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Cutty Sark

Cutty Sarkは常に夢を追い続ける希望の帆船です。I still have a dreamのこころざしを持って海図にない航路を切り開きます。

株式会社によるリスク分散

2005.11.02

株式会社によるリスク分散

十七世紀当時のお茶の最大消費地区であるヨーロッパへの帆船による輸送は一大プロジェクトでした。
帆船の建造には2-3年要しますし、膨大な資金が必要です。また、ある程度の大型船を造船できる造船所も限られていました。
その上経験豊かな船長と航海士達と多くの熟練な船員が必要となります。そして嵐による沈没も当然のごとく予想しなくてはなりません。

その意味でも「イギリス東インド会社」は今で言う株式会社に近いやり方でリスクの分散と管理的なスキームを形成していたのだと思われます。
さて、
ヨーロッパへのお茶輸送はお茶の摘み取りができる「四月と六月」に決まっていました。
ティー・クリッパーの全盛時期、中国からロンドンまでの最短レコードは
・福州から89日間
・上海から90日間
・マカオからは89日間
・広東からは99日間
という今現在の高度なコンピュータで設計した外洋ヨットと電子機器搭載のハイテク航法を考えても驚異的な記録が残っています。
お茶の生産時期の六月はちょうど南シナ海は南西のモンスーン(季節風)が相当強く吹きます。実はこれが相当厄介です。現代でも状況は変りませんので、たぶん福州のバゴダ泊地から出航した当時のクリッパーはこの南西季節風に捕まりその俊足にブレーキが掛かった事でしょう。
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〔南西のモンスーンはちょいと厄介〕

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〔お茶は当時のヨーロッパ人にとって香料に並んでとっても貴重品〕

お茶の積み出しは当初、広東、黄埔(ワンポー/広州)、マカオの三都市でしたが、後に有名な上海と福州(バゴダ泊地=バコダは髙い仏塔のこと)が加わりました。
特に福州は新茶を摘み取るのに一番適当な場所にあって、その上この後もっとも説明したい歴史的な「ティー・クリッパー・レース」が行われた港でもあります。

クリッパー・シップの創造者は米国と言われています。
また、英国のクリッパー・シップ発祥地はスコットランド北東部のアバジーンです。

ブログも日にちを重ねてきたので少しずつ「カティ・サーク(Catty Sark)」を語る事にします。楽しみにしてくださいませ。
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