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Cutty Sark

Cutty Sarkは常に夢を追い続ける希望の帆船です。I still have a dreamのこころざしを持って海図にない航路を切り開きます。

カティ・サークと帆船の建造技術

2006.05.14

特に熱帯地域の「熱帯林」の減少が目立つます。

熱帯林は1990年から2000年の間に、「年間平均で1230万ヘクタール」が減少しているらしいです。
これは日本の国土の約3分の1の森林を毎年失っている事になります。
もう一つ重大な事は、単に面積の減少だけでなく、森林の質の劣化が進み、「密閉林から疎林」への変化も見逃せない深刻な事態だそうです。
森林破壊の主たる原因ですが、
まず、19世紀時代はの森林は「製鉄や家庭の燃料」でその多くを失い、さらに「牛や羊を飼う牧場」のために破壊が進行したといわれています。
次に 20世紀に入りますと、「住宅や建設用の木材」、「食料生産の場」として土木機械の開発が大規模化し、破壊に拍車をかけたと言う事です。
そして、21世紀になるとその破壊は飛躍的高まって来ました。森林は「新聞紙、OAコピー紙、ダンボール紙」など産業用に伐採され、さらに、食料生産(エビの養殖池、牛や羊の牧場、大豆やコーヒー、油脂など)のためにその範囲が更に拡大され、大量の伐採が進みました。 また、自動車タイヤの原料ゴムを採るゴム園も自動車の加速度的普及により拡大され、現在でも森林の減少は止まる事を知らずにいます。


〔カティ・サーク〕

快速船への道」を開いたのは米国人でした。

快速船はその後「クリッパー」と呼ばれるようになりましたが、最初のクリッパーは1845年に建造された「レインボー」といわれています。カティ・サーク建造の25年前のことです。
レインボーもカティ・サークも当時の帆船は当然のごとく全て木材で作られていました。米国と英国ではその資源と目的によりたいぶ事情が異なっていました。米国内の大森林から針葉樹を無尽蔵に切り出して作られた帆船は搬送する用途と気質により大型化しました。英国から見ると米国の造船業は材料・人件費ともに低価格で帆船建造が可能でした。また針葉樹は樫材と異なり柔らかく加工しやすく建造期間の短縮にも寄与しました。しかし、そのために船体の強度と言う点に問題があったようです。それも巨大化するにつれてその問題が表面化します。
米国製のケープ・ホナー〔カリフォルニア・クリッパーは必ずホーン岬を回頭するのでこの名がある〕はそのため多くの帆船が故障や沈没を余儀なくされました。また、英国の儀装技術より少々劣るようで漏水等も多かったようですから艤装の歴史や経験にも差があるのかも知れません。

小さくとも堅牢性の高かった英国帆船ですが、当初樫材が主流でしたが、資源に乏しい英国では樫材が不足し、代わってチーク材が使われる様になりました。しかしチーク材は樫材よりも高価という難点がありましたが、堅牢性がより高く長期の資産運用という点でなんとか採算に見合っていたようです。そこで採用されたのが「木鉄交造船」です。材料の量を抑え、より強度を補うために開発されました。この二つの観点から木鉄交造船はその後の主流になります。この「木鉄交造船」は造船技術に大きな役割を今後果たす事になりました。
それも1870年代になると、木造や木鉄交造船を造るのは森林が無尽蔵にある米国のみとなり、英国は少しずつ「鉄船」に移行します。
船材として木材と鉄材のどちらかを選ぶと言う事と「帆船と汽船の戦い」は別な問題です。
材料は単に材料費の高騰と調達のし難さからです。まだ当時「帆船と汽船の戦い」というほど汽船の力量は高くはありませんでした。それが名実ともに帆船を越えるのは推進機関の技術的発展が必須でした。
1851年の処女航海でレコードを出したケープ・ホナーの代表帆船「フライング・クラウド」はYN→SFOを89日間で突っ走りましたが、汽船がこのスピードを凌駕するまでにざっくり30年の歳月が必要でした。

 

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