時代を読む嗅覚
2009.07.02
常々日本の女性は、ルイ・ヴィトンが好きだなぁと思います。
以前聞いたことがあります。「日本の女性の三人にひとりは、ルイ・ヴィトンを持っている。」と。
それと、面白いことに、彼女たちは"ルイ・ヴィトン"と言わずに、ただ「ヴィトン」ということも知りました。なんと彼女たちらしい言い方だ。
総ての"ブランド"に弱い私でも、長い時間をかけて、雑誌やショーウィンドーや、それに女性たち自身が実際に身に着けている、または持っているという事実によって、知らず知らず、自然にそれらの老舗ブランドを記憶に留めるようになりました。興味の無いことは記憶できない性質(たち)ですが、自然の流入は避けれません。
ただ、私が知る老舗ブランドは、冒頭の"ルイ・ヴィトン"と"カルテイエ"と、それに、"エルメス"と"シャネル"くらいです。まぁ、誰でもこの四つは知っているでしょうね。
これも、新聞や雑誌で知りましたが、"ルイ・ヴィトンとカルテイエ"はグループ化して多数のブランドを傘下に収めている様ですが、"エルメスとシャネル"は未だに独自路線を貫いているようです。
もうひとつ、興味深い話しを聞いた事があります。
それは、たとえ"ヴィトン"のパックをいくつか持っていても「エルメスは別格よ!!」と、言いきります。
"ヴィトン"は好きでたくさん持つが、それ以上に欲しいブランドは"エルメス"ということでしょうか。
どうも"エルメス"は日本でも本家のフランスでも「ブランドの中のブランド」という認識があるらしいです。老舗ブランドの中にも格があるんですね。
ところで、フランス映画界は今「シャネルブーム」だそうです。老舗ブランドの一つで、比較的若いブランドとなりますね。生涯ファッションデザイナーであった「ココ・シャネル」(1883-1971)の劇的な生涯を取り上げた映画やテレビ放映が、このところ相次いで公開されているようです。
そして、日本でも秋に「シャネルになる前のココ」という映画が公開予定だそうですよ。過去に彼女の生き様に関する著書は多く出版されています。
「シャネルになる前のココ」という映画のストーリーは、Webに紹介されていますが、チョー・サマリーして紹介します。
シャネルが11歳の時に、母親が死に、遊び人だった父親は、田舎の孤児院に彼女を預け、音信不通になる。少女時代は裁縫を習いながら、フランス将校の駐屯地のクラブで歌を歌い、生活費を稼ぐ。その内、エリート将校の愛人になり、徐々にファッションの世界に足を踏み入れていく。というものです。ココという名前は、クラブ歌手時代の芸名です。これもとても有名なエピソードですね。でも、それを名前にしてしまうところに彼女の強かさを感じます。
さて、
彼女の商いに対する洞察力にとんだ言葉を書籍の中に発見しますが、その中で、最も彼女の独特な感性を発揮する「時代に対する嗅覚」を表現する言葉があります。
"モードはたんに衣装の中だけにあるものでなく、空気の中にあって、風が持ってくるものだ。人間はそれを感じ取る。モードは空にも、舗道にも、どこにでもある"
シャネルの成功の秘訣は、時代を読む嗅覚にあったようです。
彼女は晩年、ナチス将校と交際したために、対独協力者の烙印をおされ、長く非難されることになります。今、まさにセンセーショナルに公開されてる「愛を読むひと(The Reader)」もナチス親衛隊の看守になったハンナの人生と重なるものがあります。
原作は、ドイツの小説家ベルンハルト・シュリンクの「朗読者」で、ベストセラーになりました。読み応えのある小説です。
戦後モード界から忘れられていたシャネルですが、女性の社会進出を機敏に感じて、自分のデザインが力を発揮できるタイミングが到来したことを確信します。そして、15年間のブランクを物ともせず、71歳でファッション界にカンバックし、フランス業界の女王に返り咲くのです。
その少し前に、
後年、経営感覚が歴代最も俊敏であったといわれた"エミール・モーリス・エルメス"がエルメス社の三代目社長に就任します。彼は、過去二代にわたって伝統的な馬具製造業の伝統を生かしつつ、ファッション界に大胆な転進を行い、中興の祖と言われる経営手腕の陣頭指揮を執ります。
欧米では、老舗ブランドの品物を普通の若者が、日常的に使うという意識自体は、現在でも基本的には存在しないそうです。だとすると、本来は上流階級の持ち物であった老舗ブランド品を、なんとも思わない(?!)(ちょっと、言いすぎ?)ような姿で、日常的に持ち歩く、若い日本人女性は、海外では特異な存在として欧米人に映っているのでしょうね。って、いうか、かなり目立って顰蹙(ひんしゅく)ものなんでしょうね。
しかし、って、思います。
生まれた時から物が溢れて育った日本の若者層は、その母親の世代から受け継いだ、世界の消費文化の歴史の中でも鑑定眼は結構高いと考えられています。ただ、持つだけでなく勉強もしている様に、思います。
世界的にも「クール」と呼ばれる文化の担い手として、他のどの国よりも日本(最近はアジア人)の若者が老舗ブランドを牽引していると感じるのは、やはり彼らにそのパワーがあるということの証ではないでしょうか。
その意味では、近年、「丸の内」や「銀座」や「青山」にはブランド村が出来そうな勢いです。この村を見ていれば、誰だって「ブランド自体」が日本の購買力の高い若者に媚びていると思うのは私だけでしょうか?
