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<title>Cutty Sark</title>
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<description>Cutty Sarkは常に夢を追い続ける希望の帆船です。I still have a dreamのこころざしを持って海図にない航路を切り開きます。</description>
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<title>仕事の鬼</title>
<link>http://www.brainsellers.com/cuttysark/2009/11/post_385.html</link>
<description><![CDATA[<p>トーマス・アルヴァ・エジソンは、「<strong>世界の発明王</strong>」として生涯におよそ1,300もの発明を行い、取得した特許は1,093個で、これは個人としては前人未到の記録だそうです。<br />
その一方で、メモ魔としても非常に著名ですが、13歳から亡くなる84歳までの間に、なんと60万枚を超える(誰が数えたのでしょうか)実験メモや日記を書き続けたそうです。驚異的な継続力と言えます。そのメモの内容は、後世の私たちが現状を乗り越え、未来を創出していくうえでヒントになる「<strong>エジソン名言集</strong>」として世に広く知られています。</p>

<p>ですが、そんなエジソンも小学校を三ヶ月で退学せざる得なかったようです。変わった子だったのでしょうか。退学後は、独学で科学を学んだようです。<br />
しかし、どのような天才もたった一人で自分の能力を開花させることはできません。<br />
先生が必要です。もちろんエジソンにもです。<br />
彼の先生は科学者「マイケル・ファラデー」です。ご存知ですか、この人を。<br />
ファラデーの功績は、例えば「電磁誘導の法則」を唱えた人です。<br />
しかし、エジソンはファラデーの直接の弟子になった訳ではありません。ひそかに師として尊敬し、彼の著書から学び取るという所謂「私淑(ししゅく)する」形をとったようです。この辺も人とは違いますね。<br />
一般的には、著名か無名かは別にして、師と仰ぐ先生の弟子になるのが普通と思われますが、天才エジソンはそうしなかったようです。いったい、読書によって「師」を持つくらいに、能力開発ができるものなのでしょうか?<br />
言い換えれば、沢山の読書をすれば、所謂天才と言われる人たちに近づけられることになりますよね。<br />
彼の天才と言われる根源は、あることに興味を持ち、学び続け、そして発明ないし発見を死ぬまでし続ける驚異的な持続力であると思われます。さらに彼は「<strong>運を信じない</strong>」ルールを実践した人でもありました。<br />
すると、エジソンの基本的なものの考え方や行動は、彼が師と仰ぐファラデーの書き残した書籍によって得たことになります。</p>

<p><u>人の生涯は、物事を学び続ける果てしない旅であるといえます。</u><br />
私たちは、母親の胎内にいるときから学び初め、死の床にあっても何かを学びつつ最期を迎えるまでの間、膨大な時間を「<strong>学ぶ事</strong>」に費やしているといえます。</p>

<p>人の生涯で最も学習能力が高く、かつ奇跡のような力を発揮するのが幼年期であることは、だれてもが知っている事ですね。<br />
赤ちゃんは決して本能で言葉をしゃべるのではなく、「<u>きっちりと学習して覚える</u>」のであり、なので、言い換えれば、置かれた環境次第で何語でも操る事が出来ます。<br />
この学習するということは、生涯を通じて人間の本能であるようです。<br />
また、生涯学び続けなければならないと云う事は、いってみれば、「人には完成や完了」というものがなく、常に「未熟」であることの証なのだと思われなりません。<br />
なので、人は生まれてから死ぬまで、常に未熟な状態にとどまり、しかし、休みなく学び続け、それが死を迎えるまで続くというわけです。それは本能であるけれど、結局は人間そのものは、学ぶ事の楽しさを知っているともいえませんか?<br />
その観点から、<br />
きっとエジソンはものを学ぶ楽しさをもっともよく知っているひとりであったと思われます。<br />
エジソンの名言集から、<br />
「私が業績を上げたのは、私に備わる才覚と人は言うけれど、人間が死に物狂いで頑張り通せば、誰でも私と同じ業績を残せます。」<br />
要は、驚異的ともいえる強い持続力を保てるかということになりますね。</p>]]></description>
<dc:subject>フロンティア</dc:subject>
<dc:creator>Harumi Watanabe</dc:creator>
<dc:date>2009-11-13T05:34:24+09:00</dc:date>
</item>

<item rdf:about="http://www.brainsellers.com/cuttysark/2009/11/post_56.html">
<title>メイク・ア・ウィッシュの大野さんに会う</title>
<link>http://www.brainsellers.com/cuttysark/2009/11/post_56.html</link>
<description><![CDATA[<p>先日、知人の記念パーティで<br />
　　　　　　　"<a href="http://www.mawj.org/"><u><strong>メイク・ア・ウィッシュ</strong></u></a>"の大野寿子さんに会いました。</p>

<p><br />
彼女は、重い病気と闘う子供たちの夢をかなえる世界的なボランティア団体の日本の事務局長です。彼女の話を聞いてとても自分の心が静かになり、体の奥から暖かな気持ちが湧き上がってきました。そして、この団体の活動に感動しました。<br />
国内ではすでに、１５００人近くの子供たちが、その夢をかなえています。<br />
この団体によって、多くの子供たちが小さいときから思い続けた夢を「いっとき」実現しています。</p>

<p>そして、彼女はこう云いました。<br />
「最後の夢ではありません。」<br />
「夢をかなえることが、<br />
　　　　明日を、今を生きる力となるのです。」</p>

<p><br />
今年の夏までに、昨年の秋に比べると異常高騰があったといいます。<br />
何かと言うと穀物価格です。それも身近な小麦や大豆です。<br />
異常高騰の主犯は投機・投資ファンドマネーの穀物銘柄の商品市場からの引き上げが、原因と言われています。特に、小麦は瞬間的な異常高騰を除けば、10年間で過去最高値とのことです。状況は大豆に加えてお米も同様だそうです。</p>

<p>この穀物銘柄の異常高騰に対して、被害を蒙ったのは、なぜか途上国だそうです。<br />
なぜでしょう。わけが分かりません。<br />
その途上国の中でも、特に被害が甚大なハイチやバングラデッシュでは、<br />
一日一食に追い込まれ、ハイチにいたっては市民の暴動化まで発展しましたとあります。<br />
益々分かりません。</p>

<p>この途上国と穀物銘柄の異常高騰には構造的な関係があります。<br />
影響の大きい途上国は押し並べて農業国です。<br />
農業国である途上国がなぜ飢えるのか?　益々不可解な。。。</p>

<p>仕組みはこうです。<br />
途上国である農業国は、国が貧しいために、資金を世界銀行から借ります。<br />
すると決まって、世界銀行は弁済の為のいろいろな「助言」をします。この助言が裏目に出ます。この助言は、債務を返済する為に自給農業をやめて早期に換金可能な先進国向け農作物への生産のシフトというものです。<br />
途上国である農業国に弁済方法について、いい代替案は持っていないこともその理由です。<br />
換金可能な農作物は何かというと、「バナナや綿花やコーヒー」がそれです。<br />
この換金可能な農作物を生産する代わりに、先進国から主食である小麦や米を輸入するのです。もちろん、この「助言」は作為的とも取れなくもありません。<br />
結果は目に見えていますね。<br />
主食をお金で買うしかない貧しい国々は、10年来最高値の高値の小麦を買わざる得なくなり、助言が本末転倒になってきます。もちろん、高くて買えません。</p>

<p>この先進国の思惑だけで押しつけられた構造的な仕組みは、簡単には脱却できなであろうと言われています。大きな理由のひとつに、債務の重圧があります。<br />
多くの人が明日の糧を得ることにやっきになっている頃、対局の投機・投資ファンド・マネーの人たちは、天文学的な利益を得ることになります。</p>]]></description>
<dc:subject>グローバリズム</dc:subject>
<dc:creator>Harumi Watanabe</dc:creator>
<dc:date>2009-11-03T15:04:53+09:00</dc:date>
</item>

<item rdf:about="http://www.brainsellers.com/cuttysark/2009/10/post_55.html">
<title>法隆寺と林業</title>
<link>http://www.brainsellers.com/cuttysark/2009/10/post_55.html</link>
<description><![CDATA[<p>東海や関西の出張はよくありますが、決まって名古屋と大阪です。<br />
たまに、京都の出張がありますが、しかし、さすがにその先の奈良の出張はありません。そううまくいきません。しかし、仕事とは言え京都の佇まいを身近に感ずることは楽しいことです。<br />
京都も奈良（飛鳥とか）も、情緒豊かで、いずれもとても好きな都市といえます。<br />
特に奈良は。<br />
何故かと言うと、奈良には「法隆寺」があります。<br />
ご存知のように、法隆寺は世界最古の木造建築です。<br />
以前、中国の友人を奈良に誘ったことがあります。スバ抜けて優秀なＩＴの技術者ですが、とても寡黙で落ち着いた雰囲気を持っている若者で、その彼と法隆寺を散策しました。<br />
そして、回廊の中に入り、立ち並ぶ柱に直接手を触れさせ、これが１,３００年前の木だと教えると、途端に驚きの表情に変わります。<br />
彼の驚きは、１,３００年前の建築物という点ではありませんでした。<br />
それもその筈です。中国四千年の歴史の中では、１,３００年はさぼと古いものでなく、もっと古い建築物があることを当然のように自負しています。<br />
が、彼が今まさに触れている柱の表面には、干割れやささくれがなく、柔らかな感触を伝え、とても１,３００年間の風雪に耐えたとは全く感じさせない状態であることに驚いたのです。</p>

<p>法隆寺の「あの柱」に触れた方は、同様に感じたと思いますが、回廊のたくさんの柱からは、柔らかな温もりを感じ、また、そのような木が長い間、構造材として重い建物を支えていることに不思議さも同時に感じます。<br />
木材は、一般的に時代とともに、その表情を刻々と変化させます。主な原因は乾燥と捩れによる歪みです。仮に乾燥による割れやねじれが生じなくても、必ずといっていいほど表面は風蝕によって少しずつ痩せていくと云われています。<br />
特に風蝕によって、柔らかな部分から減って、木目が徐々に浮き彫りになり、やがてそれも痩せて「とても硬い節」だけが高く残ることになります。</p>

