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Cutty Sark

Cutty Sarkは常に夢を追い続ける希望の帆船です。I still have a dreamのこころざしを持って海図にない航路を切り開きます。

充電と放電

2006.03.26

充電と放電

三週間ほど前に知人からeMailを受け取りました。
ニューヨークからでした。
外資系IT企業を退職し長い「充電と放電」の期間に入るそうで、その第一の行動がここ「ニューヨーク」だそうです。単身で全てを自分で計画し行動する。僕にはとても真似出来ない大胆な発想と行動力には脱帽します。NYの滞在目的は「イサム・ノグチとミュージカルと美術館」だそうです。仕事も観光も知人との再会もせず、ひたすら「美術品」を漁る。それはきっと「美しくクリエイティブな造作物からエネルギーを吸収する」事なんだと、その文面から理解〔?〕しましたがなんと優雅で行動的でしょう。
羨ましくも在ります。
その知人へのメールのお返しに、国立スミソニアン協会の「アーサー・M. サックラー美術館」で開催される「葛飾北斎・扇持つ立美人図」の【案内】を送りました。
この展示会は日本経済新聞社が主催で昨秋、東京・上野の東京国立博物館で開催した「北斎展」を同社創刊130周年記念事業として計画されたものです。もし知人がNYからワシントンに移動するのであれば、是非フリーア美術館も含めて見学したらとお誘いしました。
知人はNY滞在を満喫したらしく、西海岸に移動したときに当初の予定を全て消化した事を伝えてきました。「ノグチ・イサム美術館」「MoMA」「数本のブロードウェイ・ミュージカル」「イサムのNY市内の展示作品」等々だそうです。素晴らしいと思います。手持ちのデジカメは既に300ショット以上で帰国後Fickrに上げるそうです。今からとても楽しみにしています。

スミソニアンの「葛飾北斎」の見学を提案したのは訳がありました。
勿論、彼の70年におよぶ芸術家としての作品を見学することなんですが、実は寄贈者の遺言により門外不出とされているフリーア美術館の屈指の肉筆画コレクション約40点の展示が予定されているからです。日本の北斎が描いた「肉筆画」は日本で見られる可能性はほぼゼロに近いのです。

この理由は「フリーア」とう名前に由来します。
寄贈者というのは「チャールズ・ラング・フリーア」で「フリーア美術館」を設立しなければならないほど多くの美術品を保有しいていたのです。保有していたのみでなくきちんと長い期間をかけて補修もしていたのです。十九世紀末、鉄道事業で巨万の富を得たデトロイト出身のチャールズ・ラング・フリーアは生涯を独身で通し、日本や中国などアジアの美術品収集に熱を入れたそうです。特に日本には愛着をもち、1919年に65歳の生涯を閉じるまで四回にわたり長い船旅で日本を訪れ、二千点以上の美術品を購入したといわれています。
そして、チャールズ・ラング・フリーアは収集した全ての美術品を首都ワシントンの国立総合研究機関のスミソニアン協会に寄贈します。彼の死から四年後に彼の名前を冠した「アジア美術専門のフリーア美術館」を設立する事になるのです。
そしてその美術品の修復師として「木下興吉」が着任します。当時岡倉天心はボストン美術館日本美術部長だったそうですが、木下は天心が日本から呼び寄せた表具師だったそうです。その後、日本の真珠湾攻撃と太平洋戦争勃発で日本人が従事する事が難しくなります。
帰国してしまう木下の後任は米国人の反日感情を考えると新たな採用は絶望的になりました。
さらに戦争が終わっても、米占領下の日本から米国への移民は認められていなかった事情も大きな要因だったのです。
このままでは日本の美術品が傷み放題になってしまう」という「館長のウェンリー」強い要請で芸術に理解がある上院議員らにロビー活動を展開し、「米国人にはできない特別な技術を持っている」日本人表具師の移民を認める特例措置を働きかけたそうです。

日本を代表する浮世絵、屏風絵作家の多くの作品が、十九世紀末から二十世紀初頭に米国に渡りました。チャールズ・ラング・フリーアの手によって日本から収集された「葛飾北斎、狩野永徳、俵屋宗達」らの美術品は米国人らの手による保全でなく、あくまで長い歴史の中で育まれた日本の表具師たちの手によって守られてきました。それがフリーア美術館の美術品なのです。そして今もそれらを傷みから守り続けるために、異国の地で美術品修復に一生を捧げた日本人表具師たちがいると思うと見学する意識も異なったものになるでしょう。
是非、機会あれば見てきて欲しいと。

知人は米国から帰国すると来月はイタリアと英国だそうです。
この両国も建築物や家具や美術館の見聞ツアーだそうです。
なんとも羨ましい。
その合間には自身の英語力を磨くために現地インターンシップを計画中との事。
仕事をしている時より多忙とのこの返事に十分頷けます。
ランチを誘うと、平然と三週間後の予定を提示されました。

充電と放電のバランスを常に保ちながら成長したいものです。

参考と引用
日本経済新聞第2部[日経マガジン]12月 Sunday 18 December 2005 no.11

 

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