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Cutty Sark

Cutty Sarkは常に夢を追い続ける希望の帆船です。I still have a dreamのこころざしを持って海図にない航路を切り開きます。

仕事の鬼

2009.11.13

トーマス・アルヴァ・エジソンは、「世界の発明王」として生涯におよそ1,300もの発明を行い、取得した特許は1,093個で、これは個人としては前人未到の記録だそうです。
その一方で、メモ魔としても非常に著名ですが、13歳から亡くなる84歳までの間に、なんと60万枚を超える(誰が数えたのでしょうか)実験メモや日記を書き続けたそうです。驚異的な継続力と言えます。そのメモの内容は、後世の私たちが現状を乗り越え、未来を創出していくうえでヒントになる「エジソン名言集」として世に広く知られています。

ですが、そんなエジソンも小学校を三ヶ月で退学せざる得なかったようです。変わった子だったのでしょうか。退学後は、独学で科学を学んだようです。
しかし、どのような天才もたった一人で自分の能力を開花させることはできません。
先生が必要です。もちろんエジソンにもです。
彼の先生は科学者「マイケル・ファラデー」です。ご存知ですか、この人を。
ファラデーの功績は、例えば「電磁誘導の法則」を唱えた人です。
しかし、エジソンはファラデーの直接の弟子になった訳ではありません。ひそかに師として尊敬し、彼の著書から学び取るという所謂「私淑(ししゅく)する」形をとったようです。この辺も人とは違いますね。
一般的には、著名か無名かは別にして、師と仰ぐ先生の弟子になるのが普通と思われますが、天才エジソンはそうしなかったようです。いったい、読書によって「師」を持つくらいに、能力開発ができるものなのでしょうか?
言い換えれば、沢山の読書をすれば、所謂天才と言われる人たちに近づけられることになりますよね。
彼の天才と言われる根源は、あることに興味を持ち、学び続け、そして発明ないし発見を死ぬまでし続ける驚異的な持続力であると思われます。さらに彼は「運を信じない」ルールを実践した人でもありました。
すると、エジソンの基本的なものの考え方や行動は、彼が師と仰ぐファラデーの書き残した書籍によって得たことになります。

人の生涯は、物事を学び続ける果てしない旅であるといえます。
私たちは、母親の胎内にいるときから学び初め、死の床にあっても何かを学びつつ最期を迎えるまでの間、膨大な時間を「学ぶ事」に費やしているといえます。

人の生涯で最も学習能力が高く、かつ奇跡のような力を発揮するのが幼年期であることは、だれてもが知っている事ですね。
赤ちゃんは決して本能で言葉をしゃべるのではなく、「きっちりと学習して覚える」のであり、なので、言い換えれば、置かれた環境次第で何語でも操る事が出来ます。
この学習するということは、生涯を通じて人間の本能であるようです。
また、生涯学び続けなければならないと云う事は、いってみれば、「人には完成や完了」というものがなく、常に「未熟」であることの証なのだと思われなりません。
なので、人は生まれてから死ぬまで、常に未熟な状態にとどまり、しかし、休みなく学び続け、それが死を迎えるまで続くというわけです。それは本能であるけれど、結局は人間そのものは、学ぶ事の楽しさを知っているともいえませんか?
その観点から、
きっとエジソンはものを学ぶ楽しさをもっともよく知っているひとりであったと思われます。
エジソンの名言集から、
「私が業績を上げたのは、私に備わる才覚と人は言うけれど、人間が死に物狂いで頑張り通せば、誰でも私と同じ業績を残せます。」
要は、驚異的ともいえる強い持続力を保てるかということになりますね。