偉業の分れ目
2009.06.29
先月久々に、日の出埠頭の数キロ先の海上から東京港一帯を見る機会を得ました。船に乗るのは久しぶりです。お誘い頂いた方には感謝しています。
海上には霧が立ち込めて幻想的な雰囲気でしたが、船上から見たものは旧石器時代の恐竜のように連立する数十機のガントリー・クレーン群でした。その向こうにはコンテナ船に積まれようとしている何千という荷主のロゴの入ったコンテナケースです。
はたして、あのコンテナ達は何処に運ばれるのでしょう。
近年特に感じますが、港はその景観を一新させた感があります。
経済が地球規模で活発になると、当然ながらそれに関連する多くの施設や装備が地表を覆うようになります。日に日に都市近郊の空港や港は、その装いを変えていく様子は、改めて私たちの住む地球の変化に気づかせてくれるようです。あの日の出埠頭の突然現れる巨大で沢山のガントリー・クレーンの出現のように。
今のところ、地球規模の荷物の移動手段のうち、国を超え、海を越え、というロジステック手段は圧倒的に船舶が有利です。量もコストもです。唯一、時間が失われます。
世界規模の輸送コストの三割は航空機によって消費されますが、その荷物の重量換算では99%以上が海運によって移動がなされてます。航空機によってすばやく荷物を輸送できても、その量は船舶が運ぶ量に比べると毛ほどにも満たないということです。
東京港湾のトワイライト・クルーズの船に乗るために、私は比較的近いところに会議をしていた関係上、事務所を出る前にGoogle Mapで検索した地図を事前に印刷して手に持ちながら目的の埠頭までを徒歩でいくことにしました。しばらく見なかった景観はそれはそれで楽しみましが、しかし若者の多くはiPhone片手にGPS組み込みの画面上の地図で現在の位置を知りつつ、目的地までの道をなんなく辿りついています。
当然ながらiPhoneには衛星電波を利用した位置測定システム(GPS)が組み込まれています。彼らは、その原理や構造を知っている訳ではなく、いや、もう少し突っ込んで言うと知る必要は無く、携帯電話機への付属の機能を使いこなしているという訳です。
国内で発売されてる携帯電話のGPSの組み込は今や珍しくはありませんから。
学生の頃、「航海術」とは船を地球上の一地点から、目的とする一地点へ、安全で、効率的に航行する技術であることを徹底的に教え込まれました。
この概念は非常にシンプルです。
自分の現在いる場所〔点〕を知り、行き先の場所とルート〔線〕を決めることです。iPhoneを使用している人たちは、実は同じことをしています。
しかし、このシンプルな「点」と「線」を知るために、過去に人類が払った犠牲は膨大です。長い長い時間と大量のエネルギーとコスト、そして人の生命です。それも大量の貴重な命です。
地球が球体であることを実態として認識し、実際に確認できたのは1522年にフェルディナンド・マゼランの船団が世界一周を成し遂げた時です。でも、それはわずか500年前の出来事ですよ。
当時、このプロジェクトの認識は、その後の我々人類が得た存在意義や恩恵や評価とは趣きがだいぶ異なりますが、いずれにしてもマゼランの只一人の超人的な意思の強さで、プロジェクトの具現化がなされました。そして、彼は念願通り国王に"新航路発見"のプロジェクトを承認させたのです。
ポルトガルの首都リスボン市のテージョ川岸に「発見のモニュメント (Padrão dos Descobrimentos)」が記念碑としてあり、32人の先人の偉業を称えています。フェルディナンド・マゼランこと"フェルナン・デ・マガリャンエス"は先頭のエンリケ航海王子の東側の五番目に位置しています。
彼の世紀の偉業を最も決定させた二日間があります。それは、新世界の海峡入口までの二日間という大きな分れ目を乗り越えたことにより達成する訳ですが、この二日間の心理的及び肉体的に受けたプレッシャーとストレスは、現在の我々の想像を遥かに越えた世界です。偉業とはそのようなものであると頭では理解できますが、彼のその時の胸中にはどんなことが渦巻いていたのでしょう。残念なことに海峡発見というプロジェクトの中間の節目を終えた彼は、その半ばで不慮の事故により神に召されますが、一年半薫陶した彼の意志はメンバーによって、引き継がれます。なので、プロジェクトリーダー不在のまま、故に多くの困難を強いられますが、なんとか工程は進行され、完結します。
