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Cutty Sark

Cutty Sarkは常に夢を追い続ける希望の帆船です。I still have a dreamのこころざしを持って海図にない航路を切り開きます。

風を読む

2010.06.13

鳩山さんから管さんに首相交代のリレーがされたのはつい先週のことです。
首相が変わることで政治や組織や行政も大きく変化するのは当然のことですが、メディアには「風が変わる」や「風向きが変わった」のキャッチコピーが騒がしい今日この頃です。

あるブログに『メディア「首相交代効果」考』という興味深いテーマがあります。メディアに対して手厳しい論客といえます。掲載内容は、"メディアが取り扱う世論調査は「メディアとしての使命の放棄」と伺える調査時期の不自然さや一部の政党への偏頗がある"と指摘しています。かなり手厳しいですが、読むとなるほどと納得のいく理論展開でもあります。

風を読む」は示唆にとんだ言葉として広く認識されていますが、他に「船出」や進路を読み取る「コンパス」も政治や経済だけでなく、企業経営者が自社の進路や経営の視点を例える時によく使われます。

帆船が最も輝いた時代を「大航海時代」と歴史を感じさせる表現を使いますが、この時代の生い立ちを表す三つのキーワードがあります。

最初のキーワードは、「黄金と胡椒」です。とても魅力的な言葉として記憶に鮮明です。黄金=マルコ・ポーロ=フビライを連想し、胡椒はオランダ東インド会社=ヨーロッパ人の食生活です。大航海時代は一般に十五世紀から十七世紀を指しますが、実はその胎動は十三世紀ごろから始まったとされています。ご存知のマルコ・ポーロの「東方見聞録」の一説にこんな表現の口語体があります。
ジパングは東海の島で、大陸から千五百海里にある。」といい、
「黄金が非常に多く無尽蔵であるが、王がその輸出を許さないため訪れる商人はわずかしかいない。」そして、わが王であるフビライの日ごろの言動は、
「この島はわが国に風聞するほど富が大きく、この島を征服し領土としたい。」と記しています。
当時、この見聞録を読めば、フビライでなくても誰もが東方への関心が高まったであろうことは、容易に想像できます。
また、フビライの関心事は黄金でしたが、西ヨーロッパ人においては、彼らの食生活に必須の胡椒や肉桂(生薬、ニッキ)を大量に安価に手に入れることを望んでいました。香辛料によってヨーロッパ人の食生活は一変します。それもアラビアの仲介商人を通さず原産地の東インドから直接手に入れるルートを長く切望し、実際に模索もしていました。

歴史上、最も大胆な条約として知られてるトルデシリャス条約を締結したジョアン二世は締結後まもなく壮大な計画の前に死去しますが、彼の甥のマヌエル王が即位すると、第一次インド遠征を実施します。
この司令官がかの有名な「ヴァスコダ・ダ・ガマ」です。1498年7月8日のことでした。リスボアを出港して翌年の5月22日にキャラコの語源になったカリカットに到着しています。ガマは当時のカリカット王国と直接の通商条約を提案しますが、理由は不明ですが決裂します。そして、1499年9月に帰国を果たしますが、彼はきっちりと貿易現状調査報告書と一緒に香料等の価格表を綿密に調べ上げ、これを王に提出しています。その結果、丁字(グローブ)等の西欧価格は現地輸出価格の約9倍程度あることが分かりました。
残念なことに、その後最も重要なキーワードとなる「マルク諸島またはモロッカ諸島(別名香料諸島)」は入っていませんでした。そこまで調査の期間や実行力(資金、情報網など)がなかったかも知れません。
輸入価格が現地価格の9倍の手数料が掛かる「胡椒の直接購入」はヨーロッパの商人の間では、羨望の的であったろうと想像できます。ここに西欧からインドへの「東方航路」が確立しました。
故に「黄金と胡椒」はその必要性から人の目を東に東に向けたことになります。

話を少し寄り道すると、
ジョアン二世の壮大な計画は「コロンブス・シッョク」が作用していると云われています。クリストファー・コロンブスは西回りで「ジパングかカタイの近く」に到達したことを帰航の途中でリスボアへ寄港したことで知ります。王のシッョクは相当なものでしょう。また、1488年にはエンリケ航海王子の意思を継いだバルトロメオ・ディアスが喜望峰を廻り、インド洋を目の前にして引き返した(実は船員の暴動によって)ばかりのときでもありました。ジョアン二世の焦りはよく理解できます。

さらにもうひとつ蛇足を。
ガマによって確立した東方航路により小国ポルトガルは香料、金、象牙などの貿易を独占し、首都リスボアの繁栄を作り出します。それまで繁栄していたジェノバやヴェネチアの衰退と対照的になります。

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メイク・ア・ウィッシュの大野さんに会う

2009.11.03

先日、知人の記念パーティで
       "メイク・ア・ウィッシュ"の大野寿子さんに会いました。


彼女は、重い病気と闘う子供たちの夢をかなえる世界的なボランティア団体の日本の事務局長です。彼女の話を聞いてとても自分の心が静かになり、体の奥から暖かな気持ちが湧き上がってきました。そして、この団体の活動に感動しました。
国内ではすでに、1500人近くの子供たちが、その夢をかなえています。
この団体によって、多くの子供たちが小さいときから思い続けた夢を「いっとき」実現しています。

そして、彼女はこう云いました。
「最後の夢ではありません。」
「夢をかなえることが、
    明日を、今を生きる力となるのです。」


今年の夏までに、昨年の秋に比べると異常高騰があったといいます。
何かと言うと穀物価格です。それも身近な小麦や大豆です。
異常高騰の主犯は投機・投資ファンドマネーの穀物銘柄の商品市場からの引き上げが、原因と言われています。特に、小麦は瞬間的な異常高騰を除けば、10年間で過去最高値とのことです。状況は大豆に加えてお米も同様だそうです。

この穀物銘柄の異常高騰に対して、被害を蒙ったのは、なぜか途上国だそうです。
なぜでしょう。わけが分かりません。
その途上国の中でも、特に被害が甚大なハイチやバングラデッシュでは、
一日一食に追い込まれ、ハイチにいたっては市民の暴動化まで発展しましたとあります。
益々分かりません。

この途上国と穀物銘柄の異常高騰には構造的な関係があります。
影響の大きい途上国は押し並べて農業国です。
農業国である途上国がなぜ飢えるのか? 益々不可解な。。。

仕組みはこうです。
途上国である農業国は、国が貧しいために、資金を世界銀行から借ります。
すると決まって、世界銀行は弁済の為のいろいろな「助言」をします。この助言が裏目に出ます。この助言は、債務を返済する為に自給農業をやめて早期に換金可能な先進国向け農作物への生産のシフトというものです。
途上国である農業国に弁済方法について、いい代替案は持っていないこともその理由です。
換金可能な農作物は何かというと、「バナナや綿花やコーヒー」がそれです。
この換金可能な農作物を生産する代わりに、先進国から主食である小麦や米を輸入するのです。もちろん、この「助言」は作為的とも取れなくもありません。
結果は目に見えていますね。
主食をお金で買うしかない貧しい国々は、10年来最高値の高値の小麦を買わざる得なくなり、助言が本末転倒になってきます。もちろん、高くて買えません。

この先進国の思惑だけで押しつけられた構造的な仕組みは、簡単には脱却できなであろうと言われています。大きな理由のひとつに、債務の重圧があります。
多くの人が明日の糧を得ることにやっきになっている頃、対局の投機・投資ファンド・マネーの人たちは、天文学的な利益を得ることになります。

