BrainSellers.com

Cutty Sark

Cutty Sarkは常に夢を追い続ける希望の帆船です。I still have a dreamのこころざしを持って海図にない航路を切り開きます。

アジアのこころ

2005.08.01

ヘロドトス世界地図は興味津々! ヘロドトスによって「アジア」が生まれる。

以前ブログにも出てきたホメロス」の作といわれていれ、世界文学史上最高傑作といわれている叙事詩「イーリアス」によれば、小アジア西岸の豊かな都市トロイは、アガメムノンやアキレスに率いられたギリシャ軍に攻められ、10年にもおよんだ攻防戦もオデュッセスの考案した「トロイの木馬」で完結する。この時点で後のローマ帝国は気配さえない。勿論ユリウス・カエサルも当然この世にいない。
アジアの語源を探ると、そのものとはアッシリア語の「アスー(asu)」にたどりつく。これは「出て行く」を意味する動詞で「日の出てゆくこと」、つまり「日の出」を意味するそうです。なるほど。これに対して「ヨーロッパ」の語源は、同じくアッシリア語の「エレーブ(erebu)」でこちらは「入っていく」を意味します。これらのセム語がギリシャに入って、それぞれ「アシアー(Asia)」及び「エウローペー」(Europe)というギリシャ語の名詞が作り出される。紀元前5世紀にもなるとギリシャ語はほぼその完成の域としています。実際5世紀のアレキサンドリアの文献学者ヘシュキオスは、「エウローパー」を日没の土地という意味を記述しているそうです。このギリシャ語から欧語のAsia及びEuropeが由来しているので、「アジア」の語義はもともと「日の出ずるところ」であり、これに対して「ヨーロッパ」のそれは「日没するところ」になる。その意味では、アジアとヨーロッパとはそもそも対概念と考えるべきでしょう。もちろん、お互いに相補的であつて、両者をもって初めて「世界」が完成する。ということです。なるほどなるほど。
ヨーロッパはもともとアジアを予想する概念であって、それだけでは完結しない。アジアもまたヨーロッパをはじめから前提し、それなしには完結しない。両者が相補って初めて「世界」は一つのものとして成立するということです。(アジアの語源・伊東俊太郎著より)

では古代ギリシャでのアジアとは、
ギリシャ文明は紀元前2000年前後に本土でなく、クレタ島から始まった。はじめアッシリア帝国の広大な版図の中で、アッシュール、ニネヴェあたりを中心に「日出ずる」東方と、「日没する」西方とが区別されていました。しかしギリシャ人の時代になるとこの区分の中心はさらに西方に移動します。当然の事ですが、領土の拡大が一つの要因です。こうして、アジアとヨーロッパの境界線は「ヘロドトスの用法」(ヘロドトスの世界地図)に見られるように、エーゲ海を中心にして、北はアルマラ海、黒海、アゾフ海を通ってドン河、南はスエズから紅海を過ぎてインド洋に通じる。とった現代ではとても摩訶不思議な地図、いや世界観です。地中海とその周辺は克明に、ただボャッとといった所が印象です。今でも数十枚の自分の航跡を残す意味で海図を持ち続けていますが、その隔たりはとても言い表せません。いずれにしてもインド洋を挟んで、大まかに、その「東部がアジア」で、その「西部がヨーロッパ」とされていたようです。最初に「ギリシャ」で「アジアという言葉」が登場するのは「ホメロス」の「イーリアス」に書かれている事を説明しまた。その後のギリシャ人のアジア認識は前334年に始まるアレクサンドリア大王の東征によってより強まる訳です。彼はインドまで遠征した訳ですから。パルティアからバノトリア、シルダリア河からインダス河流域までの地域がギリシャ人により実現された事になりました。
古代ローマでのアジアは、どの様に意味を持っているのか。紀元前132年にペルガモンのアッタロス三世が自ら王国をローマに遺贈して以後、執政官マニウス・アクィリウスによって、それはローマの「属州アジア」として認識されます。ここに初めて「アジア」という言葉が地図に明記されます。属州とはローマ市民権を得無い代わりに、税金は支払わず、兵役のみ提供する事でローマから武力保護を受ける仕組みです。その後二世紀に作られた有名な「プトレマイオスの世界地図」で「アシア・プロプリエ」なる記述があります。

長々アジアのことを書きましたが、思えば1997年に産学協同プロジェクトを企画し、その相手として国内ではなく中国・清華大学計算機科学技術学部を選びました。「縁」あって97年の秋に始めて北京で王教授にお逢いしました。その時情景は今でも鮮明に覚えています。なぜかひと回り違う教授と意気投合して確認したのは「アジアから世界に向けたソフトウェアを」と言う事でした。その時に改めて「アジア」を再認識しました。それが「日の出ずるところ」であると感じているし、また相対として「日没するところ」が必要である事も理解でき、両者が相補って初めて「世界」が一つであることを実感できた瞬間でもありました。教授や一番弟子の徐鵬博士(Dr.XU Peng)とは今でも交誼を絶やしません。その一つの現われとして「ブレインセラーズと中国清華大学、Java、XML分野における共同研究で提携」(2002.07.16)が生まれました。

 

Copyright(c) BrainSellers.com Corp. All rights reserved.