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Cutty Sark

Cutty Sarkは常に夢を追い続ける希望の帆船です。I still have a dreamのこころざしを持って海図にない航路を切り開きます。

カティ・サーク

2006.05.03

帆船は人間の創造物の中で最も美しいもの、偉大な傑作のひとつ

レ・ミゼラブル」「ノートルダムの鐘」で有名なビクトル・ユーゴーは仏国で著名な小説家であり詩人であり国民的に人気の高い政治家でもありました。彼は著書の中で「帆船は人間の創造物の中で最も美しいもの、偉大な傑作のひとつ」と賞賛し、帆船の活躍と海の情景を巧みに描き、彼自身の海への憧れを描写していると言われています。ユーゴーは三男ですが、彼の父は熱烈な共和党員でナポレオン1世時代には軍の将軍だった様です。父の意思により軍人を志しましたが20代で断念し以後、文学に打ち込んだ様です。冒頭の帆船への憧れは感情の豊かさを持つ詩人的な感性と軍人の初等教育で訓練された機能としての帆船を描写したのでしょうか。


〔米国の代表的なクリッパー:フライング・クラウド 〕
1851年に米国船主がティ・クリッパー・レースに深入りしなかったのは当時米国で起きたゴールド・ラッシュでの旅客運送の方が安全で且つ高収益であるとの見方が一般的です。この船は長さが72㍍、幅12.5㍍で金メッキした壁柱とマホガニーで出来た腰板等、貨物船にしては豪華な客室を備えていました。豪華さもさることながら「疾走する雲〔フライング・クラウド〕」の名の通り俊足でした。処女航海のNY→SFO間を89日間という驚異的な記録を持ちその後その記録を破られる事はありませんでした。この航海で毎日平均222海里を保持し、最大24時間で374海里を作り上げました。カティ・サークの約二倍の1782㌧の大きさです。別名「白い翼」とも呼びました。

フライング・クラウドが活躍したのはカティ・サークが進水する約20年前の出来事です。


〔現在のカティ・サーク:グリニッジにある英国国立海事博物館に保存〕

カティ・サーク」は大航海時代の云わば終焉に生まれた最高傑作のひとつです。
15世紀に始まる大航海時代は多大な犠牲と富を得た欧米人のフロンティア精神の歴史です。東洋人である僕らはその歴史の価値や記憶を殆どもっていません。特に日本人の帆船の歴史は幕末からです。既に汽船の時代に突入している頃です。日本人が大海を帆船でドライブしたのは公式記録では「咸臨丸」です。このことは「快挙」と云えるほど功績は目覚しいものがありますが、江戸幕府が発注した新造船で300トンもあり、既に百馬力のスクリュー汽船でした。
今日は5月の連休の最中ですが、横浜、逗子、佐島等々多くのヨットマンが東京湾に大小さまざまなヨットを走らせている事でしょう。

このヨットもまたずっと後に日本に紹介された船でした。そして日常的にヨットマンが使う帆走用語や手にする儀装品もその殆どが大帆船時代の名残でないものはありません。地中海の海上貿易を生業にしたはるかフェニキア人の時代から何世紀にも渡って蓄積された船乗りの「血」の結晶です。
非常に軽量で洗練されたヨットが海の上をスムーズに滑る様に帆走する姿は「美しさ」を感じます。
が、カティ・サークに代表される横帆と縦帆を組み合わせた全装帆船〔フル・リグド・シップ〕はヨットと比較にならないほど大型で重厚です。
全盛期のカティ・サークは平均速力で16.5ノットを保ち、ライト・アフト・ウィンドと呼ぶいわゆる真追風〔まおって・真後ろから吹く風〕では20ノットの快走を記録しています。
40を超えるセールを展開したフル・リグド・シップのカティ・サークを想像ください。
エンジンの音や振動は全くせず、風の音と白波を「ザーッ、ザーッ」と切り裂く音のみがする実物よりもより大きく感じる帆船「カティ・サーク」はその想像の世界でも圧倒的な優雅さと重厚さを感じることでしょう。

■文中説明
  □海里:海浬(かいり)といい、距離の単位で海面上の長さや航海・航空距離などを表します。
   1海里は1852㍍です。

■引用
  □帆船 杉浦昭典著

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