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Cutty Sark

Cutty Sarkは常に夢を追い続ける希望の帆船です。I still have a dreamのこころざしを持って海図にない航路を切り開きます。

ラルチザン パフュームの香りの記憶

2007.11.05

先週末に「香りあるライフスタイル」とう「ラルチザン パフューム社」の香りのセミナーに参加したことをブログしました。

セミナー当日、予定時間より少々早かったのにも係わらず、
入り口から顔を出して「いいでしょうか?」と声を掛けると、
内匠屋光子さんと市ヶ坪さゆりさんのお二人はにっこりとどうぞと手を差しのべてくれました。。
そして、入り口に入った途端に「柔らかな奥行きのある香りがいきなり鼻腔」を刺激しました。まだセミナー開始前です。
ボクは彼女たちに案内された席に着くまでに、一つの記憶が頭の中をくるくると回り始めました。

それは「正倉院の宝物」です。
このセミナーでさらに驚くことがありましたが、それは後ほど話したいと思います。
「ラルチザン パフュームの香り」を嗅いで記憶が蘇ったものは正倉院の宝物の中にある「黄熟香(おうじゅくこう)」です。
別名、あの「蘭奢待(らんじゃたい)」です。全長156㍉㍍の小さな木片に多くの権力者が執着し、そして多くの物語が生まれました。

ボクの脳の記憶は「香り」=「蘭奢待」が最も近いパスだったと思われます。
もちろん、実物を見たことも聞香したこともありません。

正倉院は奈良にありますが、奈良の正倉院という言葉は固有名詞はありません。ですから「正倉院=奈良」ではないと言うことです。
奈良時代には寺や役所の倉庫のうちで一番重要な蔵を「正倉」と呼び正倉院はその正倉を中心として堀をめぐらした一区画の意味だそうです。
ですから、当時は法隆寺にも西大寺にも大蔵省にもあったようです。しかし、その全てが無くなり、ただ東大寺の正倉院のみ残ったことから、その名前を独占したようです。
正倉院は天平勝宝八年(756)五月二日に聖武天皇が亡くなられ、その七七忌に光明皇后は先帝の冥福を祈って聖武天皇の御遺愛品を東大寺の大仏に献納されたことが始まりです。
献納品は全てに詳しい目録と願文が添えられ、その数六三四点にも及びます。
献納品の数の多さは皇后の愛の大きさでしようか?

その数年前に「東大寺大仏の開眼会」が行われました。
存命中の聖武天皇と皇后は、僧侶一万人、文武百官を従え、自ら開眼の筆を取ったという空前絶後の儀式がありました。
そのときの筆や墨や楽人の服、仮面等も宝物として残っています。
「蘭奢待」は一見、クスやけやきの朽ちた質のもろそうな黒褐色だそうです。
また、蘭奢待の他には、ヒマラヤの木香、マラッカ産の丁子香、南方の迅沈香、マレーの白檀香等々沢山の「香木」があるそうです。
香木の中で、蘭奢待は沈香中の最上のである「伽羅」と同質といわれ、愛香家の垂涎のもとであったようです。
この門外不出の蘭奢待を「足利義政と織田信長」はその権力を使い強引に名香の一片を切り取ってしまいました。お上以外ではこの二人だけです。ずっと後に、明治天皇が明治十年に聞香しています。他は誰もその香りを知らないことになっています。

では、もう一つの驚きをお話します。

セミナーの中ほどで、内匠屋光子さんはおもむろにバスケットボールより少し小さなセラミック製の室内用のオブジェをテーブルの中央に運んできました。小柄な彼女には少々重そうです。製品の名前を仏語で説明していましたが、聞き漏らし、記憶にありません。
このセラミック製のオブジェは、正倉院の「銀薫炉(ぎんくんろ)」と全く同じ使い方です。違うのは、銀薫炉は銀製で、中に香木を削った香材に香を焚くという方法で香りを出すのですが、ラルチザン パフューム社は香りが詰まったカプセルを挿入していることです。しかし、その使い方も大きさもほぼ同じで、且つデザインも酷似していました。これには、とても驚きました。

この銀薫炉は遥か1300年前に聖武天皇の衾(ふすま)や衣服に香を炊き込めた筈です。日本の文化は情緒豊かですね。
日本の芸能の「香道」から発祥した日本文化の「香り」ですが、そのルーツは奥が深いようです。
ボクも記憶にある香りで、今の嗜好を踏まえて一品の香りを選びたいと思います。

 

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