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Cutty Sark

Cutty Sarkは常に夢を追い続ける希望の帆船です。I still have a dreamのこころざしを持って海図にない航路を切り開きます。

時代を読む嗅覚

2009.07.02

常々日本の女性は、ルイ・ヴィトンが好きだなぁと思います。

以前聞いたことがあります。「日本の女性の三人にひとりは、ルイ・ヴィトンを持っている。」と。
それと、面白いことに、彼女たちは"ルイ・ヴィトン"と言わずに、ただ「ヴィトン」ということも知りました。なんと彼女たちらしい言い方だ。
総ての"ブランド"に弱い私でも、長い時間をかけて、雑誌やショーウィンドーや、それに女性たち自身が実際に身に着けている、または持っているという事実によって、知らず知らず、自然にそれらの老舗ブランドを記憶に留めるようになりました。興味の無いことは記憶できない性質(たち)ですが、自然の流入は避けれません。
ただ、私が知る老舗ブランドは、冒頭の"ルイ・ヴィトン""カルテイエ"と、それに、"エルメス""シャネル"くらいです。まぁ、誰でもこの四つは知っているでしょうね。
これも、新聞や雑誌で知りましたが、"ルイ・ヴィトンとカルテイエ"はグループ化して多数のブランドを傘下に収めている様ですが、"エルメスとシャネル"は未だに独自路線を貫いているようです。

もうひとつ、興味深い話しを聞いた事があります。
それは、たとえ"ヴィトン"のパックをいくつか持っていても「エルメスは別格よ!!」と、言いきります。
"ヴィトン"は好きでたくさん持つが、それ以上に欲しいブランドは"エルメス"ということでしょうか。
どうも"エルメス"は日本でも本家のフランスでも「ブランドの中のブランド」という認識があるらしいです。老舗ブランドの中にも格があるんですね。

ところで、フランス映画界は今「シャネルブーム」だそうです。老舗ブランドの一つで、比較的若いブランドとなりますね。生涯ファッションデザイナーであった「ココ・シャネル」(1883-1971)の劇的な生涯を取り上げた映画やテレビ放映が、このところ相次いで公開されているようです。
そして、日本でも秋に「シャネルになる前のココ」という映画が公開予定だそうですよ。過去に彼女の生き様に関する著書は多く出版されています。
「シャネルになる前のココ」という映画のストーリーは、Webに紹介されていますが、チョー・サマリーして紹介します。
シャネルが11歳の時に、母親が死に、遊び人だった父親は、田舎の孤児院に彼女を預け、音信不通になる。少女時代は裁縫を習いながら、フランス将校の駐屯地のクラブで歌を歌い、生活費を稼ぐ。その内、エリート将校の愛人になり、徐々にファッションの世界に足を踏み入れていく。というものです。ココという名前は、クラブ歌手時代の芸名です。これもとても有名なエピソードですね。でも、それを名前にしてしまうところに彼女の強かさを感じます。
さて、
彼女の商いに対する洞察力にとんだ言葉を書籍の中に発見しますが、その中で、最も彼女の独特な感性を発揮する「時代に対する嗅覚」を表現する言葉があります。

"モードはたんに衣装の中だけにあるものでなく、空気の中にあって、風が持ってくるものだ。人間はそれを感じ取る。モードは空にも、舗道にも、どこにでもある"

シャネルの成功の秘訣は、時代を読む嗅覚にあったようです。
彼女は晩年、ナチス将校と交際したために、対独協力者の烙印をおされ、長く非難されることになります。今、まさにセンセーショナルに公開されてる「愛を読むひと(The Reader)」もナチス親衛隊の看守になったハンナの人生と重なるものがあります。
原作は、ドイツの小説家ベルンハルト・シュリンクの「朗読者」で、ベストセラーになりました。読み応えのある小説です。