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右か左か、どちらか。

2009.08.03

エアライン出身の知人を数名存じ上げている。
先日、楽しい話題で盛り上がりました。
私の利用した全ての飛行機は、空港に着陸し、完全に停止すると乗客は我先に前に詰めて一刻も早く機内から外へ出ようとします。日本人も中国人も韓国人も米国人も西欧人も、みんな同じ行動の様な気がします。それを彼に話したら、世界中同じだそうです。
どの国も人も、どのエアラインのどの飛行機も、同じ現象だそうです。ビジネスもエコノミーも同じというわけです。これは、どんな心理状態なのでしょうか?
しかし、どんなに急いでも出口は一箇所か、せいぜい二箇所です。二箇所の場合は、一つはビジネスクラス専用の出口となるで、エコノミーはその恩恵には預からないでしょう。
今度は、彼が質問しました。
実は飛行機の出口は、常に左側です。まれに両サイドから乗客を降ろす特殊な場合がありますが、一般的には左です。その理由を知りたいと。
なぜ僕に聞くのといったら、なぜって、飛行機は船の制度を取り入れているから、答えを知っているでしょうっと、間髪いれず返ってきました。さすかだ。
そうなんです。
交通手段としての「船」は歴史が古いので、その後開発された乗り物は、ほぼ船の制度を基本に取り入れています。現代でもその制度によって、その名残が色濃く残っています。

船の右側を"スターボード"といい、左側を"ポート"といいます。
昔、バイキングの時代に活躍した北欧船では、舵を構造上に右側(右舷側)の船尾に取り付けていました。右側は"スターボード"です。語源は、舵のある側、または舵を取る側と言う意味で「スティア+ボード」で、すなわちスターボードとなりました。なので船を岸に着ける時に、舵を壊さないために、常に左側を陸に接岸する必要があった訳です。また、左側(左舷側)はポートです。これも陸上への門または港という意味を込めて、ポートと呼ぶ様になりました。飛行機には舵に相当する尾翼がありますが、船の様な舵はありません。ても、この名残の為に飛行機の出口は左側のみとなった訳です。船は英語ではシップ(ship)ですが、パイロットの中には飛行機をシップと呼ぶ人もいるそうです。蛇足ですが、飛行船や宇宙船も同様ですね。

そして、ここにも右か左かを海の向こうで論じている人たちがいます。

昨今、自民党にとって見通しはとても暗いと思われます。
社内で立ち話を聞きましたが、都議選は「民主党」に投票したという人が、多いもの納得できる現象です。民主党は、参議院選挙で地滑り的に勝利した機運を、そのまま東京都議選でも維持したようです。そして、初めて第一党の地位を獲得したことで、その勢いを感ずることができます。次は総選挙です。但し、麻生さんが口癖のように言う「選挙はやつてみなければわからない。」ですが、この先、民主党のスキャンダルが出てこないとも限りませんので、それはやって見なければわからないでしょうね。
あくまで、選挙は結果です。
とはいえ、すでにワシントンは次の総選挙で野党が勝利して、民主党政府が出来る事を予想した手を打っているようです。政治アナリストの見方は、民主党政権が樹立しても、オバマ政権は自信に満ちた態度で、米日同盟が確かなものであることをに、変わりないとコメントすると言われています。日本の現政権に対して、米国は日本重視の姿勢を明確に打ち出しています。ヒラリー・クリントン国務長官は、日本をアジア戦略の「コーナー・ストーン(要石)」であることを宣言し、就任後初の公式訪問国を日本としました。なので、日本が日米同盟を堅持する限り、米国の姿勢にそう大きな変化はないと言わています。

ただし、現在海の向こうの彼らの注目しているのは、民主党の実力の様です。その一つが移行計画です。私たちがビジネスするITの世界で、移行ほど厄介で気を使う案件はありません。そこには独特の要素があり、業務経験と移行の十分なノウハウを持った精通者をアサインしないと自ずと埋もれた地雷を、踏むことになります。
この移行という作業は、どのシーンでも同様な基本要素があるように思えます。
米国は大統領就任まで大規模な移行チームが、事前に十分に検討された項目をもとに十一週間かけて、新政権の政策を準備するようです。長く政権を維持した自民党は、トップの交代のみで主義・主張が変わるわけでないので、必要ありませんが、民主党は米国並みと言いませんが、わずか数日で、この試みを実施しなければなりません。閣僚人事も合わせてです。これはとんでもない量を数日でこなす訳です。ワシントンが自分の事のように心配する気持ちが理解できます。
さて、鳩山政権への移行計画は誰が起案し、実施に移すのでしょうか? それとも、そもそも移行計画は無くて、数日間缶詰になって、集中して、ぶっつけ本番でビシバシと決めていくのでしょうか?気になるところです。

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紙とデジタル

2009.07.27

最近は本を読む時間があまり取れません。
忙しさを理由にしている向きはありますが、とにかく公私共に趣味や雑用が多く、じっくりと本を読む時間がなかなか取れない状況です。
それでも、最近十冊程度の本を読み終え、さらに二冊の本が執務机に載っています。
読み終わった本でとても感銘をうけた本は、
風の中のマリア」「ゆびさきの宇宙―福島智・盲ろうを生きて 」の二冊でした。
そして、これから「lQ84」と「シリコンバーから将棋を観る」の二冊を読みたいと思います。
いずれもアマゾンで購入したものです。
そこで、
最近「スクリブド(Scribd)」というサイトがあることを知りました。
"いたずら書き"または、"走り書き"という意味の英単語のScribbledを略したもので、「誰もが創作を楽しみ、その喜びを皆と分かち合ってほしい」との意味合いがあるそうです。
このサイト、いろいろな面で画期的です。

もう、二十年くらいになりますが、この「スクリブド(Scribd)」の記事を読んで突然思い出した事があります。それは物理的な本とデジタルの違いを鋭く洞察したエッセイでした。
タイトルも誰が書いたものかもすっかり忘れましたが、主旨は鮮明に覚えています。
それは、私たちが今手にしている本という物質的な制約がなくなってしまうという物語です。
コンピュータと文学者の結びつきは、非常に古くワードプロセッサーの登場から密接な結びつきが有ります。いまでは、書籍のデジタル化は一般的なことになっています。それは、あらゆる書物が仮想空間のなかで電子化されつつあるという事実を物語っています。
ネットは、膨大で、かつ巨大です。
物質性を離れると言う事は、今まで私たちが千年以上に渡り血の中にまで色濃く定着し、固定化した書籍の文化を離れると言う事が前提となりそうです。
正確には、ネットがそれを実現可能な方向に導いていると言う事になるでしょうか。
このあたらしい文化は確実に新たなフェーズに進んでいると思います。
言い換えると、我々が慣れ親しんできた、モノとしての本の属性がもしかすると、失われてしまうのかも知れないと言う事です。
これを私たちは、どのように考えたらよいのでしょうか?

デジタル化された本は、物質では有りませんので、いわゆる「パルプ」は不要です。
あるのはネットが繋がったディスプレーかモバイル端末か専用機です。
たぶん、電子の本には私たちが、長い間文化として作り上げてきた慣れ親しんだ「厚み」とか「重さ」とか「匂い」が有りません。
果たして、本が本来持っている「厚み」「重さ」「感触」といった属性を全てすててもいいものなのでしょうか。

一枚一枚めくる指の感触、脇に抱える厚みと重さ。
ページを開いたときのインクの匂い。
どれをとっても独特な雰囲気です。って、少女っぽく考えるのは感傷的で、ITを推進する企業の経営者の言葉ではないのかも知れませんが。
しかしです。本が本来持っているこのような属性と書かれている内容は、全く無関係といえば、その通りなんですが、だからと言って、本当にそう「言い切って」いいものでしょうか。

本の物質性と読書をする行為との間には、もっともっと深遠な関係が存在しているように思えてならないのです。
次世代には、物質としての形を持たない「本」が、前提になりそれを受入れ、それに慣れ親しんで
しまうと言う事なのかもしれません。なんて、SFっぽいンだろう。
しかし、いまの今、考えるには、ちょっと恐ろしいことの様に思えます。
もちろん数十年といった単位だとは思いますが。で無いかも知れないところに摩訶不思議がある訳なんです。
物質と情報は、独立してしまい具体的に本を読むという「心」とか「体」とかの感性に対して、別な次元での知識を習得するという行為になり、両者との関連性をうまく両立しなければ為らないということになりはしませんか。
いろいろ、考えさせられてしまいます。