百姓は国の宝である。
2009.06.26
麻生さん、毎日お疲れ様です。
麻生内閣の最新(06/22)支持率は17.5%(5月より9.9ポイント急減)だそうです。その中で、彼の「指導力」への評価も同時に急落(15.8%→10.9%)したようですね。これは、きっと、日本郵政の社長問題で、鳩山前総務相を事実上更迭した首相の判断が大きく影響していますね。また、政党支持率でも、自民党は20.1%で前回より7.4ポイント急落していました。政党支持率はとても重要です。一国の首相が交代する時に、毎回感じる末期症状の感がします。消費税の増率問題も尾を引いているでしょうね。しかし、東京都議選など地方選の結果を責任問題に「結びつくべきと思う」人は、5割を上回ったているにも関わらず、麻生首相のもと衆院選を「行うべき」とする人は、依然7割を超えているという面白い結果もあります。
一国の首相はなにをやっても大変です。
首相の一挙一動、挙措進退、その全てが、数時間後にはニュースとなり、国民総てが知るところとなります。
しかし、「支持率」等は些事であり、本質は「官僚と政治」のあるべき姿を問われてるのではないでしょうか?
「百姓は国の宝である。」という言葉があります。
一般的な意味においてあらゆる時代に通ずる真理です。
しかし、これからお話しする徳川時代においては特別な意味合いをもった言葉となります。
現代に置き換えて言うのであれば、お百姓さんのみならず、全国民をさし、"民は国の宝である"ということでしょうか。
さて、徳川幕府時代に戻って。
"百姓は国の宝である。"なので、百姓の人格を尊重しなければならない。という理論の発展に向かう思想ではありませんでした。その所以は、この国を支配していく上で、仕組み上支配階級の経済的な勢力が彼らの納める年貢という基礎の上に築かれていた社会であったからです。その階級はもちろん武士軍団の階級です。
「士農工商」の最下位の町人から一定の租税を取り立てることを思いつかなかったほど、いや、思いついてもそんなことをしたら恥辱とするほど、「商」を軽んじてたこれらの武家軍団は、「年貢」のみを重大視していたのです。そのためには、百姓は勤勉ありで、質素従順で無知でいなくてはなりません。そして、せっせとお米を作って、自分たちは粟を食べて、お米はお上に納める。
これが徳川三百年の一貫した方針といえます。
中学の社会科で習う「士農工商」の最下位に位置させた「町人の商い」は幕府設立時点から制度の構造基盤に危険を孕んだ発想であるにも関わらず、ほぼ300年間手を打っていないところに、綻びの糸が見え隠れしていたんだと感じます。
最近とても興味深い本に出会いました。
「江戸の情報屋」の本です。この情報は公開前提の日記形式ですが、公式情報ですので作者の主観を出来る限り排除し、毎日ブログの様に事実を克明に書き続けました。このブログを「藤岡屋日記」と呼んでいます。幕末に今の群馬県藤岡市から江戸に上京した須藤由蔵という人が外神田の御成道(将軍の上野東照宮への参詣路)で古本屋を営みながら、65年間にわたり幕府の政策、人事、から新聞の三面記事まで幅広く記録しました。単にブログとしただけでなく、その情報にアドバンテージがあったので流通販売されていたようです。付加価値のある情報は昔も今も欲しいものです。今と全く同じです。
日本人で初めてブログを認識し、そして日本人で初めて書き始め、且つ爆発的に立ち上がると確信していたのは、たぶんジョーイ(伊藤譲一氏)だと思います。彼の先見性は圧倒的です。その彼のブログは、書き始めてすでに5-6年と思いますが、ジョーイがあと60年間もブログを書けるでしょうか。そう思うと、由蔵さんはすごいと思う。
再び早間美紀に出会う
2009.06.21
