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Cutty Sark

Cutty Sarkは常に夢を追い続ける希望の帆船です。I still have a dreamのこころざしを持って海図にない航路を切り開きます。

美しいビーチの続き

2005.08.04

さて、昨夜の続きを最初に片付けないと。
ご存知の通りワイキキ・ビーチは昔々保養地としての意味合いから、湿地帯を埋め立て、次にさんご礁の海岸をビーチ化しました。その時ビーチ用の砂を大量にオァフ島のどこからかトラックで運んできました。最初は馬車ですね。その後1939年~2000年までワイキキ・ビーチの砂は少しずつ侵食されると、その都度とこからとも無くトラックで運び、補充されてきました。いままで補充された砂の量を計算した人がいて、その量は25万立方ヤードとの事です。
1939年から途方もない砂を島のあっちこっちからかき集めたということになります。当然砂にも限りがありますし、トラック輸送にしてもお金がかかります。毎年の如く市は予算化しなければなりません。ワイキキ・ビーチは昔から日本人には憧れの響きがありますが、実は三つの海岸が隣接して呼ばれています。もっとも狭いクヒオ・ビーチはワイキキ分署から始まり、真ん中で少し広めのワイイキ・ビーチ、その隣が広々としたカピオラニ・ビーチと続きます。そこで新しい砂の補充方法が提案されたのです。この方法はトラックでの砂運びを止めて海岸から2,000フィート沖合いの海底から吸い上げて、砂浜に補充するという計画です。総費用は50万ドルで工期は30日間。公聴会も開き賛成を得たそうです。なぜ沖合いの砂を吸い上げるかと言うと、海流の自然現象で、海岸から流された砂はある一定の海流システムによって一箇所に蓄積されるからだそうです。ワイキキの砂も自然現象により剥ぎ取られ沖合いの海底に放流されると言うわけです。もう一ついい事があります。それは沖合いの砂と海岸の砂は長い期間に同化し、微生物にいたるまで生態系が同じという事です。他の場所の砂はそうは行かないでしょう。この事実はHAWAII大学の海洋学部と民間研究機関によって調査研究を重ね、市に報告されたそうです。
ちょっと昨日のテトラポット計画と似ていませんか?

ハワイ諸島はキャプテン・クックが偶然見つけた島です。アジアからも米国からも数千マイル隔てられた広漠たる太平洋の真ん中に点在する島を発見する確率は非常に低いと思います。この島国は地球上のどの群島よりも大陸から離れた存在だからです。彼はボラボラ島を出てから六週間島影を見ることなく2,700マイルの距離をほぼ直進してハワイを発見しています。実は16世紀にスペイン船がハワイ沖を通過した記録があるにも関わらずスペイン人はハワイを発見していません。島民たちも、なお数世紀、外部世界から隔離されたままでした。そして、1778年1月にクックが訪れるまで、ただの一人もヨーロッパ人と出会う事がありませんでした。彼は3日間しか滞在しませんでしたが、タヒチと同様、安定した気持ちになれたようです。しかし、クックは大胆にもクルーに島の女性たちと関係を持つ事を禁じますが、荒くれ男たちが聞く耳を持つわけがありません。「同感!」何せ六週間も女性に会っていないのだから。クックは政策的に「この無垢な島々に性病を持つ込む事は避けなければならない。」と強く意識したそうです。立派!キャプテンたるものこうでなければ。そして、「命令を破ったものには24回の鞭」が課せられる事になりましたが、効果はほとんど無かったようです。(ナットクしてしまいますが)酷いのは、島の女性たちを男装させて船に忍び込ませたとう記録があります。欲しいと思えば知恵も無限に沸くものです。当時の帆船は貴族の夫人以外は女人禁制です。ポセイドンが怒るもの。彼は離島する時にこの島に「サンドヴィッチ島」とスポンサー貴族の名前を命名していますが、今そう呼ぶ人はいません。ハワイ島の西部、コナ国際空港から南へ約20マイルにキャプテン・クックと言う名の街があります。マウナロア山の裾野にあたります。高台に上るとケアラケクア湾(Kealakekua Bay) を一望できます。また、ケアラケクア湾には、白亜のキャプテンクック記念碑もあります。彼は50歳を向かえ、この地で不慮の事故で生涯を閉じています。機会あればご覧ください。

 

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