たとえば、物質的な「本」であれば、表紙を眺め、ページを開き、めくり、閉じる。
「開く」という言葉には「啓く」という意味が附帯します。
この「啓く」は当然のことながら「啓示」に通じ、この言葉の持つ意味を探れば、宗教的な起源にたどり着く事は明白です。

ひとつ印象的なお話が有ります。
それはある「学ぶ」という物理的な光景です。
ヘブライ人(すでに死語に近い)の子供達が、ヘブライ語のアルファベットを習う最初の日に、教師は子供たちにそれぞれ石版に最初の文字を「蜜」で書かせ、それを舐めさせる儀式があるそうです。子供たちは、文字を最初に学ぶ瞬間に、知識は「甘美」なものであることを感得するちがい有りません。素晴らしい儀式と思いますが、もうこの儀式は古典的な儀式しかもしれませんね。

この時の「文字」の持つ力は、当然のことながら活字でも不可能であるし、ましてやデジタルでは有得ません。この儀式は、文字を単なる伝達媒体とする考えからは、絶対に出でこないでしょうね。
文字が電子化される事により、本来の読書や読書をするという行為・行動が培ってきた指先や手の動作が電子化してしまう事により、本来持ち続けた「感触」といった様な属性がほとんど失われてしまったらどうなるでしょう。ヘブライ語を最初に習った子供たちの教育という中に持っていた、文字と味覚の直接的結びつきは、日本の(漢字文化圏)「書道」に合い通ずるかも知れません。
書道を習う子供たちは、決まって手やブラウスの袖やズボンを墨で必ずといっていいほど汚します。文字は「染み」を作るものである事を、手を汚しながら体で理解することの重要性は、文字の電子化の中には絶対に存在せず、それがまた、大きなうねりの波に呑まれて、本が本来持ち続けた属性をすべて淘汰していくのでしょうか。

きっと、そのこと自体、今の時点で重大事であると言う事に、私たちは、たぶんはっきりとは認識できず、何十年という歳月によりその重要度をはっきりと認識し、しかしその時にはきっと、取り返しのできない染みを発見し、その広がりに呆然とするのでしょうね。

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プレステージ(続き)

2009.07.17

前回からの続き

ロンドン博の三年前、1848年にカリフォルニアで金が発見され、これを「ゴールド・ラッシュ」と呼んだことを中学の社会科で習ったと思います。歴史は時には面白い組み合わせをしますね。ゴールド・ラッシュの続く中、ロンドン博もアメリカ号の建造も英国でのレースも、ペリー提督による江戸幕府派遣もなされたという訳です。カリフォルニア、ニューヨーク、英国、日本と場所こそ異なりますが、ほぼ同時進行で歴史は時を刻んでいきます。
ゴールド・ラッシュ以前は、一寒村であったカリフォルニアに、東海岸から数十万人も金を目当てに人々が集まったといわれています。詳しい統計はありませんが、その半数は幌馬車を仕立てて砂漠を横断し、一路西海岸を目指しました。ロッキー山脈を越えるアドベンチャー的な危険を伴った旅であったと思います。しかし、残りの半数は海路を選んだと言われています。その証も確かにあります。もしかしたら、陸路よりもっとリスクが高いのでは?! いや、むしろ安全だったのかも。
金鉱発見前の1848年4月以前は一年間にサンフランシスコ湾に入港した帆船はわずか四隻でした。それがその後一年で、なんと775 隻という途方もない激増ぶりです。航路はもちろんニューヨークを出帆して、南アメリカの最南端のケープ岬回りでカリフォルニアに到達するのですが、当時の帆船のスピードでは早くて150日、遅くて240日でした。需要と供給はまさに現在のエアーラインと同じです。多くの人を運ぶには、多くの機材の確保と効率的なローテーションが必要となり、必然的に足の速い船が欲しくなり「快速帆船の建造」となります。これは時代の要求です。ここに登場したのが、すなわちサンフランシスコへの急行便として建造されたクリッパー・シップである「カリフォルニア・クリッパー」です。
船を作るときにもっとも重要なことは、天候の要素を除くと、斬新な設計の精度とその船をドライブする船員の技術力です。このような時に時代には必ず要求された人が現れるものです。
それが、「ドナルド・マッケイ」という帆船設計者です。
彼がカリフォルニア・クリッパーとして最初に設計した「スタグハウンド」という帆船は、1851年の処女航海で110日間の区間最高記録を出しました。ざっくと50日間の短縮です。そして、この船の実績を踏まえてより斬新な設計をした「フライング・クラウド」は同じ年になんと、89日間21時間という前人未踏な区間記録を作ります。時間当たりの平均速力は18.5ノットになります。これはとんでもない記録です。この当時のホーン岬周りは航路的にかなり精度が高まったとはいえ、まだまだ予断を許さない未知のエリアが多かったと思います。昔のシーマンは素晴らしく強靭な精神の持ち主が多かったんだと、いまさらながら感じるところです。西風の多いホーン岬沖は東に向かうときにはまだ、比較的進めても、反対に西に向かうときは帆船にとって非常に厄介なエリアであることは間違いありません。行きはよいよい、帰りは怖いというやつです。いや、本当に間違いなく恐ろしいエリアなのです。

実は、ニューヨークで建造された「アメリカ号」にはこの様な環境が徐々に整えられていました。
そこで、「パイロット・スクーナー」について話したいと思います。
パイロット・スクーナーは船の形式ではありません。使い方または、用途に名づけられたものなのです。一般に港には港の特性があります。風の吹き方、島、潮流、浅瀬、水路、泊地、錨地等、その港特有の性質があるために、船が港外にやってくると、その港に精通した水先案内人(パイロット)を乗船させ、そのパイロットの誘導によって入港することが常識となっています。エンジンを持たない当時の船ではパイロットは不可欠なものです。この同時のパイロットは自由競争制でしたので、港外に入港船が見えるや否や小型艇に飛び乗って、一番先にお客さんのところにセールスに行かねばなりません。よって、高速艇が必要となりました。これをパイロット・スクーナーと呼び、足の速いスクーナーは当時は花形であり、きっと評判が評判を呼んだのではと思います。

NYCの五人のオーナー達が「アメリカのスクーナーを代表するヨット」として建造するに当たって、新興国のアメリカらしく、ニューヨーク港で俊足のスクーナー設計者であるジョージ・スティアーズという弱冠31歳の青年デザイナーを選んだことも納得がいきます。彼は確かに青年でしたが、すでにそれだけの重責を負託されるにふさわしい実績の持ち主でした。ジョージは造船一家の父親も元で、十代から設計を手掛け、すでに多くのスクーナーを竣工させていました。そして、彼が21歳の時に設計した「ウイリアム・G・ハグスタッフ号」という船が素晴らしい快速船であったと記録にあり、長く歴史に刻まれる事になるのです。この若手の起用は時代や実績だけでなく、たぶんにスティーブンス会長のトップが持つ感性や積極性や賭けがあったのではないでしょうか。

建造についてもいくつかの強い意志が込められています。
その根底には、「米国の建造技術を見せる」に集約されています。
ひとつは、自力で大西洋を小型船スクーナーで横断できる仕様を設計及び造船所に申し入れたこと。想定外のこの事は、設計者にとっても造船技術者にとっても、操船するクルーにとってもとても大きな負担となりました。しかし、その負担は船の高速性能の他に、堅牢な船体構造となって具現化されました。そして、クルーにしても、当時からヨットレースはプロの仕事なっていましたので、熟練者の中でも超一級のスキッパーが選定されました。さらに、建造費は三万ドルと当時としては飛びぬけて高価な船になったこと。これも、英国においても恥ずかしくない艤装を求めた結果となり、最高級のアメリカ・クルミ材を船体にふんだんに用い、さらに船室は彫刻を施したマホガニー材で内装しました。