<p>文献では、風蝕は"百年に一分"が失われると定説がある様です。特に、軒下等で風雨を受けやすいところでは、百年で三㍉程度ずつ痩せるそうです。風蝕とはすごいものですね。なので、古い鑑定方法には、その痩せ方で、建物の年代を判断する方法もあるそうですよ。</p>

<p>そして、日本は古代より木造建築の顕著な国でもあり、そして森林国家でした。<br />
その森林国家である日本が、現在最も可能性のある森林経営の時期を迎えているそうです。<br />
ですが、昨今、その森林資源が危機に瀕していると警鐘がなされています。<br />
過去の経緯から想像すると、林業は第一次産業の中でも最も不活発な産業に衰退してしまったかも知れません。<br />
その理由は、<br />
この産業の主な活動は治山治水の施策と山間部の雇用対策という名目で補助金を確保し、公共事業として長い間放置されてきた事が大きな要因と云われています。特に、戦後の復興特需期に、大げさに言えば日本中の森林を伐採し、その貴重な資源をほとんど伐り尽くした時期がありました。その証拠に、現在の森林の八割が林齢五十年以下と、長期政策せずして伐採した事実を極端に物語っているといわれています。<br />
別な言い方をすれば、その後の長い期間、お金と人的労力を負担し続けた時代があったということです。<br />
そして、日本の森林は忍耐の期間を終えて、いよいよ収穫期という分岐点を迎えているそうですが、このタイミングを逃さず効果的な施策を実施しないと冒頭の危機がやってくると云う訳です。</p>

<p>人工林というのは、木が生えてから五十年くらいまでに手を入れないと再生が難しくなるそうです。日本の人工林は、総森林面積の４０％もあるそうです。逆に言えば、適切な間伐を行うとその後の森林整備コストが大幅に減少し、徐々に採算性が向上して、「林業」としてのビジネスが成り立つということになりますね。<br />
間伐という行為で私が以外に思ったのは、森林を健全に保つには成長量の70-80%前後を安定的に伐採しなければならないということです。<br />
全国規模でいえば、間伐材は相当量になるということになります。</p>

<p>私どものコア・ビジネスで、オンデマンド印刷を主軸としたＳａａＳビジネスをしていますが、最終的には紙への印刷を行います。実は、この間伐材を使用した原紙を使用することで、環境保護と資源の有効活用の両面で、ここ最近推進が活発になっています。このことは、当社からの申し出でお客様に採用を頂きますが、逆にお客様自らの発案によって、間伐材用紙をお使いになることがあります。間伐材等も含めて森林保護と環境保全を目的として有効利用とする世界的な仕組である"ＦＳＣ"（参考Ⅰ）があります。<br />
私たちの取り組みも、この方針に則って、環境保護に賛同していきたいと思っています。</p>

<p></p>

<p><br />
</p>]]></description>
<dc:subject>グローバリズム</dc:subject>
<dc:creator>Harumi Watanabe</dc:creator>
<dc:date>2009-10-25T05:13:23+09:00</dc:date>
</item>

<item rdf:about="http://www.brainsellers.com/cuttysark/2009/10/post_29.html">
<title>しのふ</title>
<link>http://www.brainsellers.com/cuttysark/2009/10/post_29.html</link>
<description><![CDATA[<p>私のとても若い知人の女性から、ある問いかけをされて戸惑ったことがあります。<br />
その問いかけとは、<br />
「私は、彼からのプロポーズを望んでいますが、どうしたら彼は私にプロポーズを言ってくれるのでしょうか？　教えてください。」<br />
「う～ん」と、しばし絶句。誰でもこの難問に答えるすべはありません。</p>

<p>そういえば、<br />
NHKの大河ドラマで直江兼続の波乱万丈の生涯をドラマ化して放送していますが、少し前の放送で、兼継と千利休の茶室での問答がありましたね。利休の時代では、特別な場合を除き「茶の湯」はまず男のものでした。<br />
戦国時代は数十年戦（いくさ）に明け暮れていたせいで、平均寿命は１８歳と言われています。ですから、戦で命を落とすことは日常茶飯事ということになりますね。なので、あの時代に、「人生５０年」は、命を全うした寿命と言う訳です。<br />
だからこそ、その覚悟を「日常とする生活」の中での"茶の湯"というひとつの儀式の中で「一期一会」という感覚が自然と身についたのではと思います。多くの武士（もののふ）が命を落とすことが日常的な中で、過酷な戦国の世を生き抜いてきた武士のみが茶会での一期一会の重さを知っていたともいえます。<br />
現代の私たちはどうでしょう。<br />
私たちは一期一会の意味や理由をよく理解していますが、その実感はありません。いまの世の中で、日常的に命を落とすことが稀だからです。もちろん不治の病気や交通事故や偶然の犯罪事件に遭遇する不慮の事故も無くはありませんが、それとて稀といわざる得ません。</p>

<p>兼継は兜に「愛」をという文字を象った敬愛の精神をシンボルマークにしていますね。この時代には稀有な概念というべきかもしれません。茶室で問答した「利休」も同様に無言の表現を行ずる稀有な存在といえます。<br />
この二人が同時代に生きたこと自体が稀有な事かも知れません。</p>

<p>さて、冒頭の若い女性の「恋愛」の悩みに戻りますが、<br />
私たちの先祖が「愛」を表現するのは、ずっと後年の事と言われています。<br />
万葉の時代を生きた私たちの先祖は、思慕することを「し・の・ふ」という言葉で表現しています。「愛」とはまだまだ距離がある表現だと感じませんか？<br />
この「しのふ」はどうも故郷を思慕または賛美するときに使われていたようです。後年の私たちが使う「愛」の原型であろうという見方が強いですが、まだしっくりこないです。<br />
また、面白いことに「し・の・ぶ」という言葉を耐える事の意として使われています。「しのふ」と「しのぶ」は清濁の違いで意味も異なりますが、しかし同類の言葉として存在しています。日本語の語彙の情緒さと、外国人が戸惑う表現の複雑さです。<br />
古代の人は、思慕することと、忍耐することを同類でありながら区別する感性を持ち合わせていたことに驚きを感じます。<br />
そして、その語彙を深く読んでいくと、<br />
「思慕」とは、じっと思慕することと、もうひとつ、思慕の重みに堪えることと表裏一体の関係であることを想像できます。そして、もう一歩深く突っ込んで「重い抑圧のない思慕」などは、所詮は存在しない思慕というこになります。<br />
この思慕ですが、その重みの中からな自身の心の内を相手に放ってゆける思慕と、重みの中に打ちしがれて沈み行く思慕の二つの展開になると思います。<br />
なので、思慕を寄せる事は、賛美することと言い換えても良いのかも知れません。その方が自然ですね。<br />
「賛美する行為」とは、いかに抑制された「思慕が存在する」ものであるかを一層明確に示しているというわけです。<br />
そこで、兼継の「愛」の兜ですが、ご存知のように「愛」は、漢字として中国から輸入され言葉ですから、元来私たちの先祖である古代人たちが、本来持っていたものでないことは想像できます。<br />
ですから、現代の愛のルーツを探すとしたらやはり私たちの本来の言葉である"やまとことば"からということになるのでしょうか。</p>]]></description>
<dc:subject>リズムと命</dc:subject>
<dc:creator>Harumi Watanabe</dc:creator>
<dc:date>2009-10-18T20:51:27+09:00</dc:date>
</item>

<item rdf:about="http://www.brainsellers.com/cuttysark/2009/10/post_39.html">
<title>秋の星たちとオバマ大統領</title>
<link>http://www.brainsellers.com/cuttysark/2009/10/post_39.html</link>
<description><![CDATA[<p>毎週散策に出かける自由が丘で三十年以上続いている"<strong>女神まつり</strong>"がこの三連休に開催されます。<br />
１０月は"<strong>秋祭</strong>（あきまつり）"のシーズンです。<br />
ちなみに近所の三軒茶屋の"<strong>三茶ｄｅ大道芸</strong>"は来週の週末です。<br />
そういえば、親しい知人が今週末"<strong>横浜ジャズ・フェステバル</strong>"も開催していると教えてくれました。<br />
"秋祭"は収穫を神様に感謝することと五穀豊穣の祈願から古来より行われているものですが、「能」の起源もここにあるといわれています。稲作を守護する神様は、春に田に迎えいれて、収穫が終わった秋に再び山へ送りるという意味合いがあるそうです。そして、能はその発祥のころ「猿楽（さるがく）」あるいは「猿楽の能」と呼ばれていました。<br />
日本語には美しい季節を表現する言葉が多いですが、"秋祭"の他によく使われる「秋」に因んだ言葉として"<strong>秋晴れ</strong>"、"<strong>寒露</strong>（かんろ）"、"<strong>秋渇き</strong>"や"<strong>霜降</strong>（そうこう）"などがありますね。<br />
古来、日本人の情緒には洗練された感性を感じますが、特に"<u><strong>行く秋</strong></u>"や"<u><strong>紅葉</strong></u>"は語彙の品格もさることながら、その情景を実感として感じるほど言葉に力があると思います。<br />
とは言え、秋は気候的には過ごし易い季節にも関わらず人恋しくなるのはなぜでしょうか？</p>

<p>"人恋しさ"は、秋の星座をみても同じように感じます。<br />
とてもにぎやかな夏の星座や豪華な冬の星座に比べ秋の星座はスター的存在の星も少なく、数ヶ月間はとても寂しい夜空が続き人恋しさを促進させるようです。</p>

