BrainSellers.com

Cutty Sark

Cutty Sarkは常に夢を追い続ける希望の帆船です。I still have a dreamのこころざしを持って海図にない航路を切り開きます。

百姓は国の宝である。

2009.06.26

麻生さん、毎日お疲れ様です。

麻生内閣の最新(06/22)支持率17.5%(5月より9.9ポイント急減)だそうです。その中で、彼の「指導力」への評価も同時に急落(15.8%→10.9%)したようですね。これは、きっと、日本郵政の社長問題で、鳩山前総務相を事実上更迭した首相の判断が大きく影響していますね。また、政党支持率でも、自民党は20.1%で前回より7.4ポイント急落していました。政党支持率はとても重要です。一国の首相が交代する時に、毎回感じる末期症状の感がします。消費税の増率問題も尾を引いているでしょうね。しかし、東京都議選など地方選の結果を責任問題に「結びつくべきと思う」人は、5割を上回ったているにも関わらず、麻生首相のもと衆院選を「行うべき」とする人は、依然7割を超えているという面白い結果もあります。
一国の首相はなにをやっても大変です。
首相の一挙一動、挙措進退、その全てが、数時間後にはニュースとなり、国民総てが知るところとなります。
しかし、「支持率」等は些事であり、本質は「官僚と政治」のあるべき姿を問われてるのではないでしょうか?

百姓は国の宝である。」という言葉があります。
一般的な意味においてあらゆる時代に通ずる真理です。
しかし、これからお話しする徳川時代においては特別な意味合いをもった言葉となります。
現代に置き換えて言うのであれば、お百姓さんのみならず、全国民をさし、"民は国の宝である"ということでしょうか。

さて、徳川幕府時代に戻って。
"百姓は国の宝である。"なので、百姓の人格を尊重しなければならない。という理論の発展に向かう思想ではありませんでした。その所以は、この国を支配していく上で、仕組み上支配階級の経済的な勢力が彼らの納める年貢という基礎の上に築かれていた社会であったからです。その階級はもちろん武士軍団の階級です。
「士農工商」の最下位の町人から一定の租税を取り立てることを思いつかなかったほど、いや、思いついてもそんなことをしたら恥辱とするほど、「商」を軽んじてたこれらの武家軍団は、「年貢」のみを重大視していたのです。そのためには、百姓は勤勉ありで、質素従順で無知でいなくてはなりません。そして、せっせとお米を作って、自分たちは粟を食べて、お米はお上に納める。
これが徳川三百年の一貫した方針といえます。
中学の社会科で習う「士農工商」の最下位に位置させた「町人の商い」は幕府設立時点から制度の構造基盤に危険を孕んだ発想であるにも関わらず、ほぼ300年間手を打っていないところに、綻びの糸が見え隠れしていたんだと感じます。

最近とても興味深い本に出会いました。
江戸の情報屋」の本です。この情報は公開前提の日記形式ですが、公式情報ですので作者の主観を出来る限り排除し、毎日ブログの様に事実を克明に書き続けました。このブログを「藤岡屋日記」と呼んでいます。幕末に今の群馬県藤岡市から江戸に上京した須藤由蔵という人が外神田の御成道(将軍の上野東照宮への参詣路)で古本屋を営みながら、65年間にわたり幕府の政策、人事、から新聞の三面記事まで幅広く記録しました。単にブログとしただけでなく、その情報にアドバンテージがあったので流通販売されていたようです。付加価値のある情報は昔も今も欲しいものです。今と全く同じです。
日本人で初めてブログを認識し、そして日本人で初めて書き始め、且つ爆発的に立ち上がると確信していたのは、たぶんジョーイ伊藤譲一氏)だと思います。彼の先見性は圧倒的です。その彼のブログは、書き始めてすでに5-6年と思いますが、ジョーイがあと60年間もブログを書けるでしょうか。そう思うと、由蔵さんはすごいと思う。