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ONCE IN A BLUE MOON

2009.07.06

先日出張で韓国のSeoulを訪れました。
東京の天候がグズついている時にSeoulは快晴でした。過去の韓国の出張は移動と訪問で街並みはタクシーの中から眺めるということが多かったのですが、今回は夕食と帰国の土曜日の午前中をほんの少しですが、韓国の文化を味わいました。
韓国の文化については次回に紙面を譲るとして、今回はとても印象深い夕食の話をしたいと思います。
このお店はSeoulの中心の江南(カンナム)の清潭洞(チョンダムドン)にあります。地元の方や海外からの出張者や旅行者が立ち寄るレストランで、とても著名なお店です。
お店の名前は「ONCE IN A BLUE MOON」です。本格的ジャス・ライブを堪能できるお店です。韓国の知人曰く、韓国語では「ワンス・インノ・ブルムン」と言うのだそうです。
私がジャズを好きだと知って日本を発つ前に予約をしたらしい。

私にとってこの"ONCE IN A BLUE MOON"には特別な意味と想いがあります。
勿論、このお店に初めて訪れました。
だぶん、
このお店のオーナーにとってもきっとこの名前は特別なこだわりがあったろうと想像します。
なぜって名前が"ONCE IN A BLUE MOON"ですから。

昔、「気象学」という学問を習った頃、補足的に「天体」「星座」「(こよみ)」に特に興味を持ちました。もともとギリシャ神話が好きだったので天体と星座とカレンダーは密接な関係にあることを知識として知っていたからだと思います。
天体は地球という惑星の自転や公転による軌道上の運行が理解でき、星座は必然的に覚えましたし、暦は地球という規模の中で長い時間をかけて時刻を刻んできました。これに気象を加えると、とても興味深い自然の摂理が理解できます。

BLUE MOONの由来は諸説あります。かなり古い時代からという説やまた別な由来としては、大気中の空気の屈折の関係で青く見える時があり、それを指すという説です。ですが、残念ながらほとんどの人は見た事はないと思いますし、私もありません。
それよりも誰が聞いても納得できる由来があり、私はこの説を好んでいます。
それは、
私たちが知る一年は当然のことながら12回の満月があると認識しています。日本の一年の満月は春夏秋冬それぞれに3回ずつ割り当てられいます。当たり前のように。でも、中学生の理科で実は月の一か月はおよそ29.5日で、太陽年(回帰年)の1ヶ月と少しずれていることを習いました。そのズレがある一定の期間を経ると太陽年の一年は13回の満月を有することになります。春夏秋冬それぞれに、3回ずつ割り当てたある季節に、一つだけ3回でなく4回の満月が現れる事になります。
この4回の満月の3回目に現れる満月を"BLUE MOON"と呼ぶようになったのです。
理になった説とは思いませんか?

そして、このライブハウスの名前である"ONCE IN A BLUE MOON"というは「めったにないこと」という意味で使われています。または、「極めて稀なこと」や「決してあり得ないこと」と理解してもいいのではないかと思います。
その意味では、絶妙な名前だと思います。
やはりオーナーにはこだわりがあるのでしょう。
同伴の韓国の知人は、オーナーはもちろんジャズマニアで、このお店を自ら設計したことを教えてくれました。店内はスタジオをアレンジしたような雰囲気で、一階は禁煙、二回は喫煙と完全に分離し、一階と二階のデザイン・コンセプトは全く異なります。その様に工夫をしているのでしょう。とても洗練され店内でした。
もちろん、その夜もトリオ+ヴォーカルの演奏がありましたが、その評価は差し控えます。

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百姓は国の宝である。

2009.06.26

麻生さん、毎日お疲れ様です。

麻生内閣の最新(06/22)支持率17.5%(5月より9.9ポイント急減)だそうです。その中で、彼の「指導力」への評価も同時に急落(15.8%→10.9%)したようですね。これは、きっと、日本郵政の社長問題で、鳩山前総務相を事実上更迭した首相の判断が大きく影響していますね。また、政党支持率でも、自民党は20.1%で前回より7.4ポイント急落していました。政党支持率はとても重要です。一国の首相が交代する時に、毎回感じる末期症状の感がします。消費税の増率問題も尾を引いているでしょうね。しかし、東京都議選など地方選の結果を責任問題に「結びつくべきと思う」人は、5割を上回ったているにも関わらず、麻生首相のもと衆院選を「行うべき」とする人は、依然7割を超えているという面白い結果もあります。
一国の首相はなにをやっても大変です。
首相の一挙一動、挙措進退、その全てが、数時間後にはニュースとなり、国民総てが知るところとなります。
しかし、「支持率」等は些事であり、本質は「官僚と政治」のあるべき姿を問われてるのではないでしょうか?

百姓は国の宝である。」という言葉があります。
一般的な意味においてあらゆる時代に通ずる真理です。
しかし、これからお話しする徳川時代においては特別な意味合いをもった言葉となります。
現代に置き換えて言うのであれば、お百姓さんのみならず、全国民をさし、"民は国の宝である"ということでしょうか。

さて、徳川幕府時代に戻って。
"百姓は国の宝である。"なので、百姓の人格を尊重しなければならない。という理論の発展に向かう思想ではありませんでした。その所以は、この国を支配していく上で、仕組み上支配階級の経済的な勢力が彼らの納める年貢という基礎の上に築かれていた社会であったからです。その階級はもちろん武士軍団の階級です。
「士農工商」の最下位の町人から一定の租税を取り立てることを思いつかなかったほど、いや、思いついてもそんなことをしたら恥辱とするほど、「商」を軽んじてたこれらの武家軍団は、「年貢」のみを重大視していたのです。そのためには、百姓は勤勉ありで、質素従順で無知でいなくてはなりません。そして、せっせとお米を作って、自分たちは粟を食べて、お米はお上に納める。
これが徳川三百年の一貫した方針といえます。
中学の社会科で習う「士農工商」の最下位に位置させた「町人の商い」は幕府設立時点から制度の構造基盤に危険を孕んだ発想であるにも関わらず、ほぼ300年間手を打っていないところに、綻びの糸が見え隠れしていたんだと感じます。

最近とても興味深い本に出会いました。
江戸の情報屋」の本です。この情報は公開前提の日記形式ですが、公式情報ですので作者の主観を出来る限り排除し、毎日ブログの様に事実を克明に書き続けました。このブログを「藤岡屋日記」と呼んでいます。幕末に今の群馬県藤岡市から江戸に上京した須藤由蔵という人が外神田の御成道(将軍の上野東照宮への参詣路)で古本屋を営みながら、65年間にわたり幕府の政策、人事、から新聞の三面記事まで幅広く記録しました。単にブログとしただけでなく、その情報にアドバンテージがあったので流通販売されていたようです。付加価値のある情報は昔も今も欲しいものです。今と全く同じです。
日本人で初めてブログを認識し、そして日本人で初めて書き始め、且つ爆発的に立ち上がると確信していたのは、たぶんジョーイ伊藤譲一氏)だと思います。彼の先見性は圧倒的です。その彼のブログは、書き始めてすでに5-6年と思いますが、ジョーイがあと60年間もブログを書けるでしょうか。そう思うと、由蔵さんはすごいと思う。

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Eclipse 3.3 of Europa

2007.11.16

2007年6月29日にEclipseの新バージョン「Eclipse 3.3」がリリースされました。
このリリースを当社の若手技術者の一人でもあるGUIデザイナーのアーキテクトは待ち遠しく思っていたようです。
Eclipseはこの新バージョンによって確実に安定してきていると言えます。

