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Cutty Sark

Cutty Sarkは常に夢を追い続ける希望の帆船です。I still have a dreamのこころざしを持って海図にない航路を切り開きます。

秋風が運ぶ古の声

2005.09.03

あまの原ふりさけみれば春日(かすが)なる三笠(みかさ)の山にいでし月かも」(古今集・巻九)

日中の暑さはまだまだといった感じですが、朝晩の涼しさは秋を感じさせてくれます。私の住んでいるこの地区だけで先週と今週で二つの「秋祭り」に遭遇しています。散歩の途中で、蝉を取る親連れやトンボを採る兄弟も見かけました。
この歌は〔安倍仲麻呂(あべのなかまろ)〕の歌で特に秋の風韻を感じさてくれるので冒頭に置きました。ただ、この歌は背景をもう少し突っ込んで語ると「哀愁」や「望郷」の趣がにじんで来ます。なので、「」のもの悲しさにぴったり合うのかもしれません。その意味では彼の代表作のひとつです。
彼の入唐の時期はいわゆる「盛唐時代」です。誰でも知っている李白や杜甫の時代です。世界の詩の中で最も美しいと言われているのが中国の詩で、その中でも群を抜いて評価が高いのが八世紀のこの時代です。安倍仲麻呂は「李白(りはく)701-762」や「王維(おうい)701-761」と親しかったようです。もともと才能ある宮廷人の彼の詩に対する感性が二人によって磨かれたのでしょう。

彼は十六歳で遺唐学生として、以前ブログに書いた「井真成」や「吉備真備」と一緒に「第八次遣唐使」で入唐しています。17年後の733年に「第九次遣唐使」が長安に到着し、その直前には「井真成」は亡くなり、「吉備真備」は無事帰国を果しました。そして彼は期待通りエリートの階段を上りつめます。しかし「阿倍仲麻呂」は両親が年老いたことを理由に帰国を願い出ましたが玄宗皇帝はこれを許さなかったといわれています。
それから更に18年後、「第十次遣唐使」には吉備真備遺唐副使に任命されて再び入唐しています。このとき「安倍仲麻呂」の帰国の願いを政府は受け入れたいといわれています。しかし、彼の乗った第一船は難破し、安南に漂着した様です。吉備真備は第三船で紀伊の国に漂着。第四船は薩摩の国。その後第一船も帰国できたようです。彼は再び唐に戻り、ついに日本に帰国することは叶いませんでした。その時に詠んだ歌と言われています。

そして、改めて彼の歌を詠んでみると、
「東の空に月が輝く。あれは奈良の三笠山の上に上った月だ。その同じ月を今私は去らんとする唐土で見上げている。ああ、大和よ。」という感じでしょうか。

秋の人恋しく、悲しげな夜にはぴったりかも。

 

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