戦後モード界から忘れられていたシャネルですが、女性の社会進出を機敏に感じて、自分のデザインが力を発揮できるタイミングが到来したことを確信します。そして、15年間のブランクを物ともせず、71歳でファッション界にカンバックし、フランス業界の女王に返り咲くのです。
その少し前に、
後年、経営感覚が歴代最も俊敏であったといわれた"エミール・モーリス・エルメス"がエルメス社の三代目社長に就任します。彼は、過去二代にわたって伝統的な馬具製造業の伝統を生かしつつ、ファッション界に大胆な転進を行い、中興の祖と言われる経営手腕の陣頭指揮を執ります。

欧米では、老舗ブランドの品物を普通の若者が、日常的に使うという意識自体は、現在でも基本的には存在しないそうです。だとすると、本来は上流階級の持ち物であった老舗ブランド品を、なんとも思わない(?!)(ちょっと、言いすぎ?)ような姿で、日常的に持ち歩く、若い日本人女性は、海外では特異な存在として欧米人に映っているのでしょうね。って、いうか、かなり目立って顰蹙(ひんしゅく)ものなんでしょうね。

しかし、って、思います。
生まれた時から物が溢れて育った日本の若者層は、その母親の世代から受け継いだ、世界の消費文化の歴史の中でも鑑定眼は結構高いと考えられています。ただ、持つだけでなく勉強もしている様に、思います。
世界的にも「クール」と呼ばれる文化の担い手として、他のどの国よりも日本(最近はアジア人)の若者が老舗ブランドを牽引していると感じるのは、やはり彼らにそのパワーがあるということの証ではないでしょうか。
その意味では、近年、「丸の内」や「銀座」や「青山」にはブランド村が出来そうな勢いです。この村を見ていれば、誰だって「ブランド自体」が日本の購買力の高い若者に媚びていると思うのは私だけでしょうか?

欧米人が挙って言う所の「クール」という日本の文化的根拠は、茶道、華道、舞踊、お能等であることは間違いないことでしょう。これらは徳川期より家元制度を確立して、エルメスなどより長く古く格式高い老舗ブランドといってもいいでしょう。これらはの制度化は室町期にほぼ原型が出来ています。先の欧州の四つの老舗ブランドに比べたら、700年も前に形づけられたブランドは自ずと格が違います。
彼らの言うクールとは、日本人の簡素な趣味の中に、豪華で緻密な細工が施されている小物などを好む姿勢を総称して、そう呼んでいるのではないでしょうか。
さらに、日本には、もともとは職人の文化が定着している国柄です。
であれば、着ている洋服のどんなスタイルにも合わせやすいシンプルで実用的な欧州の老舗ブランド品は、日本人が文化的に当たり前のように親近感を感じてもおかしくはないいう論理になりませんか? ねえ。

シャネルやエミールが生きた当時の時代背景は今とはだいぶ異なりますが、もし彼らが、現在の混沌とした経済環境の中で、自分の立ち位置を自覚したとしたら、それは、どんなふうに見出すんだろう。と思います。

混沌とした時代であっても、いや混沌とした時代だからこそ、僕らは「手ごたえのある、はっきりとした自分」というものを掴めないというのは、これから生き抜く上で困難さがともなうと痛切に感じます。
長い時間をかけて信念は多様化していますし、価値観も崩壊しつつあると考えれば、多くの人があり余る自由のなかで、思考の軸をブレずに生きにぬこと自体、難しい事を実感せずにはいられません。
しかし、反面、自分というものを掴めなかったら、それはそれで悲劇を生むと思うのです。
きっと、シャネルもエミールも、多くの困難を乗り越えて「はっきりとした自分というものを掴んだ」と思います。

シャネルやエミールの考えは、いまとなっては分かりませんが、
たぶん、私たちは、"自分がどこにあるか"ということを常に意識的な内省が、常に「自分らしさの手ごたえ」を自分自身に与え続けて呉れているのかも知れません。それ故、常に内省を積み重ねている人は、事にあたって迷わず決断できるのではと思う。
きっと、その内省によって、ココ・シャネルは、"時代を読むことに嗅覚"を発揮したのでしょう。「シャネルになる前のココ」を観にいきませんか?

 

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