彼の発案で当社では「韓流チーム」という三人の研究開発専門の技術集団を組閣しました。この三人は若手の韓国人で、著名大学を卒業した優秀な技術集団です。
彼の説明によると、Eclipse 3.2がリリースされたのが2006年6月29日で、ちょうど1年間を経ての今回の新リリースとなった様です。
Eclipseの歴史を辿ると、Eclipse 3.0は2004年6月25日のリリースされましたし、Eclipse 3.1は2005年6月27日にリリースされています。
Eclipseは定期的に毎年6月に1年置きに新版がリリースされていることになりますね。

この三名からなる韓流チームの研究開発技術集団は戦略的な企画から開始しているため、詳しくは説明できませんが、若手アーキテクトである彼は、このEclipseの新バージョンEclipse 3.3をベースに新しい研究開発に没頭中です。

前バージョンのEclipse 3.2のコードネームは「Callisto」でしたが、新バージョンEclipse 3.3のコードネームは「Europa」です。

いずれも木星の衛星の名前から取られているようです。
今回の新バージョンEclipse 3.3では、既存のプラグインの強化に加え、JSF(JavaServer Faces)やJPA(Java Persistence API)などのJava EE 5対応や、STP(SOA Tools Platform)でのSOAのサポート、C/C++のサーバ上でのアプリケーションのコンパイル、デプロイ、実行のサポート等幅広く拡張と強化が目立った新しい試みがなされていると感じます。


      〔MS Europa〕

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知の資本家

2006.08.03

彼は会席の席にそそくさと座るなり
「渡邉さん、この後の見通し、どうなると思います!?」
「どう!?って、何が?」と投げかけると、
「いやいや、景気ですよ。景気!」

大手ECネット企業の上級役員の彼は近々迎える上期の業績とそれに連動する株価が気になる所です。上期が終わるこの時期に下期の景気動向を見極めることも次の手を打つにも必要なことです。
僕は一言、「不透明」というのがその時の回答でした。
全体的にいい感じで推移していますが、年末までこの状態が続くとは決断できずにいるので、大きな投資は控えたいとも付け加えました。
既に彼と会食したこの時点で新興市場の下落が相当な勢いで始まっていました。最も、その時は「下落率は3割を超える」とは思っていませんでしたが。
彼は「ゼロ金利解除」のタイミングなどの要因を議論する「愚」を避けて、もっぱら前向きで実質的なビジネスを語っていました。さすがは公開企業のマネージメントだ。と、感心する。

日経新聞の一面のコラムにこんなことが書かれています。

グーグルの創業者の一人ラリー・ペイジは未だ33歳ですが、今問題になっている「会社は誰のもか?」というテーマに一石を投じる概念を持っています。
それは、
創業者による株主への手紙の中に明記されています。
一般の株主は利益配分権は持つが、会社の重要事項を左右する決定権はごく限られている。」というお手紙です。
普通は会社の重要事項に株主は「物言う」ことになります。
しかし、
高利益配当を出し続けて居る限り「グーグルは普通の会社ではない」ということでしょうか?
現在の株式会社は1株=一議決権という株主民主主義の原則があります。
これにに反しグーグルはあえて、背を向けているという。
会社の命運を決めるのは知識を提供している価値あるサービス生み出す経営者や社員であり、カネの出し手ではない。」
株主では無いと言うことです。ここまで云える日本の経営者はおりません。
たった10年で時価総額10兆円に成長した企業ならではです。
グーグルは、
創業者を中心とする経営陣が議決権の大きい特殊株を持ち、その「議決権は78%」を占めるそうです。一般株主は投資リターンは得られても会社の重要な決定には事実上関与できない仕組みになっているようです。

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コーヒーの値上がりは続くのか

2006.07.18

西洋料理〔いかにもセピア色に染まった響きのいい表現ですが〕が宮中で始めて採用されたのは明治4年8月18日のとても暑い夏の出来事だったそうです。

この日、維新の立役者・三条実美と重臣が連座してお上と西洋料理を堪能(?)し、兵部省の軍楽隊が静かに演奏を添えたとあります。なんとまぁ古風なと、今は感じますが、当時は大真面目にしていたのでしょう。
この時、
築地精養軒の当主であった「北村重威」がその作法の伝授のために宮中入りをしています。

この明治四年という年は廃藩置県をして「戸籍法」を定め、現政府の骨格である「太政官制」が組閣されるなど政治改革が飛躍的に前進した時期でもあります。また、岩倉具視の「大使節団」の決行や太陽暦などの社会生活の根本が改められた局面でもありました。
日本人の好奇心のせいで、なんでもかんでも取り込んだのでしょう。

多くの重臣がこの宮中での晩餐会で始めて西洋料理を食べた事でしょう。
食前酒から始まりフル・コースを食べた後、コーヒーが振舞われました。
多分、コーヒーの初体験者も多かったと思います。
食材の多くは国内で調達できたと考えられますが、「胡椒やコーヒー豆、紅茶」等はやはり欧米の商社から輸入していたのだと思われます。

さて、
今年になって「コーヒーメーカー」各社は相次いで「値上げ」を宣言しました。
コーヒー豆の国際相場は4年ほど前から、既に「3倍」にまで高騰しているらしい。

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丸 maru 八丁堀

2006.07.03

マラガはスペインのアンダルシア地方南部の地中海に面した都市です。アンダルシア特有の雰囲気と石畳の坂があります。 画家のピカソの出身地としても有名ですね。

先日知人が彼氏とスペインに一週間のバカンスに行ってきたと自慢げ(?)に披露しておりました。
特に「フラメンコと闘牛」に興味を持ったようで盛んに興奮しながら説明していました。
それはサ・ゾ・カ・シ楽しい休暇であったことでしょう。

マラガの「港も町並もフラメンコも闘牛」もいい所です。


〔アンダルシア特有の石畳の坂があるマラガ市内の町並み〕

男性のよく声の通る高域の歌と爪を指を駆使する伴奏のギターと贅肉を排除した男女の踊りの3要素から成る「フラメンコ」は「アンダルシア」から生まれた芸術といわれています。
この地で見るフラメンコは独特です。昔は小さなお店でもフラメンコを簡単に踊っていました。

フラメンコの起源はインドから来たジプシーにあると言われていますが、やはりこの地方の情熱的な文化に溶け込んだからこそあのような素晴らしいアートに発展して行ったのでしょう。
そう思います。
そういえば25年以上前に今田勝が「アンダルシアの風」というレコード(当時は当然CDはありません)がリリースしましたが、アンダルシアの雰囲気を良く表した曲調でした。


〔マラガ全景 地中海屈指の歴史のあるマラガ港〕
紀元前1100年に始まったフェニキア人の植民地化政策により、当時「マラカ」と呼ばれたマラガは「カディール」と呼ばれたカディスとともに紀元前800年頃に建設されました。当時から主要な良港であったといえます。
その後、70年以上にわたるギリシャによる支配、カルタゴ人による支配へと変わり、紀元前202年、第一次ポエニ戦役に勝利したローマはマラガをローマ支配都市にしています。
ローマ化の始まりです。この辺は塩野七生女史のハンニバルを主眼においた「ハンニバル戦記」が面白いですよ。
そして、マラカは「フラビア・マラシータ」となり、地中海の海上交通の要となりました。


〔ジブラルタル海峡〕
地中海に入るにはまずはこのジブラルタル海峡を通過しなければなりません。ヨーロッパとアフリカが間近に見えるこの海峡は「日中」は両大陸の肌の違いを感じるし、「夜間」は二点の灯台がその存在をアピールしているだけで、趣がまた違った印象を与えます。
ともかく、大西洋から地中海へ。

さて、アンダルシアの飛び地が下町の「八丁堀」にもありました。

昔からスペイン人には生活の一部として切り離せない「バル」という存在があります。かしこまったレストランとは異なり、その多くはカウンター席で気軽に一杯やるという感じ。日本の下町に一杯ありましたね。あれです。
スペインの「バル」は昼間はその日の朝取れた魚をすぐにランチとして調理し、夜はお酒とおつまみと会話を楽しむというもので、日本で言うところの「近所の居酒屋」です。