<p>昔々、<br />
ペルシャ湾にそそぐチグリス川とユーフラテス川の狭隘部にあったバビロニアに住む"カルデア人"たちは、世界観や人生観の方針を決めるために星の動きで運命を占うことができると信じていました。五千年前の出来事です。<br />
彼らは現代のように光の技術を持っていませんでしたから、晴れた日の夜は漆黒の夜空に満天の星を仰ぎ見ることができました。<br />
彼らは夜空を仰いで何を感じたのでしょうか？</p>

<p>「夜空を見上げるとそこには美しく輝く星たちが存在し、心をひかれ、想像は果てしなく続き、そして物語りや星たちを称える歌を作る。」<br />
そして、<br />
「神々はきっとひとつひとつの星に存在し、それぞれの役割を持ち、この世界を作り上げた。」<br />
などと想像してしまいます。<br />
五千年前のカルデア人の人生観や世界観はあまりに遠くて想像の域を超えていますが、彼らが名づけた星の名前から彼らの"想い"や"願い"を感ずることができそうです。<br />
その想いとは、<br />
特に明るく星たちや印象的な星たちを繋いで、"羊や牛や蟹やサソリ"など自分たちの身近な動物や生活用品のシルエットを夜空に描きました。彼らのその行為は生活や人生そのものであったかも知れませんが、現代のぼくらは、その事自体がとても新鮮で情感溢れてると感じます。<br />
そして、数世紀後、ギリシャ人たちは"ヘラクレス"や"アンドロメダ"など、神話の英雄や美女や怪獣たちをやはり夜空に配置し、より洗練された物語に発展させ、より複雑にしました。</p>

<p>夏の星たちの中でも存在感のある"さそり座"が西へ回り込んでしまうと、秋の代表的な星である"<strong>ペガサス座</strong>"の四角形が現れます。二等星がひとつと三等星がみっつの東西方向にやや長いめの大きな四角形ですから、誰でも発見することができます。この四角形の左（東）の一辺は、実は<strong>春分点</strong>と<strong>北極星</strong>を結ぶとてもドラマチックな線となっています。見方は、この一辺を当分だけ南に下がると春分点となり、春分（三月２１日ごろです）のときに太陽がくる方向ということになりますね。<br />
そして、その一辺を北へ四倍伸ばすと北極星がキラキラと輝いています。<br />
この星は、王子ベレロポンの乗馬になって怪獣キマイラを退治する美しい翼をもった<strong>天馬ペガサス</strong>に生まれ変わる雄大なギリシャ神話に登場します。</p>

<p>カルデア人もギリシャ人も現代の我々も、何千年も変わること無い星たちを見上げていますが、文明の発達と人間の本来持っている本能を徐々に失いつつある私たちは、悲しいことですが夜空を見ても美しく輝く星たちを確認し、「おひつじ」や「てんびん」や「かに」を繋ぐことができません。そして、いつの間にかギリシャ人たちやローマ人たちが作り上げた美しく情緒溢れる物語もいつしか"本の世界"だけになる事でしょう。</p>]]></description>
<dc:subject>リズムと命</dc:subject>
<dc:creator>Harumi Watanabe</dc:creator>
<dc:date>2009-10-11T07:36:44+09:00</dc:date>
</item>

<item rdf:about="http://www.brainsellers.com/cuttysark/2009/08/post_38.html">
<title>新しいシルクロード</title>
<link>http://www.brainsellers.com/cuttysark/2009/08/post_38.html</link>
<description><![CDATA[<p>　　　子供たちが空に向かい　両手をひろげ<br />
　　　鳥や雲や夢までも　つかもうとしている<br />
　　　その姿は　きのうまでの　何もしらない私<br />
　　　あなたに　この指が届くと信じていた<br />
　　　空と大地が　ふれあう彼方　あなたにとって私　<br />
　　　ただの通りすがり　ちっと振り向いてみただけの　異邦人</p>

<p>この美しい詩は「異邦人」という曲で久保田早紀が1979年に作詞・作曲し、そして自ら歌い大ヒットしましたポピュラーソングです。そして、今までに何度もカバーされた名曲といえます。</p>

<p>徳永英明というハスキーで、高域音がキレイな歌手が、過去に大ヒットした女性ボーカルの曲だけを収録した三枚のCDシリーズがあります。彼自身の自曲の歌も美しい旋律ですが、彼の選んだ女性ボーカルの曲も劣らず絶妙です。特にあの歌声は女性に大人気ですが、このCDの中で彼が歌う数曲にとても魅力を感じます。そして、異邦人はこの中にもカバーされています。<br />
私は、カラオケというものを10年ほど前に体験しましたが、それ以前は、人前で歌を披露する度胸を持ちあわせていませんでした。それは、ひとつの拘（こだわ）りといえるかも知れません。<br />
それが、起業をきっかけに、人の付き合いの中でどうしても避けられないと納得した時点で、この拘りを捨てました。以来、カラオケを少なくとも以前よりは楽しく振舞えるようになりました。</p>

<p>たくさんの歌手がカバーする異邦人ですが、私は特に徳永英明の歌声が好きです。たまに誘われてカラオケしますが、映像が決まってイスタンブールなんです。異邦人とは字のごとく外国に定住または長期滞在する外国人を意味しますが、少し前まではコンスタンティノーブルと名づけられていたイスタンブールとの関連性は全く無い様に思えますが、不思議と映像とメロディーが素晴らしくマッチングします。</p>

<p>コンスタンティノーブルはシルクロードの臍（ヘソ）にあたる最も重要な結節ポイントです。<br />
この西に、この道の到着点であるローマがあります。そして東に、出発点の長安（現在の西安・兵馬俑で有名な）があります。中国、モンゴルと中央アジアの地獄のような砂漠を横断する、長い長い乾いた道をローマから長安を結ぶ長距離交易路が、絹の道といわれる「シルクロード」であることは誰ひとり知らぬものはないほど、ひとつの言葉として認識されています。この路はまさに、世界史の背骨というべき道です。<br />
中国製の「シルク」をローマまで運ぶ道であったために、ドイツの地理学者「リヒトホーフェン」が"絹の道"と命名しましたが、もちろんシルクだけでなくあらゆる商品が行き来しました。しかし、これほど名前と現実の世界が大きくかけ離れた印象をもつ言葉はないと思います。</p>

<p>イスタンブールはトルコの首都ですが、西に隣接するブルガリアやその北にあるルーマニアは黒海に面したバルカン諸国です。この地は、古代から様々な民族が入り込む一方、東ローマ帝国やオスマン帝国に長く支配されました。私の仲の良い知人にルーマニア人がいます。ルーマニアは陽気な社会主義国家と言えます。ブルガリアやユーゴスラビアはスラブ民族系と言う感じを強く受けますが、ルーマニアはラテン民族の血を強く引いていると言われています。その意味では知人は底抜けに明るい人です。どう見てもラテンとしか言いようのない気質を感じます。彼女は自国のルーマニア語とスペイン語とイタリア語を自在に操り、日本語も漢字以外はほぼ使いこなします。<br />
ルーマニアを持ち出したのは意味があります。<br />
バルカン地方は、九世紀から十世紀にかけてビザンチン僧侶が熱心に、布教をした地域でもあります。その為に正教協会が、農村の隅々まで建てられていると言われいます。この教会こそビザンチン芸術であり、ビザンチン文化です。<br />
この地方のどこに行ってもビザンチン様式の修道院や宗教絵画をお目にかかることができるそうです。</p>]]></description>
<dc:subject>フロンティア</dc:subject>
<dc:creator>Harumi Watanabe</dc:creator>
<dc:date>2009-08-23T15:30:26+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://www.brainsellers.com/cuttysark/2009/08/post_31.html">
<title>連想と日本人の恥</title>
<link>http://www.brainsellers.com/cuttysark/2009/08/post_31.html</link>
<description><![CDATA[<p>夏の開放的な空の色や強い日差しや木陰を通り抜けた新鮮な風に出会うと、子供のころの出来事を思いだすことがあります。それも中学生や高校生でなく決まって小学生のころの事です。<br />
例えば、今日の様な休日の朝をゆったりと迎えたりすると、より感じます。強い日差しを早朝から感じ、テラスの前にある桑の木の葉が、風で強くゆれるだびにリビングの中まで差し込んだ光の影がゆらゆらと揺れて、連想を促進するようです。<br />
連想とは、ひとつ手がかりがあると、それが引き金になって止めどなく広がる様です。</p>

<p>自宅の小さなポーチに、ピンクのツツジが未だに咲いています。<br />
ツツジの季節は春先が、とても鮮やかな色を見せてくれますが、いくつかの鉢植えのツツジは、手入れの甲斐あってか、未だに数輪の花を保っています。<br />
先日のよく晴れた午前中に、そのツヅシの花に「<strong>カラスアゲハ</strong>」がその大きな羽をゆっくりと羽ばたきながら吸蜜作業をしています。おぉぉぉと、思わずカメラを取りに自室にもどり、調整をしてファインダーを覗いたころには、ゆっくり羽ばたいて次の好みの場所に移動していきました。とても残念な思いをしました。<br />
「カラスアゲハ」自体はそう珍しいものではありませんが、美しく咲いたツツジのピンクとカラスアゲハの燐粉で輝く漆黒の大きな翅（はね）のコントラストは、とってもファンタジックなんです。彼女は開長すれば10ｃｍは有にある大型の蝶なんです。<br />
私は、海も山もある田舎で育ったので、たくさんの野生の昆虫類や魚介類と一緒に育ち、遊んだので、今思うととてもエキサイティングで幸せな環境にあったと改めて感じています。</p>

