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Cutty Sark

Cutty Sarkは常に夢を追い続ける希望の帆船です。I still have a dreamのこころざしを持って海図にない航路を切り開きます。

おひとり様一回限り

2009.07.20

おひとり様一回限り」とは、映画館や音楽会の入場券の裏面に、小さく印刷れているその券の使用目的です。
現在では、インターネットやチケット"ぴや"やコンビニで受け取ってしまう味気ない簡易チケットにはありませんが、以前の入場券には必ず印刷されてた言葉です。

この言葉に私たちはあまり意味を感じられず、当然ながら意識もしません。
しかし、人生のあらゆる出来ごとはこれと同じではないでしょうか?
人々は"死の一回限り"にのみ、真実を見て、生における「おひとり様一回限り」を演ずることになります。

あるテレビ局の知人に誘われ京都で集った、友人の会に参加し、食事をしながら業界を隔てた多くの知遇を得ました。交友関係の幅広い知人で、この様な会をしょっちゅう集めて、ありがたくも声を掛けてくれるのです。
その京都ですが、一口で言い表せない特別な魅力を持っています。例えば、金閣寺、銀閣寺、清水寺、龍安寺等の寺院と庭園、その他にはおいしい京料理のお店等々好きな場所や好きなお店を挙げたらきりがあません。私は、この様な場所は他に知りません。

幼名を春王といった足利義満(あしかが・よしみつ)は室町幕府の第3代将軍で、清和源氏の一家系で、あの有名な鎮守府将軍・八幡太郎源義家(はちまんたろうよしいえ)の子を祖とする足利氏の嫡流です。彼は数え10歳で3代将軍に就任しましたが、祖父尊氏(たかうじ)も成し遂げられなかった約60年続いた懸案事項の南朝のM&Aにもその手腕を発揮し、難事案件を難なくまとめ上げます。
また、晩年には西園寺家から京都北山の「北山弟」(ほくさんてい)を譲り受け(または無理に寄進させてた)、金閣(舎利殿・後の金閣寺)を中心とする「北山第」(きたやまてい)を造営したことは周知の事実です。日本人でほぼ金閣寺を訪れていない人はいないくらい、修学旅行等の定番観光コースです。

今から七百年も前に、ここから豪華絢爛の北山文化が生まれいます。
さらに、もうひとつ、義満は重要な古典文化の興隆に深く深く携わっています。
それは「お能」です。能は義満抜きでは語れないほど深く彼自身の内面的な領域まで関わっています。
能の発祥はここでは省きますが、
大衆の支持によって芸術性を高揚した観阿弥の芸は、少年時代の世阿弥の可能性とともに、時の将軍・足利義満の目にとまります。
この出会いは、二者にとって非常に運命的であり、恣意的でもあります。
また、この出会いこそ、両者の目的が合致した、観阿弥・世阿弥親子にとっても将軍義満にとっても非常に重要なことでした。
義満の将軍職在職期間は26年間と比較的長い期間ですが、彼はその後院政を統べるので、その期間をいれるとほぼ40年間担当しました。これは当時もその後にもかなり突出した長期政権となりました。だからこそ、文化の醸成に金も時間も人も、長期に渡って必要な手を打てますし、今に残る芸能の基盤がこの当時うまれ育ったことに納得できます。
ここにひとつの疑問が沸く筈です。
彼は、何故観阿弥・世阿弥親子の田楽から脱皮しようしたこの当時の能に興味をもって、国家的に庇護を考えたのでしょうか?という疑問です。
能の歴史に初心者である私に解るはずなく、なので見識者の言葉を借りることにします。
すると、こうです。
この新しい芸能は、義満にとって既成の貴族文化に一矢を報いる絶好の自己証明の機会であったろう」とし、「それは教えられた貴族文化の中には絶対に存在せず、しかしたいていの貴族芸術よりもさらに貴族的となりうる可能性を秘めた芸能であった」と権力者である義満側からみたこの能という新しい芸能を自己の成長に重ねようとした彼の意図を鋭く抉っています。
この二つの言葉を繰り返せば、繰り返すほどに、しっくりと当時の義満の自信と気合いが充実している権力者としての気迫が伝わるようです。そうは思いませんか?

この事によって、この新しい能は、今日に生きる原点となり、世阿弥は、義満の庇護の下にこの新しい芸術に専念します。そして、世阿弥の血の滲むような努力は、「時に応じ所よりて、愚かなる眼にもげにもと思ふやう」に大衆の支持にを引きつけながら、しかも貴族の高い鑑賞眼にもかなう高度な芸の工夫に費やされることになります。

義満は、応永15年(1408年)3月、北山第に後小松天皇を招いて二十日にあまる歓待にあけくれます。そして、4月27日には、天皇臨席のもとに御所で次男・義嗣(よしつぐ)の元服式を行います。巨大な権力者には良くあることですが、彼も将軍職はすでに長男の義持(よしもち)に譲っていましたが、腹違いの次男義嗣を偏愛したと伝えられています。結局この偏愛が理由で義嗣は兄に殺されることになります。
そして、義満は元服式の二日後に発病します。
発病の原因は、度重なる行事によるストレスや義満が皇位簒奪(こういさんだつ)する意図を持ってとして暗殺ではという憶測もありますが、5月6日に気力精力とも常人を超えた最高権力者はあっけなく亡くなります。

時の最高権力者による観阿弥・世阿弥親子の大パトロンは、能を愛し、能を育成し、自らも芸能に深く関与し、700年後も延々と生き続ける芸能を世に送り出し、50歳の生涯を閉じます。