その一つ、NHK-FM局で朝のひと時を音楽番組として「バロック音楽」を流していました。
バロック音楽は1600年からバロック音楽の最大の巨匠であるヨハン・ゼバスティアン・バッハの他界によって締めくくられるわずか100年少々の音楽のスタイルです。
当時のラジオの音質は今と全く異なり、単に音が出ている程度でしたが、FM局はその方式から全く異なりました。ノイズが少なく、透明度が高く、ステレオで高音質の今でいう「無料音楽放送局」でした。なので、当時一年分くらいの小遣いをためてFM専用チューナーを購入し「バロック音楽」を楽しみました。
この番組の解説員が「皆川達夫」でした。
当時私は、この解説員のことは全く知らず、単にバロック音楽のエスコート役くらいにしか意識がありませんでした。しかし、バロック音楽を聞いたのは高校の三年間のみで、その後は全く聞く機会にありませんでした。
その後長い年月を経て「皆川達夫」に再び出会うことになります。
それは「バロック音楽」でなくきっかけは「お能」でした。
私にはJazzの師匠がいます。
彼とは10年以上前に一緒に仕事をしていました。知りあってから四半世紀になります。知りあったころは二人の年齢の違いよりも、数倍もかけ離れていた様な気がします。実際に役職的にもかけ離れていました。それほど私自身が、世間知らずで経験値の少ない子供であったからでしょう。それが年々、差が縮まり実際の年齢差になったのは10年も経てからだと記憶しています。長い10年でもあり、あっという間の10年でもありました。後半は比較的好みなJazzアーティストが演奏しているとライブハウスに出かけるようになりました。そして彼が健康上の理由から現役を離れると、いつの間にか私の師匠になっていました。
師匠は美しい高原の山の見える場所に、自分好みのログハウスを建てて、愛妻とその次に愛しているワンちゃんと優雅に楽しく過ごしています。そして、止めどなく仕事をしている私に遠くから、「早間美紀のライブ」の情報を送ってきます。
なんとありがたい。とは思いながら実は深い意味があります。
彼のFYIは一年半米国でライブ活動して成長したであろう彼女の近況を自分の代わりに見て、聴いて来いというわけなんです。
そして、「早間美紀」に一年半ぶりにあった。
場所は彼女が都内のライブハウスで最も好きな「BODY & SOUL」です。
あの京子ママのジャズ・ライブハウスです。
もちろん、美紀ちゃんは僕の事をよく覚えていました。
きっと前回は師匠と一緒にいたので、師匠の印象が強かったので、必然的に私の印象も記憶にあったのではと思います。
早間美紀は前々日NYを飛び立って5月13日の吉祥寺・SOMETIMEから始まり、15日の青山・B&Sを経て24日名古屋・STAR EYESを最後に翌日にはNYに帰るというまさに風のように駆け抜けたプライベート・ツアーでした。
演奏は日本でセットされた早間美紀(pf) 井上陽介(b) 小山太郎(ds)のトリオです。
一年半ぶりに会った「早間美紀」は以前より逞しく(いゃ、失礼!)、大人びた雰囲気でピアノの前に立ちました。そういえば、挨拶代わりに新型インフレエンザの影響もあって入管から携帯に発熱や咳の問い合わせがあって、たいへんですぅ。とこぼしていました。
今回のツアーは「早間美紀 NewCD《ワイド アングル》発売記念」ともうひとつ重要な意味を含んでいました。
それは、スイングジャーナル第8期"ゴールドディスク"受賞記念という快挙付きです。
彼女はこの受賞でNY在住ながら、人気も実力も兼ね備えた超一流となった訳です。
もともと実力は他を圧倒していたので、結果としては実績が後追いでついてきたということでしょう。
10曲のうち彼女が特に好きだというGeorge GershwinとTommy FlanaganとメンバーのDrums Mr.ビクター・ルイスの曲をフィーチャーした3曲を除いて、あとはすべて彼女のオリジナルです。何とすごいことだ。
Gershwinは私も大好きです。参考にニューリリースの全曲を加えます。
アルバム・タイトル「WIDE ANGLE」
1.What's Next? 6:58 (Miki Hayama)