<p>子供のころは「国蝶」である「<strong>オオムラサキ</strong>」も意識せず、何度となく見ましたし、ツツジにとまった「カラスアゲハ」は普通の蝶としての認識が強く、珍しい昆虫の部類ではありませんでした。このシーズンの小学校低学年から高学年の男の子の興味はやはり「<strong>カブトムシ</strong>」や「<strong>大クワガタ</strong>」でした。それもまだ、誰も捕まえていない時期に持っていることが男の子のステータスでしたので、ふたりの兄から教わった樹液の多く出すカブトムシの秘密の樹木は誰にも教えず、一人で採りにいったものです。もちろん、クラスの女の子には見向きもされない行為ですが。<br />
初夏の早朝のまだ夜が明けきっていない午前四時ごろ、夜遊びして疲れきったカブトムシたちが、お腹をすかしておいしい蜜を吸いにくるのを待ち構えるようにして、一回に2０－3０匹捕まえることができます。入れ物は深めの金属製のバケツです。なぜかというと、金属なので滑ってあがってこないからです。バケツの中でオスが何十匹も渦巻いいるなんで、いま考えると気持ち悪いですね。もちろん、価値の無い（失礼！）メスはリリースします。</p>

<p>都会でありながら、二つの大きな公園の狭間にある自宅は、野鳥や昆虫が比較的多くやってきます。特に「<strong>シジュウカラ</strong>」は数年間かけてカップルの餌付けに成功したので、毎日数回は餌のひまわりの種を採りに来ます。シジュウカラはとても警戒心の強い小型の野鳥ですが、数年間の餌付けもあって、しばしポーチのテーブルの餌と水を飲んだりして、帰って行きます。ただし、一度に二羽が餌をとることはしません。やはりそこは野鳥です。しっかりしています。</p>

<p>さて、蝶の話に戻りますが、<br />
「<u>カラスアゲハ</u>」は黒地を基調にして、オスは<u>青緑の光沢</u>がとても強く輝いて見えます。メスは紫の麟粉（りんぷん）が角度によりますが、強く見えます。<br />
少し昆虫（蝶）を好きな人だと理解できますが、上翅（えわばね）の裏ににとっても特徴があるんです。人間もそうですが、昆虫も全部同じように見えて、実は全て単体での固体差があります。なので蝶の翅も実は型が全て違いますが、翅の裏に白く帯が浮き出てい特徴があります。色合いとして、カラスアゲハより少し見劣りする<u>クロアゲハ</u>という蝶がいます。この二種類の蝶の違いはこの白い帯です。この帯のコントラストがとても美しいですよ。</p>

<p>子供のころは、昆虫採取という夏休みのテーマがありましたが、山や野にいって手当たりしだい「蝶」や「トンボ」を捕まえたことがあります。もちろん、宿題の標本にする訳ですが、蝶に防腐剤等いろいろいな薬品類を注射し、標本箱に羅列しました。いま思うと、とっても残酷なことをしていると慙愧に耐えません。今では、まったく逆のことをしています。たとえば、自宅の観葉植物に遊んでいるクモをそっと捕まえて、ポーチの植木に逃がしてあげたりします。山にも海にも慣れ親しんだ小学生頃に、たぶんそれを教えてくれる大人はいなかったと記憶します。ですので、自分の行動に子供とは言えまったく躊躇しませんでした。</p>

<p>小学生のあのころから現在まで、多くの失敗や恥を積み重ねてきたいようです。強烈に覚えていること。忘却のかなたにあるもの。そのレベルはまちまちです。今振り返ると「ゾッ！」とすることもあります。さて、自覚は、どのように変化し、僕の今にあるのでしょうか？</p>]]></description>
<dc:subject>リズムと命</dc:subject>
<dc:creator>Harumi Watanabe</dc:creator>
<dc:date>2009-08-07T05:29:10+09:00</dc:date>
</item>

<item rdf:about="http://www.brainsellers.com/cuttysark/2009/08/post_386.html">
<title>右か左か、どちらか。</title>
<link>http://www.brainsellers.com/cuttysark/2009/08/post_386.html</link>
<description><![CDATA[<p>エアライン出身の知人を数名存じ上げている。<br />
先日、楽しい話題で盛り上がりました。<br />
私の利用した全ての飛行機は、空港に着陸し、完全に停止すると乗客は我先に前に詰めて一刻も早く機内から外へ出ようとします。日本人も中国人も韓国人も米国人も西欧人も、みんな同じ行動の様な気がします。それを彼に話したら、世界中同じだそうです。<br />
どの国も人も、どのエアラインのどの飛行機も、同じ現象だそうです。ビジネスもエコノミーも同じというわけです。これは、どんな心理状態なのでしょうか?<br />
しかし、どんなに急いでも出口は一箇所か、せいぜい二箇所です。二箇所の場合は、一つはビジネスクラス専用の出口となるで、エコノミーはその恩恵には預からないでしょう。<br />
今度は、彼が質問しました。<br />
実は飛行機の出口は、常に左側です。まれに両サイドから乗客を降ろす特殊な場合がありますが、一般的には左です。その理由を知りたいと。<br />
なぜ僕に聞くのといったら、なぜって、飛行機は船の制度を取り入れているから、答えを知っているでしょうっと、間髪いれず返ってきました。さすかだ。<br />
そうなんです。<br />
交通手段としての「船」は歴史が古いので、その後開発された乗り物は、ほぼ船の制度を基本に取り入れています。現代でもその制度によって、その名残が色濃く残っています。</p>

<p>船の右側を"スターボード"といい、左側を"ポート"といいます。<br />
昔、バイキングの時代に活躍した北欧船では、舵を構造上に右側（右舷側）の船尾に取り付けていました。右側は"スターボード"です。語源は、舵のある側、または舵を取る側と言う意味で「スティア+ボード」で、すなわちスターボードとなりました。なので船を岸に着ける時に、舵を壊さないために、常に左側を陸に接岸する必要があった訳です。また、左側（左舷側）はポートです。これも陸上への門または港という意味を込めて、ポートと呼ぶ様になりました。飛行機には舵に相当する尾翼がありますが、船の様な舵はありません。ても、この名残の為に飛行機の出口は左側のみとなった訳です。船は英語ではシップ（ship）ですが、パイロットの中には飛行機をシップと呼ぶ人もいるそうです。蛇足ですが、飛行船や宇宙船も同様ですね。</p>

<p>そして、ここにも右か左かを海の向こうで論じている人たちがいます。</p>

<p>昨今、自民党にとって見通しはとても暗いと思われます。<br />
社内で立ち話を聞きましたが、都議選は「民主党」に投票したという人が、多いもの納得できる現象です。民主党は、参議院選挙で地滑り的に勝利した機運を、そのまま東京都議選でも維持したようです。そして、初めて第一党の地位を獲得したことで、その勢いを感ずることができます。次は総選挙です。但し、麻生さんが口癖のように言う「選挙はやつてみなければわからない。」ですが、この先、民主党のスキャンダルが出てこないとも限りませんので、それはやって見なければわからないでしょうね。<br />
あくまで、選挙は結果です。<br />
とはいえ、すでにワシントンは次の総選挙で野党が勝利して、民主党政府が出来る事を予想した手を打っているようです。政治アナリストの見方は、民主党政権が樹立しても、オバマ政権は自信に満ちた態度で、米日同盟が確かなものであることをに、変わりないとコメントすると言われています。日本の現政権に対して、米国は日本重視の姿勢を明確に打ち出しています。ヒラリー・クリントン国務長官は、日本をアジア戦略の「コーナー・ストーン（要石）」であることを宣言し、就任後初の公式訪問国を日本としました。なので、日本が日米同盟を堅持する限り、米国の姿勢にそう大きな変化はないと言わています。</p>

<p>ただし、現在海の向こうの彼らの注目しているのは、民主党の実力の様です。その一つが移行計画です。私たちがビジネスするITの世界で、移行ほど厄介で気を使う案件はありません。そこには独特の要素があり、業務経験と移行の十分なノウハウを持った精通者をアサインしないと自ずと埋もれた地雷を、踏むことになります。<br />
この移行という作業は、どのシーンでも同様な基本要素があるように思えます。<br />
米国は大統領就任まで大規模な移行チームが、事前に十分に検討された項目をもとに十一週間かけて、新政権の政策を準備するようです。長く政権を維持した自民党は、トップの交代のみで主義・主張が変わるわけでないので、必要ありませんが、民主党は米国並みと言いませんが、わずか数日で、この試みを実施しなければなりません。閣僚人事も合わせてです。これはとんでもない量を数日でこなす訳です。ワシントンが自分の事のように心配する気持ちが理解できます。<br />
さて、鳩山政権への移行計画は誰が起案し、実施に移すのでしょうか？　それとも、そもそも移行計画は無くて、数日間缶詰になって、集中して、ぶっつけ本番でビシバシと決めていくのでしょうか？気になるところです。<br />
</p>]]></description>
<dc:subject>トレンド</dc:subject>
<dc:creator>Harumi Watanabe</dc:creator>
<dc:date>2009-08-03T05:51:55+09:00</dc:date>
</item>

<item rdf:about="http://www.brainsellers.com/cuttysark/2009/07/post_30.html">
<title>ブリタニア</title>
<link>http://www.brainsellers.com/cuttysark/2009/07/post_30.html</link>
<description><![CDATA[<p>「<strong>紀元前五五年年八月二十六日は大英帝国の歴史の始まりである。</strong>」と言ったのは、ウィンストン・チャーチルです。この日は、歴史上初めてローマ軍の軍船がブリタニア（イングランド）の海岸に達した日です。ちろん、総司令官はかの<strong>ユリウス・カエサル</strong>（後のシーザー）です。<br />
私は<strong>塩野七生</strong>さんの「<strong>ローマ人の物語</strong>」がとても好きで手軽な文庫本を読破しています。特に好きな年代は何度か読み返していますが、カエサルがブリタニアをほんの一瞬ですが「<strong>斥候遠征</strong>」したことがあります。このことを契機に英国がその存在をローマに知らしめたとして、後年<strong>チャーチル</strong>が「<u>歴史の始まりである</u>」という名言を残します。<br />
カエサルがブリタリアの攻めたのは、彼が<u>45歳</u>でガリア戦役が始まって四年目のことです。七生さんは一般的な「<u>ガリア戦記</u>」（戦記は出来ごとを年代順に書き残した記録書）といわず実際の戦争の行動期間をいい表すために「<strong>ガリア戦役</strong>」としています。言われてみるとそのほうがすっきりします。この戦役は通算八年間続くことになりますが、最終的にはこの戦役によってカエサルの持つパワーは強大に成長していくことになりますが、、当初はそう大きな軍団ではありませんでした。彼はこの八年間に彼に従う強靭なチームを作り上げていく事になります。もちろん<u>ルビコン前の出来事</u>です。彼女のこの本を読めば読むほど<strong>ユリウス・カエサル</strong>が魅力的で、惹かれていきます。且つ彼が<strong>「大器晩成</strong>」だったことがよく理解できます。</p>