とにかく「にぎやか!」というかうるさい(失礼!)の一言。但し、簡単に周りの人とすぐ会話ができてしまう。
そんな気軽さ、にぎやかさが「バル」なんですが、これが「八丁堀」にあるのです。

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2008年世界一周クルーズ

2006.06.17

にっぽん丸

にっぽん丸」と「日本丸」と二つの船名はいずれも著名なので混同し易いですが、別物です。ひらがなの「にっぽん丸」は1977年に外洋グルーズ船として商船三井客船が命名した純国産客船です。漢字の「日本丸」は航海訓練の為の帆船で初代日本丸は1930年に建造されています。今日は客船の「にっぽん丸」にフォーカスします。

あるぜんちな丸」という大戦以前には世界一周航路の豪華客船として1939年に竣工した客船がありました。1万㌧以上の客船は当時としては最高級の部類にはいる装備でした。残念な事に対戦中は軍に接収され航空母艦「海鷹(かいよう)」へと改造されました。大戦終戦後はGHQ指導でスクラップにされます。まだ三井船舶と合併前の大阪商船の持ち物でした。
戦後復興時1958年作られた同名の「あるぜんちな丸」は南米移民船として活躍しますが、これも政府間協議により1972年南米定期航路を廃止します。

その時点で大改装して船名を「にっぽん丸」に改名します。初代の豪華絢爛の「あるぜんちな丸」に比べ相当見劣りする貨客船並みの客船でした。日本の国力と同等という感じの貨物船にハウス部分を改造した船でした。この二代目「あるぜんちな丸」が「初代にっぽん丸」です。この船で約20年間クルーズしました。

この初代の代替船として当時パナマ船籍のブラジルの船会社が所有していた「SEVEN SEAS(セブン・シーズ)」を購入します。この当時まだ新船を投入するほど国力も収益も見込めなかったのです。77年に「にっぽん丸」を引き継ぎ二代目となります。「SEVEN SEAS」は1万㌧以下の客船ですが、少なくとも客船として建造されていましたら、船室やレストラン等の施設も初代よりは格段に整備されていましたし、後部デッキには小さいながらプールもありました。但し、建造は1962年製で購入時既に15年を経過していました。また造船所もユーゴスラビア産で日本の船員さんにはなかなか使い難く、また主機関はB&W製を採用し一機一軸で安全性に少し問題がありました。やはり船会社の習慣でしょうか同型船を二隻建造しています。双子のもうひとりはギリシャの船主が所有し、地中海でのクルーズ船として使われていました。
二代目「SEVEN SEAS改めにっぽん丸」も「三代目」の進水まで20年以上頑張ります。そして90年に解体されました。

さて現在の豪華外洋クルーズ客船「三代目にっぽん丸」ですが90年の春に就航しています。念願の新船の投入です。
実はこの年の前年に「ふじ丸(23,340㌧)」が進水しています。この船も新船投入です。日本の右肩上がりの経済の上昇にともない景気のいい時代の象徴でしたね。貨物船のような客船でなく、カリブ海に浮んでいるような大型客船を国内で初めて建造した訳です。この時点で「ふじ丸」は日本客船史上最大の客船でした。建造費は70億円です。
三代目「にっぽん丸」はふじ丸と同一基本設計です。造船所は三菱重工神戸造船所です。当時この造船所は国内で最高水準の艤装技術を持っていました。

「にっぽん丸」はその外洋クルーズの特性から「ふじ丸」と外形や客室配置にはレジャー色の強い仕様としていると聞きました。


〔設計も建造も全て国産のフラッグ・シップ 三代目にっぽん丸〕

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須永辰緒

2006.06.14

好きなジャズ・ヴォーカルに「akiko」がいますが、手に入れたCDは三枚です。

最初は知人に紹介された「simply blue」というライヴでした。2005年6月のリリースで、とても衝撃的なヴォーカルでした。このCDは横浜で著名なジャズ・クラブ "Motion Blue yokohama" で行った3 days ライヴからベスト・テイクを収録したものです。シンプルなアコースティックのピアノ・トリオをバックに、ごくスタンダードを中心にのびのびと歌っています。彼女のライヴ感覚がとても良く、なので必然的に録音もいい感じに仕上がっています。

ですが、
僕はこのCDよりも前二作が好きです。この前二作とも「須永辰緒」がプロデュースしています。タイトルは「ムード・スウィングス(Mood Swings)」と「ムード・インディゴ(mood indigo)」です。それぞれ2003年と2004年のリリースです。

そして最近彼女が「コラージャ(Collage)」というCDをリリースをしたことをAmazonのオプト・メールにより知りました。彼女のベストセレクションが詰まっているCDだそうです。


〔少し落ち着いたら聴こうと思っています。akiko Collage 2006/4/5 RELEASE〕

そして、
つい先日知人より須永辰緒の最新プロデュース作品を紹介されました。これがとてもいいです。
彼に聞いたんですが、須永辰緒はすでにこのシリーズは四枚リリースしているそうです。

僕が手に入れたのは三枚目です。
タイトルは「須永辰緒の夜ジャズ-Jazz Allnighers-No.3 」です。


〔知人が一押しした須永辰緒プロデュース「夜ジャズ-Jazz Allnighers-No.3」〕
■曲目リストです■
1. トゥ・イスコルホフ(ベント・アクセン-ベント・イェーデック・6-5-4-3)
  TO ISKOL'HOF(Bent Axen) / BENT AXEN
2. クレオパトラ・アンド・ジ・アフリカン・ナイト(ジョニー・ハモンド・スミス)
  CLEOPATRA AND THE AFRICAN KNIGHT(Smith) / JOHNNY“HAMMOND”SMITH
3. ソー・タイアード(ボビー・ティモンズ)
  SO TIRED(Bobby Timons) / BOBBY TIMMONS
4. フーティン(ザ・ジャズ・ファイヴ)
  HOOTIN'(Vic Ash) / THE JAZZ FIVE
5. ユー・ゴー・トゥ・マイ・ヘッド(ビル・エヴァンス)
  YOU GO TO MY HEAD(Gillespie - Coots) / BILL EVANS, piano
6. アンダー・ザ・パリ・スカイズ(ロイ・ヘインズ・ウィズ・ブッカー・アーヴィン)
  UNDER THE PARIS SKIES(Ronnie Mathews) / ROY HAYNES WITH BOOKER ERVIN
7. アイヴ・ガット・ユー・アンダー・マイ・スキン(ジョー・ヘンダーソン)
  I'VE GOT YOU UNDER MY SKIN(Cole Porter) / JOE HENDERSON
8. ソーラー(デイヴ・パイク)
  SOLAR(Miles Davis) / DAVE PIKE
9. イングリッシュマン・イン・ニュー・ヨーク(中本マリ)
  ENGLISHMAN IN NEW YORK(Sting) / MARI NAKAMOTO
10. コンゴ・コール(プリンス・ラシャ・クインテット・フィーチャリング・ソニー・シモンズ)
  CONGO CALL(Lasha - Simmons) / PRINCE LASHA QUINTET
11. ザ・トロリー・ソング(エヴァンス・ブラッドショウ)
  THE TROLLY SONG(Blane - Martin) / EVANS BRADSHAW
12. アイ・ロング・トゥ・ビロング・トゥ・ユー(エリック・クロス)
  I LONG TO BELONG TO YOU(Kloss) / ERIC KLOSS
13. ナットヴィル(ビッグ・ホーンズ・ビー)
  Nuttville / BIG HORNS BEE
14. 「スパルタカス」愛のテーマ(ユセフ・ラティーフ)
  LOVE THEME FROM SPARTACUS(North) / YUSEF LATEEF