時の最高権力者という庇護者を失った世阿弥は、この後長い不遇の時代を送りますが、義満よりも35年も長生きし、80歳の天寿を全うします。

AEGライブCEOの「ランディー・フィリップス」にとって、今年の6月25日は彼の人生でもっとも忘れる事の出来ない最悪の日となりました。
AEGライブ」とは、正式にはAnschutz Entertainment Group Liveで、アメリカの大手総合エンターテインメント・グループの「アンシュッツエンターテインメントグループ」(Anschutz Entertainment Group)の子会社で、音楽やスポーツのプロモーションなどを行う興行事業会社です。この会社は、世界有数のライブエンターテイメントやスポーツを世界規模で取り仕切っています。ランディー・フィリップスはその会社のトップという訳です。

ここまで読んで「6月25日」という日に何が起こったかをほとんどの人が気づかれたことでしょう。
そうです。
"King of Pop"と称された「マイケル・ジャクソン」(Michael Joseph Jackson、1958年8月29日 - 2009年6月25日)が亡くなった日です。つい先日おきた世界を揺るがす出来事でした。
この日は、テレビ、ラジオ、インターネット、新聞も彼の死を報道し、追悼番組を流し、彼の死を悼んで一日が終わったので、彼の成長をリアルタイムで一緒に生きた人や、彼のことをほとんど知らなかった人々を含めて、その死は鮮明に記憶に残ったと思います。

AEGライブCEOのMr.ランディーは、
半年前の2009年1月28日にマイケル・ジャクソンと契約書を交わし、念願の「世界公演ツアー」の企画を具現化しました。
マイケル・ジャクソンの世界公演ツアーの企画は何度も企画されたようですが、具現化せず、直近では、2007年ごろにも一時、浮上してきたそうです。
世界規模の音楽興行ビジネスは、ランディー・フィリップスが、CEO務める音楽プロモーション興行事業会社のAEGライブと、やはりロスに拠点を置く世界最大の音楽興行会社ライブネーションの二社による、寡占状況が近年続いています。
マイケルには、巨額の負債があるために以前から、世界公演ツアーによる負債解消がマイケルの個人弁護士や会計士から、上記二社に何度か打診があったようです。
しかしながら、彼の健康面やスキャンダル等の不安によってどの企業が興行するにしても大きなリスクを抱えなければなりません。
その上本人の負債額が、三百二十億円規模あります。この負債があるために、ツアーを企画した場合、舞台装置、リハーサル・コスト、PR費用など、興行会社がすべてを負担しなければなりません。その費用なんと二十億円です。
もちろん、そんなリスキーなプロジェクトにキャンセル保険に応じてくれるような保険会社もありません。すべて、持ちだしで、もし、仮に何らかの事情によって、キャンセルの時リスクを考慮すると危険度が高すぎます。
なので、2007年ころのライブネーションは、リスクをヘッジ出来ず興行を断念したことが伝えられています。

それから二年。
ランディー・フィリップスは、とうとうマイケル・ジャクソンにサインをさせたのです。
これで、ロンドンを皮切りに欧州の主要都市、南米、日本、アジア等の世界ツアーがいきなり現実となりました。東京は東京ドーム最多ツアーのストーンズの10回を超える11回興行が企画されていたそうです。

そして、6月25日の悪夢の日を迎えるわけです。
彼の死によってAEGの損失費用は、約二十億円の手付金に始まり、舞台装置とリハーサル費用が概ね二十億円、チケット等の広告宣伝費を含めると、しめて総額百億円となります。
さらに、副次権収入を含めた予想逸失売上額はロンドン公演だけで五百億と言われています。

しかし、
最悪の時には運も必ずどこかに存在するものです。
AEGライブは、マイケルが亡くなるたった二日前にロスのスタジオで10曲程度の映像を複数の映画用高画質デジタルカメラで収録していました。なんと二日前にこんなことが。
この映像は、マイケルの資産相続人達の許諾が取れれば、幻のコンサートが「デジタル・シネマ」で世界市場に送り出されるでしょう。
さらに、ペイテレビやDVD等の副次権収入を合わせば、軽く百億円規模の売上が見込まれます。さらに、現在払い戻し中のロンドン公演のチケットは、マイケル自身がデザインした「ホログラフ写真付きチケット」である為にプレミアが付き返還金の抑制政策をとられているようです。この幻のチケットは、たぶん今後高額でネット・オークションで取引されンでしょうね。
ほしいですね。このホログラフ写真付きチケット。
AGEは、この後これらの投資資金の回収にやっきになるでしょう。

世界のマイケル・ジャクソンの死は突然やってきました。
この日、自宅近くのカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)医療センターに呼吸停止の状態で運ばれ、その後死亡が確認され瞬く間に世界中にニュースされました。
なんと彼も50歳でした。


「おひとり様一回限り」は茶道で言う「一期一会」です。
一期一会の精神は、この一生に一回限りの厳しさをさしています。その日の集いにすべての充足を賭け、集中の努力を求める心は、能にも著しく同質のものです。
能の上演は1日限りというのが原則です。能はその一番に全精力を傾注する為に、連日の上演はできないといいます。逆に言うのであれば、1番の能の密度を高めるためには、上演までり長い時間の持続が必要ということになります。

マイケル・ジャクソンの再起の為の準備は、現代の社会構造からは「とてつもなく長い」準備期間でした。しかし、具現化した「世界公演ツアー」は彼の突然の死によって幻となりましたが、彼の華麗なダンスや特徴的な歌い方によって、過去の音楽シーンを劇的に変えた天才的な、ミュージシャンとして、決して私たちは、忘れず心に留めおくでしょう。

「おひとり様一回限り」は誰にでも平等に一度きりです。

参考文献
マイケル・ジャクソン「幻の日本公演」の裏舞台 北谷健司(米ワシントン州立大学教授)

 

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