<p>私たち日本人は、この国のことを説明するとき、ごく日常的に「<strong>英国</strong>」または、「<strong>イギリス</strong>」と呼んでいますが、たぶん説明足らずの表現ということになるでしょうね。この国の成り立ちは歴史上の経緯からして複雑な構成要素がたぶんにありました。正式には「イングランド（England）」と表記しますが、本来の意味は、"グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国"（イギリス）を構成する4つの「国」（country）の1つである。」と認識した上で、使わなければならないンでしょうね。ですので、少なくとも「<strong>イングランド</strong>」と表現することが最低条件の様な気がします。</p>

<p>英国は日本同様に島国ですが、日本と異なり近隣に強大な国々が歴史上頻繁に勃発したので、そのつど影響を受けます。日本での占領の危機は二度の元寇と日本が自ら招いた先の大戦の米国の実質占領の三回しか経験がありませんが、英国はカエサルのローマ軍が引き上げた後、ゲルマン系アングロ＝サクソン人が侵入して、ケルト系ブリトン人を征服または追放してアングロ＝サクソン七王国を興します。その後、アングロ＝サクソンの諸王国はデーン人を中心とするヴァイキングの侵入によって壊滅的な打撃を受けますが、最後に<u>ウェセックス王アルフレッド</u>がヴァイキングに劇的に打ち勝ってロンドンを奪還します。この当時の指導者であるアルフレッド王（在位871年 - 899年）がロンドンを手に入れたのは、878年の「<strong>エディントンの戦い</strong>」於いてです。<br />
そして、東部地区を除いて、ほぼイングランド南部を統一します。その後、エドガーの時代に北部も統一され、現在のイングランドとほぼ同じ領域の王国となるわけです。世界史専攻の人には簡素化しすぎた説明かもしれませんが、お許しください。<br />
この様に、英国はカエサルの時代から戦乱が続き、この後も長く長く続きます。日本と違いこの国では、実際にイングランド人以外の統治が長く続くことになる訳ですが、一番長期に政権を維持したのはやはりフランスです。例えば、かの有名なヘンリー三世がいますが、彼はアンジュー王家の血統を厳格に守り、生涯イングランド人になることを拒み続けた王として有名です。<br />
しかし、その彼が1239年に生まれた長男を、イングランド名の「<strong>エドワード</strong>」と名付けたことから、国民はこの命名を喜び、<u>エドワード一世</u>として王位に就くや、イングランド名の国王としての再来と、強く彼を支持する国民感情が高まったようです。実はそこを狙ってエドワードという名をつけた訳ではなく、全く別な理由で命名されたのですが。</p>

<p>エドワード一世も、血統では父王同様全くのアンジュール人でしたが、<u>ノルマン征服</u>（1066年に所謂ノルマンディー公ギヨームによって征服され、ギョームがウィリアム1世（征服王）として即位し、ノルマン王朝は開かれます。当然、アングロ＝サクソン系の支配者層はほぼ一掃されてしまいます）の1066年からすでに200年を過ぎているとあって、貴族階級だけでなく、広く英仏の混血化が進んで、当時はフランス語しか話さなかった貴族階級も<strong>英語</strong>を使い始める時代に突入していくのです。そして彼は父王とは全く異なる国王として統治に望み、多くの事績を残していくことになります。<br />
彼は歴代イングランド王の中で、きわめて有能な国王の一人としてその名を残しました。<br />
しかし、一方では、<strong>対ウェイルズ戦</strong>（1276-1295）、エドワード三世まで続く、<strong>対スコトランド戦</strong>（1296-1341）、その後は1337年から始まる、フランスとの<strong>百年戦争</strong>、ヘンリー六世の時代の<strong>仏からの撤退</strong>（1453）、そして1455年から始まる<strong>ばら戦争</strong>に続く訳ですが、この撤退を契機にフランス系のイングランド諸領主も次第にイングランドに定着し、イングランド人としてのアイデンティティを持ちはじめ、最終的には民族としての<u>イングランド人が誕生</u>するという物語となります。<br />
英国がその国威を世界に示す基盤は、15世紀後半にやっと固まってくるのです。</p>]]></description>
<dc:subject>フロンティア</dc:subject>
<dc:creator>Harumi Watanabe</dc:creator>
<dc:date>2009-07-31T06:28:21+09:00</dc:date>
</item>

<item rdf:about="http://www.brainsellers.com/cuttysark/2009/07/post_36.html">
<title>紙とデジタル</title>
<link>http://www.brainsellers.com/cuttysark/2009/07/post_36.html</link>
<description><![CDATA[<p>最近は本を読む時間があまり取れません。<br />
忙しさを理由にしている向きはありますが、とにかく公私共に趣味や雑用が多く、じっくりと本を読む時間がなかなか取れない状況です。<br />
それでも、最近十冊程度の本を読み終え、さらに二冊の本が執務机に載っています。<br />
読み終わった本でとても感銘をうけた本は、<br />
「<strong>風の中のマリア</strong>」「<strong>ゆびさきの宇宙</strong>―福島智・盲ろうを生きて 」の二冊でした。<br />
そして、これから「<strong>lQ84</strong>」と「<strong><strong>シリコンバーから将棋を観る</strong></strong>」の二冊を読みたいと思います。<br />
いずれもアマゾンで購入したものです。<br />
そこで、<br />
最近「<strong>スクリブド（Scribd）</strong>」というサイトがあることを知りました。<br />
"いたずら書き"または、"走り書き"という意味の英単語のScribbledを略したもので、「<strong>誰もが創作を楽しみ、その喜びを皆と分かち合ってほしい</strong>」との意味合いがあるそうです。<br />
このサイト、いろいろな面で画期的です。</p>

<p>もう、二十年くらいになりますが、この「スクリブド（Scribd）」の記事を読んで突然思い出した事があります。それは物理的な本とデジタルの違いを鋭く洞察したエッセイでした。<br />
タイトルも誰が書いたものかもすっかり忘れましたが、主旨は鮮明に覚えています。<br />
それは、私たちが今手にしている<u>本という物質的な制約がなくなってしまうという物語</u>です。<br />
コンピュータと文学者の結びつきは、非常に古くワードプロセッサーの登場から密接な結びつきが有ります。いまでは、書籍のデジタル化は一般的なことになっています。それは、あらゆる書物が仮想空間のなかで電子化されつつあるという事実を物語っています。<br />
ネットは、膨大で、かつ巨大です。<br />
物質性を離れると言う事は、今まで私たちが千年以上に渡り血の中にまで色濃く定着し、固定化した書籍の文化を離れると言う事が前提となりそうです。<br />
正確には、ネットがそれを実現可能な方向に導いていると言う事になるでしょうか。<br />
このあたらしい文化は確実に新たなフェーズに進んでいると思います。<br />
言い換えると、我々が慣れ親しんできた、モノとしての本の属性がもしかすると、失われてしまうのかも知れないと言う事です。<br />
これを私たちは、どのように考えたらよいのでしょうか?</p>

<p>デジタル化された本は、物質では有りませんので、いわゆる「パルプ」は不要です。<br />
あるのはネットが繋がったディスプレーかモバイル端末か専用機です。<br />
たぶん、電子の本には私たちが、長い間文化として作り上げてきた慣れ親しんだ「厚み」とか「重さ」とか「匂い」が有りません。 <br />
果たして、本が本来持っている「厚み」「重さ」「感触」といった属性を全てすててもいいものなのでしょうか。<br />
 <br />
一枚一枚めくる指の感触、脇に抱える厚みと重さ。 <br />
ページを開いたときのインクの匂い。<br />
どれをとっても独特な雰囲気です。って、少女っぽく考えるのは感傷的で、ITを推進する企業の経営者の言葉ではないのかも知れませんが。<br />
しかしです。本が本来持っているこのような属性と書かれている内容は、全く無関係といえば、その通りなんですが、だからと言って、本当にそう「言い切って」いいものでしょうか。 </p>

<p>本の物質性と読書をする行為との間には、もっともっと深遠な関係が存在しているように思えてならないのです。<br />
次世代には、物質としての形を持たない「本」が、前提になりそれを受入れ、それに慣れ親しんで<br />
しまうと言う事なのかもしれません。なんて、SFっぽいンだろう。<br />
しかし、いまの今、考えるには、ちょっと恐ろしいことの様に思えます。<br />
もちろん数十年といった単位だとは思いますが。で無いかも知れないところに摩訶不思議がある訳なんです。 <br />
物質と情報は、独立してしまい具体的に本を読むという「心」とか「体」とかの感性に対して、別な次元での知識を習得するという行為になり、両者との関連性をうまく両立しなければ為らないということになりはしませんか。 <br />
いろいろ、考えさせられてしまいます。</p>

<p>たとえば、物質的な「本」であれば、表紙を眺め、ページを開き、めくり、閉じる。<br />
「開く」という言葉には「啓く」という意味が附帯します。<br />
この「啓く」は当然のことながら「啓示」に通じ、この言葉の持つ意味を探れば、宗教的な起源にたどり着く事は明白です。</p>

