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Cutty Sark

Cutty Sarkは常に夢を追い続ける希望の帆船です。I still have a dreamのこころざしを持って海図にない航路を切り開きます。

世界一周

2006.05.11

リスボン港は良港です。

テージョ川の河口幅が数キロと大型船の操船にも適していますし、最大喫水も十分です。
特に北大西洋が時化たときリスボン港に入港すると「ホッ」とします。
人口100万余の小国ポルトガルは当時荒れた土地であったために領土の拡大志向を「」に求めました。
国王ジョアン一世の第三子エンリケ皇子〔通称・航海王子〕はアフリカ西岸の探検事業に乗り出します。彼は自費でポルトガル最南端のサン・ヴィセンテ岬に近いサグレュに天文台や航海用具、海図の作成を主とする航海士養成学校〔ヴィト・ド・インファンテ〕を設立します。この岬の絶壁は75mほど在りますが、この上にあるの灯台を右舷側に見てリスボン港を目指します。
この養成所の卒業生に下級貴族の「ヴァスコ・ダ・ガマ」と「マゼランン〔フェルナン・マガリャンイス〕」がいました。

マゼランの世界周航コロンブスの新大陸発見に次ぐ大航海時代の壮挙でした。「フェルナン・マガリャンイス」は日本ではマゼランという英語名が一般的ですが、元来ポルトガル人で1480年ごろに生まれたとされています。マゼランの功績については以前ブログに書きました。僅か85トン〔旗艦のトリニダート号でも110トン〕の「ビクトリア号」一隻が苦しい単独航海の末、1522年9月8日にセビリャに帰着しました。
五隻の船団のうち最期の帆船であるビクトリア号を指揮したのはフアン・セバスティアン・エルカーノです。国王カルロス1世より地球の図に「汝は我を最初に周航せる最初の者」という文字を配した紋章が与えられましたが、再度の周航途中で命を落とします。


〔マゼランの旗艦・トリニダード号〕
帆船で初めてマゼラン海峡を僅か7日という奇跡的な短期間で通り抜ける。奇跡としか言いようが無い。

1992年スペインの古都セビリアで開催された「セビリア万博」では「発見の時代」がテーマに掲げられ「世界一周」を達成した「ビクトリア号」など伝説的な帆船レプリカがスペイン人研究家によって造船されました。
そして万博終了後のビクトリア号は長くグアダルキビール川岸に係留されていましたがこのほど「愛知万博」開催を契機に世界一周航海の企画が本格化し、ビクトリア号プロジェクトとして活動したようです。
そしてその『復元帆船「ビクトリア号」は1年7か月の航海を無事に終えて目的地のスペインに帰航』というニューズが先ごろ流れました。

リスボンは古代海洋人フェニキア人によって古くから港として利用されてきました。当時はフェニキア語でアリス・ウボと呼ばれたれ現代のリスボンの語源になったとか。リスボン港に入港すると海上から「発見のモニュメント」が良く見えます。1960年にエンリケ航海王子の500回忌を記念して建てられた様です。帆船をイメージしています。そういえば横浜のMM21地区にある「ホテル・パシフィコ横浜」も帆船をかたどっていますね。
高さ52メートルあるそうです。帆船の先端のバウにはエンリケ航海王子が立ち、大きな帆の両側に大航海時代を担った天文学者、地理学者、航海者、宣教師や、帰らぬ男のことを思い悲しみにくれる女性が表されているそうです。
右舷側〔要は右側です〕右からエンリケ航海王子が先頭に17名の人が思い思いに連なっています。
そして、左舷側にやはり16名の著名人がいますが、
二人目に「バスコ・ダ・ガマ」がいます。エンリケ航海王子の航海士養成所の卒業生で喜望峰周回のインド洋航路を発見しました。
そして、五人目には「フェルナン・デ・マガリャンエス〔マゼラン〕」がいます。志半ばにして世を去った船団長としては抜群の統率力を持った船長でしたが「最初の航路による世界一周をなす」と評価されたいます。
11番目に「バルトロメウ・ディアス」がいます。彼はエンリケ航海王子が65歳て亡くなった後、ジョアン二世の時代に13日間の漂流の末、喜望峰を発見します。偶然でした。彼は自分の体験を元に「嵐の岬」と名付けましたが国王ジョアン二世は不吉であるとしてインドへの入り口という期待を込めて「喜望峰」と改めさせたと言われています。15人目には著名な「フランシスコ・ザビエル」がいます。


〔バスコ・ダ・ガマが四隻の船団で喜望峰を迂回してインド洋航路を開発した「サン・ガブリエル号」〕
この船は「キャラック船」といわれているタイプでそれ以前の「コグ」と「キャンベル」というタイプの長所を組み合わせたものです。三本マストに横帆と縦帆を組み合わせたこのタイプは最初の全装帆船だと言われています。その後ガリオンというタイプに移行します。


英海峡で708人乗り客船が火災
英スカイテレビが6日早朝(日本時間同日昼)伝えたところによると、英南東部イーストボーンの沖合約37キロ・メートルのイギリス海峡で、乗客乗員708人を乗せた客船が火災を起こした。
欧州の船舶事故では、1990年4月、ノルウェー・オスロ沖を航行中のデンマークの大型カーフェリーが炎上、100人以上が死亡したほか、89年にもデンマーク沖合で大型フェリーが火災を起こし、死者を出した。(2006年5月6日13時37分 読売新聞)

 

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