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Cutty Sark

Cutty Sarkは常に夢を追い続ける希望の帆船です。I still have a dreamのこころざしを持って海図にない航路を切り開きます。

選択肢

2007.10.15

子供のころ田舎町で育った私は遊びは海岸と港と山(海と山が隣接しているので)でした。そのころ漁師のオジサンたちは「やま=山」の話をさかんにしていました。
子供心にもそれか生死を分かつテーマだということをなんとなく理解していました。

やまを合わせる」という方法は古代の航海者たちが自然に作り上げた沿岸航法のひとつです。陸上の山やその他の立標(樹木等)や島など、二つの物標で出来る見通し線を二つ以上作って、その交点で自船の位置を決定する方法です。
しかし、この方法は視界のクリアーなときだけです。
そうい言えば田舎に住んでいた子供のころは誰でもそうでしたが、海流の激しい海岸だったので、泳ぐときは常に陸上の「目標」を確認しながら遊びました。今思えばそのように育てられたのでしょう。激しい海流を知らない夏休みだけの海水浴客たちは、数年毎にその犠牲になっていた様です。

海上の天候は気まぐれですし、天気予報は当然時間単位で拾いますが今のように局地化されていません。当時の小型漁船は相当の装備をしていました。当然ですが小型のレーダーも積んでいます。
しかし濃い霧が発生するとリスクは飛躍的に上がります。

孫子の兵法に
「凡そ戦いは、を以て合い、を以て勝つ。故に善く奇を出だす者は、窮まり無きこと天地の如く、竭きざること江河の如し。」
という定石の戦術論があります。

全体の意味は「およそ戦闘というものは、定石どおりの正法で不敗の地に立って敵と会戦し、状況の変化に適応した奇法で打ち勝つのである。したがって、うまく奇法をつかう軍隊では、その変化は天地の動きのように窮まりなく、長江や黄河のように尽きることがない。」とあります。
ビジネスの世界でもその進め方は「奇法と正法の二つ」に過ぎませんが、その都度、、その都度変化する社内外の状況は「混じりあった変化」となり、窮(きわ)め尽くせるものではないということでしょう。
なんと奥深い言葉でしょう。

だからこそ、「早く意思決定」することが勝算の確立を高めるひとつの要因なのでしょう。

言葉としては至極簡単な「スピード経営」も実際のビジネス・シーンでは「度胸」だけでは決められない「迷い」が生じるのです。

前述の戦術論に下記の言葉が続きます。
「終わりて復た始まるは、四時是れこれなり。死して更(こもごも)生ずるは日月これなり。」です。
大意は、
「終わっては繰り返して始まる四季のように、暗くなってまた繰り返して明るくなる日月のようである。」と。
入り混じった変化を窮めることの難しさは、「丸い輪をぐるぐる回って終点のないようなものである。」と投げ捨てるように著しています。

ただ、
「早く決定する!」という、この良さは当然あります。
それは「選択肢の多さ」です。
手持ちの少ない情報で決定している訳ですから、選択肢の可能性は多くあるはずです。
ノーベル受賞者でもある英国の首相経験者、ウィンストン・チャーチルはその語録の中で、
まず、動け」と意味深いことを残しています。
早く決定した者にのみ、多くの選択肢が与えられることは当然といえば当然ですね。
その選択肢の多さは、事のほか魅力的ですよね。

数日前のブロクで「クリストファー・コロンブス(クリストフォロ・コロンポ)[直感]」の話をしました。新大陸発見の第一回航海は1492年2月8日に始まりましたが、彼は大航海時代の間違いなく立役者の一人になりました。

が、ここに一生を新事業の開拓に投じた人物がいます。

大航海時代は十三世紀から徐々に始まったと言われています。
その間、帆船の大型化やセールの改良、コンパス(羅針盤)や球面三角法や天文学の発達も大航海時代を支える準備であったもいえます。
しかし、このこと以上に大航海を可能にした航海技術の発達に貢献したのはヘンリー航海王(英語読み)でしょう。

日本では一般的には「航海王」として知られていますが、実際には王位には就かず、父、兄、甥の三代の王の下にあって通商と殖民に関する大臣的な地位についていました。ですからヘンリー航海王子と言うべきでしょう。
書籍においてはエンリケ航海王子(ポルトガル語)が一般的です。

エンリケは、その欲求度や地域的環境や時代背景も無視できませんが、「早く決定」し「選択肢の多さ」を享受した人でもあります。

彼は「正を以て合い、奇を以て勝つ」やり方で、勝算を徐々に高めて新しい時代を創出したのです。

しかし、エンリケ航海王子のもっとも偉大な点は、インドへの新航路開拓を甘く考えず、「一生の仕事」としたことでしょう。

彼は自己の事業として1419年に「発見の航海」を開始し、
1460年に67歳の輝かしい生涯を閉じましたが、その時点でシェラレオネまで達していました。
  (シェラレオネ シエラレオネ共和国はアフリカの西部、大西洋岸に位置する。
1447年-ポルトガル人航海士アルヴァロ・フェルナンディスが上陸)
逆にシェラレオネ到達に40年掛かったということです。

次はエンリケの業績をビジネスに重ねて考えて見たいと思います。

 

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