<p>ひとつ印象的なお話が有ります。 <br />
それはある「学ぶ」という物理的な光景です。 <br />
ヘブライ人（すでに死語に近い）の子供達が、ヘブライ語のアルファベットを習う最初の日に、教師は子供たちにそれぞれ石版に最初の文字を「蜜」で書かせ、それを舐めさせる儀式があるそうです。子供たちは、文字を最初に学ぶ瞬間に、知識は「甘美」なものであることを感得するちがい有りません。素晴らしい儀式と思いますが、もうこの儀式は古典的な儀式しかもしれませんね。</p>

<p>この時の「文字」の持つ力は、当然のことながら活字でも不可能であるし、ましてやデジタルでは有得ません。この儀式は、文字を単なる伝達媒体とする考えからは、絶対に出でこないでしょうね。<br />
文字が電子化される事により、本来の読書や読書をするという行為・行動が培ってきた指先や手の動作が電子化してしまう事により、本来持ち続けた「感触」といった様な属性がほとんど失われてしまったらどうなるでしょう。ヘブライ語を最初に習った子供たちの教育という中に持っていた、文字と味覚の直接的結びつきは、日本の（漢字文化圏）「書道」に合い通ずるかも知れません。<br />
書道を習う子供たちは、決まって手やブラウスの袖やズボンを墨で必ずといっていいほど汚します。文字は「染み」を作るものである事を、手を汚しながら体で理解することの重要性は、文字の電子化の中には絶対に存在せず、それがまた、大きなうねりの波に呑まれて、本が本来持ち続けた属性をすべて淘汰していくのでしょうか。</p>

<p>きっと、そのこと自体、今の時点で重大事であると言う事に、私たちは、たぶんはっきりとは認識できず、何十年という歳月によりその重要度をはっきりと認識し、しかしその時にはきっと、取り返しのできない染みを発見し、その広がりに呆然とするのでしょうね。</p>]]></description>
<dc:subject>主義と主張</dc:subject>
<dc:creator>Harumi Watanabe</dc:creator>
<dc:date>2009-07-27T05:49:30+09:00</dc:date>
</item>

<item rdf:about="http://www.brainsellers.com/cuttysark/2009/07/post_27.html">
<title>食と芸術</title>
<link>http://www.brainsellers.com/cuttysark/2009/07/post_27.html</link>
<description><![CDATA[<p>「<strong>雨ニモマケズ</strong>.....<strong>風ニモマケズ</strong>.....<strong>雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ</strong>............」<br />
そして、<br />
 「.....<strong>一日ニ玄米四合ト、味噌ト少シノ野菜ヲタベ</strong>.....」と続く詩は著名な明治の大詩人・<strong>宮沢賢治</strong>の｢<u><strong>雨ニモマケズ</strong></u>｣の中の一小節です。誰でもが一度は口ずさんだ有名な詩です。賢治は他にも身近なことをテーマした詩が多く、なかでも「銀河鉄道の夜」や「風の又三郎」は幻想的で、叙情的で、とても美しい詩です。それに夢があります。<br />
彼は、叙情的な詩を詠う詩人としてだけでなく<u>..一日ニ玄米四合ト、味噌ト少シノ野菜ヲタベ</u>..にあるように、農民の日常生活を芸術の域にまで高めようと理想に燃えていた科学者でもあったと言われています。食というあり前のことを、単に食の充足のみとする従来の考えから脱却する発想をもっていたと言われています。<br />
「食」を理論的な視点で語ると、<br />
『人間が社会的・歴史的存在である限りにおいて、食にまつわる儀式や習慣、食品や料理法への知的理解度、さらには食事の作法やその場での演出等々、全てをあわせ持ったものが「食」であり、<u>食そのものが重要な文化的要素</u>である』だそうです。まったくもって妙を得ていると思います。</p>

<p>しかし、過去の日本の文人や学者は、どうしても孔子の「<strong>論語</strong>」の思想が支配的だった為に、いわゆる「<u>君子は道を謀りて食を謀らず</u>」や孟子の「<u>君子は厨房を遠ざく</u>」といった類の儒教的な発想で長い間推移してきた背景があります。私も大いに孟子の教えを盲目的に守っているひとりであると自認していますが。。。。</p>

<p>私の知人に自分の本業のほかに「<u>ベジタブル&フルーツマイスター</u>」の活動を野菜ソムリエとして、アンチエイジングライフを楽しんでいる方がいます。<br />
コンセプトは、「アンチエイジング医学に基づいたものでありながら、<u>人間の自然治癒力、免疫力、潜在能力</u>を引きだすこと。」だそうです。野菜と果物に含まれる抗酸化物質による酸化防止等によって、驚くほどアンチエイジングになり、生活空間を変えられるそうです。よ。</p>

<p>食とは、全てひとの口に入るもの。<br />
その影響は１０年後や２０年後に現れてくるものだと思っています。とても重要な生活そのものですね。<br />
ところで、<br />
日本の芸術や芸能のルーツを辿れば、やはり中国から渡来したと誰でも想像し、知っていることですが、日本の芸術や芸能のほとんどは中国のいわゆる<u>唐様の芸術や芸能</u>の輸入です。しかし、一旦輸入されると、国内に定着しはじめ、その後「その風土や習慣にとけ込んでしまう」ところが日本的でとても面白いですね。また、それ以前に渡来して定着したものにも、新たに新規の文化が混入し、重なり、より和洋化された文化が醸成されるという訳です。そして何年も重ねて、混ざって、独自化したのですね。<br />
日本人の受け入れ安さと工夫は素晴らしいものがあります。時間が経つにつれて日本固有の文化に成長するのですから。</p>

<p>「<strong>芸術や芸能</strong>」はそれぞれの発展過程で、修行や鍛錬が厳しく行われ、競演や競技に発展し、理論武装され、その道の極意が発見されるまでに至ります。<br />
日本の文化は多岐にわたりますが、代表的な芸術・芸能は六道と言われいます。<br />
書道、花道、連歌道、能楽道、花道、茶道です。</p>

<p>しかし、前述の「<strong>料理</strong>」または「<strong>料理法</strong>」に関する芸術性や長い伝統で育成された文化は、なぜかこの六道に列挙されていないのです。それは、儒教のせいでしょうか。それとも、元々食という文化は理論や極意を必要としない領域なのでしょうか?</p>

<p>現代まで、料理または料理法も当然ながら長い年月を経て熟成し、芸能といわれる域に達していると感じますが、さて「<strong>道</strong>」に数えられないその理由はあるのでしょうか?</p>]]></description>
<dc:subject>芸術と芸能</dc:subject>
<dc:creator>Harumi Watanabe</dc:creator>
<dc:date>2009-07-24T05:48:51+09:00</dc:date>
</item>

<item rdf:about="http://www.brainsellers.com/cuttysark/2009/07/post_33.html">
<title>おひとり様一回限り</title>
<link>http://www.brainsellers.com/cuttysark/2009/07/post_33.html</link>
<description><![CDATA[<p>「<strong>おひとり様一回限</strong>り」とは、映画館や音楽会の入場券の裏面に、小さく印刷れているその券の使用目的です。<br />
現在では、インターネットやチケット"ぴや"やコンビニで受け取ってしまう味気ない簡易チケットにはありませんが、以前の入場券には必ず印刷されてた言葉です。</p>

<p>この言葉に私たちはあまり意味を感じられず、当然ながら意識もしません。<br />
しかし、人生のあらゆる出来ごとはこれと同じではないでしょうか？<br />
人々は"<strong>死の一回限り</strong>"にのみ、真実を見て、生における「<strong>おひとり様一回限り</strong>」を演ずることになります。</p>

<p>あるテレビ局の知人に誘われ京都で集った、友人の会に参加し、食事をしながら業界を隔てた多くの知遇を得ました。交友関係の幅広い知人で、この様な会をしょっちゅう集めて、ありがたくも声を掛けてくれるのです。<br />
その京都ですが、一口で言い表せない特別な魅力を持っています。例えば、金閣寺、銀閣寺、清水寺、龍安寺等の寺院と庭園、その他にはおいしい京料理のお店等々好きな場所や好きなお店を挙げたらきりがあません。私は、この様な場所は他に知りません。</p>

<p>幼名を春王といった<strong>足利義満</strong>（あしかが・よしみつ）は室町幕府の第3代将軍で、清和源氏の一家系で、あの有名な鎮守府将軍・八幡太郎源義家（はちまんたろうよしいえ）の子を祖とする足利氏の嫡流です。彼は数え10歳で３代将軍に就任しましたが、祖父尊氏（たかうじ）も成し遂げられなかった約60年続いた懸案事項の南朝のＭ＆Ａにもその手腕を発揮し、難事案件を難なくまとめ上げます。<br />
また、晩年には西園寺家から京都北山の「北山弟」（ほくさんてい）を譲り受け（または無理に寄進させてた）、金閣（舎利殿・後の金閣寺）を中心とする「北山第」（きたやまてい）を造営したことは周知の事実です。日本人でほぼ金閣寺を訪れていない人はいないくらい、修学旅行等の定番観光コースです。</p>

