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Cutty Sark

Cutty Sarkは常に夢を追い続ける希望の帆船です。I still have a dreamのこころざしを持って海図にない航路を切り開きます。

ラ・カンパネラ

2009.06.19

辻井伸行さんという盲目のピアニストが弾く「リストのラ・カンパネラ(ラ・カンパネッラ)」を聴きました。「ラ・カンパネラ」は家でもiPodでも聴いているとても好きな曲です。
演奏者はフジ子・ヘミングです。この大ピアニストと面識のある知人のピアニストからその素晴らしさを聞き、より親近感を得て聴くようになりました。

そして、つい最近辻井伸行さんの「ラ・カンパネラ」聴き、とても感動しました。

中学生からJazzを聴いている(しか聴いていない?!)私でもその技量は群を抜いていることが肌で感じました。勿論、辻井伸行という20歳のピアニストもつい最近TVで知ったくらいです。
私のクラッシック知識は中学生程度で、よぼと著名でないと作曲家も演奏家も曲名も知る由もありません。彼は「第13回バン・クライバーン国際ピアノコンクール」で日本人初の優勝を果たしそうですね。件の知人ピアニストからそのコンクールでの優勝がいかに前人未踏な快挙であることを詳しく聞く事によってほんの少しこの世界の峻烈さを理解しました。

」とは実に不思議です。
縁によって沢山の人を知り、その縁により多くの知識や経験をします。そしてまた、その事をきっかけに新たに人との縁がつくられる。
では、
「ラ・カンパネラ」を作曲し、初見で弾きこなした「フランツ・リスト」の縁はどの様なものだったでしょう。

フレデリック・ショパンは生来虚弱体質であったといわれいます。彼が25歳の時に喀血しました。特に女流作家ジョルジュ・サンドとの9年におよぶ愛が破局を迎えるころは肺結核は大きく進行したようです。彼はサンドと別れた後は無一文になって病躯をおして各地での演奏会をやらなければならなかったほど困窮していたとのこと。そして、1859年の初めに病状が悪化し再び喀血が酷くなりパリのヴァンドーム広場のみすぼらしいアパートでベットから起き上がることも出来なかったくらいに衰弱します。そしてその年の10月17日39歳で亡くなっています。彼の作曲は、そのほとんどをピアノ独奏曲が占め、「ピアノの詩人」と呼ばれるほど表現力の豊かなピアノ音楽の新しい境地を見出したとも言われています。故に、現代のピアノ演奏会でも最も多く演奏される作曲家の一人となりました。

ロベルト・シューマンは堂々とした体格を持ちながら極度に非社交的で自閉的な一面が彼の持ち味でもあり、反面行き場の無い精神は徐々に蝕ばばれていくことになります。彼は若い頃より傷つきやすい神経を持ち、本人はそのことで精神異常の兆候を自覚していたようです。1853年ごろから精神衰弱が甚だしくなり、仮面のように表情が硬くなり特に他人との接触に嫌悪感を示し、妻も遠ざけ一人自分の世界に傾斜していきました。そのためにデュッセルドルフ市音楽指揮者も解任されることになります。彼との間に8人の子をなしたピアニストでもある愛妻クララ・ヴィークとは困難の末結婚しましたが、精神衰弱が進行すると彼女も遠ざけるようになります。彼は、1958年2月に家を抜け出しライン河に投身したが、運良く救い上げられボン郊外の精神病院に運ばれます。彼の精神及び体力は急激に破壊され、1958年7月29日に最愛の妻クララがほんの少し目を離した間に天国に召されました。シューマンの死因は動脈硬化症による精神分裂病と診断されている。全く同じ月にドイツ詩人のハイネが亡くなっています。享年46歳でした。

冒頭の「ラ・カンパネラ(ラ・カンパネッラ)」の作曲家でありピアニストでもあるフランツ・リストは「ピアノの魔術師」と中学の音楽の時間に学びました。その超絶的な技巧は「いまだに彼を越えるピアニストはいない」といわれるほどです。

この著名な三人の音楽家はほぼ同年に生まれています。そして、三人とも親しく、三人が三人とも影響しあっていたようです。
しかし、ショパンの音楽家として活躍した期間は短く、年齢も39歳で世を去っています。
また、シューマンは彼よりも長く46歳で亡くなっていますが、本来活躍すべき重要な時期には精神を病んでいました。
さて、リストはどうでしょう。
彼の父が早く亡くなり、僅か15歳にしてピアノ教師として家計を支えなければならなかったといえ75歳の人生を全うしています。ピアニストとしてのリストは当時より著名で人気は高かったと記録にあります。また、多くの女性との恋愛も盛んで特に、マリー・ダグー伯爵夫人カロリーネ・フォン・ザイン=ヴィトゲンシュタイン侯爵夫人と恋は有名です。いずれも同棲のみで結婚に至らなかったらしいですが。

歴史を知るということは時には思わぬ縁を知ることになり、そして、そのほとんどが驚愕の連続となります。ここでもその事が言えそうです。
彼はマリー・ダグー伯爵夫人と約10年間の同棲生活で3人の子供を得ましたが、二番目の子供に後年の「コジマ・ワーグナー」がいます。コジマは二人の血を濃く受け継いだようで、20歳で指揮者ハンス・フォン・ビューローに嫁ぎ、二人の子供をもうけ、25歳リヒャルト・ワーグナーと知りあい同棲し三人の子を生します。その後結婚します。当時の社会通念でも群を抜いた活動的な女性であったようです。彼女は父同様長生きをし、93歳まで人生を全うします。

さて、辻井伸行さんが弾いた「ラ・カンパネラ(ラ・カンパネッラ)」ですが、
リストが最初にピアノ曲に編曲したカンパネラはあまりにも難しすぎるために、譜面をやや簡単にして編曲したのが現在の譜面だそうです。
初 期の作品は非常に技巧的で、リスト以外の人間には弾きこなせないと言われるほどの超難曲だそうで、録音に成功しているピアニストは現在でも僅か4名のみと Wikipediaにありました。そういえば知人のピアニストもリストを専攻していますが、練習しすぎると腱鞘炎になりそうだと言っていました。

演奏者が奏でるコンサート芸術は他の舞台芸術同様に知己を百年ののちに待つことが出来ません。辻井さんの「ラ・カンパネラ」はあと百年もしたら実際に聴いた 人は存在しません。すでにフランツ・リストの実際の演奏を見た人は存在しません。100年以上も前に生きた人だからです。映像やデジタル音響が残ってもそ れは実体のないものです。ゴッホやピカソのような死後の評価の幸運を期待することできません。でも、演奏者は必然的にそれを知っている。但し、リストのように作曲家であれば、直筆のスコアーは残るかも知れません。

するとコンサート芸術は、「よい作品を、よいアーティストが、よく演奏して、しかも観客がその良さを受容した状態」が人の心に残る最高のコンサートなのかもしれません。
それ故、「演奏者はその日の演奏にすべての充足を賭け、集中の努力の最大限に保ち続ける。
だから短命とも言えますし、
だからこそ観客の心を打つのでしょう。

 

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