物価問題は古今東西、昔も今も重要な問題です。これに消費税が付くわけですから、その税率如何で直接生活に大いに影響されるでしょう。
武士階級が農民から年貢として米を徴収しますが、コメは長期間保存に耐える商品でなく、または他の必要物品と交換するたるには換金が必須となります。コメは集められ江戸・大坂などで売却されます。なので、江戸時代における物価問題は米価問題であったと言えます。米を取り扱うのは「商」の町人です。その上の「工」はいわゆる職人さんです。彼らは「手間賃」がサラリーの基本ですが、他に飯料という手当が支給されます。たとえば例をあげますが、小挽職人さんの一日の手間賃は銀三匁(さんもんです)に対して飯料一匁二分が支給されます。ほぼ三分の一が現物支給です。もちろん、コメですから、米相場によって上下し、直接サラリーに影響します。

米は幕府の最重要物資であるため厳しい統制が取られいます。ですから、飢饉等の際には政府として、他に入手手段を持たない一般庶民に対して支給米の制度を整備しています。当然と言えば当然ですが、当時の政府に内にも切れ者の能吏がいてきちんと制度を敷いていたようです。
例えば、全国的に天候が不順で凶作となり米価が沸騰したとき。または、インフレエンザやはしかの大流行のとき。不定期にやってくる天災については、一度に一万石とか二万石とか、緊急対策米の放出をしています。

天保の時代を例に取ると、
米価の高騰による庶民の生活は困窮極まり、商品経済の浸透によって都市も農村部も同様な打撃を受けました。天保七年(1836)だけ見ても、四月に仙台で打ちこわし、六月に加賀等で二件、七月は八か所、八月も八か所、九月はいるといよいよ大都市の大坂を始め、全国に広がりました。
こんな危機的状況下で、まさかの事が起こります。それは、幕府の官僚と商人との汚職事件です。本当に世の中変わっていませんね。現代もまさに同じでは。不正の第一は庶民の救済用の米に関するものです。町奉行と町年寄と米屋が手を結び、米問屋仲買が高価格で売買した取引高の手数料の山分けです。官僚とは時にはとんでもない不正をするものですね。時代小説ではありません。本当の事です。
この事件で、実行責任者の与力は死罪、2名の同心は遠島、1名の同心は中追放、町年寄は押込(おしこめ)、手代6名は押込と手鎖(てぐさり)、米屋12名は江戸払いという厳しい処分です。トップの町奉行は改易です。お家断絶です。連座は50名にも及びました。得るものよりもリスクが高すぎることに気がつかないのでしょうか?
もう一つの不正は、水油(燈油のことです)です。これは買い占めです。与力が賄賂をとって、見逃していました。この事件も大量の処分がなされています。
現代に置き換えると、先ごろ発覚した英国の「経費不正請求」の中身は、有料ポルノ視聴代から買い物のタクシー代まであり、英国国民の政治への不振は、議会が大衆の考えや心情を理解しておらず、議員は大衆を信頼していないというところまで、発展したと報道されています。韓国しかり、日本もしかり。どこぞも、内容は似たり寄ったりですね。

天保の混乱は、市中も幕府全体も騒然としているなか、4月2日に将軍家は西の丸に隠退します。この天保の飢饉から始まった幕府の危機存亡の時期にトップの交代はどのような意味があるのでしょうか。昨年秋のリーマン・ショックが蘇えります。あの混乱の、あの時に、総裁選をしている国ですから。
天保の時代も結果同様で、将軍家の交代をもってしても江戸市中の空気は鎮静しなかったそうです。西の丸に隠居し院政を敷いたのは11代将軍家家斉(いえなり)です。そして、交代人事は九月になってやっと息子の家慶(いえよし)が12代将軍家に就任しています。

時代は変わっても事の本質はそう変化するのではありません。
麻生さんについてメディアは、とかく国民不在の政治とか、リーダーシップ等を取りざたされていますが、この混沌とした政局を少しでも打開するには、引き際がもっとも重要と思われます。

それでも、家斉は自身の実の息子を次期将軍家に譲ることができて幸運でしたが、
しかし、今回は基盤の惰弱性を突かれた幕府は、明治維新如く、新しい波に抗す事ができず、たぶん政権交代となるは必定でしょう。
それも時代の要求かもしれませんね。


*手鎖 (てじょう/てぐさり) は江戸時代の刑罰。
前に組んだ両手に鉄製で瓢箪型の手錠をかけ、一定期間自宅で謹慎させる。主に牢に収容する程ではない軽微な犯罪や未決囚に対して行われた。

 

Copyright(c) BrainSellers.com Corp. All rights reserved.