<p>今から七百年も前に、ここから豪華絢爛の<strong>北山文化</strong>が生まれいます。<br />
さらに、もうひとつ、<u>義満は重要な古典文化の興隆</u>に深く深く携わっています。<br />
それは「<strong>お能</strong>」です。能は義満抜きでは語れないほど深く彼自身の内面的な領域まで関わっています。<br />
能の発祥はここでは省きますが、<br />
大衆の支持によって芸術性を高揚した観阿弥の芸は、少年時代の世阿弥の可能性とともに、時の将軍・足利義満の目にとまります。<br />
この出会いは、二者にとって非常に運命的であり、恣意的でもあります。<br />
また、この出会いこそ、両者の目的が合致した、観阿弥・世阿弥親子にとっても将軍義満にとっても非常に重要なことでした。<br />
義満の将軍職在職期間は26年間と比較的長い期間ですが、彼はその後院政を統べるので、その期間をいれるとほぼ40年間担当しました。これは当時もその後にもかなり突出した長期政権となりました。だからこそ、文化の醸成に金も時間も人も、長期に渡って必要な手を打てますし、今に残る芸能の基盤がこの当時うまれ育ったことに納得できます。<br />
ここにひとつの疑問が沸く筈です。<br />
彼は、何故観阿弥・世阿弥親子の田楽から脱皮しようしたこの当時の能に興味をもって、国家的に庇護を考えたのでしょうか？という疑問です。<br />
能の歴史に初心者である私に解るはずなく、なので見識者の言葉を借りることにします。<br />
すると、こうです。<br />
「<u>この新しい芸能は、義満にとって既成の貴族文化に一矢を報いる絶好の自己証明の機会であったろう</u>」とし、「<u>それは教えられた貴族文化の中には絶対に存在せず、しかしたいていの貴族芸術よりもさらに貴族的となりうる可能性を秘めた芸能であった</u>」と権力者である義満側からみたこの能という新しい芸能を自己の成長に重ねようとした彼の意図を鋭く抉っています。<br />
この二つの言葉を繰り返せば、繰り返すほどに、しっくりと当時の義満の自信と気合いが充実している権力者としての気迫が伝わるようです。そうは思いませんか？</p>

<p>この事によって、この新しい能は、今日に生きる原点となり、世阿弥は、義満の庇護の下にこの新しい芸術に専念します。そして、世阿弥の血の滲むような努力は、「<u>時に応じ所よりて、愚かなる眼にもげにもと思ふやう</u>」に大衆の支持にを引きつけながら、しかも貴族の高い鑑賞眼にもかなう高度な芸の工夫に費やされることになります。</p>

<p>義満は、応永１５年（1408年）3月、北山第に後小松天皇を招いて二十日にあまる歓待にあけくれます。そして、4月27日には、天皇臨席のもとに御所で次男・義嗣（よしつぐ）の元服式を行います。巨大な権力者には良くあることですが、彼も将軍職はすでに長男の義持（よしもち）に譲っていましたが、腹違いの次男義嗣を偏愛したと伝えられています。結局この偏愛が理由で義嗣は兄に殺されることになります。<br />
そして、義満は元服式の二日後に発病します。<br />
発病の原因は、度重なる行事によるストレスや義満が皇位簒奪（こういさんだつ）する意図を持ってとして暗殺ではという憶測もありますが、5月6日に気力精力とも常人を超えた最高権力者はあっけなく亡くなります。</p>

<p>時の最高権力者による観阿弥・世阿弥親子の大パトロンは、能を愛し、能を育成し、自らも芸能に深く関与し、700年後も延々と生き続ける芸能を世に送り出し、<strong>50歳の生涯</strong>を閉じます。</p>

<p>時の最高権力者という庇護者を失った世阿弥は、この後長い不遇の時代を送りますが、義満よりも35年も長生きし、80歳の天寿を全うします。</p>]]></description>
<dc:subject>リズムと命</dc:subject>
<dc:creator>Harumi Watanabe</dc:creator>
<dc:date>2009-07-20T05:54:16+09:00</dc:date>
</item>

<item rdf:about="http://www.brainsellers.com/cuttysark/2009/07/post_28.html">
<title>プレステージ（続き）</title>
<link>http://www.brainsellers.com/cuttysark/2009/07/post_28.html</link>
<description><![CDATA[<p><u><a href="http://www.brainsellers.com/cuttysark/2009/07/post_384.html">前回からの続き</a>。</u></p>

<p>ロンドン博の三年前、1848年にカリフォルニアで金が発見され、これを「<strong>ゴールド・ラッシュ</strong>」と呼んだことを中学の社会科で習ったと思います。歴史は時には面白い組み合わせをしますね。ゴールド・ラッシュの続く中、<u>ロンドン博もアメリカ号の建造も英国でのレースも、ペリー提督による江戸幕府派遣</u>もなされたという訳です。カリフォルニア、ニューヨーク、英国、日本と場所こそ異なりますが、ほぼ同時進行で歴史は時を刻んでいきます。<br />
ゴールド・ラッシュ以前は、一寒村であった<strong>カリフォルニア</strong>に、東海岸から数十万人も金を目当てに人々が集まったといわれています。詳しい統計はありませんが、その半数は幌馬車を仕立てて砂漠を横断し、一路西海岸を目指しました。ロッキー山脈を越えるアドベンチャー的な危険を伴った旅であったと思います。しかし、残りの半数は海路を選んだと言われています。その証も確かにあります。もしかしたら、陸路よりもっとリスクが高いのでは?!　いや、むしろ安全だったのかも。<br />
金鉱発見前の1848年4月以前は一年間にサンフランシスコ湾に入港した帆船はわずか<strong>四隻</strong>でした。それがその後一年で、なんと<strong>７７５ 隻</strong>という途方もない激増ぶりです。航路はもちろんニューヨークを出帆して、南アメリカの最南端のケープ岬回りでカリフォルニアに到達するのですが、当時の帆船のスピードでは<u>早くて150日、遅くて240日</u>でした。需要と供給はまさに現在のエアーラインと同じです。多くの人を運ぶには、多くの機材の確保と効率的なローテーションが必要となり、必然的に足の速い船が欲しくなり「<strong>快速帆船の建造</strong>」となります。これは時代の要求です。ここに登場したのが、すなわちサンフランシスコへの急行便として建造されたクリッパー・シップである「<strong>カリフォルニア・クリッパー</strong>」です。<br />
船を作るときにもっとも重要なことは、天候の要素を除くと、<strong>斬新な設計の精度</strong>とその船をドライブする<strong>船員の技術力</strong>です。このような時に時代には必ず要求された人が現れるものです。<br />
それが、「<strong>ドナルド・マッケイ</strong>」という帆船設計者です。<br />
彼が<u>カリフォルニア・クリッパー</u>として最初に設計した「<strong>スタグハウンド</strong>」という帆船は、1851年の処女航海で<strong>110日間</strong>の区間最高記録を出しました。ざっくと50日間の短縮です。そして、この船の実績を踏まえてより斬新な設計をした「<strong>フライング・クラウド</strong>」は同じ年になんと、<strong>89日間21時間</strong>という前人未踏な区間記録を作ります。時間当たりの<strong>平均速力は18.5ノット</strong>になります。これはとんでもない記録です。この当時のホーン岬周りは航路的にかなり精度が高まったとはいえ、まだまだ予断を許さない未知のエリアが多かったと思います。昔のシーマンは素晴らしく強靭な精神の持ち主が多かったんだと、いまさらながら感じるところです。西風の多いホーン岬沖は東に向かうときにはまだ、比較的進めても、反対に西に向かうときは帆船にとって非常に厄介なエリアであることは間違いありません。行きはよいよい、帰りは怖いというやつです。いや、本当に間違いなく恐ろしいエリアなのです。</p>

<p>実は、ニューヨークで建造された「<strong>アメリカ号</strong>」にはこの様な環境が徐々に整えられていました。<br />
そこで、「<strong>パイロット・スクーナー</strong>」について話したいと思います。<br />
パイロット・スクーナーは船の形式ではありません。使い方または、用途に名づけられたものなのです。一般に港には港の特性があります。風の吹き方、島、潮流、浅瀬、水路、泊地、錨地等、その港特有の性質があるために、船が港外にやってくると、その港に精通した<u>水先案内人（パイロット）</u>を乗船させ、そのパイロットの誘導によって入港することが常識となっています。エンジンを持たない当時の船ではパイロットは不可欠なものです。この同時のパイロットは自由競争制でしたので、港外に入港船が見えるや否や小型艇に飛び乗って、一番先にお客さんのところにセールスに行かねばなりません。よって、高速艇が必要となりました。これをパイロット・スクーナーと呼び、足の速いスクーナーは当時は花形であり、きっと評判が評判を呼んだのではと思います。</p>

<p><strong>NYC</strong>の五人のオーナー達が「<strong>アメリカのスクーナーを代表するヨット</strong>」として建造するに当たって、新興国のアメリカらしく、ニューヨーク港で俊足のスクーナー設計者である<strong>ジョージ・スティアーズ</strong>という弱冠31歳の青年デザイナーを選んだことも納得がいきます。彼は確かに青年でしたが、すでにそれだけの重責を負託されるにふさわしい実績の持ち主でした。ジョージは造船一家の父親も元で、十代から設計を手掛け、すでに多くのスクーナーを竣工させていました。そして、彼が２１歳の時に設計した「<strong>ウイリアム・G・ハグスタッフ号</strong>」という船が素晴らしい快速船であったと記録にあり、長く歴史に刻まれる事になるのです。この若手の起用は時代や実績だけでなく、たぶんにスティーブンス会長のトップが持つ感性や積極性や賭けがあったのではないでしょうか。</p>

<p>建造についてもいくつかの強い意志が込められています。<br />
その根底には、「<strong>米国の建造技術を見せる</strong>」に集約されています。<br />
ひとつは、自力で大西洋を小型船スクーナーで横断できる仕様を設計及び造船所に申し入れたこと。想定外のこの事は、設計者にとっても造船技術者にとっても、操船するクルーにとってもとても大きな負担となりました。しかし、その負担は船の高速性能の他に、堅牢な船体構造となって具現化されました。そして、クルーにしても、当時からヨットレースはプロの仕事なっていましたので、熟練者の中でも超一級のスキッパーが選定されました。さらに、建造費は三万ドルと当時としては飛びぬけて高価な船になったこと。これも、英国においても恥ずかしくない艤装を求めた結果となり、最高級のアメリカ・クルミ材を船体にふんだんに用い、さらに船室は彫刻を施したマホガニー材で内装しました。</p>]]></description>
<dc:subject>フロンティア</dc:subject>
<dc:creator>Harumi Watanabe</dc:creator>
<dc:date>2009-07-17T05:02:45+09:00</dc:date>
</item>

