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Cutty Sark

Cutty Sarkは常に夢を追い続ける希望の帆船です。I still have a dreamのこころざしを持って海図にない航路を切り開きます。

クチナシの香りとBaiu

2009.07.10

今年の春に北京と上海を訪れました。

帰国日に土曜日を挟んだのでほんの僅かの時間を博物館の見学に充てました。
見学は二時間と決めていますので、毎回テーマを絞りますが、今回は墨絵の「三清」です。

三清とは、枯木に石と竹を配置して描いた墨絵を指す言葉らしいです。枯木の過ぎ去った哀愁や山石や川石の冷淡な石のヒヤリとする触感に対して、若竹のもつ青く、清々しい生命力を加えることによって、人の世は若竹のように清々しく生きたいとものと、表現する墨絵らしいです。
墨絵を輸入して日本文化に置き換えた日本の墨絵には、この様な思想はないと言われいますが、第一級の芸術家であれば輸入された墨絵を見れば絵に込められた意図は十分汲み取ることができたと理解する方が自然でしょう。

さて、三清ほど非日常的な文化でなくても、私たちの日常の中にも「森羅万象」を感じる、または接する機会はあると思います。その一つが香りだと思います。私たちが身近に感じる三つの香りを日常の中に見つけたいと思います。

初夏の今、早朝、自宅から駅に向う間に「クチナシ」の強い香りを感じます。この白い花弁から噎(む)せかえるような甘い香りに、心惹かれない人はいないでしょう。

次に、早春のころ、愛の香りと称えられる「ジンチョウゲ」が花開きます。紅梅や白梅より、やや遅い時期の二月下旬のころですね。「沈丁花」と漢字では書きますが、本来は漢名の「瑞香」が望ましいそうです。かな変換でも沈丁花と変換されますので、ほぼ一般的といえますが。
花は、内側が白で、外側が紫紅色に染まる二つの色合いを、たくみに配分したいでたちがもっとも多いです。とにかく、ジンチョウゲは情熱的な香りの広さ、深さ、激しさを持っていると思います。まさしく、愛の香りにふさわしい香りの花です。

さらに、秋になると、一日が爽快な気分で始まる事をたくさん経験しますが、反対に寂寥沈静のうちに一日の幕を閉じることもままあります。秋とは、なんとなくものを想い、そしてボーっと過ごしたいというような感覚に陥りやすいと思いませんか?
秋の一段と爽やかさが増す中秋の頃に、つつましく花を飾る「キンモクセイ」は私たちの心を引き付けます。私はこのころ、自宅の裏口の遊歩道に大きなキンモクセイあり、その下を毎朝くぐって通います。その芳しい香りは、一日を爽快な気分にさせてくれます。

これで日本の三香がそろいました。
この三香は庭木や公園や緑道と、どこにでも植えられていますので、目にし、香りを嗅ぐことが多いポピュラーな樹木です。

クチナシの固有種は一重咲きだそうですが、私たちがみるクチナシは八重咲きです。しかも、その葉は一年を通していささかも色が褪せぬばかりか、健康的な明るさが感じられるのも特徴です。光沢の強い濃青色は5月により鮮明になり、やがて花開き香りを放ちます。
池坊の口伝の中に、
"クチナシを瓶に指すときは、紫陽花、竜胆(りんどう)、野菊なとのように高く生けてはならぬ"とあります。きっと、この花の放つ香りを、低く生けて、より深く、より細やかに、生かそうとしたのでしょう。池坊は室町時代にその基本形式を確立したと聞きましたが、可憐な一輪を無造作に瓶に「投げ入れ」から豪華な大立花(だいりっか)の活花まで、その領域は幅広く、奥が深いです。
反対に、茶道においては"クチナシの花"を茶席に生ける事を極度に忌み嫌った。とあります。クチナシの放つ深々とした強い香りが、密室の静けさを基本とする室の空気をあやしくかき乱すことに、茶人たちは、疎ましさを感じたのではないでしょうか。

クチナシの名前の由来ですが、内部に黄色の肉塊と種子をもつ果粒が、秋になっても、頑として口を割らない、そのかたくなな用心深さゆえという説があります。クチナシの匂いにつられて近寄ると、名前の由来を改めて感じます。

クチナシの香りが漂う頃、日本全域に「梅雨(ツユ・バイウ)」に包まれます。"Baiu"は既に国際気象用語として認められています。なので、海外では日常会話で話されます。
梅雨のいう呼び名は比較的新しく、江戸時代からだといいます。それまでは、単に「五月雨(さみだれ)」と呼んでいたらしいです。さすがは万葉の邦です。呼び名にも情緒ありますね。勿論、旧暦の5月(現在の6月)でのことです。
梅雨という言葉は、江戸時代に中国から入輸入しました。そこで、6月を梅雨と呼び、5月を五月雨と呼ぶようにしたようです。この使い分けも絶妙です。五月雨はまさに俳句の季語ですね。

毎朝出勤前に、ほとんどの社会人が「今日の天気は?」と天気予報によって知ることになりますが、6月の天気図を見ると歴然とそのBaiuを感じることが出来ます。

私は6月生まれですが、5月の爽やかさがとても好きです。
5月は移動性高気圧とても活発ですが、6月になると北のオホーツクに徐々に移動します。その空いた空間に、南の前線が日本列島の東西にわたって、その勢力を広げます。この前線が「梅雨前線」です。自然の摂理ですが、この梅雨前線を南から亜熱帯高気圧が広大な範囲で張り出し、南下を防ぎ、保ちます。
ですから、梅雨前線はどこにも行けず、サンドイッチ状態で、じっと動かず停滞します。
でも、時おり梅雨の晴れ間を、気まぐれに見せてくれることもあります。それは上下にある高気圧のバランスのせいです。

また、オホーツク高気圧がその勢力を高めると、"梅雨寒(つゆざむ)"です。決まって、東北地方は冷たい北東風によって冷害の危機となります。反対に、亜熱帯高気圧が勢力を高めると、日本に住む外国人が決まって体調を崩す"蒸し暑い梅雨"となります。さりとて、停滞しなければ、"から梅雨"となり、夏には水が足りません。いいお米が取れません。自然とはなんと、森羅万象を感じさせてくれるのでしょう。

地上に住む私たちにとって、その周りから折々吹く風は、日々の生活に深くとけ込んでいます。古来から人々は、さまざまな風の吹き方を目で見て、肌で感じ取ったことでしょう。
クチナシの香りも風に乗って運ばれてくるのです。
風は、私たちのいつもまわりにありながら、目に見えないものの喩えとして空気のようだ、と言う様に、直接目に触れることはありません。
しかし、クチナシの匂いを感ずることにより、その場所を推し量ったり、草木のそよぎといったものを通して、風の吹くありさまを、たしかに感じることができます。

それは、目に見える川の流れや、海岸での波のうねりとはひと味違った形で、人々の心の琴線を呼び起こす働きがあるのではないでしょうか。
現代人が忘れてしまった花鳥風月などは、まさにこの微妙な感覚が必要なのだと思います。

 

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