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Cutty Sark

Cutty Sarkは常に夢を追い続ける希望の帆船です。I still have a dreamのこころざしを持って海図にない航路を切り開きます。

スエズ運河とCatty Sark

2005.08.11

前回羅針盤」と「六分儀の話題を出しました。
このブログ自身のメイン・タイトルでもある「Catty Sark」に行くのに中々辿り着けません。いろいろ道草をしてしまいます。たどり着く為には周辺のいろいろな情報を拾っていかないと情報不足になります。「羅針盤」と「六分儀」もそうですし、お茶とコーヒーの話もそうです。そうそう、中世の帆船の話や著名な探検家の人生も。例えば、灯台のことも。世界でいちばん古い灯台があります。それは紀元前279年エジプトのアレキサンドリア港の入ロ、 ファロス島に建てられた「ファロス灯台」がそれです。最近、海中から灯台の一部が発見されて話題になりました。アレキサンドリア港に寄港したことがありますが、ファロス島には行っていません。世界の七不思議の一つに挙げられる「ファロスの灯台」は、大地震により倒壊してしまい、今ではその姿を見ることはできません。1995年に行われた調査で発見された数々の彫像や石材は、ファロスの灯台の一部であると言われています。また、著名な1477年に建設された「カイト・ベイの要塞」は、このファロスの灯台跡に建てられています。この灯台は、完成までに20年かかり、高さが135メートルもあったといいます。その時代にそんな高度な技術があったのかと不思議ですが、 実際に1477年まで存在していた様です。勿論現役で使われていたらしい。すると、ざっと1700年以上使われていたことになります。なので「世界の七不思議の一つ」なんですね。このアレキサンドリアは地中海性気候でとてもいいところです。
因みに、日本の古代の灯台は、遣唐使の時代といわれています。遣唐使船に多くの高級官僚や随行員及び水夫たちが乗り込み、何度と無く遭難が発生し、多くの人命が失われたのを救うために、遣唐使船の帰り道にあたる九州地方の岬や島で、「昼は煙をあげ、 夜は火をもやして船の目じるし」にしたのが最初の様です。 これが日本での灯台の始めといわれています。

スエズ運河は1967年の第3次中東戦争で沈没した軍艦が障害となり、以後運河は長い間閉鎖されていました。そして、再開されたのは1975年6月です。8年もの間封鎖されていたのです。世界経済に与えた影響は当然ながら多大だあったと当時を思い浮かべながらこのブログを書いています。閉鎖された運河は通れませんので、日本から西回りでヨーロッパや米国に行くには、アフリカ南端の喜望峰を経由し、約4,000マイル(約7,400キロ)も航海距離を長く航海しなくてはなりません。燃料補給による寄港地の手配、大幅な時間増、荷主への運賃の増加、船材配置のロス等いいことありません。この運河の特徴は、地中海と紅海の水面の高さがほぼ同じため、パナマ運河のようなロック(閘門)の必要がなく、水の流れが小さい事です。僕は数回の地中海航路に従事しましたが、スエズ運河を通る経験は与えられませんでした。全長約90マイルもあります。(約150㌖)制限速度と追い越し禁止のため、ゆっくり通航します。所要時間は運河部分だけで最低約12時間。待機時間や、すれ違いのために途中で停止する事もあるので、ほぼ丸1日がかりの緊張が伴なう運行です。勿論、水先人(パイロット)の管理下で運行しますが、運河の90マイルは2組のパイロットが半分ずつ指揮を執り、運河入口および出口のところで港湾地区専属の2組のパイロットが必要であり、この一日のために4人の水先案内人(もちろん通行料に含まれますが)が必要となります。日本と違いいかにも専門的な役割分担だなぁと感じます。
Catty Sark1869年11月22日(月)午後に英国スコットランド、ダンバートンのクライド川へ進水しまた。この日からたった6日前に約4,000マイル短縮できる期待の新ルート「スエズ運河」が出現し時代が大きく転機を迎えているときに。

 

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