2.Flying Horses 8:27 (Miki Hayama)
3.Another Angel 6:37 (Victor Lewis)
4.Horizon 7:56 (Miki Hayama)
5.Who Cares? 6:43 (George Gershwin/ Ira Gershwin)
6.Sound of Migration 5:05 (Miki Hayama)
7.Freight Trane 4:21 (Tommy Flanagan)
8.Dismissed 7:15 (Miki Hayama)
9.Up & Down 5:40 (Miki Hayama)
10.A Time For Peace 8:07 (Miki Hayama)
Produced by Miki Hayama
早間 美紀 (p,vocal on track 8)
北川 潔 (acoustic bass)
ビクター・ルイス (drums)
早間美紀の最大の魅力は、音の厚みとスピードとビート感だと思う。
とにかく音の厚みが重厚で、それを全くブレないビート感がぐんぐんと引っ張っていくようだ。
加えて気さくな可愛いお嬢さんという気質も魅力的だ。その人なつっこい性格は作曲にも表れている。
そして、彼女のサイン入りのこのアルバムを30回ほど聴き込んでみました。印象に残った数曲を。
「What's Next? 」はテーマが4分の9拍子の変拍子という変則的なリズムですが、とても速いテンポでクラッシックの曲のように進行しますが、でも単に軽やかで早いだけというのではなく、やはり彼女が弾くと、ジャズ・ピアニストだと納得できるほど、すべての音がスィングしている感じがします。そして、どんどん引き込まれて行きます。深くふかくどこまでも。アルバム出だしの選曲としては、とてもいい選曲です。仕上がりも最高です。
「Flying Horses」は回転木馬と意味らしいですがとてもつなくいいです。前半は幻想的なリズムですが、中盤から彼女のハイタッチでしかも力強いクリアーの演奏が延々と続きます。Mr.北川のベースは絶品と言えますが、彼女の8分以上予断を許さない展開がどんどん続きます。なんていいんだぁ。って感じです。個人的にはこの曲が最高でした。
「Horizon」は彼女の超絶的な技巧の感性を、このホライゾンで実感します。それは聴けば理解できるという類の納得感でした。とても、エキサイティングでエネルギッシュです。
「Who Cares?」はガーシュインです。ガーシュインはいい。彼女曰く「私はなにもしないの。快いリズムにただ泳いでいたいだけなのぅ」と。おぉぉ、そうかそうか。泳ぎなさい。絶品のひとひと。
「Dismissed」はサバンナを疾走するジープのシーンがバックに映像として流れているような錯覚に陥る様な曲です。広大な草原です。遠くに土煙りが舞い上がる。そんなイメージがします。それと、美紀ちゃんのハスキーな声を初めて聴きました。結構いけてるよ。彼女の声と流れるようなピアノがサバンナの夜明けを思わせる。
「Up & Down」は十代に死ぬほど聴いたハード・バップなJazzだ。耳にとても快い。
「A Time For Peace」はとても美しい曲です。
ラ・カンパネラ
2009.06.19
演奏者はフジ子・ヘミングです。この大ピアニストと面識のある知人のピアニストからその素晴らしさを聞き、より親近感を得て聴くようになりました。
そして、つい最近辻井伸行さんの「ラ・カンパネラ」聴き、とても感動しました。
中学生からJazzを聴いている(しか聴いていない?!)私でもその技量は群を抜いていることが肌で感じました。勿論、辻井伸行という20歳のピアニストもつい最近TVで知ったくらいです。
私のクラッシック知識は中学生程度で、よぼと著名でないと作曲家も演奏家も曲名も知る由もありません。彼は「第13回バン・クライバーン国際ピアノコンクール」で日本人初の優勝を果たしそうですね。件の知人ピアニストからそのコンクールでの優勝がいかに前人未踏な快挙であることを詳しく聞く事によってほんの少しこの世界の峻烈さを理解しました。
