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Cutty Sark

Cutty Sarkは常に夢を追い続ける希望の帆船です。I still have a dreamのこころざしを持って海図にない航路を切り開きます。

楽天と村上ファンド

2005.10.14

楽天の三木谷さんは事前準備も十分なプランでTBSに経営統合を申し入れ「インターネットと放送の融合」の相乗効果で事業の未来像を語り15.46%の保有を明らかにして筆頭株主の大株主となった。 一方、村上世彰氏が率いる村上ファンドは株式市場の定説道理の理論で「安く買います。高く売ります」を高らかに云い放ち7.45%を保有したと発表しました。

実は「クリストファー・コロンブス」も独自ファンドを組閣した一人です。500年以上も前の事でした。彼の新大陸発見はルネッサンス期のヨーロッパ人の世界観を一変させる画期的な事件でした。それは歴史上とても重要なタイミングですが、実は現代のビジネス・シーンにおいても十二分に役に立つ起業家精神の先例となる活動でもあったのです。探検者と思い込んでいたコロンブスは実は事前準備を十分に練った今までにない「ビジネス・モデル」を発想した起業家だったのです。
彼はジェノヴァで生まれた当時最も交易が盛んな地中海商業世界に育った実業家だったのです。その上当代一流の「船乗り」であった事はその四回にわたる大航海で見せた卓越した航海術と船団長としての統率力が証明しています。

さて、巨額資金が必要な新大陸発見のための提案書ですが、それには基本的な「マスタープラン」が必要となります。コロンブスはこのファンドの組閣と王室と自分の事業との関連(具体的には契約書)を当初より企画していたようです。
このマスタープランの具体的な事業名は「インディアス事業」とうたっています。コロンブスが企業家として求めていたのは強力な出資者であり共同事業者となる王室でした。なのでどこの王室でもいいのです。賛同をもらおれば。ですから最初のベンチャーキャピタリスト(またはエンジェル)はポルトガル王ジョアン二世でした。1483年か84年のはじめと言われています。やはり出資には事業計画書も大事ですが、お金を出す側の事情とタイミングがあります。その時のジョアン二世は既にアフリカ西海岸を南下してのアジア行きを既に取り組んでいたことや、提案者であるコロンブスの提案時の企業価値が既に相当大きく、要はバリエーションが高くてリターンが小さいと感じさせてしまったことによる交渉の決裂でした。ジョアン二世からしてみると、既にこのポートフォリオには出資済みなんだけど、でも提案内容はとても斬新で魅力的だなぁ。でもなぁ、出資に対して僕のリターンが想定より小さいもんなぁ。とか言ったかどうか。どうもコロンブスが少々欲をかいて「取り分」の常識を外して提案したのが原因らしいです。何事も欲をかきすぎるとだめですね。そこで彼は提案すべき相手を変えました。1486年1月20日に隣国カスティーリャのアルカラー・デ・エナーレスという大学の町で「イサベル女王とフェルナンド王」に謁見し、事業計画のプレゼンテーションを行いました。勿論すぐに出資委員会が召集されこの「新規ビジネス・モデルの信憑性と事業の採算性と王国のリスク」を検討し、実は92年に差し戻しになります。プレゼンから既に6年経過しています。しかし起業家であるコロンブスはすぐに次の手を打ちます。それは宮廷のロビー活動と資本政策のバリエーションの見直し(もちろん低く見積もる)です。これにより一気に挽回し、1492年4月17日に最終合意に達します。ジョアン二世に事業計画を持ち込んでから既に9年が経過しています。事業の立案まで遡るとゆうに10年の起業活動となります。一途というか、必ず起業してやるぞという信念なのか、ねちっこいのか定かではありませんが、これでやっと航海へ出れます。このマスター・プランである「インディアス事業」ですが、具体的な内容と出資契約書がとてもユニークで興味深いものがあります。明日、その続きを書いてみようと思います。

起業家の心得を「クリストファー・コロンブス」に見ることが出来ます。
自分が信じた「ビジネス・モデル」を諦めずトコトン思い続けるとこ。
事業内容に賛同頂けるベンチャー・キャピタリスト(出資者ならばなんでも)を探し続けること。
株価や要望にこだわりも必要であるが、常にバランスよく柔軟に対応すること。   かな。

 

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