9曲目の"ENGLISHMAN IN NEW YORK"に中本マリのヴォーカルがフィーチャーされています。
マリちゃんの透き通ったクリアーなヴォーカルに昔々新宿「ピットイン」に通った頃を思い出します。もう30年も前のことです。当時から小柄なマリちゃんは可愛かったなぁ。

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ふじ丸と修学旅行

2006.06.05

男子が「15歳」になると論語の有名な「吾十有五にして学に志す」となります。
一般には「志学」という言葉で表現していますね。では、女子はというと、「笄年(けいねん)」という少々難しい呼び名になります。また、笄年は15歳でなく20歳という説もあるそうです。
」は「(かんざし)」の事です。女子が始めてかんざしを刺す年齢という事になります。その意味では古代感覚では15歳の方が妥当に思えます。20歳でかんざしは少々遅い感じがしますが。15歳は現代で言えば中学生です。
ついでに「16歳の女子」に対して「破瓜( はか)という特別な呼び名があります。
」という字を分割すると「八が二つ」なので、「8x2」で16歳ということらしいです。医学用語にも特別意味があるそうですがここでは割愛します。 昔はこのころが思春期で、きっとお嫁入り先を考える時期ということだったのでしょう。

そして、「二十歳の男子」を「弱冠(じゃっかん)」と呼ぶことは誰でもが知っているここと思います。ですが日本では18歳で弱冠とか使っていますね。この辺は日本が勝手に通用させた言葉で現代でもごく一般的になってしまいました。古代中国では、男子の20歳を「」といい、その歳になると元服して「」をかぶったことから、「弱冠」といい表したそうです。女子は「破瓜」で、男子より先に大人になってしまったと言うわけでしょうか、二十歳の女性には特に呼び名はありません。日本ではなぜか「弱冠18歳の若き女性」とか使っちゃいますね。考えるとおかしい(笑)。。中国故事と相当開きがあるようです。古来でも現代でも女性の方が早く大人びてしまうのでしょう。

さて、豪華客船で修学旅行をしているのは16歳と17歳の高校生たちです。女子ならば全員が大人の仲間入りで、男子ならば弱冠まであと二年を要す「ガキ」(失礼!)と言うことになります。


〔高校生が乗り込んだクルーズシップ・ふじ丸/商船三井客船株式会社所属〕
新にっぽん丸の老朽化と客船ブームに後押しされた形で新造された日本最大級の客船
□ふじ丸の概要
総トン数 23,235トン/全長…167メートル/航海速力 常用18ノット・最大21ノット/エンジン 10,700馬力×2基/船客定員 326(最大600)名

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横浜ベイクォーター

2006.05.15

横浜のブランドと新しいトレンド

1854年に進水した英国で建造された「蒸気船アーコ゛号〔スクリュウ船〕」〔1850㌧〕は英国から喜望峰を廻って64日間オーストラリアに着きました。その後ケープ・ホナー廻りで英国に帰港し、蒸気船としてはじめて世界一周を果たしました。
このころ少しずつ石炭の補給基地が世界の各地に整備されつつあったとは言え、とても高価な燃料費でした。

横須賀に入港したペリーの日本遠征隊の旗艦「サスケハナ号」は1855年3月10日にケープ・ホナー経由米国フィラデルフィアに帰着し、米国蒸気船軍艦としては最初に世界一周を果たしました。同じ年に僚船だったミシシッピー号が少し遅れて4月23日にニューヨークに帰ってきます。同船は帆船でした。

日本と米国間の航路、いわゆる「太平洋航路」が開設されたのは1866年のことです。
1867年1月1日に東洋のへの処女航海を果たしたのは「コロラド号〔3642㌧〕」でした。22日間かかって1月24日に横浜に入港しました。横浜での下船者は42名だったそうです。勿論郵便船でしたので郵便袋を沢山乗せて。

運行会社は「パシフィック・メイル〔太平洋郵船会社〕」で「サンフランシスコ-日本-シナ」を結ぶ航路として期待をかけたようです。この当時の船旅はとても高価だったと推察できますが、ゆったりとした船旅であったかどうか疑問ですね。
この二年前の64年には「P&O」が「上海-長崎-横浜」の航路を開設しており、同時に仏国のフランス郵船も上海-横浜間航路を持っていました。
この航路により極東の日本は世界の周回航路のシステムの一員となります。
その窓口が鎖国から開国を最初に経験した「横浜」でした。

このころより「国際航路のハブ」としての横浜の港湾機能とブランドが形成されつつあったと思われます。


〔セールを形どったホテル・パシフィコ横浜と日本丸〕

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ダ・ヴィンチ・コードとキーストーン

2006.04.23

映画のロードショウまでは「絶対に読みきる!!

三ヶ月ほど前知人と久しぶりにランチをしました。
その時の話題は「ダ・ヴィンチ・コード」一色です。一冊の分厚い単行本をテーブルの左に置き、その「語り」は途方にくれるほど長々とした物でした。語りながら如何にこの本が面白く、さらにその映画化の配役が素晴らしいかと、その度に左手で分厚い単行本をコツコツ叩くのです。昨年出版されたこの書籍はあっと言う間にベストセラーになったようです。僕はこの知人から聞くまで全く知りませんでした。その時の僕は勿論ランチにのみ興味があり、本の題名さえも記憶にありませんでした。確か話の途中で「そんな分厚い単行本でなく、文庫になったら読みますよ」と言い逃れた記憶があります。
そして、50分のランチが終わり別れ際に聞きました。
ところで「そのぶ厚い本だけど、もう何ページ読んだんですか?」と聞くと、
知人曰く、少し照れて「うぅぅぅん、と。まだ15ページ」
「はぁぁ」と僕が呆れ顔に「敬礼」して帰途につきました。

「ルーヴル美術館のソニエール館長が異様な死体で発見された。死体はグランド・ギャラリーに『ダ・ヴィンチ』の最も有名な素描<ウィトルウィウス的人体図>を模した形で横たわっていた。殺害当夜、館長と会う約束をしていたハーバード大学教授ラングドンは、警察より捜査協力を求められる。現場に駆けつけた死亡している館長の孫娘で且つ暗号解読官であるソフィーは、一目で祖父が自分にしか分からない暗号を残していることに気付く…。」と言うのが上・中・下に分冊された文庫本ダ・ヴィンチ・コード」の最初の数ページのあらましです。5月に公開される映画では、主役のハーバード大学教授ロバート・ラングドンは「トム・ハンクス」だそうです。相手の女性役で暗号解読官ソフィー・ヌブー役は〔アメリ〕のオドレイ・トトゥです。そして、この物語をより引き立てるベス・ファーシュ刑事役に「ジャン・レノ」と言う事で、くだんの知人が「一押し」した意味が四ヶ月を経てやっと理解できました。

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伊藤穣一とAjax

2005.12.03

今年もあと僅かになりましたがIT業界で一つの話題として「Ajax」という言葉が定着しつつあります。

Ajax」は英語で「エイジャックス」と読みますが「Ajaxをローマ神話ではアヤックスといい、ラテン語で「アイアスまたはアイアース」と読み「ギリシャ神話」に登場する英雄の名前です。(Wikipedia

実は、今年の初めにJOIと在った時に彼の頭の中は「Ajax」で一杯でした。なので僕の定期的な報告をそそくさと聞き終えると、待っていたように早速Ajaxの概念と使い方と今後の発展性を盛んに語っていた事を思い出します。あれから10ヶ月以上経ちますが「Ajaxの急成長ぶり」に少々驚いています。
そしてやはりJOIの先見の確かさも合わせて認識しています。
勿論Googleの全面的なAjaxの採用もトレンドを推進した起爆剤と言えるでしょう。

