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Cutty Sark

Cutty Sarkは常に夢を追い続ける希望の帆船です。I still have a dreamのこころざしを持って海図にない航路を切り開きます。

南アメリカ大陸の海峡

2005.08.14

昨日はアジアの海峡でした。今日は地中海の入り口にあるジブラルタル海峡二つの大陸の端っこにある海峡がテーマです。
最初は「ジブラルタル海峡」です。この海峡は、ヨーロッパのイベリア半島とアフリカの北端を隔てる海峡です。この海峡によって「大西洋と地中海」を分けています。水深は286m、海峡の幅は14km~44kmです。地中海の位置づけからイメージすると古来から戦略的に重要な位置づけにあることは想像できます。まだまだローマが小国家の頃、既にカルタゴは大国で現在のスペイン南部とアフリカの地中海沿岸部を網羅するほどの独立国家でした。そのとき地中海の出入り口であるジブラルタルはとても重要な海峡でした。話は紀元前300-200年ごろの話です。この後第二次ポエニ戦役があり、ハンニバルの父が南スペインで活躍し、ハンニバル自身は第三次ポエニ戦役まで長い長い戦役が続きます。この話は長いので別なテーマで。この海峡を昼間航行すると、イベリア半島の南端にあるスペイン領のアルヘシラスという町とアフリカの間はわずか14km位ですので、船橋の倍率の高い双眼鏡からはよく見えます。イベリア半島側にあるジブラルタルの岩山と北アフリカ側のスペイン領セウタにあるアビラ山の二つをヘラクレスの柱と呼ぶそうです。
次に「マゼラン海峡」です。南アメリカ大陸の南端とフエゴ島との間の海峡です。太平洋と大西洋の二大海洋を結ぶ海峡となります。1520年、フェルディナンド・マゼランが通過し命名しました。航海の難所として有名です。年間を通じて時化の常用海峡です。帆船時代にとても通過すること自体大変なことでした。
正式名称はマガリャネス海峡と言いそうです。この名前はあまり知られていません。日本では「マゼラン海峡」が海図上でも常識になっています。1914年のパナマ運河開通までは、太平洋と大西洋間の唯一の安全な航路でした。多くの船がこの海峡を通りました。現在商船でこの海峡を通ることは特別な行為以外全く無いと思われます。

もうひとつ。海峡の名前も命名した人物もいろいろいな意味で著名な「ドレーク海峡」です。「ジョニー・デップ」が海賊ジャック・スパロウ扮するユニークな「パイレーツ・オブ・カリビアン」という映画が昨年か一昨年に封切りをしましたね。僕は知人からDVDをお借りしてたっぷりと堪能しました。「ジョニー・デップ」が一段と輝いていました。そして、とってもセクシーでしたね。あの映画にもドレーク船長の名前が出てきたと記憶していますが、ちよっと怪しいかも。
ドレーク海峡南アメリカ・ホーン岬と南極との間の海峡です。世界でも最も荒れた海域の一つと言われています。遠慮したい海峡です。船乗りといえど、船と荷物と乗組員の安全が第一優先ですから。名前は、イギリス人の私掠船の船長で探検家の、フランシス・ドレークにちなんでつけられました。フランシス・ドレークについては、英国、女王陛下の海賊船長たちのテーマでじっくり調べてみようと思っています。1577年にプリマ港を出港し、フェルディナンド・マゼランに続く史上二番目の世界一周を達成しました。この途中、1578年にホーン岬とドレーク海峡を発見しています。相当あこぎな事をして最後は貴族です。

 

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