「縁」とは実に不思議です。
縁によって沢山の人を知り、その縁により多くの知識や経験をします。そしてまた、その事をきっかけに新たに人との縁がつくられる。
では、
「ラ・カンパネラ」を作曲し、初見で弾きこなした「フランツ・リスト」の縁はどの様なものだったでしょう。
フレデリック・ショパンは生来虚弱体質であったといわれいます。彼が25歳の時に喀血しました。特に女流作家ジョルジュ・サンドとの9年におよぶ愛が破局を迎えるころは肺結核は大きく進行したようです。彼はサンドと別れた後は無一文になって病躯をおして各地での演奏会をやらなければならなかったほど困窮していたとのこと。そして、1859年の初めに病状が悪化し再び喀血が酷くなりパリのヴァンドーム広場のみすぼらしいアパートでベットから起き上がることも出来なかったくらいに衰弱します。そしてその年の10月17日に39歳で亡くなっています。彼の作曲は、そのほとんどをピアノ独奏曲が占め、「ピアノの詩人」と呼ばれるほど表現力の豊かなピアノ音楽の新しい境地を見出したとも言われています。故に、現代のピアノ演奏会でも最も多く演奏される作曲家の一人となりました。
ロベルト・シューマンは堂々とした体格を持ちながら極度に非社交的で自閉的な一面が彼の持ち味でもあり、反面行き場の無い精神は徐々に蝕ばばれていくことになります。彼は若い頃より傷つきやすい神経を持ち、本人はそのことで精神異常の兆候を自覚していたようです。1853年ごろから精神衰弱が甚だしくなり、仮面のように表情が硬くなり特に他人との接触に嫌悪感を示し、妻も遠ざけ一人自分の世界に傾斜していきました。そのためにデュッセルドルフ市音楽指揮者も解任されることになります。彼との間に8人の子をなしたピアニストでもある愛妻クララ・ヴィークとは困難の末結婚しましたが、精神衰弱が進行すると彼女も遠ざけるようになります。彼は、1958年2月に家を抜け出しライン河に投身したが、運良く救い上げられボン郊外の精神病院に運ばれます。彼の精神及び体力は急激に破壊され、1958年7月29日に最愛の妻クララがほんの少し目を離した間に天国に召されました。シューマンの死因は動脈硬化症による精神分裂病と診断されている。全く同じ月にドイツ詩人のハイネが亡くなっています。享年46歳でした。
冒頭の「ラ・カンパネラ(ラ・カンパネッラ)」の作曲家でありピアニストでもあるフランツ・リストは「ピアノの魔術師」と中学の音楽の時間に学びました。その超絶的な技巧は「いまだに彼を越えるピアニストはいない」といわれるほどです。
この著名な三人の音楽家はほぼ同年に生まれています。そして、三人とも親しく、三人が三人とも影響しあっていたようです。
しかし、ショパンの音楽家として活躍した期間は短く、年齢も39歳で世を去っています。
また、シューマンは彼よりも長く46歳で亡くなっていますが、本来活躍すべき重要な時期には精神を病んでいました。
さて、リストはどうでしょう。
彼の父が早く亡くなり、僅か15歳にしてピアノ教師として家計を支えなければならなかったといえ75歳の人生を全うしています。ピアニストとしてのリストは当時より著名で人気は高かったと記録にあります。また、多くの女性との恋愛も盛んで特に、マリー・ダグー伯爵夫人とカロリーネ・フォン・ザイン=ヴィトゲンシュタイン侯爵夫人と恋は有名です。いずれも同棲のみで結婚に至らなかったらしいですが。
歴史を知るということは時には思わぬ縁を知ることになり、そして、そのほとんどが驚愕の連続となります。ここでもその事が言えそうです。
彼はマリー・ダグー伯爵夫人と約10年間の同棲生活で3人の子供を得ましたが、二番目の子供に後年の「コジマ・ワーグナー」がいます。コジマは二人の血を濃く受け継いだようで、20歳で指揮者ハンス・フォン・ビューローに嫁ぎ、二人の子供をもうけ、25歳でリヒャルト・ワーグナーと知りあい同棲し三人の子を生します。その後結婚します。当時の社会通念でも群を抜いた活動的な女性であったようです。彼女は父同様長生きをし、93歳まで人生を全うします。