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Cutty Sark

Cutty Sarkは常に夢を追い続ける希望の帆船です。I still have a dreamのこころざしを持って海図にない航路を切り開きます。

アフリカ大陸の岬

2005.08.15

今日が海峡・岬編の最後です。最後にふさわしくテーマは「喜望峰」です。
喜望峰は南アフリカ共和国にある岬の名前です。一般的にはアフリカ大陸南端と殆どの人が思っています。実際には東南東へ約150km離れている所にさらに岬があります。アガラス岬です。ここが、「アフリカ大陸南端」(南緯34度50分、東経20度00分)となります。この岬より喜望峰があまりにも有名なので忘れがちな存在です。1488年にポルトガル人の「バルトロメウ・ディアス」が発見しています。「嵐の岬」と命名しました。後にポルトガル王が「希望の岬」と名づけています。ですので、「喜望峰」と「希望の岬」は別物です。1652年オランダ東インド会社が植民を行い、のちのケープタウンの原型を開拓しました。
ひとつ寄り道へ。
脱獄絶対不可能と言われたサンフランシスコ湾に浮かぶアルカトラズ刑務所をテーマにしたクリント・イーストウッド主演の映画がありましたね。実話を基に、そこから奇跡の脱出を果たした男たちの姿を描いたサスペンス映画でしたが、ケープタウンから約12キロメートルの沖合いロベン島も島の大部分は刑務所として使われたていました。当時のロベン島に収監された囚人はオランダの植民地の人々や南アフリカ出身者、インドネシア出身者もいたらしいです。また、日本と違い1836年から1931年まで、ハンセン病患者を隔離(島に隔離するなんてすごい。それも地の果てに)するためにも使われました。その後、20世紀の後半、島は政治犯収容所として使われ、ネルソン・マンデラウォルター・シスールロバート・ソブクウェ等が収監されたとの事。1999年、ユネスコの世界遺産に登録されています。

道草ついでにここらでローカルな話題を一つ。
日本人が実際に走破して自分で命名した海峡の話です。
ご存知間宮海峡のことです。間宮海峡は、ユーラシア大陸と樺太との間にある海峡です。ロシアほか欧米ではタタール海峡と呼ぶそうです。1809年に間宮林蔵が発見しました。間宮林蔵の伝記を読むと、欧米では長い間樺太は半島であると考えられていました。 それまで、ラ・ペルーズなど複数の航海者が、樺太が半島であるか島であるかを確認しようと試みたものの、すべて失敗に終わりました。間宮だけが島であるとの確信から全島走破します。海峡の最狭部は7.3kmと狭く、水深も浅いため、船で接近することはできない。彼は小船を雇いこの水深の浅い海峡を渡るのです。シーボルトは、間宮林蔵の功績をたたえ、その著書において「間宮海峡」と名付けヨーロッパの学界に紹介しています。当時日本はまだ鎖国で全く発表の場はありませんでした。他国の人の力で世界に名を広めると言うのはとても不思議な感覚です。

 

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