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Cutty Sark

Cutty Sarkは常に夢を追い続ける希望の帆船です。I still have a dreamのこころざしを持って海図にない航路を切り開きます。

単騎千里を走る

2006.02.20

日中合作映画「単騎、千里を走る」のプロモーションを見ました。

すでに上映も開始しいています。この映画は是非見たい作品の一つです。
東宝の公式サイトでこの映画の事を簡潔にしかも的確に説明しているので、下記を引用します。
千里走単騎」―息子への想いを胸に、独り、千里を行く。
『「千里走単騎」は、日本でも馴染み深い「三国志」に由来する、中国の京劇の演目である。後の蜀帝・劉備の義弟・関羽が、劉備の妻子と共に宿敵・曹操の手に落ちるが、劉備への義理と誠を貫き通し、最後はただ独りで劉備の妻子を伴い曹操の下を脱出し、劉備のもとへ帰還するという三国志の中でも最も感動的なエピソードの一つである。今もなお関羽は、中国民衆の中でも人気の高い人物で、商いの神様としてあがめられている地方もある。映画は、この舞踊「千里走単騎」を巡って展開していく。
物語は、現代の中国と日本が舞台となる。主人公・高田(高倉健)は、余命いくばくもない民俗学者の息子の代わりに、京劇「千里走単騎」を撮影しに、中国の奥地・麗江市を訪れる。この旅は、高田にとって、永年の確執によって生じた親子の、埋めることの出来ない心の溝を埋めるための旅でもあった。しかし、高田は、経済発展とは無縁の、雅やかな美しい麗江の街並みや大自然、素朴で誠実な住人たちとの出会いや人々の心情に触れることによって、自分の行き場のない想いが少しづつ癒されていくのに気づきはじめるのであった……。』

「単騎、千里を走る」の中国語タイトルは「千里走単騎」です。読み方は解りません。
この諺を知ったのは中学三年の頃です。図書館の書士のサジェスチョンでした。勿論吉川栄治著「新三国志」によってです。昭和10年代に数年取り組んだ力作で読破に三週間かかりました。この「新三国志」か「新平家物語」か昔の事で失念してしまいましたが、たしか読んだハードカバーの本の最初に吉川栄治と彼のお嬢さんが写っていました。そのお嬢さんはオカッパ頭でスカート穿いた小学生の様でした。写真はというと、うず高く積み上げた原稿用紙と彼女の背の高さが同じだったんです。相当記憶は曖昧ですが、驚きとともに記憶しています。
その吉川栄治の三国志にはこのシーンを「関羽千里行〔かうん・せんりこう〕」とタイトルを付けています。同じ意味ですが、少々ニュアンスが違いますね。そして、関羽の千里行は前後の話が無くては全く面白くもありませんし、三国志の中では「単騎、千里を走る」はその助走部分でしかありません。

関羽雲長〔かうんうんちょう〕は横浜中華街の関帝廟にも祭られている程中国で人気の高い人物です。三国志のスタートは「桃園の誓い」からです。劉備を長兄、関羽を次兄、張飛を末弟とした義兄弟と主従の杯を交わしたときから始まります。
三国志は魏〔ぎ〕の国を建国した曹操〔そうそう〕、呉〔ご〕の国を建国した孫権〔そんけん〕、そして物語の中心人物、蜀〔しょく〕の国を建国した劉備玄徳〔りゅうびげんとく〕となります。

しかし、孔子は論語の中で言っています。
四十、五十にして出世できない人間は畏るるに足らず」と。
なんだか自分のことを言われているようで甚だ心持ちは良くはありませんが、話を続けます。呉の孫権は別にして魏の曹操も劉備玄徳もともに裸一貫から身を起こし国を興したわけですが、曹操は比較的早めに黄河一帯を押さえて覇権を整えていましたが、劉備玄徳は後年、諸葛孔明〔しょかつこうめい〕を得るまで実に百戦百敗でした。まさに孔子の論語の理が当てはまるような人物でした。なんど八方ふさがりがあった事でしょう。しかし、不思議と生き延びました。

ところが孔明を得た劉備玄徳は、「関羽・張飛」の他に「黄忠〔こうちゅう〕」や「馬超〔ばちょう〕」、あの有名な「馬謖〔ばしょく〕」といった一騎当千のスターが沢山揃いました。そして、ついに孔明の「天下三分の計」によって蜀を興す事になります。故に歴史学者でさえ、齢50を超えて国主の地位に着けた事は奇跡という以外に無いと言われています。

そして今日の本題の「単騎、千里を走る・関羽千里行」は実は、劉備玄徳が諸葛孔明に出会う前の話です。ですから百敗を重ねている時にという事になります。

劉備玄徳張飛の居る小沛〔しょうはい〕という城に曹操は軍勢20万で攻め込もうとヒタヒタと寄せてきます。その大軍に夜討ちを懸け逆に散々に破れて散り散りに逃げます。でも、ただ一人別な城で劉備玄徳の婦人と家族を預かる関羽は頑張りますが、所詮20万の大軍には勝てず曹操に降ります。その関羽に対して曹操は寛大に遇し、臣下になるよう極めて信義に基づき薦めます。
その様な中、関羽は玄徳の二夫人を助けながら「五関突破〔ごかんとっぱ〕」を計り魏の国を脱出します。そしてついに玄徳の夫人を送り届けると言う話です。
これが世に言う「単騎、千里を走る」です。「単騎」は「関羽雲長」を指し、忠節と信義と勇気の人という事になります。

ところで、このサイトを読んでいて楽しいエピソードを見つけました。
それは、
この映画を作るときにこんな事があった様です。
高倉健は脚本を見た時点で、この映画では泣かない、感情を抑えることで表現しよう、と決めていたそうです。そしてそれを周囲にも話していたようです。
しかし、健さんの方が共演者たちの演技に感化されて、思わず泣いてしまった事があったようです。
そんなときは健さんに、「すみません、監督」と謝っていたそうです。
なんともいい感じですね。
なんとしてもこの映画を見なくては。

今、恒例のNHK大河ドラマ「巧妙が辻」(司馬遼太郎著)で竹中半兵衛を「三顧の礼」で藤吉郎が軍師に迎えました。劉備玄徳は紀元前五世紀に藤吉郎のお手本をした訳ですね。

 

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