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Cutty Sark

Cutty Sarkは常に夢を追い続ける希望の帆船です。I still have a dreamのこころざしを持って海図にない航路を切り開きます。

スティーヴ・マックィーンとアスベスト

2005.11.25

タワーリング・インフェルノ(1974),パピヨン(1973),ゲッタウェイ(1972),栄光のライダー(1971),栄光のル・マン(1971) ,華麗なる週末(1969),ブリット(1968),ネバダ・スミス(1966),砲艦サンパブロ(1966),ハイウェイ(1964),荒野の七人(1960),拳銃無宿(1958),傷だらけの栄光(1956)などなど。

これは「スティーヴ・マックィーン」主演映画のタイトルです。とても魅力ある俳優でした。彼は1930年米国インディアナ州インディアナポリスで生まれています。没したのは1980年です。彼の出身地のインディアナポリスはカーレースのメッカです。そしていくつかの大ヒット映画はやはり自動車レースやオート・レースを題材にしたものでした。彼はプライベートでも多くのレースに参加しています。自分のマシンは自分でメカニック的なこともしていました。
そして、
彼の死因は「静かな時限爆弾」であるアスベストによる「中皮腫」と言われています。

彼の死から7年後米国NY市で87年6月に開催される予定だった英国ビック・ロックシンガーの「ビリー・アイドル」の公演が突然前日に中止になる騒ぎがありました。米国のあの時代のロック・ファンの事ですから、勿論大騒ぎになりました。会場はあの「マジソン・スクェア・ガーデン」です。数時間暴徒と化す寸前であったと当時の新聞は書きたてています。理由は「アスベスト」です。実は会場の天井は防火の為にアスベストが吹き付けてあり、市環境局が徐去を指示していましたが、結局工事が間に合いませんでした。そこで中止となった訳です。
今や国内は「アスベストによる中皮腫と撤去問題」に大揺れに揺れています。

米国議会は86年に校舎のアスベスト撤去を義務付ける法案を可決、これを受けて環境保護局が米国内10万校以上の校舎を調査し、その結果登校できない、教職員の健康問題、等々訴訟が空前の数に上ったそうです。
アスベストは「燃えない繊維」として古代ギリシャ時代から現代まで様々な場所で活用されてきました。特に防火用の吹きつけで屋根裏、壁板、天井等の建設材として「とても安く、とても効果的」として多く使用されていました。
日本は1955年以降、学校や公共施設の耐火や防音の目的で盛んに使用されていたようです。国内の消費は年間28万トン程度を米国の警鐘を知りながら行政は90年代まで許していました。
特に数名の国会議員は米国のデータを元に政府に改善を求めていたようです。
米国は70年代の頃まで年間100万トンを使用していましたが、86年の法案可決から殆ど使用されないようになった様です。日本は学校校舎の撤去を換算すると遅れる事20年ですね。致命的なこの遅れはどの様な原因なのでしょうか?

特に米国の医大の教授たちは「日本では米国から10年程度遅れてピークが来るので、今後大きな社会問題に発展するだろうと」警鐘をしていた様です。
10年でなく15年程度遅れましたが、米国医学者が警鐘した通り巨大な社会問題に成長しつつあります。こんなに大問題に発展する事は十分に予知できたはずであるのに、なぜ米国の警鐘を無駄にしたのでしょう。理解に苦しむ事です。そして多くの肉親を失った方々が残りました。

静かな時限爆弾」は太さ0.02~0.2ミクロンほどの超微細な繊維が大気中に漂い、肺に突き刺さる。20年から40年静かに寝ていて、ある日突然ガンを引き起す。もう防ぎようがありません。
仮に過去にアスベストが肺に突き刺さっていた場合はただ発病しない様に祈るだけです。

 

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