、SFっぽいンだろう。<br />
しかし、いまの今、考えるには、ちょっと恐ろしいことの様に思えます。<br />
もちろん数十年といった単位だとは思いますが。で無いかも知れないところに摩訶不思議がある訳なんです。 <br />
物質と情報は、独立してしまい具体的に本を読むという「心」とか「体」とかの感性に対して、別な次元での知識を習得するという行為になり、両者との関連性をうまく両立しなければ為らないということになりはしませんか。 <br />
いろいろ、考えさせられてしまいます。</p>

<p>たとえば、物質的な「本」であれば、表紙を眺め、ページを開き、めくり、閉じる。<br />
「開く」という言葉には「啓く」という意味が附帯します。<br />
この「啓く」は当然のことながら「啓示」に通じ、この言葉の持つ意味を探れば、宗教的な起源にたどり着く事は明白です。</p>

<p>ひとつ印象的なお話が有ります。 <br />
それはある「学ぶ」という物理的な光景です。 <br />
ヘブライ人（すでに死語に近い）の子供達が、ヘブライ語のアルファベットを習う最初の日に、教師は子供たちにそれぞれ石版に最初の文字を「蜜」で書かせ、それを舐めさせる儀式があるそうです。子供たちは、文字を最初に学ぶ瞬間に、知識は「甘美」なものであることを感得するちがい有りません。素晴らしい儀式と思いますが、もうこの儀式は古典的な儀式しかもしれませんね。</p>

<p>この時の「文字」の持つ力は、当然のことながら活字でも不可能であるし、ましてやデジタルでは有得ません。この儀式は、文字を単なる伝達媒体とする考えからは、絶対に出でこないでしょうね。<br />
文字が電子化される事により、本来の読書や読書をするという行為・行動が培ってきた指先や手の動作が電子化してしまう事により、本来持ち続けた「感触」といった様な属性がほとんど失われてしまったらどうなるでしょう。ヘブライ語を最初に習った子供たちの教育という中に持っていた、文字と味覚の直接的結びつきは、日本の（漢字文化圏）「書道」に合い通ずるかも知れません。<br />
書道を習う子供たちは、決まって手やブラウスの袖やズボンを墨で必ずといっていいほど汚します。文字は「染み」を作るものである事を、手を汚しながら体で理解することの重要性は、文字の電子化の中には絶対に存在せず、それがまた、大きなうねりの波に呑まれて、本が本来持ち続けた属性をすべて淘汰していくのでしょうか。</p>

<p>きっと、そのこと自体、今の時点で重大事であると言う事に、私たちは、たぶんはっきりとは認識できず、何十年という歳月によりその重要度をはっきりと認識し、しかしその時にはきっと、取り返しのできない染みを発見し、その広がりに呆然とするのでしょうね。</p>]]></description>
<dc:subject>主義と主張</dc:subject>
<dc:creator>Harumi Watanabe</dc:creator>
<dc:date>2009-07-27T05:49:30+09:00</dc:date>
</item>

<item rdf:about="http://www.brainsellers.com/cuttysark/2009/07/post_27.html">
<title>食と芸術</title>
<link>http://www.brainsellers.com/cuttysark/2009/07/post_27.html</link>
<description><![CDATA[<p>「<strong>雨ニモマケズ</strong>.....<strong>風ニモマケズ</strong>.....<strong>雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ</strong>............」<br />
そして、<br />
 「.....<strong>一日ニ玄米四合ト、味噌ト少シノ野菜ヲタベ</strong>.....」と続く詩は著名な明治の大詩人・<strong>宮沢賢治</strong>の｢<u><strong>雨ニモマケズ</strong></u>｣の中の一小節です。誰でもが一度は口ずさんだ有名な詩です。賢治は他にも身近なことをテーマした詩が多く、なかでも「銀河鉄道の夜」や「風の又三郎」は幻想的で、叙情的で、とても美しい詩です。それに夢があります。<br />
彼は、叙情的な詩を詠う詩人としてだけでなく<u>..一日ニ玄米四合ト、味噌ト少シノ野菜ヲタベ</u>..にあるように、農民の日常生活を芸術の域にまで高めようと理想に燃えていた科学者でもあったと言われています。食というあり前のことを、単に食の充足のみとする従来の考えから脱却する発想をもっていたと言われています。<br />
「食」を理論的な視点で語ると、<br />
『人間が社会的・歴史的存在である限りにおいて、食にまつわる儀式や習慣、食品や料理法への知的理解度、さらには食事の作法やその場での演出等々、全てをあわせ持ったものが「食」であり、<u>食そのものが重要な文化的要素</u>である』だそうです。まったくもって妙を得ていると思います。</p>

<p>しかし、過去の日本の文人や学者は、どうしても孔子の「<strong>論語</strong>」の思想が支配的だった為に、いわゆる「<u>君子は道を謀りて食を謀らず</u>」や孟子の「<u>君子は厨房を遠ざく</u>」といった類の儒教的な発想で長い間推移してきた背景があります。私も大いに孟子の教えを盲目的に守っているひとりであると自認していますが。。。。</p>

<p>私の知人に自分の本業のほかに「<u>ベジタブル&フルーツマイスター</u>」の活動を野菜ソムリエとして、アンチエイジングライフを楽しんでいる方がいます。<br />
コンセプトは、「アンチエイジング医学に基づいたものでありながら、<u>人間の自然治癒力、免疫力、潜在能力</u>を引きだすこと。」だそうです。野菜と果物に含まれる抗酸化物質による酸化防止等によって、驚くほどアンチエイジングになり、生活空間を変えられるそうです。よ。</p>

<p>食とは、全てひとの口に入るもの。<br />
その影響は１０年後や２０年後に現れてくるものだと思っています。とても重要な生活そのものですね。<br />
ところで、<br />
日本の芸術や芸能のルーツを辿れば、やはり中国から渡来したと誰でも想像し、知っていることですが、日本の芸術や芸能のほとんどは中国のいわゆる<u>唐様の芸術や芸能</u>の輸入です。しかし、一旦輸入されると、国内に定着しはじめ、その後「その風土や習慣にとけ込んでしまう」ところが日本的でとても面白いですね。また、それ以前に渡来して定着したものにも、新たに新規の文化が混入し、重なり、より和洋化された文化が醸成されるという訳です。そして何年も重ねて、混ざって、独自化したのですね。<br />
日本人の受け入れ安さと工夫は素晴らしいものがあります。時間が経つにつれて日本固有の文化に成長するのですから。</p>

<p>「<strong>芸術や芸能</strong>」はそれぞれの発展過程で、修行や鍛錬が厳しく行われ、競演や競技に発展し、理論武装され、その道の極意が発見されるまでに至ります。<br />
日本の文化は多岐にわたりますが、代表的な芸術・芸能は六道と言われいます。<br />
書道、花道、連歌道、能楽道、花道、茶道です。</p>

<p>しかし、前述の「<strong>料理</strong>」または「<strong>料理法</strong>」に関する芸術性や長い伝統で育成された文化は、なぜかこの六道に列挙されていないのです。それは、儒教のせいでしょうか。それとも、元々食という文化は理論や極意を必要としない領域なのでしょうか?</p>

<p>現代まで、料理または料理法も当然ながら長い年月を経て熟成し、芸能といわれる域に達していると感じますが、さて「<strong>道</strong>」に数えられないその理由はあるのでしょうか?</p>]]></description>
<dc:subject>芸術と芸能</dc:subject>
<dc:creator>Harumi Watanabe</dc:creator>
<dc:date>2009-07-24T05:48:51+09:00</dc:date>
</item>


</rdf:RDF>