あの著名なナポレオンは「仕事の鬼」であったと、同時代の多くの証言が物語っているそうです。
「私は二時間でできることに、けっして二日もかけない」という有名な言葉がありますが、このワーカーホリックのナポレオンの部下たちは、上司の猛烈な仕事量と長時間勤務には悲鳴を上げていたらしい。
「一日三時間の睡眠」なとど誇張な伝説を作らなくても、このことだけでも桁はずれな仕事人間であったと理解できるはずです。
また、
ナポレオンは軍事的天才と言われていますが、26歳のときイタリア遠征軍司令官に任命され、初戦で圧勝し、そして46歳のとき最後の戦いであるワーテルローの戦いに敗れるまでの間、60戦していますが、完全に連勝でした。この「軍事的天才」と云う事が、後世のナポレオンの評価の最大値となり、彼が持っていた多くの能力が霞んでしまうことになります。
ここにひとつ、興味深い言葉があります。
余は、初戦の戦闘の時から知っていたこと以外はなにひとつ学ばなかった」と。
初戦とは、イタリア遠征の司令官の時の戦いで、彼は三万八千の軍隊で、八万の敵軍を壊滅した戦のことです。この言葉の意味は、初戦で試みた方法をすべての戦いに用いたとの意味です。
その百戦錬磨の方法とは、とてもシンプルなアイデアなんです。
この方法とは、
戦とは、与えられた諸地点にどれくらいの兵力を投入するかを計算することである。」です。
この計算の結果というのは言い換えると「敵よりも多くの兵力を投入する」という意味です。なぁんだと思うでしょう。
しかし後年、軍事史家によると、こういう戦術を初めて発見し、実践したのはナポレオンが初めてだそうですよ。それほどシンプルですが、それまで誰一人気がつなかったというわけです。

戦争はタイミングが重要な要素になります。当時は衛星も飛行機も携帯電話もありません。
なので、ある地点に集結する敵の兵力を正確に予測し、多方面の戦争地点を考慮しながら、敵より多い兵力をすばやく投入できれば、ほぼ必勝できるわけですが、しかしこれは至難の業ともいえます。
戦いは常に全面戦争しているわけでなく、局地戦争したり、移動したり、停滞したりと、「場所と兵力と移動タイミング」によって始末の悪い事に何通りもの戦術が想定できてしまいます。
普通は、迷います。なのでミスを犯し、タイミングを外し、負けるのです。

ナポレオンの驚異的とも思える全勝は、敵味方の部隊移動を正確に計算し、その計算通りに自分の部隊を動かせたということになります。
緻密な計算のノウハウと部隊を統率する指導力があったのでしょう。当時、ナポレオンと同じように兵学校で学んだ多くの学生がいた筈ですが、なぜかナポレオンだけが、新しい戦術の発見者になったわけです。
それはなぜでしょうか?

また、ナポレオンは自分の仕事に関する心が構えをこんなふうにいったています。
とても面白いです。
「私はせっせと仕事をし、じっくり考える。私がいつもどんなことにも答え、どんなことにも直面する用意ができているように見えるのは、何か企てる前に長い間よく考え、どんな事態になるかを予測したからだ。天分がだしぬけに現れたのではない。夕食のときでも劇場でも、いつも仕事のことを考え、いつも働いている。夜も目覚めると仕事をする。私は働くために生まれたのだ。」

そういえば、過去の栄光になってしまった米国自動車業界のビックスリーのひとつであるフォードの創立者である「ヘンリー・フォード」も人生のほとんどの時間をこだわりの自動車を作るとういうその一点に焦点を当てた人でした。ヘンリー・フォードは、12歳の時に「自分は何をすべきか悟った」と自著で述べていますが、フォードを設立する前に共同で自動車会社を作りましたが、経営陣と意見の食い違いに悩みます。
彼は「大衆に売れるもっとよい車を作りたいという私の考えは全く会社内では支持されなかった。会社は注文あった場合に車を作り、できるだけ高値で売ることしか考えていなかった。」と。
フォードとエジソンの年代はわずか16年しか差のないほぼ同時代の人です。

ナポレオンは幼年期から生涯の最後にいたるまで貪欲な読書家と知られています。特にパリの陸軍士官学校時代から数年間は「本屋を食いつぶすほど」本を読んだといいます。エジソンと同じ様に孤独を好み貪欲に本を読んだことでしょう。しかし彼は手当たりしだい本を読むだけでなく、要約や抜粋、感想などを書き込んだノートを持っていたということです。

ナポレオンが戦場においても、一国の統治においても、人々を驚愕させるような能力を発揮できたのは、膨大な情報量と熟慮する忍耐強さと、なににもまして仕事の鬼であったことが、ものをいっているように感じてなりません。エジソンもフォートも負けじ劣らず「仕事の鬼」であったような。


参考
トーマス・アルヴァ・エジソン(Thomas Alva Edison,1847年2月11日 - 1931年10月18日)
マイケル・ファラデー(Michael Faraday, 1791年9月22日 - 1867年8月25日)
ナポレオン・ボナパルト(Charles Louis-Napoléon Bonaparte, 1808年4月20日 - 1873年1月9日)
ヘンリー・フォード(Henry Ford, 1863年7月30日 - 1947年4月7日)

 

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