<item rdf:about="http://www.brainsellers.com/cuttysark/2009/07/post_384.html">
<title>プレステージ</title>
<link>http://www.brainsellers.com/cuttysark/2009/07/post_384.html</link>
<description><![CDATA[<p>十八世紀後半に、スコットランドの機械職人の子として生まれた"<strong>ジェームス・ワット</strong>"（James Watt, 1736年1月19日 - 1819年8月19日）によって凝縮機、調速機、変速機の発明がなされ、これらの新技術によって、当時の蒸気機関は飛躍的な発展を遂げることになります。その結果、その後の産業革命が革新的に進展しました。その意味では、ワットの名は世界的に永遠に記憶に残ることになります。そして、英国で始まった産業革命は忽ちのうちに、西欧の世界を工業の中心に押し上げ、英国は「<strong>世界の工場</strong>」と称されるようになりました。</p>

<p>しかしです。二十世紀初頭に入ると製造業の中心は大西洋を渡って、米国にその主導権を握られることになります。米国は大量の自動車の生産、大規模な石油資源の開発と発掘、莫大な石油資源の化学による新素材の開発など、産業を原動力として世界の物づくりの頂点を極め、長く世界の製造業を牽引してきました。<br />
ですが、米国は1980年代以降になって、自ら「<strong>脱製造業</strong>」のスローガンを掲げ、強力にこれを推進し、猛スピードで<u>「経済のサービス化</u>」や「<u>ソフト化</u>」に移行していきました。</p>

<p><u>その結果どのような事が起ったかは、周知の通りとなりました。</u><br />
二十一世紀初頭の現在、世界の製造業の主軸は太平洋を越えて、中国から東南アジア諸国連合とインドを結ぶ<strong>トライアングル地域</strong>に完全に移ったと納得せずにはいられません。<br />
その証拠に、世界が終ってもビック３は残ると言われるほど強固なGMやクライスラーは経営破綻となり、政府介入、売却、事業解体等を余儀なくされました。唯一残っているフォードにしても、米国製造業を象徴する「<strong>フォーディズム</strong>」はすでに形骸化しているといわれいます。これに代わって、いまは、「<strong>トヨタイズム</strong>」です。</p>

<p>昨年秋に発した金融危機の主な舞台は、米国東部と英国、フランス、ドイツ等、北太平洋の沿岸地域でした。日本も被りましたが、この国々に比べると軽度であろうと言われいます。言ってみれば、世界の金融が大西洋を越えて影響し合ったと言えるのではないでしょうか。<br />
また別の観点で捉えると、<br />
脱製造業から強欲な金融至上主義にある時点から、その軸を大きく振ったその真意は、元来血の中に埋め込まれている欧米文明という根本的な思想のせいかもしれませんね。</p>

<p>しかし、その様な破壊的な金融危機の中で、世界でほぼ唯一、経済成長率が堅調なのは<u>中国、インドネシア、インド等のアジアの大国です。</u><br />
これらの国々は、いずれも<u>製造業によって国内需要を基本</u>として成長し続けています。</p>

<p><strong>歴史は繰り返すという訳です。</strong></p>

<p><br />
さて、製造業という観点で、英国と米国とアジア諸国の過去と現在をなぞって見ました。こうして過去を振り返ると見えてくるものがあります。それは、英国です。大航海時代に始まり、産業革命を興し、世界の工場と称されるように、「常に世界をリード」してきたその国威は、まさしく<strong>世界で初めてPrestigeを得た国</strong>として十分な存在感を感じます。でも、その英国を常に脅かしたのは、米国です。</p>

<p>そこで、<u>西欧諸国の中で最も存在感のある英国と大西洋で向かい合う大国の米国との「プレステージ」を一つの行動によって立証したいと思います。</u>この二国は長くプレステージを奪い会いました。しかし、この"Prestige"という言葉は、日本人の私たちには馴染みの薄いものです。では、この二国間の"Prestige"は、どこに存在し、どのような形で私たちの目に映るのでしょうか。</p>

<p><u>PrestigeをWikipediaで調べると、</u><br />
名前の付け方が多様化した時代にマーケティング・広告宣伝にかかわる人たちからそれまであまり日本語としてはなじみのない"プレステージ"という言葉を商品名として使用することが広まる。日本でも一般化し、ネーミングとして様々なものに使用されている。ただしその意味は、「<u><strong>地位、名声、卓越性、傑出</strong></u>」していることといった英語の本来の意味に加え、そこから連想される、「<u>贅沢さ、特別なもの、他にないもの</u>」、といった意味も加えられている。でした。</p>

<p>この解説文を読むと、日本人の言葉の使い方、行間の読み取り方、語彙の豊富さ、どれをとっても驚異としか言いようがありません。しかし、驚異がどこにあるかは、説明を省きます。<br />
</p>]]></description>
<dc:subject>世界の風</dc:subject>
<dc:creator>Harumi Watanabe</dc:creator>
<dc:date>2009-07-13T05:27:28+09:00</dc:date>
</item>

<item rdf:about="http://www.brainsellers.com/cuttysark/2009/07/post_383.html">
<title>クチナシの香りとBaiu</title>
<link>http://www.brainsellers.com/cuttysark/2009/07/post_383.html</link>
<description><![CDATA[<p>今年の春に北京と上海を訪れました。</p>

<p>帰国日に土曜日を挟んだのでほんの僅かの時間を博物館の見学に充てました。<br />
見学は二時間と決めていますので、毎回テーマを絞りますが、今回は墨絵の「三清」です。</p>

<p>三清とは、枯木に石と竹を配置して描いた墨絵を指す言葉らしいです。枯木の過ぎ去った哀愁や山石や川石の冷淡な石のヒヤリとする触感に対して、若竹のもつ青く、清々しい生命力を加えることによって、人の世は若竹のように清々しく生きたいとものと、表現する墨絵らしいです。<br />
墨絵を輸入して日本文化に置き換えた日本の墨絵には、この様な思想はないと言われいますが、第一級の芸術家であれば輸入された墨絵を見れば絵に込められた意図は十分汲み取ることができたと理解する方が自然でしょう。</p>

<p>さて、三清ほど非日常的な文化でなくても、私たちの日常の中にも「森羅万象」を感じる、または接する機会はあると思います。その一つが香りだと思います。私たちが身近に感じる三つの香りを日常の中に見つけたいと思います。</p>

<p>初夏の今、早朝、自宅から駅に向う間に「<strong>クチナシ</strong>」の強い香りを感じます。この白い花弁から噎（む）せかえるような甘い香りに、心惹かれない人はいないでしょう。</p>

<p>次に、早春のころ、愛の香りと称えられる「<strong>ジンチョウゲ</strong>」が花開きます。紅梅や白梅より、やや遅い時期の二月下旬のころですね。「沈丁花」と漢字では書きますが、本来は漢名の「瑞香」が望ましいそうです。かな変換でも沈丁花と変換されますので、ほぼ一般的といえますが。<br />
花は、内側が白で、外側が紫紅色に染まる二つの色合いを、たくみに配分したいでたちがもっとも多いです。とにかく、ジンチョウゲは<u>情熱的な香りの広さ、深さ、激しさ</u>を持っていると思います。まさしく、愛の香りにふさわしい香りの花です。</p>

<p>さらに、秋になると、一日が爽快な気分で始まる事をたくさん経験しますが、反対に寂寥沈静のうちに一日の幕を閉じることもままあります。秋とは、なんとなくものを想い、そしてボーっと過ごしたいというような感覚に陥りやすいと思いませんか?<br />
秋の一段と爽やかさが増す中秋の頃に、つつましく花を飾る「<strong>キンモクセイ</strong>」は私たちの心を引き付けます。私はこのころ、自宅の裏口の遊歩道に大きなキンモクセイあり、その下を毎朝くぐって通います。その芳しい香りは、一日を爽快な気分にさせてくれます。</p>

<p>これで日本の三香がそろいました。<br />
この三香は庭木や公園や緑道と、どこにでも植えられていますので、目にし、香りを嗅ぐことが多いポピュラーな樹木です。</p>

<p>クチナシの固有種は一重咲きだそうですが、私たちがみるクチナシは八重咲きです。しかも、その葉は一年を通していささかも色が褪せぬばかりか、健康的な明るさが感じられるのも特徴です。光沢の強い濃青色は5月により鮮明になり、やがて花開き香りを放ちます。<br />
<u>池坊の口伝</u>の中に、<br />
"クチナシを瓶に指すときは、紫陽花、竜胆（りんどう）、野菊なとのように高く生けてはならぬ"とあります。きっと、この花の放つ香りを、低く生けて、より深く、より細やかに、生かそうとしたのでしょう。池坊は室町時代にその基本形式を確立したと聞きましたが、可憐な一輪を無造作に瓶に「投げ入れ」から豪華な大立花（だいりっか）の活花まで、その領域は幅広く、奥が深いです。<br />
反対に、<u>茶道</u>においては"クチナシの花"を茶席に生ける事を極度に忌み嫌った。とあります。クチナシの放つ深々とした強い香りが、密室の静けさを基本とする室の空気をあやしくかき乱すことに、茶人たちは、疎ましさを感じたのではないでしょうか。</p>

<p>クチナシの名前の由来ですが、内部に黄色の肉塊と種子をもつ果粒が、秋になっても、頑として口を割らない、そのかたくなな用心深さゆえという説があります。クチナシの匂いにつられて近寄ると、名前の由来を改めて感じます。</p>]]></description>
<dc:subject>調和</dc:subject>
<dc:creator>Harumi Watanabe</dc:creator>
<dc:date>2009-07-10T05:24:18+09:00</dc:date>
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