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Cutty Sark

Cutty Sarkは常に夢を追い続ける希望の帆船です。I still have a dreamのこころざしを持って海図にない航路を切り開きます。

横浜ベイクォーター

2006.05.15

横浜のブランドと新しいトレンド

1854年に進水した英国で建造された「蒸気船アーコ゛号〔スクリュウ船〕」〔1850㌧〕は英国から喜望峰を廻って64日間オーストラリアに着きました。その後ケープ・ホナー廻りで英国に帰港し、蒸気船としてはじめて世界一周を果たしました。
このころ少しずつ石炭の補給基地が世界の各地に整備されつつあったとは言え、とても高価な燃料費でした。

横須賀に入港したペリーの日本遠征隊の旗艦「サスケハナ号」は1855年3月10日にケープ・ホナー経由米国フィラデルフィアに帰着し、米国蒸気船軍艦としては最初に世界一周を果たしました。同じ年に僚船だったミシシッピー号が少し遅れて4月23日にニューヨークに帰ってきます。同船は帆船でした。

日本と米国間の航路、いわゆる「太平洋航路」が開設されたのは1866年のことです。
1867年1月1日に東洋のへの処女航海を果たしたのは「コロラド号〔3642㌧〕」でした。22日間かかって1月24日に横浜に入港しました。横浜での下船者は42名だったそうです。勿論郵便船でしたので郵便袋を沢山乗せて。

運行会社は「パシフィック・メイル〔太平洋郵船会社〕」で「サンフランシスコ-日本-シナ」を結ぶ航路として期待をかけたようです。この当時の船旅はとても高価だったと推察できますが、ゆったりとした船旅であったかどうか疑問ですね。
この二年前の64年には「P&O」が「上海-長崎-横浜」の航路を開設しており、同時に仏国のフランス郵船も上海-横浜間航路を持っていました。
この航路により極東の日本は世界の周回航路のシステムの一員となります。
その窓口が鎖国から開国を最初に経験した「横浜」でした。

このころより「国際航路のハブ」としての横浜の港湾機能とブランドが形成されつつあったと思われます。


〔セールを形どったホテル・パシフィコ横浜と日本丸〕

〔今年の夏にオープンの「横浜ベイクォーター」のイメージ図〕

横浜にまたまた新名所が出来ます。
東口近くに豪華客船を形どった70あまりの店舗をもつウオーターフロントが8月にオープンするそうです。
その名は「横浜ベイクォーター」(↑イメージ図です)

場所は横浜駅東口近くの「そごう横浜店」の隣接地で、すぐ近くにシーバスの発着場所も在ります。
商業施設は客船をモチーフにした地上五階、地下二階の建物で、タラソテラピー(海洋療法)のプールやスパゾーン、エステ、ペットホテルやトリミング、ヨガやエクササイズほかのスクールなどもあるそうです。ファッション関係の店舗あり女性をターゲットにしているそうですよ。

横浜の知人を訪ねながら探索する事にします。

 

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