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Cutty Sark

Cutty Sarkは常に夢を追い続ける希望の帆船です。I still have a dreamのこころざしを持って海図にない航路を切り開きます。

デッドゾーンの増加

2006.07.26

1870年の初頭には「海洋学(Oceanography)」という言葉が無かったらしい。

この言葉を現実の学問と位置づけたのはある「科学海洋探検」が発端です。
そのプロジェクトXの名前は「チャレンジャー号探検」です。
この英国海軍のコルベット艦でほぼ三年半の歳月を掛けて地球を一周し、そのお陰で、
海岸、深海、ひいては海全体の様相を知り、
海に関する学問、すなわち海洋学は近代科学として成立したという事になります。
そのコルベット艦がチャレンジャー号なんです。同名の艦船があるので英国海軍で六番目にあたる船という意味で正式には「チャレンジャー六世号H.M.S.Challenger Ⅵ)」です。

不慮の事故で7名の宇宙飛行士が亡くなってしまった「スペースシャトルのチャレンジャー号」もこの偉大な探検船の名前から命名されました。
コルベット艦チャレンジャー号は1872年12月に軍港ポースマスを出港しています。
このことは国内でかなり大きな国民的機運の上に話題が集まりましたので、「祭典」と云えるような祝福ぶりであったと言われています。

この航海は後々の探検船が担うようなビジネス的に匂いは全くありませんでした。
航路を開拓するとか、海洋の安全性を確保するとか、後の海底ケーブルを敷設する予備調査とか全く無かったようです。
この探検航海は「英国・王立協会(ロイヤル・ソサエティ)」が立案し、政府及び海軍省の全面的なバックアップのもとに実験した、純粋に真理探究のためのプランでした。
この企画はやはり海運国・イギリスだけが持つ、または持てる機運と感じます。
なぜかというと、
かつては、「キャプテン・クック」の三回にわたる世界周航探検を実施し、成功裏に導き、
さらには、ダーウィンを乗せて世界周航した「ビーグル号(Beagle)」を派遣させた実績を持つ英国人のフロンティア気質によるところが多いと思われるからです。

しかし、
チャレンジャー号探検から120年経た今日
『海洋生物がいない巨大「デッドゾーン」が毎年出現する』そうです。それも、ここ数十年でどんどん大きくなり拡大していると言うことです。

ニュースによると、
「夏になるとメキシコ湾岸には魚や海洋生物がいない巨大「デッドゾーン」が毎年出現する。ここ数十年でこの区域はどんどん大きくなり、今では2万1千平方キロメートルというニュージャージー州よりも広い面積にまで達している。似たような状況は小規模だがチェサピーク湾にもみられ、1970年代から生命体のない広大な地帯の出現は年中行事となり、湾の40パーセントを占めることもある。」

ということで、
この様な「デッドゾーン」と呼ばれている「酸欠海域」は146箇所も確認されているそうです。
それも1960年代以降に酸欠海域の数は「10年ごとに倍増」しているとのこと。

チャレンジャー号が「日いずる国」へ立ち寄ったのは明治8年(1875年)4月11日です。寄港地は横浜です。海外に門戸を開いて幾ばくも経ていない極東の島国に対して、探検船の6名の調査員とクルー達は粗末な茅葺が点在する海岸線を驚異の眼差しで見ていたことでしょう。ペリーさんが来航してより既に22年経ていますが、そう簡単には西洋化しませんから。
しかし、
チャレンジャー号の船体の整備や食料の調達の間、クルー達は「日いずる国」の休日を十分に堪能したようです。

1880年代後半からヨーロッパ各国は競って海洋研究に乗り出すようになりました。それはたぶんにチャレンジャー号の成功の刺激であると歴史は証明しています。

さて、
120年前に学問として海洋学の礎を作り上げたチャレンジャー号の調査員やクルー達も想像できないほど昨今の海洋は変貌しつつある様です。それがメキシコ湾岸の巨大「デッドゾーン」です。この様な「デッドゾーン」と呼ばれている酸欠海域が増殖しているのです。


その原因の多くは私たち人類の増加や生活そのものや無知や利権等々によるのでしょうね。

 

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