当社製品に機能的には十分満足のいくレベル達しいませんが「FacerLite(フェーサー・ライト)」というDHTMLを活用したリッチクライアント製品(我々は対話型Webソリューションと呼んでいますが)を持っています。その製品の「コア技術」の一つに実は「Ajax」を取り込んでいます。
バージョン1の設計仕様は2004年の夏に終わっていますので、相当早いタイミングでAjaxの基本コンセプトを製品に取り込んだことになります。それは当社の技術者の発想でもあったのです。
このFacerLiteという製品の設計責任者は土井秀俊で、彼は大学院卒後、15年間IT企業のR&D部門に所属してソフトウェア技術の研究開発を長く勤めた後、弊社のコア・アーキテクトになりました。そしてこの「FacerLite」はUIの強化と多くのコンポーネントを装備して来春バージョン2としてリリース予定です。当社の戦略製品です。この製品にも多くのAjax機能を搭載しています。特に開発者が最小限のコーディングでAjaxの機能を使える事を前提にしたテンプレートやコンポーネントを搭載します。
そういえば先般SUNの技術エリアの責任者も面談中に今後はクライアントにプラグイン等を配布しない「ノン・プラグイン系でDHTMLとAjaxを使った市場」の要求が高まるでしょうと話してくれました。同様にある都市銀行のソリューション部長も「DHTML」の必要性を強く望んでいました。
JOIの先見性に驚きながらも確かな技術を製品に組み入れる当社の開発メンバーに敬意を感じています。

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健康食品に月額いくら投資しています!?

2005.11.23

健康食品への毎月の投資額は「月額4,700円」なり!

民間調査会社を活用して健康食品ブームの調査をしたニュースがありました。その報告書によると「ほぼ60%の人が健康食品を日常的に利用し、1カ月間に約4,700円使う」そうです。
アンケートの内容を見ると健康食品を
よく利用している」が13.3%
たまに利用している」が46.3%
で、合わせるとほぼ60%を占めたという事です。
1カ月間にかかる費用は平均4,743円との事。
「千円程度」と答えた人が22.7%で最も多かったが、
1万円以上」の人も14.7%いたそうです。

僕の知人の例で言うと「コエンザイムQ10」を月に2-3万円購入(飲んでいる)しているそうです。そして200歳まで生きるといっていました。
また、別な方は元々大学が化学出身と言うことも在り、家族で月に数万円の「コQ10」を購入しているそうです。試しに太りすぎの「ワンちゃん」に飲ませたら数ヵ月後にスマートになったそうです。その知人も10㌔㌘痩せたとおっしっゃていました。「コQ10」は一昨年当りから凄い人気で、メーカー各社も昨年には出揃った感がありますね。
実際に試されてその効能の良さをよく伺います。

また、別な報告では、「ダイエット食品」は2003年までに576億円に成長しましたが、04年には413億円に急落したそうです。そして今年(05年)643億円で来年は横ばいの635億円を見込んでいるそうです。何れにしても急成長した市場ですね。
僕がよくお世話になっているカロリーメイトの栄養バランス食品市場は06年予測は705億円で対04年比で8%のUPだそうです。森永製菓の「ウイダーinゼリー」と大塚製薬の「カロリーメイト」で市場の55%以上を占める寡占状態です。
「ウイダーinゼリー」も時間のないランニング・ランチ〔こんな言葉があれば〕としては活用しています。ビジネス・ランチもありますが、ランチ時間を移動時間にしてしまうことがままあるので、この様な武器で凌ぐ訳です。昔はよく駅周辺の「立食レストラン」〔何を隠そう立ち食いそばです〕をよく利用していましたが、結構そばつゆの匂いが強く、客先に敬遠されそうなので最近は食していませんね。

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iPodⅡ

2005.07.20

渡邉さん、「ずいぶんハイテクな万歩計すっね??」と横堀雅人。
「はぁ~~ぁ!!」っと力んで答える僕。額から汗が!!
つかさず海藤一が「なにいってんだょ。あれはiPodじゃん。」「あッ。すいません。ホントだ」と小さく横堀。
もう一度海藤一。「万歩計はひどいだろぅ。」「アップルが怒るぞ!!」それ駄目押しっての。
あのねぇ。怒るのは僕でしょう。僕!!  
(小話ではありません。悲しいかな本当にあった話しです。)

規則的な生活はすべてにおいておいしい!!」と誕生日を迎えた気持ちを既にブログ書いた。心に「期する」事で生活のリズムまで変えた。そのリズムは維持しているが、より体調も体力も促進するために、日々「歩く」ことにしている。週五日間の平均5,000から8,000歩が目安である。日曜日は15000歩と決めている。これは調子いい。運動不足解消にもなるし、「リズムがスリム」を作ってくれる。
歩くことが如何に健康に良いかをメンバーによく訴えている。もちろん万歩計の話も。なので横堀雅人は僕が外出先から帰社したときに「さっそうと」万歩計を着けて事務所に入ってきたと思ったらしい。「そんなの思うな!!」
P1000037.JPG
【つい最近手に入れた愛用のiPod】

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実践! ビジネス・プログ

2005.07.13

同じビルの同じフロアーに住んでる「ネオテニーベンチャー開発」の松本英博社長から上記タイトルの書籍を頂きました。僕がブログを始めたのと書籍を頂いたのが同じタイミングにびっくり。
松本さんは独特の雰囲気で飄々と自分の「夢」に向かっているようです。
今の僕には、ブログの本は非常にありがたく、早速読み始めたところです。
最初の印象はとても「解りやすい」って感じです。
僕の様なシロウト向けに基本的なブログの仕組みと使い方。
加えて簡単な機能の紹介、そして本来彼がこの本で伝えたかったツールとしての活用方法について、彼らしく簡潔に綴っています。
ブログは使い方によっては、強力なCMSになりますね。
そういえばJOIもそう言っていましたね。

同じフロアーですので、しょっちゅう会います。
「本! ありがとうございます。
「いゃぁ。 お恥ずかしい。」という感じです。
このフロアーにはブログの大家たちが山ほど(言い過ぎか)います。
安心して過ごせます。

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時代は次世代のWebアプリケーション!!

2005.07.10

先週、株式会社アイ・ティ・フロンティア井上社長と佐々木副社長の紹介で「Webソリューション」の開発チームと情報交換をしました。とても印象的であったので今日のテーマにしたいと思います。

ITFのこのエリアの二年間の功績は同じ業界人として「先行者の苦労とメリット」を共通な意識として感じます。市場を開拓することは、とても重要で且つ大変な苦労を抱え込むものです。
先駆者となる事を決断する経営者も実際に現場でドライブする事業部メンバーも共に苦労を強いられます。
僕らも五年前、「PDFをダイナミック生成する技術」の市場を開拓してきましたが、現在の様に市場に理解して頂けるまで多くの時間と労力を消費しました。しかし、その苦労があったので新しいリッチクライアントの製品も世の中に問うことが出来ました。

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iPod

2005.07.09

京子ママが一押しッ! っていっているよ!! と携帯からの第一声は興奮気味のJAZZ仲間の大先輩でした。

韓流は国民的放送局(?)NHKが一昨年から仕掛けたプロジェクトで、目論見と桁外れに成功してしまいました。
そういえば、NHKのお陰で、韓流はドラマだけでなく映画・音楽等いろいろな場面で、日本人の身近に感じるようになりましたね。
実は僕も嵌まっています。
京子ママが「一押しよ!!」とだめ押したミュージシャンは、韓国でも人気No.1の歌姫で、その上スタイル抜群のwoong san(ウンサン)というジャズ・シンガーの事です。この日二十年来通っている「Body & Soul」で初めてその透き通った歌声を披露したのです。
その日というのは先月、6月3日で『ウンサン (vo) 鈴木文紹 (ts) ユキアリマサ (pf) 安カ川大樹 (b) 広瀬潤次 (ds) 荻原亮 (g)』というカルテットとボーカルの構成でした。
残念なことに、僕は彼女の歌声を聞くことが出来ませんでした。
とても残念に思っていますが、その後B&Sで再び予定を組まれておらずAmazon.comにお願いすることにしました。

B&S1.JPG

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