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Cutty Sark

Cutty Sarkは常に夢を追い続ける希望の帆船です。I still have a dreamのこころざしを持って海図にない航路を切り開きます。

ジョルジオ・アルマーニ

2007.11.12

先頃「ジョルジオ・アルマーニ」が来日し、多くのTV報道がされていましたね。沢山の人が初めて生のジョルジオ・アルマーニを見たのではないでしょうか?
ボクも初めて見ました。

報道では、銀座に旗艦店を出店し日本法人「ジョルジオ・アルマーニ・ジャパン」の本社とするようです。
会見での彼は1934年生まれの73歳らしいですが、顔のしわは別にしてもとても若々しい印象を受けました。
体型も会見で感じた通りの意思の強さで節制しているらしく、とてもスマートでした。
70代でもあんなにすばらしく年をとれるという見本ですね。
彼はもともと医療の世界に進みたくて医学を志していた様ですが、解剖が苦手で断念した様です。分かるような気がします。
感性豊かでないと洋服のデザイン等は難しいと思います。
まして、多くの著名人が彼の服を好んで着ていると言う事実を考えると、その進路は間違ってなかったようです。
彼はその後、大手百貨店の洋服売り場の仕事で商品の陳列ノウハウや、展示の方法や生地や素材にふれ、生涯の目標を得たようです。
結果的には、現在も進行中ですが、
ワールドワイドで5,000億円以上の売れ上げを得るファッション界屈指の企業にまで成長しています。

実業家に「白州次郎」とい人がいましたね。
風の男」白州次郎についての本はかなり出ていますので、多くの人が知っていると思います。

戦後の首相、吉田茂に請われて一定期間側近になっています。
白州次郎は米国の占領下でGHQの要人に対して、占領下日本の弱さを全く見せず、得意なクイーンズ・イングリッシュで、一歩も引くことなく渡り合った伝説的な実業家と言う印象を持っています。
その白州の妻は「白州正子」です。
父方の祖父は樺山資紀、母方の祖父は川村純義、親戚には黒田清輝、父は樺山愛輔という豪華版です。
彼女は四歳から能を観世流梅若派に学び長じてからも世阿弥の「花伝書」を傍らに置くほど能の理解者です。
ボクは能の初歩的な理解を彼女の書籍を通じて知りました。
正子の最初の著書に「お能」というタイトルがあります。彼女が30歳の時に上梓したものです。今から47年前のことになります。

白州次郎と吉田茂の二人は、吉田が英国大使として赴任中に良く会っていたそうです。白州は当時ケンブリッジ大を卒業して水産会社のブレーンとして、ヨーロッパを飛び回っていた様です。白州の実業家としての知識を吉田は生の情報とて活用していたのかも知れません。とにかく気があったようです。
その時期は1936年から1939年の間ですが、面白いことにロンドンのいくつかの仕立て屋に二人の名前が前後して何度も出てくるそうです。
その仕立て屋というのは「テトリー&バトラー」「ヘンリー・プール」「ターンブル&アッサー」と云う名のお店です。いや、らしいです。この事は中島渉氏やデザイナーの菊地武夫氏も同様に書いています。
古い写真をみると一目瞭然ですが、白州次郎も白州正子も当時のファッションレベルからすれば並外れたレベルの個性派です。正子は88歳まで長寿しましたが、一貫して個性派のおしゃれをする人でした。
仕立て屋で誂えた二人のテーラーメードにははっきりとした特徴があったようです。吉田は外交官ですから、都会風の隙の無いネービースーツです。それに引き換え白州は欧州の地方都市を中心に活動するカントリージェントルマンと言われるスタイルを好んだようです。

白州の「」を語るとても愉快なエピソードがあります。
吉田茂に請われて1951年にサンフランシスコ講和条約の調印式に向う機中で、白州はTシャツにジーンズ姿だったといいます。その時彼は全権委員顧問の肩書きでした。今では考えられないことですね。
Tシッャとジーンズ姿ツイード仕立てのテーラーメード
このアンバランスが白州の魅力でしょうか?

スーツとは、
仕立ての良さを求めるべきで、けっしてブランドのネームヴァリューに対してお金を払うものではない」というのが白州の基本姿勢だったかも知れません。

果たして、「ジョルジオ・アルマーニ」を風の男・白州次郎はどう見たでしょうか?

 

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