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Cutty Sark

Cutty Sarkは常に夢を追い続ける希望の帆船です。I still have a dreamのこころざしを持って海図にない航路を切り開きます。

感謝を知る

2006.10.19

感謝を知る」という心持ちは、
人と生まれて得ることのできる最も崇高な行為のひとつといえます。

当社では引き続きボードメンバーの話題は「企業ビジョンと浸透度」です。

前回のブログは「謙虚さ」でした。
・謙虚さは「」が強靭で無いと保てない心もちです。
・謙虚さに他人から常に「美しさ」を感じさせます。
・謙虚さには「人をひきつける」オーラを感じます。
謙虚さには堅い意思高い志自分を律する精神が必要な様です。と結びました。

感謝を知る人」は、必ずこの「謙虚さ」を兼ね備えた人となります。
謙虚さ、すなわち高いこころざしを持つ人は常に「謙虚さ」を持った心持ちであるために、何事においても「感謝の気持ち」を忘れることはありません。
・両親や家族への感謝の気持ち
・友人・知人への感謝の気持ち
・自分の活動場所を与えてくれた社会への感謝の気持ち
・仕事によって得られる給与への感謝の気持ち
・お客様への感謝の気持ち

感謝する」行為は孔子様の「仁の徳」に発展します。
「仁」は知者と解釈されるようです。「徳」は「徳を積む」に代表される様に「感謝の念」なくして「徳を積む」ことはできません。当然「徳を積む人」のみ、他の人から「感謝の念」が抑えることなく自然に発生します。謙虚さを持ちつつ、感謝する行為より、「感謝される」行為の方が一段と難しい行為でもあり、それはそのまま「謙虚さ」をより高める触媒になるのではないでしょうか?

徳を積む」という行為は必然的に「人」と「ひと」の「(きずな)」を深めていくということです。この使い古された「」という観念が目に見えない大きな財産となることは必然の原理と言えます。

学(まな)んで時(ここ)に習(なら)う、亦(また)説(よろこ)ばしからずや

これは有名な孔子様の「論語 第一巻 第一 『学而篇(がくじへん)』」の第一句です。
「論語」は紀元前ざっくり五百年も前に生きた「孔子」の口伝ですが、彼自身が書き残した物でなく孔子に深く傾倒していた多くの弟子たちの会話集です。このころは当然紙はなく、木簡や竹簡に書き、糸で編んだ巻物のような物しかなく、且つ勉強は先生から古典を読んでもらい、それを暗唱するだけで、現代の講義や読書などと言うものはありませんでした。勉強できるとということ事態「貴族的」な社会的地位が必要だったことでしょう。また、貴族社会で正しい礼儀作法は口伝を受けることが一般的であったと言われいます。

冒頭の第一句は、
「子曰(しのたまわ)く学んで時に習う、亦説ばしからずや。有朋(とも)遠方より方(ならび)来たる、亦楽(うれ)しからずや。人知らずして愠(いか)らず、亦(また)君子(くんし)ならずや。」となります。
過去に"有朋(とも)遠方より方(ならび)来たる"というフレーズを聞いたことがあると思います。
意味は説明するまでもなく、抜粋すると、
ものを教わる。そして後から練習する。なんと楽しいことではないかね。
そして、「他人が認めなくても気にもかけない。なんとおくゆかしい人柄ではないかね」と。

この第一句には最終区の第16句が実は「」になっているような気がします。
「子曰く、人の己れを知らざるを患(うれ)えず、人を知らざるを患(うれ)えよ。」
意味は読んだとおりで、
他人が自分を認めないのは問題でない。自分が他人を認めないほうが問題だ。

孔子様の口伝はその殆どは平凡な言葉に表され、非凡なところは殆どない。もちろん漢学の素養のない僕には「論語」を読みますがすべて口語体の和訳本です。
この平凡な言葉だからこそ世界中の知識人たちから長年にわたって愛読されているのでしょう。証拠に孔子と同時代のいわゆる非凡な人たちの言葉は2500年の間にすっかり忘却の彼方です。

謙虚さ」と「感謝を知る」は平凡な孔子の論語の底辺に流れる文字として現れない部品とひとつと思えてなりません。

「謙虚さ」、「感謝を知る」と続き、次は!?

 

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