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Cutty Sark

Cutty Sarkは常に夢を追い続ける希望の帆船です。I still have a dreamのこころざしを持って海図にない航路を切り開きます。

海のシルクロード

2006.06.19

過去NHKは「シルクロード〔絹の道〕」を何度か特集を組んでいます。

誰でもが知っているこの呼び名は「シルク」という「響き」によってより神秘的な印象を与えます。
絹を交易の最も効果的な商品と考えた初期の商人はとても賢い人たちでした。その意味では中国の「陶磁器も香料」も中近東やヨーロッパにはありませんでした。
によって発展してきた交易路を「シルクロード」と呼んでいますが、名付け親はドイツの「地理学者リヒトホーフェン」だそうです。
彼はユーラシア大陸の中で古代中国とギリシャ・ローマ文化圏との交易で最も大きな役割を果たしたのは「」であると結論付けそのルートを「絹の道(シルク・ロード)」と命名しました。百年以上前のことです。この後多くの学者がルートを解明し、シルクロードはその距離を我々の想像以上に長く延長させる事になります。

シルクロードには大きく分けて「3つのルート」があるといわれています。三つのうち最後に上げられたのが「紅海またはペルシャ湾からインド洋、東南アジア」を経て華南に至る「南海路」のルートです。
別名の「海のシルクロード」という呼び名の方が定着していますね。

現代の今に「海のシルクロード」に一隻の帆船をその当時の設計で復元し、航海をさせようという試みが進められています。

その帆船の名は「イエーテボリ」です。

建造地は「イエーテボリ」が当時作られた「イエーテボリ市」です。1783年当時に建造された世界最大の木造帆船帆船でした。「イエーテボリ市」はスウェーデン第2の都市で良港で有名です。

スウェーデンはもともと「ヴァイキングの時代」を経た海運国です。清朝時代(1644~1911年)に中国との貿易を開始しまた。
オランダ、イギリスやポルトガル、スペインに遅れながら1731年にスウェーデン東インド会社設立しています。ちなみにオランダの東インド会社設立は1602年3月です。
実際に定期航路を開拓するまでに多くの時間を費やしています。中国航路に最初に投入した船が「イエーテボリ号」でした。
このブログのタイトルでもある「カティ・サークは1869年11月22日の進水」です。


〔古のルートを辿って中国へ向かうイエーテボリ号〕


中国とスウェーデンとの貿易の歴史を開いたスウェーデン製帆船「イエテボリ号」は来月の7月18日中国の広州に到着する予定です。
現代よりざっと300年前「イエテボリ号」はスウェーデンのイエーテボリ市と中国の広州間を約18カ月間もの日数を経て、交易をしたのです。
後の高速クリッパー船「カティ・サーク」は広州→ロンドンを100日間で突っ走ります。その差400日以上。
当時の基本航路でいけば、
アフリカ南端の喜望峰を回航して、インド洋→東南アジア→広州となります。きっと一攫千金を夢見て航海をしたのでしょう。それにしても長い。
現代の「イエテボリ号」は船体も木製でセールで風を受け帆走しますが、その他は全てハイテク装備です。

復路は上海に寄港したのち、香港→シンガポール→モーリシャス→南アフリカ→ロンドンを経由して出発地のスウェーデンのイエーテボリ市に帰国します。この航路はほぼ18世紀の周回ルートです。

このルートを再現しながら古代人の「海のシルクロード」に想いを馳せ、大海原を疾走する気分は最高でしょう。まして巨大帆船が全てのセールに風を孕む時は言葉に尽くせぬほどの美しさがあります。

 

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